Béla Bartók

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今日の読響定期のバルトーク・プログラムに、相当無理して行ってきました。明日は早く起きて仕事しないと。
で、カンブルランの《中国の不思議な役人》の凄まじさは、筆舌につくしがたく、ピアノ協奏曲第三番にアメリカの風景を見たりと、実に素晴らしい体験でしたが、そのあたりは明日に。
終幕のあと、少し遅れてサントリーホールをでたのですが、どこかでお見かけした方がいらっしゃいました。
あ、やはり!
「父・バルトーク」を訳された村上泰裕さんだったのです。
思わず声をお掛けしてしまいました。
私をバルトークに導いてくれたのがこの本ですので、感謝感謝でした。
村上さんもコンサートにとても感動しておられたようでした。私もコンサートにも感動しましたが、村上さんとお会いできたのも感動的でした。
近々「父・バルトーク」の書評を発表します。良いものをお届けできるといいのですが
今日は取り急ぎ、グーテナハト。

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
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Béla Bartók,Concert

はじめに

今日は東京芸術劇場で、ベートーヴェン、ハチャトゥリアン、バルトークを聞いてきました。音楽大学オーケストラ・フェスティバルの四回目で、今日は東京音楽大学と国立音楽大学のオケが登場です。きっと、「のだめカンタービレ」のAオケにあたる方々なんだろうなあ、とか勝手に思いながら聴いてました。すいません。
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演奏

まずは東京音大ベートーヴェン交響曲第8番。学生オケといっても音大のオケですので、メチャ巧いです。これを1000円で聴けるのはずいぶんお得だと思いました。
本当にキレのある演奏でした。ある種の明快さがあって、沸き立つ感興を十分に感じました。とにかくリズムが良いのです。指揮の川瀬さんは、ある時は裏拍でクリック出していたぐらい。裏で取るとリズムがしっかりしますので。
ハチャトゥリアンの《ガイーヌ》からは、定例の《剣の舞》がまずは盛り上がり、最後の《レズギンカ舞曲》で最高峰に達しました。《レズギンカ》のパーカッション、音が大きかったけれど、グルーヴしてましたよ。若さがほとばしっていたと思います
後半は国立音大のオケによるバルトークの《管弦楽のための協奏曲》でした。
いや、ほんとこの曲は難しいです。オケはきちんと演奏出来ていました。それも素晴らしく。木管も良かったのです。
でもなにか微妙な重みのようなものがあって、この曲のある種の皮肉と洒脱さの表出が難しかったのだとも。日本的なノリとは違うのでかなり難しい話だとも思います。
今日は、スコアを見ながら《管弦楽のための協奏曲》の予習をしてました。それはそれで楽しくて、その勢いで、コンサート中も見ながら、と思いましたが、さすがに見れないです。音聞いているだけなのに、オケを見たくなってしまうというのは、なんなのでしょうかね。音楽における視覚の占めるものとは? の問題です。

東京芸術劇場の音

東京芸術劇場の音は、今ひとつと言われることが多いですが、ずいぶん良さがわかってきました。私の今日の席はやはり今ひとつでして、右側前方でした。それでも、ホールの中を回って潤った音響が伝わってきたと思います。
ただ、レズギンカ舞曲は相当音が回っていました。まあ、若いパワーを引き出そうという意図があったのだと思いますが、金管もパーカッションも炸裂してましたので、弦や木管は殆ど聞こえないという音の奔流状態になっていました。あるいは、弦の音がもう少し必要だったのか、などとも。プロオケとの違いはもしかしたら、そういうことなのかも、などと思ったり。

おわりに

あっという間に週末終了。本読んで勉強しないと。でも、きょうは早めに就寝します。
ではグーテナハト。
あ、ちなみに今日これ届きました。
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Béla Bartók,Classical

明日、東京芸術劇場で国立音楽大学のオケが《管弦楽のための協奏曲》を演奏しますす。指揮は山下一史さん。バルトークファンとしては、いかなければ。。
https://www.geigeki.jp/performance/concert023/concert023-4/
そうそう、ラトルのバルトークボックスと、ブーレーズがCBSに録音したバルトークのCDが本日届きました。こちらも楽しみ。
今日は短く。

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バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
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本業真っ盛り。
今日はラトルの《管弦楽のための協奏曲》です。
ラトルの好きなところは、絶妙なテンポコントロールと音量コントロール。それも大仰と思われないぐらい絶妙なコントロールを見せてくれるのです。何時頃か覚えていないのですが、ドビュッシーの《海》を聴いた時に感じた感動です。
この音源でもやはりそうです。インテンポな演奏でもなく、大時代的な情感の入った演奏でもないものです。熱くて冷静というコントロールされたものです。伸縮自在なゴムのような弾力性のある演奏。どこまでも拡散することなく、常に均整のとれた抑制美。だからといってダイナミズムはちゃんとある。湧き出す噴水の揺らめく形をいつまでも愉しむかのような感覚。そして、その絶え間ない形の変化は、どれだけ眺めても飽きることはない。
そんな感じの演奏だと思います。ショルティのような直線的で筋肉質な演奏とは違いますが、私はこういう演奏も大好きです。というか、ラトルのこういうところが大好きです。
それにしても、様々なスケールが入り交じるバルトークの音楽の絢爛さは格別です。その複雑な形状は、聴けば聴くほど新たな意味を見出すこと解釈多様性を帯びています。第二楽章で聞こえるバロック風の金管のファンファーレはなんなんでしょうかね? 現代文明以前の何かを懐古するもの、アメリカから欧州を懐古するものなんじゃないか、と思ってしまうぐらいです。
今日はこの辺りで。日々戦場。敵はどこにいるかわからない。
ではグーテナハト。

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Solti Conducts Bartok
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なんでこんなにバルトークな毎日なんですかね。バルトークに捉えられてしまった感があります。音楽も人格も高貴である、とtwitterでやりとりさせてもらったりしましたが、全くそのとおりだと思いますね。ほれこんでしまっているようです。
さて、代表作である《管弦楽のための協奏曲》を。通称オケコン。
ずっとブーレーズ盤を聴いていましたが、ショルティ盤のほうが好みにあってきた感があります。
ショルティのバルトークは、鋭く鮮やかです。アタックもするどく、よく統率されています。
どうもブーレーズ盤はこの点に関してショルティ盤に譲るのではないかと思っています。ブーレーズにはなにか冷たさのようなものを感じていて、それが私の中で引き締まった印象となっていたのですが、それはすこし違うようです。
ただブーレーズ盤に比べて木管に物足りなさを感じます。これは録音の問題なのかもしれません。
全体の完成度はショルティ盤の方が好みかも。
ラトルの音源もあるので、次回の「バルトークな日々」は、そちらを取り上げる予定です。
いや、ほんと仕事はスリリングです。ジェットコースターな日々。
今日は真正なグーテナハト。

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父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
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はじめに

11月に入ってから、私のブログはバルトークに埋め尽くされている感があります。なにもかも、バルトークのご子息であるペーテル・バルトーク氏による「父・バルトーク」によるわけです。
バルトークのことを書いた日に限って、アクセスが増える気がします。twitterでもリツイート頂いたりもしました。
これは、これまでにはないことのような感覚を持っています。バルトークはかなり人気があるのだなあ、と思ったわけです。

福田総理とバルトーク

私の記事に付いている「関連記事」の中に、2007年に書かれたitmediaのオルタナティブ・ブログのなかで藤井等さんという方が書いておられる記事が出てきまして読んでいたのです。
“http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html":http://blogs.itmedia.co.jp/barbaro/2007/09/post_b0ed.html
題して「福田総理とバルトーク」
2007年は福田総理の治世下でした。そんな折に、日経新聞の「春秋」欄に福田総理とバルトークの関連が書かれていたそうです。福田総理は、クラシック好きであり、
ここからが本題でして、バルトークが好きな世代は60歳から70歳台の方が多いのではないか、と推理されるのです。そのポイントは1981年。ブログの中には明示されていませんが、1981年はバルトーク生誕100年でした。この歳にバルトーク全集がLPで発売されたのだそうです。40枚組だったようです。
1981年といえば、オーディオが趣味として全盛だった時代です。私の父も、SONYの新しいカセットデッキとFMチューナー、外付けのFMアンテナを買ってましたね。
ちょうどそのころ働き盛りでバイタリティの会った方々が、今頃がちょうど60歳から70歳にあたるのではないか、というのが藤井等さんの推理です。
なるほど、そういう見方もありますね。

私がバルトークを知ったいきさつ

それで、この見方を補強する私のエピソードをお聞きください。
カミングアウトしていいですか。
私がバルトークの名前を初めて知ったのは、こちらの本でした。

この本を懐かしく思う方は多いと思います。那須正幹さんのズッコケ三人組シリーズ第6作です。この本では、ズッコケ三人組が江戸時代にタイムスリップして平賀源内の世話になる、というSF時空ものです。三人が江戸時代へとタイムスリップするのは、音楽室においてある鏡でした。この鏡を通り抜けることで、タイムスリップをしてしまうのです。この鏡は江戸時代においてはとある大名家が保有していましたが、原爆のからみで三人組が通う小学校に鏡が置かれるという設定でした。そうそう、ズッコケ三人組の舞台は広島市ですね。
で、この鏡を取り戻すために大名家のお姫様が音楽の先生になって小学校に赴任してくるわけです。美人な音楽の先生で三人組のハチベエはメロメロに。この音楽の先生が弾いていたの曲の一つがバルトークでした。ハチベエは、バカの一つ覚えのように「あれは、バルトークだな」とつぶやいたりするという設定でした。
この時弾いていたバルトークの曲は何だったのでしょうかね? 《ミクロコスモス》だったのか。
この本で私はバルトークの名前を初めて知りました。多分小学生の頃。
たしか、他にも作曲家の名前は出てきていたはずです。ショパンだったか、ベートーヴェンだったか。ですが、唐突にバルトークの名前が出てきて、幼いながらも私は奇異を感じた記憶があります。
この本、じつのところ刊行は1982年なのです! つまり、バルトーク生誕百年の翌年です。バルトークが流行っていた頃でしょうか。作者の那須正幹さんは、1942年生まれです。当時の御年は40歳。現在は71歳。先ほどの藤井さんの仮説に適合してしまいます。
那須正幹さんとバルトークの関連は残念ですがネットでは分からずじまいで、継続調査です。

おわりに

というわけで、今日もバルトーク。
あ、東京オペラ・オケ事情ですが、すこし重複あったのでこれから調整します。というか、この幅では見難いですね。レイアウトの変更は考えないと、と思っています。最近いらっしゃる方の解像度の横幅が1200ピクセル以上なので。。
それでは、グーテナハト。

Béla Bartók,Classical

20世紀の音楽 (プレンティスホール音楽史シリーズ)
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はじめに

良い天気の一日でした。早起きして朝焼けを撮りました。明日も早起きしたいものですが、できるかな?
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午前中はなにか雑務を行い、午後は「一仕事」終えました。が、まだ時間がかかることがわかりました。明日も頑張らないと。

バルトークの音楽史上における位置について

ところで、バルトークは、音楽史上において、シェーンベルクやストラヴィンスキーほどの音楽的な革新性を取り上げられることが少ないように思っていました。ワーグナー、ドビュッシー、シェーンベルク、ストラヴィンスキーといった音楽史を変えた作曲家とは違う扱いです。かといって、ブラームスやシュトラウスのように、既存理論に添い遂げたわけではありません。むしろ、破壊者でもあったのではないかとおもうのですが。
で、いろいろ調べていたんですが、若いころにかった東海大学出版会からでている《20世紀の音楽》のなかにも同じような記述がありました。

バルトークの様式は、短い期間に若い作曲家たちの間にきわめて強い影響力を見せていたのだが、究極的にはあまりに個人的であり、音楽自然体の展開に対して直接的意持続的な影響力を持ち続けることはなかった。

エリック・ソーズマン(1993)「20世紀の音楽」東海大学出版会
それは、同じくアメリカに亡命したシェーンベルクやストラヴィンスキーが比較的巧いことやっていたのに比べて、バルトークが難渋したということに象徴されているのかもしれないと思います。やはり、民謡収集やピアニストとしても活躍していたことが周りからの視点がぼやけてしまったのではないか、とか、亡命したことで生活が困難になったこと、そしてなにより早くになくなってしまったことなどが、影響するのかもしれません。
まあ、バルトークの論文集も邦訳されているようですので、あたってみないといけないです。引き続き調査します。

ヤルヴィ盤《かかし王子》のファーストインプレッション

今日は《かかし王子》しか聴いてません。10回近く聞いているかも。でも、おかげで理解も愛情も深まりました。
新しい音源を、ということで、今は、ネーメ・ヤルヴィがフィルハーモニア管弦楽団を振った盤を聴いています。まだ一回目なので評価はしませんが、ブーレーズ盤に負けず劣らずの素晴らしさだと思います。ブーレーズよりスマートにさばいている印象です。第四舞曲の切り込みの鋭さや表現の鮮烈さははネーメ・ヤルヴィのほうが強いかもしれないですね。ブーレズはもう少し重みを付けた演奏だったように思いました。
よく聴くと案の定拍節が複雑。5連符のパターンが出てきた時の異様なリズム感覚が凄いです。譜面を見ると、1stと2ndヴァイオリン、ヴィオラが7連符で、チェロが6連符という私にとっては悪夢のような拍節パターンが出てきます。そういえば、「父・バルトーク」で、民謡の7連符のノリをオケが理解できないことを指摘するシーンがありました。

Bela Bartok: The Wooden Prince, Op. 13/Hungarian Pictures
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では取り急ぎ。グーテナハト。

Béla Bartók,Classical


バルトークの《かかし王子》というバレエ音楽があります。バルトークの中でも特に叙情的な美しさを持った名曲と思います。
私は、この曲を聞いてドビュッシーやラヴェルを思い出しました。ウィキによれば、冒頭部分はワーグナーの《ラインの黄金》に影響が見られる、とありましたが、まさにあの始原の和音を聴くことができます。また、ストラヴィンスキーの影響もあるとか。特に《ペトルーシュカ》だそうで、あちらもこちらも人形がモティーフということになりますし。
特に、こちらにのせた第4舞曲の華麗さは特筆すべきものがあります。先ほどドビュッシーやラヴェルと書きましたが、そうしたフランス的な和声の素晴らしさに、リヒャルト・シュトラウスのようなオーケストレーションの華やかさや壮麗さが加わり、オケ音楽の醍醐味を十全に味わう事のできる名曲となっています。
この曲を実演で聴けると本当に良いのですが。
私が聴いていたのはブーレーズ盤です。記事の頭に載せたYoutubeの音源もブーレーズ。色彩の豊かさが実に雄弁です。素晴らしい演奏と思います。

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もう少し続きます。
今日は公休。平日なんで、カラオケボックスが安いわけですので、楽器を吹いてずいぶんとストレスを発散しました。
今使っているリードはヴァンドレンV16の2番です。当初は2半でしたが、アンブシェアが落ちたので、2年ほど前に2番に変えたのです。ですが、どうも薄いです。やはり2半に戻ろうか、と思ってます。最近はリードも値上がってるんですかね。。
では、グーテナハト。

Béla Bartók,Classical

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ショルティの《カンタータ・プロファーナ》

さて、今日もバルトーク。昨日聞いた《カンタータ・プロファーナ》をショルティ盤で聴いてみました。
* テノール タマス・ダラクジー
* バリトン アレクサンドル・アガシュ
* ハンガリー放送合唱団
* ブダペスト祝祭管弦楽団
* 指揮者 サー・ゲオルグ・ショルティ
1997年6月にブダペストで録音された、ショルティ最後の録音です。
ブーレーズ盤よりもまとまりがあって、私的には好感度は高いです。音価の拡大解釈によるもたり感などは、ショルティですのでそうそうなく、さらにいうと堅実に作られたものと思います。80歳過ぎた最晩年の演奏で、使い古された言葉で言うと「円熟の」ということになるのでしょう。それぐらい安定した演奏だと思います。
それから、譜面まで確認できていませんが、テノールの高音域で難しい曲だと思います。今まで聞いた3バージョンとも、苦労して歌っているのを感じます。

家に帰ることができたショルティ

感動的な逸話を見つけました。
ショルティは格別の思いをこの《カンタータ・プロファーナ》に持っていたようです。ショルティはハンガリーを離れ海外で活躍した指揮者です。つまり、家を離れて森のなかで生きたわけで、ショルティ・ギエルジィからサー・ゲオルグ・ショルティとなったわけです。《カンタータ・プロファーナ》のなかで人間から鹿へと姿を変わってしまった9人の息子たちと同じ境遇です。
ですが、最晩年に故郷の村を訪れました。つまり、《カンタータ・プロファーナ》の鹿が出来なかった、自分の家への帰還を果たしたということになります。これができるようになったのは、政治体制の変革といった外的要因もあるでしょうし、ショルティの内面の変化などもあったのかもしれません。
鹿が家に帰れなかったのは、角が大きすぎて戸口から入れなかったからです。ですが、ショルティの家は、その大きすぎる角が通れるぐらいに戸口が大きくなった、ということになるのでしょう。
これは、ショルティが最後の録音に際して語った内容です。以下のサイトで紹介されていました。ちょっと感動する話です。
http://www.ne.jp/asahi/mi/mi/hibinokatte-text-99.02.htm
では今日はこの辺りで。日付変わりましたがグーテナハト。

Béla Bartók,Classical

カンタータ・プロファーナを聴く

昨日から聞いているカンタータ・プロファーナ。プロファーナというのは世俗カンタータという意味です。
こんなあらすじの歌詞がついています。

9人兄弟が、森へ狩りに行くが、魔法の橋を渡った途端に鹿に姿を変えられてしまう。息子たちを探しに出かけた父親は、森で出会う鹿を息子たちとは知らずに、弓矢を向ける。だが、鹿は自分たちが鹿に変えられたことを父親に告げる。驚き帰ってきて欲しいと父親は言う。母親も息子たちの分9本のグラスにワインを注いで待っているのだから。だが、息子たちである鹿はこう答える。もはや、角が邪魔をして家に入ることも出来ないし、グラスからワインを飲むことができる姿にはない。ただ、清らかな泉をのむことしかできないのだから。

あらすじは私の超要約です。あしからず。。
いろいろ解釈はあるようです。例えば、これは自然回帰を象徴している、であるとか、逆に、帰るところに帰れない状況を現しているとか。返信の不条理感でいうと、カフカ的でもありますが、むしろ不条理というより前向きさを感じるかもしれません。悪い変化の肯定的受容という意味では「砂の女」的かもしれない。
これも「父・バルトーク」を読んでから感じたことですが、バルトークの一つにテーマが自然回帰なんでしょうね。物質主義的資本主義を嫌悪していて、大量生産品ではなく手作りの家具を愛したり、アルプスの自然を愛したりと、エコロジスト的側面を持っています。また、民謡収集で地方を回った経験なども影響しているのでしょう。
多分、鹿のように自由に自然を謳歌したかったのかなあ、などと思います。決して鹿になったことが悲観的に思われていないように思うのです。悲しんでいるのは両親だけ。それは自分たちの子どもを失ったというある種利己的な理由に過ぎません。息子たちは森のなかで、両親とは違う世界で自立したと捉えられるはずです。広大な森で自由に生きる。ある種のユートピアを自然の中に見ていたのではないか、とも思います。
ですが、バルトークは二重三重に意味を重ねている気がします。きっと複層的に重なっているのでしょう。

フレンチク盤について


今日はいつもお世話になっているNMLでのなかから、こちらを聴きました。ヤノーシュ・フレンチクがブダペスト交響楽団を振った演奏。合唱もオケもいい感じ。かなり引き締まりながら、迫力のある演奏です。合唱がよくまとまっていて、パワーや気迫が迫ってくる感じがします。ブダペスト合唱団という団体によるものです。まあ、母国語で歌えるというのが大きなアドバンテージですよね。それは大きいでしょう。それからなにかしらの思い入れのようなものもあるのでしょう。
指揮者のヤノーシュ・フレンチクは、ハンガリーにとどまり指揮活動をしたハンガリー楽壇の巨匠指揮者のようです。恥ずかしいことに最近まで私は存じませんでした。
テノールのヨージェフ・レーティも高音域のピッチが少し気になりますが、ずいぶんのびのび歌っていていい感じでした。この方は、ハンガリーの方です。やはり歌い方が自然な気が。。48歳という若さでなくなっておられるようです。日本語はもちろん英語のウィキもないので、ドイツ語からなんとなく固有名詞と年代を拾って理解しました。http://de.wikipedia.org/wiki/J%C3%B3zsef_R%C3%A9ti
私は、この曲をながいことブーレーズ盤で聴いていましたが、実際はこのフレンチク盤のほうが好みです。

おわりに

どうも今日は体の調子がおかしいです。昨日、サックス吹いて、オーボエリードをピーピーならしていたから疲れたのかも。まったく。今日は早めに帰宅し、明日の仕事に備えました。
それでは、また明日。グーテナハト。