Béla Bartók,Concerto

短いエントリー。毎日バルトークばかり。困ったもんです。

今日のバルトークの言葉

バルトークは、ヨーロッパにおけるナチスドイツの台頭に聴きを抱き、1940年にアメリカに亡命します。ですが、バルトークは、経済的な問題を抱えてしまったのです。印税はイギリスとアメリカで二重課税され、ほとんどが税務当局に吸い上げられました。白血病にかかり、ピアニストとしての活動も行えませんでした。
第一次世界大戦は金を蓄えることの無意味さを教えてくれた。第二次世界大戦は何も蓄えるべきでないと教えてくれた。つまり、日々生きるのに必要以上に働く価値はないということだ。
せっかく収集した資料が戦争で破壊されたり、貨幣価値が下落したり。二つの大戦はそうした価値の破壊をもたらしたのです。
今日の世界においても同じなのではないか、という澱んだ不安に苛まれました。

今日のバルトークの音楽

今日もヴァイオリン協奏曲。シュテフィ・ゲイエルという女性ヴァイオリニストに献呈されたそうですが、生前はその存在を隠していたようです。ゲイエルの死に際して、パウル・ザッハーに遺贈されたそうで、パウル・ザッハーによって初演されたそうです。
パウル・ザッハーは、バルトークとも親しかった指揮者です。製薬会社令嬢と結婚したことで大金持ちとなり、その資産を活かして音楽家への援助をしました。現在もパウル・ザッハー財団というものが有ります。バルトークもパウル・ザッハーからの委嘱をうけて「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」を作曲しています。
今日は、ショルティ&チョン・キョンファの音源ばかり聴いていました。これはこれで素晴らしいですが、少し硬さがあるかも。

帰宅してからギーレンが南西ドイツ放送交響楽団指揮し、クリスティアン・オステルタークと録音している盤をNMLで見つけました。この音源の叙情性はショルティ盤を上回ります。これは、相当にドライな甘さです。

では、これから楽器練習します。みなさま、グーテナハト。

Béla Bartók,Book

「父バルトーク」の映画化

昨日、「父・バルトーク」を映画化するべき、と書きました。

きっと単館系。もしかしたらあえてモノクロ映画に仕立てられたりして。ニューヨークはモノクロなんだが、バルトークの回想に現れるブダペストの風景だけカラーみたいな。《タンゴ・レッスン》とか《オズの魔法使い》あるいは、《バンカー・パレス・ホテル》みたいな。浅はかですいません。でもだれか撮らないかな。

吉松さんがとらえるバルトーク

いや、でも同じこと考えている人はいるはず、と思い、ググってみると、いらっしゃいました。
その方は畏れ多くも。作曲家の吉松隆さんでした。
“http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/BOOKS/Thesis/bartok01.html":http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/BOOKS/Thesis/bartok01.html
このバルトーク論では、様々な諸相からバルトークを解釈していて、視界が開けた感覚です。
特に、リズムのストラヴィンスキー、無調のシェーンベルク、和声のドビュッシーのいずれもを取り入れていたという解釈は素晴らしくわかりやすかったです。
バルトークのわかりにくさというものは、つかみ所のなく、聴き手をどんどん先回りしているような感覚があります。あ、こういう曲なのか、と掴みかけたところで、ふっと全く違う曲に変貌してしまうというような。
あるいは、この部分、ベルクだなと思うほどの無調の感覚があると思ったら、ラヴェルのような色彩豊かな和声の世界が広がっている。リズミカルなところは、ストラヴィンスキーにそっくりでいながら、リヒャルト・シュトラウスが聞こえてくる、といった感じです。

もう少し突っ込んでみると。

吉松さんのバルトーク論から、以下の箇所が引用してみます。

根底にあるのは祖国ハンガリーの土着の民族音楽なんですけど、それにR=シュトラウスやドビュッシーの近代和声とストラヴィンスキーの原始主義的リズムの味付けが加わり、さらにシェーンベルクの十二音に対抗するかのような知的作曲法がその上にかぶさってる。

 この、まるっきり異質で本来は混じり合いっこない素材3つに固執した挙げ句の個性こそが、バルトークの面白さであり、わけの分からなさなんですよね。

1つめは、民謡の5音音階と西欧の全音音階を組み合わせた新しい旋法と和声の開発。2つめは東欧の民族音楽の舞曲などから導きだされたリズムの素材化。そして3つめはそれらの素材の黄金分割やフィボナッチ数列などによる数学的処理。

なるほど。たしかに。バルトークのつかみ所のなさはこういう全方位的な、あるいは全てを包括する方法論によるのかもしれない、などと思いました。
この延長で吉松さんは、ストラヴィンスキーはロックに、ドビュッシーはジャズに、シェーンベルクは現代音楽や前衛音楽に、と位置づけてます。吉松さんは「独断」といいますが、私は吉松さんに賛成です。
そういう意味ではバルトークは全てを視野に入れていたということですか。これが本当のフュージョンなのかもしれない、などと思います。

おわりに

というわけで、今日も頭のなかはバルトークのことでいっぱいです。
昔、ベルクの弦楽四重奏だけを一週間ずーっと聴いていたことがありました。今は、それぐらい集中して聞いている感じです。そうするといろいろわかってくるはずです。充実してます。
ではみなさまグーテナハト。

Béla Bartók,Book

「父・バルトーク」
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以前から紹介しているこちらの本。映画化したほうが良いのではないでしょうか。それぐらい美しい父と子の物語です。
この本では、バルトークの写真が多数紹介されています。私はその写真群に目を奪われてしまいました。そのどれもが笑っていません。その点についてもすこし言及されています。バルトークは愛想よく笑ったりするようなことはなかったそうです。愛想笑いといった不誠実なことはしたくなかったということのようです。ですがそれ意外にも理由があるのではないか、と感じています。
また、愛想のない顔つきでありながら、その眼差しの中になにかしらのシニカルな目線を感じます。世界を斜めから見つめ、本質を見出そうとし、あるいは世界の虚飾を見破り、笑い飛ばしているかのように見えます。
この本の表紙でも、幼い息子を真剣に見つめる姿を見ることができます。これが本気なのかユーモアなのか。
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さてと。明日からはまた社会復帰をしなければ。
それではグーテナハト。

Béla Bartók

先日から読んでいる「父・バルトーク」。

二度目を読みながら色々考えています。
この本に通底するテーマというのは、もしかすると、戦後のアメリカナイズされた物質主義への抵抗の物語なのではないか、と考えました。
私は、当時の歴史を読むにつけて、あらゆる面で、1945年8月で世界が断絶したように思っています。
それは、例えばロマン主義の鬼っ子であるナチスドイツが崩壊し、19世紀的帝国主義に遅れてしまい、富国強兵に失敗した明治政府の終焉した、ということなのでしょう。19世紀的なもの終焉。それ以前と以後では世界が全く違う色に染まったのが1945年であるように思えるのです。
バルトークはもちろんそれ以前の人間です。大量生産品を嫌悪し、手作りの品を慈しむ姿は、ティピカルな19世紀人とも言えますが、それが今の私には実に魅力的に思えます。
バルトークが生涯をかけて失われつつある民謡を収集したのと同じように、19世紀的ロマン主義も失われました。そしてそのバルトークも、戦後すぐ、1945年9月にはその生涯を終えるのです。
もっとも、こうした見方もひとつの可能性に過ぎません。もう少し考える必要がありますけれど。
それからもう一つ。私がまだできていないのは、バルトークの音楽からまだ「物語」を読み取るということなのです。それにはもう少し時間がかかるような気がします。
というわけで、今日も《カンタータ・プロファーナ》と《かかし王子》を聴きました。ブーレーズ版ですよ。
ちなみに、オーボエリードケースを買いました。次はマンドレルを買うか?
明日も午後出張。ではグーテナハト。

Béla Bartók,Classical

けだるい一日。ですが、タスクはほぼ完了。
今日も「父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出」を読み続け、別資料として「バルトーク物語」もすこしつまみ読みをしました。
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バルトークは二度結婚をしています。二回目の結婚は弟子のパーストリ・ディータと結婚します。ディターは大変に才能のあるピアニストで、バルトークとともに舞台に上がったりしていた模様。ディターとの間に生まれたのが「父バルトーク」の著者であるペーテル・バルトーク氏なのです。この二度の結婚の顛末がどうなったのか知りたいのです。「バルトーク物語 」においては、前妻が身を引いたことになっているんですが、実際はどうだったのか。バルトークの生真面目な性格に何が起きてしまったのか。
というわけで、今日はピアノ協奏曲三曲を2回ずつ聴きました。
私が好きなのは第二番です。特に第三楽章。
今日聞いたのは、ブーレーズがベルリン・フィルと演奏しているもの。ピアノはレイフ・オヴェ・アンスネス。後述のシフ盤を知らない時はこれがベスト。

探していると、バルトークがアンセルメと一緒に演奏している音源を見つけました。音質はかなり劣悪で寿司、SP盤をつなげているようで、音が途中で切れます。しかし、ダイナミックで激しくテクニカルな演奏には脱帽です。バルトークのピアノ演奏技術は相当で、学生時代には誰も弾けなかったリスト編曲の《タンホイザー序曲》を、彼だけが弾けたらしいですから。

こちらもかなりいい。第三楽章の破壊的パワーはブーレーズ盤をはるかに上回ります。全員ハンガリー人の演奏家だから? あまり関係ないと思うけれど、なにかしらの共鳴があるのかな、などと思います。今のところワタシ的にはベストかも。

明日もバルトークな一日になりそう。
ちなみに、沿線私鉄が遅れまくってました。理由は「多客」だそうですよ。乗客が多すぎて電車が遅れたり運休になったり。なんともかんともご苦労さまです。
ではグーテナハト。

Béla Bartók,Book


これは、あまりにも美しすぎる。美しすぎる小説なのかもしれない。
そう思います。
今年の8月に出版されたバルトークのご子息ペーテル氏による「父・バルトーク 息子による大作曲家の思い出」です。
今日から本格的に読み始めましたが、素晴らしすぎて時を忘れました。まだ初めの4章ほどを読んだだけですが、戦前から徐々に顕になっていく物質主義の足音への抵抗や、一生の仕事に必死に向き合う真摯な姿など、我々が日常の社会生活の中で忘れなければならないことを思い出し少々落ち込みました。
そして、私にとっては価値のあるバルトークの考えがこちら。

ラジオやレコードプレーヤーがあると人は自分で演奏しようとする意欲を失い、たとえ未熟でも自分で演奏することで得られる満足感が得られなくなる

なるほど。来週はサックスを持って沿線にジャムセッションに行こうと思います。
明日も読む予定。この本についてもしばらくたってからまとめて発表の予定です。
ではグーテナハト。