アラベラの物語は、スルりと入ってくるようなものではありません。なにか、居心地の悪さを感じます。音楽は完璧に状況を描写していて感動するのですが、状況をよくよく考えると、不思議なことがたくさんありすぎます。
まずはマッテオ。
わかりやすいティピカルな男。
アラベラこのことが大好きなんだが、完全に一方通行で、ズデンカが作った、アラベラの手紙で妄想たくましくしている。これ以上望みがなければ、ガリツィア最前線に出るか、ピストル自殺を企てている。おめでたいロマンチスト。おそらくは、体面を気にする男なんだろうなあ。アラベラも一種のステータスシンボルなはず。
でも、ズデンカが男装しているのを見破れない。ところが、ズデンカが女性だと分かるとやいなや、我が友、我が恋人、我が天使と持ち上げる。結局、アラベラへの恋慕の念なんてたいしたことないのだ。アラベラの姿に似ていて、容易に手に入れられるズデンカにひょいと乗り換えたということなのか。。。
やばい。毒舌過ぎる。
ちなみに、この居心地の悪さ、後ろになにか大切なことが隠されている気がしていて、必死に掘り起こそうとしているのです。がゆえの悪あがき。私は、ホフマンスタールもシュトラウスも尊敬しています。この居心地の悪さこそが、彼らの企みではないかと思うのです。
ちなみに、マッテオが絶望して志願を口走るガリツィアは、今で言うとウクライナの西部地方で、ポーランド分割の際にオーストリアが手に入れた土地で、1860年代にガリツィアでは叛乱が起きていたようです。
“http://en.wikipedia.org/wiki/Galicia_%28Eastern_Europe%29":http://en.wikipedia.org/wiki/Galicia_%28Eastern_Europe%29
次は、この喜劇の中で最も得をした夫婦である、ヴァルトナー夫妻について。
マッテオはわかりやすい男
アラベラとマンドリカの行く末はいかに?
しかし、アラベラとマンドリカのカップル。いったいこの後どうなるんだろう、と気になって気になって仕方がありません。
あんなにマッチョで嫉妬深くプライドの高いマンドリカと、やはりプライドがあるけれど、気まぐれで、夢見心地なアラベラの結婚生活が、穏やかなものであるとは思えません。見ていて、そこがすごく気になります。
アラベラとマンドリカがおかれた歴史的背景を考えてみましょう。シュトラウスの設定では1860年ごろですので、第一次大戦とオーストリア帝国の滅亡を見たか見ないかごろに二人とも天寿を全うするでしょう。いや、アラベラは1920年ごろまで存命だったかもしれません。
ただし、ですよ。今回の演出の時代設定は1930年ごろです。ということは、ナチスがドイツの政権を握り、第二次大戦では、クロアチアやスロヴェニアはパルチザンとドイツ軍の熾烈な戦いが起こり、その後は社会主義化されてしまうわけです。当然マンドリカの土地は収奪されるでしょう。極めて過酷が運命が待ち受けているに違いありません。それを思うと切ないなあ。
さて、今回の演出では、マンドリカの領地の地図を従者が見せる場面がありました。あれ、トウキョーリングで、登場した地図にそっくりだったと思いませんか? わたしは、双眼鏡で必死に字を読みました。そこに、ギービヒの領地とか書いてないかな、と。でも、そんなことは書いておらず。
なんともかんとも、心配になる二人の行く末なのでありました。
まだ続きます。妄想と深読みのシリーズ。
久々に落涙しました──新国立劇場「アラベラ」 その1
昨日の「アラベラ」公演行ってきました。
オペラで泣いたのはいつぶりだろう? 今年の4月、「神々の黄昏」@新国で泣いて、4月の「パルジファル」@上野で、号泣して。その後、なんだか気が抜けてしまった感じでした。今年の3月は、「カプリッチョ」の最終部分、聴くだけで泣いてしまうぐらいだったのですが。4月の後半以降は、本当にアンテナの感度が弱まってしまって、何を聴いてもなんだか白々しく聞こえてしまうような感じで、本当に危機的な状況だったのですよ……。やっぱり、「影のない女」@新国のショックが大きかったんだろうなあ。
それでもなんとか、いろいろ聴いていたんですが、どうにもこうにも、というところ。
で、やっとその呪縛から解放されました。
昨月、オペラトークでも、解説の田辺秀樹氏が、シュトラウスの和音をポロロン、と弾いたところで、思わず涙ぐんでいましたので、そろそろ感動できるかな、と思っていたんですが、やっぱり大丈夫でした。
リヒャルト・シュトラウス万歳!
第一幕、ブルーの色調のホテルの部屋で、まあ、占い師とアデライデが出てきて、ズデンカなんかと、会話するあたりから、なんとなく緊張してみていたのですが、アラベラのミヒャエラ・カウネが登場して、歌い出した途端に、腹筋のあたりがグッときて、落涙してしまいました。カウネの歌声、それはもうシュトラウスの数ある女主人公にぴったりな声でして、この方の元帥夫人や伯爵夫人マドレーヌを聴いてみたいと思うのでした。ズデンカのラスムッセンは、少し声量に物足りなさを感じたんですが、ピッチはよくて、なかなか良い感じ。第一幕の二重唱は素晴らしかったですよ。もっと泣けたのは、第一幕の最後のほうでアラベラがなんとも苦悩する場面。ここでの指揮者ウルフ・シルマーの牽引力は素晴らしかった。カウネとシルマーでグイグイと高みへと昇って行くのを目の当たりにして、もう感動せずには居られない。ここでも激しく落涙。すごいですよ、まったく。シルマーもカウネもすごいんだが、やっぱり一番すごいのはシュトラウスのオーケストレーションだと思うのです。
そうそう、マンドリカを歌ったトーマス・ヨハネス・マイヤーは、昨年の「ヴォツェック」でタイトルロールを歌った方。ヴォツェックはかなりの素晴らしさで、度肝を抜かれましたが、今年のマイヤーも、マンドリカのマッチョですこしチャラい感じをよく出していました。ピッチも声質も申し分ないと思うのですが、ただ声量がちょっと、というところもありました。これは、シルマーのオケのコントロールの問題なのか、マイヤーの声量自体の問題なのか、PAの調整によるところなのかは不明。でも、それもこれも許せる。
マイヤーのマンドリカ、かなりの不良貴族ぶりで、私は首肯できたのですが、かなり際どい線を行っていましたので、気に入らない方もいるんだろうなあ、と思いました。だって、金のネックレスまでしているんですから。それから、妻屋さんのヴァルトナー伯爵の演技も、気にする人はいただろうなあ。かなりコミカル過ぎる演技でしたので。これについても私は首肯できます。とても楽しめました。ああいうセンス、妻屋さんは日本人のなかでも上を行っていると思います。もちろん、本場の欧州人の洒脱さには我々日本人はかなわないのでしょうけれど。
そういえば、マイヤーも妻屋さんも、昨年の「ヴォツェック」で協演しているんですよね。妻屋さんの医師役もコミカルだったなあ。妻屋さんって、すごく面白い方なのかしら。いやいや、舞台でコミカルな人って、意外と気むずかしかったりするもんですので、分からないなあ。でも興味ある。だって、妻屋さんがいなければ新国は成り立たないのでは、と思うぐらい、新国に出演しておられるのですから。
少し話を戻して、ミヒャエラ・カウラー。オペラトークで、田辺秀樹さんが「今回のアラベラは美人だ! 期待してください!」と言っておられましたが、確かにお美しい方。でもって、すごく大柄です。声は深みも持ち合わせるけれど、なおもまた若々しさ、瑞々しさのようなものも持っておられる。少し気になったのは、中高音近辺で、ビブラートに入るタイミングが少し遅いのでは、と思ったことぐらい。あとは、演技も良かったですよ。アラベラの気まぐれでまだ、娘娘している感じをよく出していたと思います。
ああ、あとは、衣装。面白いなあ、と思う反面、あれれ、と感じるところもありました。マンドリカの衣装は、完全に首肯しますが(好き嫌いあると思いますが)、アラベラの衣装は、ちょっといろんな意味で面白かったです。
明日は、深読みと妄想シリーズです。
アラベラカイルベルトアルベラ
ふふ。がんばれ。
さて、いよいよ11日は「アラベラ」ですが、どうにもこうにも。また仕事入るかもしれないし。困ったなあ。今日は最後の予習ということで、カイルベルト盤をば。前にも少し書きましたが、少しく録音に引き締まりがないのは時代が時代ゆえに致し方がないとして、やっぱり、良いですなあ。第一幕からしてぐんぐんと引き込まれます。なにげに、脇役のエレメールが歌うあたり、実は好きだったりして。
とある、偉大な先生のツィッターで、今回の新国のアラベラは、カットがない、と言っておられるのを読みました。さすが学者ともなると、そこまでスコアを読んで音楽を把握しているのかあ、というところ。僕にはそこまではできんなあ。せいぜい何度も聴いて記憶するぐらいで、100%覚えているわけではないし、総譜も読めぬゆえ。譜面もあやしい。えーっと、学生時代しごかれましたが。
今日はあいにくの天気。明日の福岡はどうかなあ?
ピンポンパンで癒されていきたい。
離脱したが、明日も仕事である。そして、明後日は日帰りで博多である。次の日は「アラベラ」。大丈夫なのか?
無性に、ピン・ポン・パンの三人の歌が聴きたくなりました。この三人、アルトゥム皇帝に使える大臣たちです。そう、「トゥーランドット」に登場する名脇役たち。
二幕の前半、三人が歌い重なるのですが、まあ、これはサイドストーリなので、あらすじからみて、そんなに重要ではないわけですが、私は、この三人の歌が大好きだったりします。夢見心地に、早く故郷に戻って、悠々自適な生活を送りたいぜ、ってかんじで、夢物語を紡ぎ続けるんですが、その音楽がすごく心地よい。まあ、これって、結局、自らの願望だったりするのかしら、みたいな。
プッチーニは、こういうサイドストーリーも当然手は抜きませんなあ。夢見心地で、帰宅しました。
でも、明日もがんばらねば!
シノポリ盤「ナクソス島のアリアドネ」
うーむ、充実しているのだが、仕事も下半期が始まったとあって忙しい。この不景気にあってはありがたいものです。
シュトラウスの「町人貴族」が楽しくて楽しくて仕方がありません。これ、以前にも書いたとおりです。その影響で、聴いているのが、シノポリ盤「ナクソス島のアリアドネ」です。
Wikiによれば、編成はほとんど同じで36人程度。ヴァイオリン6、ビオラ4、チェロ4、コントラバス4。それで、この豊穣な響き。
「町人貴族」から独立した「ナクソス島のアリアドネ」は、1916年に初演されています。第二部のギリシア悲喜劇の部分の最初で、驚くほど調性感のない、長調と短調が入り交ざった部分が出てくるのですが、何ゆえかベルクっぽくて、すごくカッコいい。その後のアリアドネの詠歎の広がりとか膨らみかたがすばらしい。
このCD、すごく録音がよいのです。ケンペの「町人貴族」と同数の編成とは思えないぐらい。もしかすると、シノポリがあえて厚くしているのかもしれませんが。
ケンペ/シュトラウス 組曲「町人貴族」
いやあ、シュトラウスって、本当に素敵です。
組曲「町人貴族」を、ケンペ指揮にて。
もともとは、「町人貴族」は、「ナクソス島のアリアドネ」を劇中に含む作品として発表されました。1912年のシュトゥットガルトにて。シュトラウスの指揮によって初演されましたが、「ナクソス島のアリアドネ」の後半部分にあたる、劇中劇の部分が荒唐無稽と言うことで、不評の内に終わりました。あの、アリアドネとツェルビネッタのかみ合わない感じが、今ひとつだったのでしょう。
というわけで、シュトラウスは、劇中劇の「ナクソス島のアリアドネ」の前半に新しく曲をつけて、これを「ナクソス島のアリアドネ」第二版ということで、発表しました。これは、成功裏に終わり、現在も上演されているのは申すまでもありません。
一方で、「ナクソス島のアリアドネ」の部分を除いた「町人貴族」の部分は、劇付随音楽として1917年に補筆改訂されました。さらに、そこから9曲を抜き出したのが、今日、私が聴いている組曲「町人貴族」というわけです。
この曲、当然ですが「ナクソス島のアリアドネ」と響きが同じ。それは、ピアノも加わる小編成のオケの洒脱な感じ。ですが、シュトラウスの複雑で玄妙な和声の波をも楽しめるもの。極端に美しさに偏ることなく、ユーモアやウィットに富んだ軽妙な音楽です。
この曲を集中的に聴いたのは初めてかも。お恥ずかしい。今日聴いているのはケンペがシュターツカペレ・ドレスデンを振っているものですが、ラトルがベルリンフィルを振った音源も持っていますので、そちらも聴いてみましょう。
久々に、シュトラウスの音楽を新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。まだまだ、聴いていない曲はたくさんあるからなあ。がんばろう。
三ヶ月ぶりの新国立劇場
新国立劇場のオペラ・トークに行ってきました。
楽しかった。一時間半があっという間でした。
っつうか、カバー歌手の方が歌を披露されたんですが、間近で聴いたのも相まって、ものすごく感動しました。歌手の方が素晴らしいのはもちろん、シュトラウスの偉大さを改めて思い知りました。
増田のり子さん、萩原潤さんが、アラベラとマンドリカの二重唱「あなたは私との結婚を望んでおられると」を歌ったんですが、増田さんはアラベラの高貴な性格を巧く表現していたし、萩原さんも力強い歌唱で、涙が出るぐらい。
あとは、フィアッカミッリの吉原さん。あんなに小柄なのに、高くて光沢のある声。目の前で、あのコロラトゥーラは迫力満点でした。
オペラで泣いたのは半年ぶりぐらい。やっと感覚が戻ってきました。
解説をされた一橋大学の田辺教授のお話も実に興味深く勉強になりました。内容は週末にまとめます。
ベルリンフィルのヴァルトビューネ、フレミングのカプリッチョがいい!
世の中とはままならぬもの。さりとて、打ち捨てるには惜しいほどの美しさに満ちている。だからこそ、世の背理に耐え、艱難を忍び、その向こう側にある彼岸へのまなざしを保持せねばならぬ。
昨夜、今年のベルリンフィルのヴァルトビューネの映像を見ました。フレミングが登場するということで、シュトラウスを歌ってないかなあ、と期待していたのですが、やっぱり歌っていました。それも私がもっとも愛する曲のひとつである「カプリッチョ」終幕の場面。フレミングの「カプリッチョ」はフレミング名義のオムニバス盤で、エッシェンバッハと組んで歌っているものでしたが、ベルリンフィルをバックにフレミングの、まるで伯爵夫人マドレーヌが乗り移ったかのような気迫にあふれた美しく力強く、それでいて正確無比な歌唱を聞いて、久々にゾクゾクしました。この曲、半年までに聴いていたら、涙があふれて大変なことになっていたはず。それが、失われたのが今年の三月以降だと思いますが、昨夜は調子が少し戻ってきた感触がありました。でもまだもう少し。しかし、ベルリンフィルは巧いですねえ。ホルンのドールもよかったですし。コンマス樫本さんが、コンマス席の左隣に座っていました。時代は変わっているんですね。
なんだか最近呆けているのか、絶望しているのか、よく分かりませんが、なんともいえぬ虚無感や無常感に苛まれている感じです。とはいえ、6月に「鹿鳴館」を聴いてから、オペラの実演はお預けですので、耳がなまってしまっているのかも知れません。私の2010年/2011年シーズンは、10月11日の「アラベラ」で幕を開けます。そうすると、また少し何かが変わってくるかもしれません。努力なしに果汁を飲むことは許されませんので。
妖しすぎるプティボンのルル
プティボンのルル。こればかりは逃せませんので、気をつけていたのですが、なんとか録音することが出来ました。
それで、もうなんというか、凄くて。何が凄いかって、プティボンのパワーと妖しさの前にひれ伏す感じ。
私的には、シェーファーのルルがデフォルトだったのですが、もしかしたらある意味超えているかも。確かに、第一幕は少し押さえている感はあるのですが、第一幕の後半から第二幕にいたると、叫びとも歌とも何とも言えない激情的でドラマティックなプティボンらしい歌で、なんとも酔いしれておりました。
ルル組曲に採用されている聞き慣れた旋律をバックにして歌うあたりはすごいのなんのって。アルヴァ役のピフカ氏と一緒に最高点まで上り詰めていく感じ。凄いです。
ルル、本当に奥深い。もっと聴かないとなあ。
明日は、午後、所用で出張するので、電車の中でくりかえしたんまり聴けるはず。楽しみはまだ続く。くたばってはおられない。
Mit Patricia Petibon (Lulu), Tanja Ariane Baumgartner (Gräfin Geschwitz), Pavol Breslik (Der Maler), Michael Volle (Dr. Schön), Franz Grundheber (Schigolch), Thomas Piffka (Alwa) u. a.; Wiener Philharmoniker, Dirigent: Marc Albrecht (aufgenommen am 1. August in der Felsenreitschule im Rahmen der Salzburger Festspiele 2010)