Giacomo Puccini

離脱したが、明日も仕事である。そして、明後日は日帰りで博多である。次の日は「アラベラ」。大丈夫なのか?
無性に、ピン・ポン・パンの三人の歌が聴きたくなりました。この三人、アルトゥム皇帝に使える大臣たちです。そう、「トゥーランドット」に登場する名脇役たち。
二幕の前半、三人が歌い重なるのですが、まあ、これはサイドストーリなので、あらすじからみて、そんなに重要ではないわけですが、私は、この三人の歌が大好きだったりします。夢見心地に、早く故郷に戻って、悠々自適な生活を送りたいぜ、ってかんじで、夢物語を紡ぎ続けるんですが、その音楽がすごく心地よい。まあ、これって、結局、自らの願望だったりするのかしら、みたいな。
プッチーニは、こういうサイドストーリーも当然手は抜きませんなあ。夢見心地で、帰宅しました。
でも、明日もがんばらねば!

Opera,Richard Strauss

うーむ、充実しているのだが、仕事も下半期が始まったとあって忙しい。この不景気にあってはありがたいものです。
シュトラウスの「町人貴族」が楽しくて楽しくて仕方がありません。これ、以前にも書いたとおりです。その影響で、聴いているのが、シノポリ盤「ナクソス島のアリアドネ」です。
Wikiによれば、編成はほとんど同じで36人程度。ヴァイオリン6、ビオラ4、チェロ4、コントラバス4。それで、この豊穣な響き。
「町人貴族」から独立した「ナクソス島のアリアドネ」は、1916年に初演されています。第二部のギリシア悲喜劇の部分の最初で、驚くほど調性感のない、長調と短調が入り交ざった部分が出てくるのですが、何ゆえかベルクっぽくて、すごくカッコいい。その後のアリアドネの詠歎の広がりとか膨らみかたがすばらしい。
このCD、すごく録音がよいのです。ケンペの「町人貴族」と同数の編成とは思えないぐらい。もしかすると、シノポリがあえて厚くしているのかもしれませんが。

Classical,Richard Strauss

いやあ、シュトラウスって、本当に素敵です。
組曲「町人貴族」を、ケンペ指揮にて。
もともとは、「町人貴族」は、「ナクソス島のアリアドネ」を劇中に含む作品として発表されました。1912年のシュトゥットガルトにて。シュトラウスの指揮によって初演されましたが、「ナクソス島のアリアドネ」の後半部分にあたる、劇中劇の部分が荒唐無稽と言うことで、不評の内に終わりました。あの、アリアドネとツェルビネッタのかみ合わない感じが、今ひとつだったのでしょう。
というわけで、シュトラウスは、劇中劇の「ナクソス島のアリアドネ」の前半に新しく曲をつけて、これを「ナクソス島のアリアドネ」第二版ということで、発表しました。これは、成功裏に終わり、現在も上演されているのは申すまでもありません。
一方で、「ナクソス島のアリアドネ」の部分を除いた「町人貴族」の部分は、劇付随音楽として1917年に補筆改訂されました。さらに、そこから9曲を抜き出したのが、今日、私が聴いている組曲「町人貴族」というわけです。
この曲、当然ですが「ナクソス島のアリアドネ」と響きが同じ。それは、ピアノも加わる小編成のオケの洒脱な感じ。ですが、シュトラウスの複雑で玄妙な和声の波をも楽しめるもの。極端に美しさに偏ることなく、ユーモアやウィットに富んだ軽妙な音楽です。
この曲を集中的に聴いたのは初めてかも。お恥ずかしい。今日聴いているのはケンペがシュターツカペレ・ドレスデンを振っているものですが、ラトルがベルリンフィルを振った音源も持っていますので、そちらも聴いてみましょう。
久々に、シュトラウスの音楽を新鮮な気持ちで楽しむことが出来ました。まだまだ、聴いていない曲はたくさんあるからなあ。がんばろう。

Opera,Richard Strauss


新国立劇場のオペラ・トークに行ってきました。
楽しかった。一時間半があっという間でした。
っつうか、カバー歌手の方が歌を披露されたんですが、間近で聴いたのも相まって、ものすごく感動しました。歌手の方が素晴らしいのはもちろん、シュトラウスの偉大さを改めて思い知りました。
増田のり子さん、萩原潤さんが、アラベラとマンドリカの二重唱「あなたは私との結婚を望んでおられると」を歌ったんですが、増田さんはアラベラの高貴な性格を巧く表現していたし、萩原さんも力強い歌唱で、涙が出るぐらい。
あとは、フィアッカミッリの吉原さん。あんなに小柄なのに、高くて光沢のある声。目の前で、あのコロラトゥーラは迫力満点でした。
オペラで泣いたのは半年ぶりぐらい。やっと感覚が戻ってきました。
解説をされた一橋大学の田辺教授のお話も実に興味深く勉強になりました。内容は週末にまとめます。

Opera,Richard Strauss

世の中とはままならぬもの。さりとて、打ち捨てるには惜しいほどの美しさに満ちている。だからこそ、世の背理に耐え、艱難を忍び、その向こう側にある彼岸へのまなざしを保持せねばならぬ。
昨夜、今年のベルリンフィルのヴァルトビューネの映像を見ました。フレミングが登場するということで、シュトラウスを歌ってないかなあ、と期待していたのですが、やっぱり歌っていました。それも私がもっとも愛する曲のひとつである「カプリッチョ」終幕の場面。フレミングの「カプリッチョ」はフレミング名義のオムニバス盤で、エッシェンバッハと組んで歌っているものでしたが、ベルリンフィルをバックにフレミングの、まるで伯爵夫人マドレーヌが乗り移ったかのような気迫にあふれた美しく力強く、それでいて正確無比な歌唱を聞いて、久々にゾクゾクしました。この曲、半年までに聴いていたら、涙があふれて大変なことになっていたはず。それが、失われたのが今年の三月以降だと思いますが、昨夜は調子が少し戻ってきた感触がありました。でもまだもう少し。しかし、ベルリンフィルは巧いですねえ。ホルンのドールもよかったですし。コンマス樫本さんが、コンマス席の左隣に座っていました。時代は変わっているんですね。
なんだか最近呆けているのか、絶望しているのか、よく分かりませんが、なんともいえぬ虚無感や無常感に苛まれている感じです。とはいえ、6月に「鹿鳴館」を聴いてから、オペラの実演はお預けですので、耳がなまってしまっているのかも知れません。私の2010年/2011年シーズンは、10月11日の「アラベラ」で幕を開けます。そうすると、また少し何かが変わってくるかもしれません。努力なしに果汁を飲むことは許されませんので。

Alban Berg,Opera


プティボンのルル。こればかりは逃せませんので、気をつけていたのですが、なんとか録音することが出来ました。
それで、もうなんというか、凄くて。何が凄いかって、プティボンのパワーと妖しさの前にひれ伏す感じ。
私的には、シェーファーのルルがデフォルトだったのですが、もしかしたらある意味超えているかも。確かに、第一幕は少し押さえている感はあるのですが、第一幕の後半から第二幕にいたると、叫びとも歌とも何とも言えない激情的でドラマティックなプティボンらしい歌で、なんとも酔いしれておりました。
ルル組曲に採用されている聞き慣れた旋律をバックにして歌うあたりはすごいのなんのって。アルヴァ役のピフカ氏と一緒に最高点まで上り詰めていく感じ。凄いです。
ルル、本当に奥深い。もっと聴かないとなあ。
明日は、午後、所用で出張するので、電車の中でくりかえしたんまり聴けるはず。楽しみはまだ続く。くたばってはおられない。
Mit Patricia Petibon (Lulu), Tanja Ariane Baumgartner (Gräfin Geschwitz), Pavol Breslik (Der Maler), Michael Volle (Dr. Schön), Franz Grundheber (Schigolch), Thomas Piffka (Alwa) u. a.; Wiener Philharmoniker, Dirigent: Marc Albrecht (aufgenommen am 1. August in der Felsenreitschule im Rahmen der Salzburger Festspiele 2010)

Opera,Richard Wagner

なんだか、フリーメーソンの熱に浮かされたような日々でしたが、今日はあまりに平穏無事すぎてもうしわけないぐらい。
いよいよ先日録音した今年のバイロイトの「ヴァルキューレ」を聞きおえました。
充実した音作りで、なんとも素晴らしい。
何と言っても、ブリュンヒルデのリンダ・ワトソンがすごい。すこしだけピッチが不安定なところもありますが、雄々しいまでの女傑的ブリュンヒルデを堪能しました。
フンディングのKwangchul Youn氏もよかったです。 韓国の方のオペラ界における活躍は凄まじいものがあると聞いていましたが、その一端を垣間見た感じです。なんでも、韓国においては、キリスト教会が一定の力を持っていますので、聖歌隊あがりの方々がオペラ界に出ていくのだそうです。少し前にみたテレビでは、韓国人歌手なくしてヨーロッパのオペラは成り立たない、という状況なのである、と言っていました。
真偽のほどは定かではありませんが、確かに、ドレスデンでみた「カプリッチョ」にも韓国の方が出ておられたなあ、などと。しかも、イタリア人歌手の役を歌っていました。日本人と同じ東洋人だというのに、どうしてこんなに声が良いのでしょうか。おそらくは、分母が違うのだろうとは思いますけれど。
でも、われらが藤村実穂子さんのフリッカも素晴しいです。やっぱり、実演を聞きたかったなあ。今年のニューイヤーオペラコンサートの突然のキャンセルが残念でした。
それにしてもティーレマンの指揮は面白いですよ。え-、そこで、その速度に落としますか?? と思うぐらいにドラスティックに急にスピードを落としたりするのですが、それが実はかなりはまっていたりして、スリリングでした。
でも、バイロイトの響きって本当に素晴らしいです。ほどよりリバーヴに、オケの音が見事に解け合って素晴らしいサウンドで鳴っています。きっと実際だともっと凄いんでしょうね。一度でも良いから行ってみたいものです。これはまさに夢ですけれど、思っていればいつかはかなうかもしれません。

Ludwig van Beethoven

またまたプロムス2010。

“http://www.bbc.co.uk/proms/2010/broadcasts/":http://www.bbc.co.uk/proms/2010/broadcasts/
ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルによるベートーヴェン交響曲第五番。7月28日の録音。
“http://www.bbc.co.uk/iplayer/console/b00szy7f":http://www.bbc.co.uk/iplayer/console/b00szy7f
いきなり淡泊な入りでびっくりです。拍手が鳴り止まぬ内から運命の動機。しかも、全然伸ばさない。フルトヴェングラーの対極に位置する。同じ曲とは思えません。
小編成なので、サウンドもかなり淡泊。でも、これがオリジナルの運命なんだろうなあ。
第二楽章もなんだかモーツァルトを聴いているかのようなすがすがしさです。最終楽章の絶頂もなんだか凄く心地よいすがすがしさ。運命でこんなにすがすがしくていいのだろうか、という罪悪感さえ感じてしまいます。
でも、拍手は超熱狂的。オペラのカーテンコールより凄い。こんなに淡い演奏なのに。アナウンサーが過剰に興奮するのはプロムス的だけど。Absolutely wonderful play! ってかんじ。日本だとこうはいかない気がします。やっぱりプロムスは夏祭りなんですね。しかも、アンコールまである。交響曲第八番の第二楽章。最近の日本の演奏会ではアンコールにあった試しがないので新鮮でした。
しかし、運命っていいっすね。もうあっしはダメダメ、みたいな第一楽章から、第二楽章で癒され、第三楽章でリハビリと訓練、そして第四楽章で巨大なコーダーの勝利へと続くビルドゥングス・ロマン。つうか、運命があるからゲーテなのか、ゲーテがあるから運命なのか、みたいな。三十代半ばの仕事をバリバリやっているころのベートーヴェン。さすがだわ。
暇さえあればこうやってプロムスの音源聴くことにしよう。持っているCDを繰り返し聞くも何かと思います。

Jean Sibelius


今日もシベリウスです。なんともかんとも、こんな時期(バイロイトシーズン)に、シベリウスが私の頭の中に席巻するとは、想像だにしませんでした。
今日は、もう冒頭部のイメージから交響曲第二番をむさぼるように欲した一日でした。
この曲聞くと、のっけから、私の頭の中にこんな情景が形成されます。
おそらくは深いグレーの湖面をもつ大きな湖。風が少し吹いていて、湖岸に弱い波が打ち寄せる。鳥の鳴き声、小鳥が飛び交い、小動物たちが動き回っている。遠く青い稜線は白い残雪に覆われている。そこに現れたる若者。なにかしら深い哀しみを持っているような感じ。ジークムントかも知れない。
第一楽章はおそらくはソナタ形式で、展開部がかなり大きく曲調が変わります。提示部の牧歌的というか叙情的な表現が、短和音に支えられた切迫感。フーガが登場するので、そうした切迫感や逃亡感が強まります。このあたりの弦楽器の鳴らし方はとても巧い。ベルグルントってすごい。
第二楽章。シベリウスの音楽は、さまざまな断片的な旋律が何枚も何枚も重ねられそれを一枚はがしてみたり、二枚重ねてみたり、ちょっとずらしてみたり、という具合に曲が進行しています。何かひとつの大きなテーマがあって、それを変奏していくというタイプではないように思います。極めて多様な旋律が登場しますので、旋律を覚えたときのうれしさは格別です。
最終楽章は、実に美しく明るい伸びやかな旋律で始まりますので、これでいよいよハッピーエンドか、と思わせるのですが、最後は先日書いたようにDSCHの「レニングラード」ばりの執拗なまでの短和音フレーズの繰り返しで、ああ、もう耐えられません、と悶えたときにようやく、長和音で解決。それから、また最初の旋律に逆戻り。それから、また身もだえ。忙しすぎる。これは、おそらくは民族開放的な意味があるに違いない。
フィンランドの歴史も勉強せんといかんなあ。他の指揮者のシベリウスも聴いていきたい。
さて、近況。やっと一週間が終わりましたが、土日の方が忙しいですねえ。でも、忙しい方が好きみたい。回っている独楽は倒れません。明日も都心に出たり、地元で仕事したり。あと楽しみなのは、地元の夏祭りです。毎年ジャズバンドが出ますので、生演奏を楽しんでおります。今年はこれまでとは違うバンドが出るみたいですので、楽しみ。スタンダードをたくさん聴けそうな予感。

Movie,Opera,Richard Wagner

はじめに

iPodのホイールを回すのですが、何だか忙しくて音楽に没頭することも逃避することも能わない感じです。でも、こうして帰宅の電車に乗っているときは何とか聴かないと、と思い、ホイールを回し続けます。で、きょう拾ったのが、チェリビダッケのワーグナー曲集。このアルバム、この半年以内に聴いているはず。それも多分四月上旬だったはず。あの時は、ウルフ・シルマーの「パルジファル」の予習で手当たり次第に「パルジファル」を聴いていましたので。
チェリの前奏曲だけでは物足りなくて、カラヤン盤「パルジファル」を聞いて、激しく感動。あの、東京文化会館での思い出がよみがえってきました。グルネマンツのために生まれてきたのではないか、と思うぐらい適役であるクルト・モルには脱帽し敬礼したい。藍色を帯びた夜明け前の空の荘厳さを思わせるカラヤンの音作りはすばらしい。ここまで追求されると、やはり美的価値は存在するのだ、と思います。

「パルジファル」と「影のない女」の思い出

それにしても、4月の復活祭の日の東京文化会館。ウルフ・シルマー&N響コンビによる演奏会形式のパルジファルはすごかった。あの日は本当に泣まくりでしたよ。まだ、そんなに心がささくれ立っていなかったから、音楽が心に染み入る感じがしたんですね。でも、最近は、職場では軍隊的な規律によって統制されていますから、なんだか、音楽と仕事のバランス位置を見出せていないのです。なんだか下手な演奏を聞くと白々しささえ覚えてしまう。ちなみに、いま、私の会社での渾名は少佐です。
で、色々思い悩んでいたんですが、私にとってはあの「影のない女」でのショックが大きかった気がする。音楽的には素晴らしかった。それは認めますが、やはり、あの演出はイデアールなもの、彼岸の美しさを表現することが出来なかった。あれから、僕の劇場に対する信奉は少なからずダメージを受けてしまったかのように思えるのです。
つづく

近況

気を取り直して近況。故あって忙しいのだが、まあ、回っている独楽は倒れないと、いいますから、このまま回り続けましょう。
BSハイビジョンのスター・ウォーズは、早いもので、エピソード5に。エピソード1から順序よく観ていくと、いままで見えてこなかったものがよく分かります。ヨーダが、ルークに暗黒面への警告を出すあたり、アナキンがダース・ベイダーになったプロセスを知っているからこそ、よく理解が出来たり。あしたも、後半を少し観られるかしら、という感じ。カミさんが思いのほか喜んでみていてくれるので、私もうれしい。曰く、やっぱりエピソード4以降のほうが良いらしい。ハン・ソロのハリソン・フォードのなすところが大きいようです。