Miscellaneous,Opera,Richard Strauss

試されたのでした。。

昨日、とある方に、なぜ、ばらの騎士が好きなのか? と聴かれました。もしかしたら、そうした質問ではなく、私が勝手にそう解釈して、オリンピアのように自動的につらつらと言葉が出てきたのかもしれない。そういう感じ。それでまるで試されているかのような緊張感とともに。以下のように答えました。
1)どこか世間を批判的にみている洒脱さ。世の中を斜めからみて、そこに本質を見いだそうとする諧謔精神。
2)時間という最大の自然力に抗うことの出来ない人間の宿命を描く。
3)音楽素晴らしさ。登場人物の情感に寄り添うような丁寧な旋律や和声。
音楽のことはちゃんと言えなかった気がしますが。まだまだ語りきれていない。考えないと行けないなあ、と。
現代の時代精神との関連性についても少し話したような気がする。爛熟し熟れきった世界で、次の破局を予感しているようなところ。それは、もう現代の我々の状況と一致している。だから、そこから少しでも逃れたいために、こうした洒脱な世界に逃避するのか。あるいは、こうした洒脱な世界を利用して、なんとか生き抜こうとするのか。
意外というか、必然というか、我々は19世紀末から20世紀初頭にかけての時代を敷衍しながら生きているのかもしれません。

N響アワーでばらの騎士とカプリッチョを。

夜は、N響アワーで、シュトラウスの「ばらの騎士」組曲と「カプリッチョ」終幕の場を、プレヴィン指揮NHK交響楽団で。2009年のプレヴィンと、2011年のプレヴィンが登場するのですが、明らかに齢を重ねているのが分かり、少しショック。しかし、フェリシティ・ロットは大柄です。西洋人から観たドワーフやホビットは日本人のことではないか、と思うほど。
N響の音に、何か硬く重いものを感じました。動きたいんだけれど、足かせを嵌められているので自由に動けない、そうした感覚。先日、新国立劇場で「こうもり」を観ましたが、あのときに感じた感覚と少し似ているかもしれません。
昨日のN響アワーでの解説を拡大解釈すると、音楽界におけるロマン派の終焉は1948年のリヒャルト・シュトラウスの死によって訪れるということだそうです。確かにそうです。実社会のロマン派はナチス・ドイツ消滅まで待つことになるのでしょうけれど。

一つ前の世紀末の人々

さて、昨日お会いしたとある方に関連して、19世紀末から20世紀前半にかけてのオーストリアの文学者についての話を読んだり伺ったりしましたが、あまりの興味深さ、面白さに圧倒されました。みんなどこかでつながっている。欧州教養人は、それ全体で一つのサークルを形成しているのではないか、と思いました。
トラークルはヴィトゲンシュタインから援助を受ける。ヴィトゲンシュタインはケインズと友人であった。ヴィトゲンシュタインの兄は戦争で右手を失ったピアニストで、彼のためにラヴェルやシュトラウスが左手用ピアノ楽曲を作曲した。
あまりに人間的で、人間的すぎるがゆえに、精神を病み、決して幸福とは言えない人生を送ったけれど、後世に残したものはあまりあるもの。
これだけで、一週間はブログが持ちそうだな、と思います。
まだまだ知らないことがたくさんあるなあ。やること沢山あるけれど、頑張ろう。生きるためには、本を読んで文書を書き続けなければならないという宿命。それを改めて認識しました。

2011/2012シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

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はじめに

引っ越してから2ヶ月が経ちました。通勤にも慣れましたし、ようやく部屋も落ち着いてきたところです。また元のように書き始めないと。私の目標は、ピアニストがピアノを弾くように文章を書こう、と言うものだったのですが、最近日和っておりますゆえ、ここらでもう一度奮起が必要。
さて、前回に続き新国立劇場「サロメ」のご報告です。

新国「サロメ」演出について

さて、演出の方は、エファーディング氏によるもので、私が2003年にはじめて来たときと同じです。
あの、7つのベールの踊り、のところが、記憶違いかもしれません。あんなに際どいところまで歌手は脱いだでしょうか? 最後はほとんど何も身につけておらず、だいぶ心配になりました。さりとて、オペラグラスで覗くわけにも行かず…。
今回気づいたのは、前半部分においては、サロメが天幕の中で踊っていて、シルエットだけが浮かび上がってくるのですが、あそこは他のダンサーが踊っていると思われます。衣装替えに時間がかかるからだと思われます。
前回2008年も気づいたのですが、ヨカナーンが実に人間的に描かれてれていました。サロメの甘い言葉に心と動いているのですが、それを否定するように、サロメをバビロンの娘とか、ソドムの娘などと呼びます。あれは、おそらくサロメを否定すると同時にヨハナーン自身の人間的弱さへの否定なんだなあ、と考えました。

歌手の方々

サロメのエリカ・ズンネカルド、やはりこういう方がサロメを歌わなければ。華奢な体でよくもここまで均一な声を出し続けられるのでしょうか。最終部では、さすがに疲れが見えましたが、最後まで張りのある声で、強靱に歌い続けていたと思います。
ヨカナーンを歌ったジョン・ヴェーグナー氏。この方は、2008年の公演でもヨカナーンを歌っておられましたが、あの時も鋭角な声に感動したのでした。今回もやはりすごかったです。波打ち震える銀箔のような声です。サロメの誘惑に心を乱されながらもひたすらに強く拒絶する姿は、ヨカナーンが乗り移っていたかのようです。
ナラボートを歌われた望月哲也氏。実は氏の歌うシュトラウスを今年の初夏に府中市交響楽団定期演奏会で聞いておりました。あのとき、えらくうまくてピッチのいい方だなあ、だなあと感動したのでした。今回もピッチは勿論声の質も充実しているように思いました。今後も愉しみです。
ヘロディアスを歌ったのは、ハンナ・シュヴァルツでした。先日も少し書きましたが、ベルリンフィル・ディジタルコンサートホールで見ることのできる演奏会形式のサロメでもヘロディアスを歌っていましたが、今回のパフォーマンスの中で突出した存在感でした。

ちなみに

今回の新国のパンフレットではヨハナーンと表記されていますが、ヨカナーンと表記されることもあります。で、パンフレットの綴りはJohanaanと書いてあります。9ページのヴェーグナー氏の紹介部分ですが。この綴りだと、ヨハナーンとか発音できない。私がこれまで「ヨカナーン」と書いてきたのは、大いなる勘違いであったのか、としばし疑ったのです。
ところが、私の持っているDover社のスコアではJochanaanと書いてあります。この綴りなら、ヨカナーンと発音してもOKです。
というわけで、私には、ヨカナーンのほうがしっくり来ますので、ここではヨカナーンと書いておきます。

最後に

今回もシュトラウスサウンドを満喫しました。さすがに落涙するようなオペラではなかったのですが、やはり私はシュトラウスが大好きなのでした。理由は何かなあ、と考えてみると、やはり和声なのでしょう。調性と無調の狭間を行ったり来たりしたり、不協和音であったり、旋律がテンションにヒットしたりするたびにゾクゾクしてきます。
それが、先日聞いたヴェルディのオペラと決定的に違うことだと思われます。
そう思うと、自分のジャズフレーズのついての問題点がわかったりするのでした。
このあたりはまた今度。
それでは。

2011/2012シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

新国立劇場で「サロメ」を聞いてきました。時を忘れた100分でした。まったく、天才たちが集まると、こうも素晴らしいことになっちゃうのですね。
今日は、指揮者のヴァイケルト氏のことを。長くなってしまいました。それほど面白かったのです。
演奏の開始は、いつもと少し違いました。
場内が暗くなり、明るくなったとたんに音楽が始まりました。いつもなら指揮者の登場を拍手で迎えてスタートなので、かたすかしをくらった気分でした。もちろん、以前にもこう言うことはありましたが、今日はなぜか違和感があったのです。
どうしてなのか、考えて見たのですが、どうやらそれは指揮者のラルフ・ヴァイケルト氏の姿をみたかったから、と言うことだったようです。
今回の公演は本当ならば芸術監督の尾高さんが振るはずだつたのですが、キャンセルとなり、急遽の代役だったのです。新国立劇場のウェブサイトでリハーサルの状況が紹介されていましたが、オケの心を一瞬でつかんだとのことで、どんな方なのか興味深かったのです。
最初はどうにも大人しい感じのサウンドで、何か音がくぐもっているような印象でした。どうしてそこでもっと鳴らしてくれないのか、というもどかしさのようなものがありました。
その理由の一つは、おそらくは私が座っていたのは二階席四列目だったので、響きが今ひとつのではあった、ということにあるでしょう。
それだけが原因なのか、と断じる気にもなれず、しばらく棒の振り方をみていたのですが、実に抑制された枯淡の境地のような振り方でした。
私が思い出したのは、10年ほど前に見たサヴァリッシュの指揮でした。最小限の棒の動きでN響を操っていた姿は名人そのものでした。ヴァイケルト氏の指揮の振り方はあのときと同じように、あるいは、他の老巨匠の姿と同じものだったのです。
そうした抑制美を聞き取る方向に考えが向かってからは、徐々に演奏になじむことができるようになりました。
テンポ感は、どちらかというと淡々としたもので、大げさにテンポを動かしたりしません。また音量も大げさにならず、抑制されたダイナミクスですが、それがまた絶妙なのです。ペーター・シュナイダーのそれより抑制されていると思います。ゲネラル・パウゼもそんなに引っ張らない感じです。シノポリよりも抑制されていたかと。しかし、それがとても良かった。媚びることのない美意識、声高に叫ばない主張、そういう感じです。
オケの音がいつもと全く違う響きだったのが驚きでした。私の印象では、弦の響きに透明感が加わっていて、実によくまとまったきめ細かい響きだったのです。この響きは、私にはペーター・シュナイダーのそれとよく似ていると思いました。
次第に、ラルフ・ヴァイケルト氏の語法がわかってきた感じで、最終幕に向かうにつれ徐々に演奏に心がフィットしていくのを感じました。私の感情も、最終部に向かうにつれ高まってきたようで、最終部、サロメの独唱の部分の昂揚感は凄まじいものがありました。指揮棒はそんなに大仰なものではないのですが、オケがちゃんとなっているのですね。
今日のオケは東京フィルハーモニー交響楽団でしたので、前々週に行ってきたトロヴァトーレと同じです。トロヴァトーレのときは、オケの縦線が全く合わない部分があり、歯がゆさも感じたのですが、今日の東フィルは何か違っていました。先ほど触れた弦楽器の緻密さもそうでしたが、縦線がかみ合っているのを感じたのです。いつもはそろわないこともある金管も今日はそろっていたように思います。なにか、マエストロの静かな気迫にこたえているかのようでした。
やはり、リーダーたるもの、メンバーを自主的に従わせるようでないとダメなのですね。首根っこを捕まえるのとは別の方法論がそこにはあるのではないか、と。あ、これは今日の演奏を聴いたからというより、今日の演奏を聴いて思いだした教訓です。
明日は演出や歌手の方々のことを書きます。

Philharmony,Richard Strauss

はじめに

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今日は、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールで、ベルリンフィルハーモニーのマチネがネットで生中継されました。ベルリンとの時差は7時間ですので、18時から聴けるという恵まれた条件でした。

ネルソンスの「ばらの騎士」組曲

ネルソンスの「ばらの騎士」組曲。最初、なんだかもたついている感じがありました。オケもばらついている感じで、線がそろっていない。あれれ、こんなはずじゃないのに、とハラハラしていたのです。
けれども、「ばらの献呈」のあたりから、空気が変わり始めました。もたついているのが、豪華絢爛な重みに取って代わってきたんですね。
ここ、オーボエのアルブレヒト・メイヤーと、ヴェンツェル・フックスがユニゾンでゾフィーとオクタヴィアンのパートを歌い上げるところで、流れが変わりました。この部分、「ばらの騎士」のなかで最も感動的な場面の一つなのです。
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なぜそう思うのか。ネルソンスの姿が、カルロス・クライバーに重なって見えました。その音楽に純粋な悦びを見いだした少年のような笑顔は、クライバーと同じです。
最後の部分、つまり、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱の部分。ここは「ばらの騎士」の決定的な場面、テンポを落としネルソンスは旋律のパワーをためにためて、最後に炸裂させました。この微妙な間合いは、ペーター・シュナイダーの洗練された間合いよりも、はるかに原初的で人間的なもので、洒脱さはなくとも、絢爛さがある、そういう感じでした。
この場面、独りノートパソコンで見てたんですが、涙出ました。。

最後に

先週、NHK-FMで東京ジャズのライブ放送を聴いて、すごくワクワクしながら聴いていたのですが、今日のベルリンフィルデジタルコンサートホールでのライブ中継も同じぐらい興奮しました。ネットやラジオで音を聞いているだけですが、「そのとき一度」という機会の持つ魔力は思った以上に強いことが分かります。
ベルリンフィルデジタルコンサートホールの生中継はだいたい明け方なんですが、これからはちゃんと起きて聴こう、と思います。

Concert,Philharmony,Richard Strauss

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はじめに

今日も、ご縁で日本フィルの横浜定期演奏会に行って参りました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲と、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という19世紀後半のドイツロマン派音楽をたっぷりと90分。濃密な時間で、まばたきに思えるほどあっという間でした。

堀米ゆず子氏のブラームスヴァイオリン協奏曲

前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。
ヴァイオリンソロの堀米ゆず子氏、マジですごかった。
私は一番前の席に座っていたので、彼女の細かい表情や息づかいまでよく分かったのです。眼光鋭く、苦悩とも恍惚ともつかない厳しい表情をみて、私は野武士のような気迫を感じました。そんな激しい気迫がほんの数メートルから発せられているのですから、もうなんだか気圧された感じ。音も分厚く激しい。北海の波浪。時折現れる流麗なフレーズさえもなんだか酔いしれるのに罪悪感を感じるほど。ブラームス的謹厳さでした。

ツァラトゥストラ!

後半は、ドイツロマン派最後期の巨匠、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は、リヒャルト・シュトラウスの音楽の中で最も知られた曲ではないでしょうか。もちろんあの「2001年宇宙の旅」の冒頭の音楽だからということもあるでしょう。

幼き日々の記憶なき思い出

この「ツァラトゥストラはかく語りき」は、私が生まれて初めて好きになった曲らしいのです。幼き日々の思い出は、両親の語り聴かせにより創り出されるものかもしれません。ゆえに、それは直接経験ではなく間接経験です。つなり記憶なき思い出。
ともかく、厚い図鑑を重ねて指揮台にして、その上で鉛筆を振り回していたらしい。まったく、今も昔もごっこ遊びが好きらしい……。

再発見

実演に触れるのは生涯二回目で、初回は20年前なので(お恥ずかしい)、今回は新たな発見がたくさんありました。
この曲、室内楽的要素や協奏曲的要素を持っていることに改めて気づきました。前半では、まるでシュトラウス最後のオペラである「カプリッチョ」冒頭の弦楽六重奏かと思うような合奏があったり、後半のワルツのところは、ほとんどヴァイオリン協奏曲だなあ、と。
それも、前半でヴァイオリン協奏曲を聞いているものですから、なおさら、協奏曲的に聴いてしまいました。それにしても日フィルのコンミスの江口さんも素晴らしい。柔らかくたおやか。

サウンド

オケのサウンド、前回聴いた広上さん指揮のときより少しおとなしい印象がありましたが、ツァラトゥストラの音響は十分すぎるぐらいリッチです。最前席で聴いていそるということもあって、大音響のまっただ中に放り込まれているようで、あまりに幸福でした。
サウンド的にも最前列はすごく面白くて、弦のソロが合奏にすっと吸い込まれていく様子がすごく不思議。ただ、やはり最前列だと、当然ながら管については聞こえづらくなります。
あとは、みなとみらいホールのこと。このホールの響きは硬質で、残響も長すぎずまとまっていてとても好感を持ちました。青葉台のフィリアホールに似た響きです。空間系サウンド大好き。

指揮者の高関健さん

指揮は高関健さんでした。実直な指揮ぶりで、正確に刻まれた演奏でした。といいながらも、テンポも速すぎない程度に動かして、ダイナミズムがすごく伝わってきました。予習にとある有名指揮者B氏の演奏を聴いていたのですが、なんだかテンポが速過ぎて軽く感じていたのですが、そんなことを感じることもなく、最後まで充実した演奏でした。

おわりに

オケのコンサートはこの数ヶ月で三回ほど行きましたが、オペラとは違う楽しみがあり、こちらにも捨てがたい魅力を感じました。こういう機会を頂いたのも、チケットのご縁で、本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。
岡田暁生氏の書かれた「音楽の聴き方」という新書に、音楽は聴くだけではだめで、観ることも重要なのである、というくだりがあったと思います。それを強く実感しています。来シーズンは、オケの定期会員になってみようかな、などと画策中です。

Opera,Richard Strauss

短いエントリー。
ベームのカプリッチョ、これはひとつの偉大な美意識だなあ。ヤノヴィッツの高く響く無垢な声に癒されました。ディースカウだってすばらしい。というか、贅沢。
録音が素晴らしい。残響具合が絶妙。録音はゾフィエンザール。
帰宅時間に聴いて、すっかりリフレッシュしました。これこそ通勤リゾート。
しかし、カプリッチョは、私には分からない秘密がたくさんあるはず。18世紀オペラの引用に満ちあふれているらしい。だが、オペラ暦の短い私にはこれから勉強が必要です。引用で分かったのは、シュトラウス自身のオペラである「ナクソス島のアリアドネ」と「ダフネ」のフレーズでしょうか。あと、「ばらの騎士」のオーボエの旋律が出てきたはずなんですが、まだ確認とれていません。
“過去のカプリッチョ関連はこちら":http://www.google.co.jp/cse?cx=partner-pub-0396449939279395%3A2jiu0ok4jpc&ie=UTF-8&q=%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A7&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&siteurl=museum.projectmnh.com%2F

Opera,Richard Strauss

先週末、思いがけず休みになりましたので、予定を変えて今日のうちにMETライブビューイングに行ってきました。恥ずかしながら、METライブビューイングは初めてでしたが、楽しく感動的なひとときでした。
私が言ったのは、新宿ピカデリー。昔は古びた映画館だった気がするのですが、大変な変わりようでした。スクリーン1という大きめの劇場でしたが、お客さんの入りは5,6割ぐらいでしょうか。
本当のオペラやコンサートと違うのは、
* 座席がゆったりしている。
* ものを食べてもよい。
* 拍手しない。
* 当然ですが、サウンドは今ひとつ
といったところでしょうか。
* 伯爵夫人マドレーヌ:ルネ・フレミング
* 作曲家フラマン:ジョセフ・カイザー
* 詩人オリヴィエ:ラッセル・ブローン
* 伯爵:モルテン・フランク・ラーセン
* 劇場支配人ラ・ローシュ:ピーター・ローズ
* 女優クレロン:サラ・コノリー
* 指揮:アンドリュー・デイヴィス
フレミング、素敵すぎますねー。当代一のシュトラウス歌いなんでしょう。柔らかい羽毛に包まれたような歌声で、ほかのどの歌手ともあきらかに違う個性的な声だと思います。
本編前のインタビューで、フレミングがいっていたことが印象的でした。
曰く「伯爵夫人マドレーヌも、アラベラも、元帥夫人も、同じ女性が違う時代の別の場所に居ただけに過ぎないのである」
なるほど。
3人とも、世の中の、酸いも甘いも知っていて、諦念する分別をも持ち合わせる大人な女性です。
フレミングは、学生時代に、フランクフルトで「カプリッチョ」に感動して、3回も観に行ったんだそうです。
私もその気持ち、よくわかります。
先週の日曜日、N響アワーで、2009年のN響定演でフェリシティ・ロットが歌ったカプリッチョ終幕の場が出ていましたが、途中できられて、極めて残念。
そうそう。フラマンをうたったジョセフ・カイザーも素晴らしかったですよ。伯爵夫人への告白の場面、あれは泣きました。。

Richard Strauss,Vocal

一週間完了しましたが、なんとか辿り着きました。本日は夜更かし中。土曜日の仕事は免れられそう。だが、明日の夕方には試練が待っています。
今日はこの映像につきるなあ。

Das Rosenband。 ばらの花環、なんて訳が付いています。1898年に作曲された「四つの歌」の第一番。クロップシュトックの氏によるもの。この年、シュトラウスは「英雄の生涯」を作曲しています。自らを英雄に喩えることができるほど、充実した年頃の作品です。
数年前からかなり気になっている曲なのですが、じつはもう13年ぐらい前に、オッター様のアルバムで聴いていたみたいで、そのときからわりと好きな曲でした。バーバラ・ボニーのアルバムでも聴いていましたので。それが、数年前に手に入れたフェリシティ・ロットのこのアルバムで一気に大好きになりました。

4 Last Songs / Suite From Capriccio / Wiegenlied
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このアルバムのDas Rosenbandは、オケ版で、シュトラウスの豊穣な音楽がより味わい深く楽しめます。
You Tubeで歌うディアナ・ダムラウは、ドイツの若きコロラトゥーラ。私は初めて聴きましたが、めちゃ巧いですね! 丁寧だし、余裕を持って歌っています。チェックしないと。ちなみに、私は、メリル・ストリープに似ていると思うのですが、いかがでしょうか? 
この曲、語りたいことはあるのですが、明日があるのでこのあたりで。

Opera,Richard Strauss


今週末5月14日からのMETライブビューイングは、リヒャルト・シュトラウス最後のオペラである「カプリッチョ」。
METライブビューイングについては、もう申すまでもありませんが、NYCのメトロポリタン歌劇場の公演を、世界各地の映画館で見ることが出来るという趣向です。日本以外では、文字通りライブで、生中継を映画館で見られるのですが、日本では松竹系の13の映画館で5月14日から20日までの7日間観ることが出来ます。
私は、何故かこのオペラ「カプリッチョ」が大好きで仕方がありません。一時期は、シャワーを浴びながら鼻歌を歌うだけで感動して落涙している始末。まったく。2006年に、このオペラの魅力にとりつかれまたのですが、きっかけは何だったか?? 余りよく覚えていない。でも、むかしのブログに以下のようなえらそーな記載がありました。すいません。

リヒャルト・シュトラウスのカプリッチョ。シュトラウス最後のオペラで、初演は1942年ミュンヘンにて。まさに第二次大戦まっただ中。あまり大きな評価を受けていないらしく、演奏される機会も少ないようだ。それは、ナチス政権下でシュトラウスがナチスに協力したことによるのも大きいとは思う。だが、シュトラウスのナチスへの協力は限定的だったとも言われる。シュトラウスの思惑は、ナチスと手を組むことで、シュトラウスが良く思っていなかったレハールなどの大衆的オペレッタの勢力を追い落とすことだったとも言われている。
それにしては、実に美しい旋律。第二次大戦といえば新ウィーン楽派による調性の崩壊を体験している時期ではあるが、老シュトラウスはこの美しいオペラを書いたというわけだ。その境地たるやいかばかりのものだったのだろうか…。
最終部は「月光の音楽」と呼ばれていて、冒頭のホルンの独奏だけではなく、それに続く弦楽合奏の美しさときたら!サヴァリッシュの指揮が上手く歌っているということと相俟って、老シュトラウスはいつまでもこの美しさの中に浸っていたいと聴き手に思わせることに成功しているのである。
なかなか生演奏を聴けないとは思うのではあるが、なんと、今年の10月にドレスデンで演奏されるではないか!行こうかな…。

それで、なんと、ドレスデンにまで行ってしまったという訳の分からない状態。指揮者はペーター・シュナイダーだったのですが、当時はその素晴らしさを理解できず、戻ってきてから、あらためて恐懼した次第でした。
ドレスデンのゼンパーオーパーのホワイエにあったリヒャルト・シュトラウスの胸像です。一緒に記念写真もとりました。ミーハー。

今年のライブビューイングの予定を見たときは驚喜しました。今週末の休みを利用して新宿ピカデリーで見ようと思いますが、ウェブを見てみると、どうやら予約が出来るみたい。噂では、なんだかすごく並ぶ、という話を聞いていたので覚悟をしていたのですが、これで安心です。早速予約を済ませました。予習しないと。いま「コジ」のまとめ記事を作ろうとしていますが、その前に「カプリッチョ」もまとめないとなあ。
上映場所はこちら
“METライブビューイング":http://www.shochiku.co.jp/met/schedule/
“関連記事はこんなかんじ":http://www.google.co.jp/cse?cx=partner-pub-0396449939279395%3A2jiu0ok4jpc&ie=UTF-8&q=%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A7&sa=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&siteurl=museum.projectmnh.com%2F
自粛を自粛いたしましょう。がんばります。

Broadcast,Richard Strauss

作曲家の西村朗氏と、久々にNHKクラシック畑に戻ってきた黒崎アナが送る “N響アワー":http://www.nhk.or.jp/nkyouhour/ ですが、5月のラインナップを遅ればせながら確認しました。
【 2011年5月の放送 】
1日 :   永遠の名曲たち ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)
8日 :   鬼才ノリントンの魅力 ~ 最近の演奏会から ~
15日 :   気ままにセレクション   ~ 今宵もカプリッチョ総集編 ~
22日 :   生誕200年 フランツ・リストの魔術
29日 : 〈生誕150年 マーラー交響曲シリーズ〉    ~ 最終回・第3番 ニ短調から ~
わたしは「カプリッチョ」の文字に真っ先に飛びつきました。これは、番組の最後のコーナーから来ているようですが、総集編なのだそうです。それで、とりあげられるのはかずかずの「カプリッチョ」たち。
そして、期待に違わず、シュトラウスの「カプリッチョ」! それも、私が涙にくれた2009年10月のN響公演!アンドレ・プレヴィンとフェリシティ・ロットによるカプリッチョは本当に素晴らしかったのです。あのときは、もう凄すぎて訳がわからなかったです。
私が涙にくれた記憶はこちら。
“https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php":https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php
NHK 今宵はカプリッチョ総集編のURL
“http://www.nhk.or.jp/nkyouhour/prg/2011-05-15.html":http://www.nhk.or.jp/nkyouhour/prg/2011-05-15.html
今日はよい天気故に、散歩に行こうと画策中。