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月曜日のことを反芻。

お昼頃から東京は雪が激しくなり始めました。ちょうど、遠くに皇居が望める場所にたまたまいたのですが、雪に染められていく皇居前広場は、深々と清楚典雅で、墨絵のようでもあり、あるいはなにか戦前のモノクロームの映像を見ているようにも思いました。

そういえば雪の東京には歴史の匂いを感じ、二二六事件だとするとどこかから兵士達が現れるのではないか、という妄想を抱きました。

夕方に早期帰宅命令。雪国の方には、疑問符だらけなのでしょうけれど、雪に慣れない東京においては帰宅できなくなる可能性もあり、雪の降るなか路上に立ちすくむとか、列車の止まった線路に沿って雪の中を歩く、というようなことも予想(妄想?)されたため、早々に帰宅することに。私は運良く30分程度余計に時間がかかるだけで帰宅しましたが、あとで聴くと4時間かけて帰られた方もいて、首都圏の人口の多さや、高度な交通網が遮断された時の混乱を思うと、綱渡りのような生活を我々は日々送っているのだ、ということをあらためて思います。

翌朝は、5時20分に出発。凍る雪の上を恐る恐る歩きながら駅へ向かいました。まだ暗い早朝の街には、いつも聴こえる自動車の音はなく、ただ雪を掻く音だけが響いていました。車の上に分厚く積もる雪は、雪が積もったというよりも、雪が乗っかっている、という方がふさわしいほどで、夜半までに降りしきった雪の量に驚くばかりでしたが、驚いたことに、すでに雪掻きが終わり、駅への道が開削されていたのでした。おそらくは深夜のうちに雪掻きがされていたわけで、頭の下がる思いでした。職場近くに着いたのは6時半過ぎ。こなでもやはり歩道は除雪済みで、作業をひと段落した方々数名が、肩で息をしているところでした。自治体の職員なのか、あるいは自治会有志なのか。

雪もやはり非日常である東京ですが、高度に発展した東京の危うさも、人々の働きによって支えられている、ということと思いました。そうした働きへと人々を動かすものは何か。文化圏に応じて様々と思いますが、それだけで本が何冊も書かれているテーマです。自分なりの意見はありますがそれはまたの機会に。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

毎年、攻めようと思うのですが、本当に攻めているのか?、と思います。今年はもっと攻めないと。

お仕事をされている方もいると思いますが、みなさまもどうか良いお正月をお過ごしください。

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はじめに

今年もあとわずか。

なんだかあっという間でした。

世界も激動ですが、個人的もたくさんのことがありました。仕事も目まぐるしく変わりました。

大切なことはただできることをきちんと考えて確実に行うと言うことでしかありません。大切なことを果たしてできていたのかは後になってみてわかることです。積み重ねが物事を作りますので。

来年はもう少しアグレッシブな一年にしたいものです。

辻邦生関連

辻邦生関連で言いますと、夏にあった学習院大学史料館での辻邦生ミニ展示と講演会が本当に素晴らしいもので、とても多くのことを考えました。ただ、秋に恵比寿で会った展示と講演会は故あって参れませんでした。残念。

来年の学習院大学史料館も展示は「背教者ユリアヌス」です。夏が待ち遠しい今日この頃です。

音楽関連

今年はコンサートには全く行くことができず。公私において多忙極まる毎日でした。そんななかで、できたことと言えば、マーラー5番の聞き比べをしたことが記憶に残っているぐらいでしょうか。ただ、そんな中、なにか音楽の希少性と重要性を再認識したとも思います。音楽の奥深さ、あるいは畏ろしさ、のようなものをあらためて感じたと思います。

おわりに

総じて、今年は記事を書く機会が少なく、反省することしきりです。書くことが、考えることであり、ひいては存在することである、というのがモットーなんです。来年はもっと存在したいものです。

あるいは、来年はよい年になることを本当に願っています。地政学、経済の面で、世界史的重大局面にあるなかで、個人としてなせることは本当にないのですが、ともかく人間の叡智と倫理性が、人類史的に向上していることを願わずにはいられません。願うことしかできない、ということ自体が、問題の深刻さを物語っているようにも思います。

本年も本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

よい年をおむかえください。

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年の瀬が光速で迫っています。

ほんとうに今年はたくさん勉強できた一年間でした。どんなことであろうとも、マイナスになることはないのでしょう。

それでもなお、大切なことを見うしなうことなくことにあたらないといけない、と思います。

辻邦生「言葉の箱」から。

いいですか 。このことを忘れてはいけません 。あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね 。一回こっきりですよ 。二度も三度も生まれてこないんですから 、一回こっきりの大事なきょうのこのときだと思うんですよ 。こんなに大事なときに 、あしたもあればあさってもあれば 、きのうもあったし 、きょうなんてどうでもいいや 、ではダメなんです 。この一回こっきりの自分というもの 、自分のいまの世界を本当に大事にしてください 。

この一カ月、リマインダーにこの言葉を入れて、読めるようにしていたつもりでしたが、リマインダーを見る暇もないほど時間がありませんでした。

ようやく、今週に入って見直しました。

一体、望んだ一年を送れたのかなあ、とこの言葉を読みながら考えますが、確かに、たくさん勉強したけれど、その結果はまだよくわからないなあ、と思いました。

まだ今年は続きますが、今日からすぐに仕切り直さないと。

みなさまも良い年の瀬をお過ごしください。

おやすみなさい。

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一ヶ月続いた風邪もやっと抜けました。風邪は辛かったです。

いい時も悪い時もある。いまはどちらかは、今わかることもあれば、先にならないとわからないこともある。

それで撮った写真。

朝日の中に、黄葉が光り輝いていました。装飾品のようなきらめきに心が打たれました。ただ、これから散りゆく運命にあることも確かです。枝からは、すでにだいぶんと葉が散っています。それは去り際の美しさ。あるいは惜別の感覚。その向こう側にある高層マンションでは、変わらない日々の生活が営まれていることでしょう。その中で、まるで、気づかれることなくひっそりと去りゆく名優のように、黄葉は散りゆくのでしょう。

こう言う美しさも、単調な生活の中で大切にしなければ、と言うことなんだと思います。

辻邦生なら、きっと写真に撮ることなく、文章だけで表現するでしょう。加賀乙彦さんは、先だっての夏の講演で、辻邦生が旅先で写真を撮ることなくただただ風景を書き連ねていた、と述べておられました。「ピアニストがピアノを毎日弾くように」、辻邦生は絶えず書いていたと言うことです。

さすがは師走。寒い毎日。インフルエンザも流行りだしました。みなさまもお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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冬。最後の黄葉。素晴らしい冬の快晴の一日でした。関東のこの快晴は、寒い冬の中にあって唯一の楽しみです。

早く夏になってほしいですが、この光を見ると関東の冬も捨てたものではない、と思います。

今月も忙しそうな毎日になりそうです。そこで何ができるのか、で真価が問われるのだと思います。

寒い日々が続きます。みなさまも、お身体にお気をつけて。

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連休が終わりました。今年はもう連休はありません。勤労感謝の日は木曜日。天皇誕生日は土曜日です。週末は家の仕事で忙しく、

写真は、先月末のもの。秋晴れの太陽に木が照らされています。

昔は、雨の日が好きだったはず。大学受験の年の梅雨、雨降る中池の畔でしばらくぼーっと雨を眺めていたのを思い出します。社会人になってからは、室内の仕事ばかりでしたので、逆に太陽が恋しくなりました。太陽の光が差し込むのを快く思わない方もいるわけで、ブラインドを閉められたりすると本当に悲しくなります。今でもそうです。前にも書きましたが、狂ったように一日中太陽の光を浴びるのが夢です。

あすからまたルーチンな日々。また仕事場への電車の中で、本を読んで、音楽を聴いて、ものを書く日々がまた始まります。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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晴れの特異日の11月3日。やはり晴れました。紅葉がきらめき、秋も深まります。落ち葉が風に吹かれていて、まるで落ち葉が競争しているかのようでした。

明日も晴れるようですが、夕方には木枯らしが吹くとのこと。冬もそろりと近づいています。

では。

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最近、マーラーを聴きながら、マーラーを聴き始めた80年代末のことを多い出すことが多いです。

マーラーのことを語るときに「世紀末」という言葉がよく使われていました。正確には、1980年代末において、「前世紀末」ということになるわけですが、言わずもがなそれは19世紀末のことを指します。

この「前世紀末」という言葉を10年間覚えていたのですが、2001年になって、19世紀末を指すときに、「前世紀末」という言葉が使えなくなったことに気がついて、寂しさのようなものを感じたのを覚えています。

世紀末という言葉には、何かが滅びゆく感覚というものがあります。18世紀末には市民革命があり、19世紀末以降もやはり欧州において体制が崩壊しました。20世紀末は、少なくとも日本においては戦後の高度経済成長が終わり、55年体制が終わりました。というか、いつでも何かが終わっているのでしょうけれど、世紀末という言葉に絡めることで、何か納得するということになるんだと思います。

世紀末の本といえば私にとってはこちら。10年ほど前に古本屋でセットで売られているのを書いました。当時の世紀末はもちろん19世紀末です。

世界は、20世紀末の評価や振り返りを、きっとこの後していくことになるのだろうなあ、と思います。

今日は好天でした。気温が下がり、どうも風邪をひいたようです。みなさまもお身体にはお気をつけて。
おやすみなさい。

Miscellaneous,Saxophone

週末、久々に時間が取れたので、公園でVENOVAを吹いてみました。ざっと感想など。
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まず、音を出すのが意外に難しかったです。おそらく、リード楽器の初心者が音を出すのは難しそうです。

リコーダーと同じ運指とはいえ、吹き方自体はサクソフォーンと同じです。マウスピースはソプラノサックスのものを使います。ですので、サクソフォーンのアンブシェアができていて、腹式呼吸できちんと呼吸を支えないと真っ当な音はでなさそうです。また、最低音域では、腹部で呼吸を支えないといけないという印象ですし、最高音域ではアンブシェアでのコントロールが結構シビアな印象でした。思えば、この感覚は、(マウスピースが同じなので当然ですが)ソプラノサックスと同じかも。テナーのように、ダラダラっと音が出るわけではなく、アンブシェア、喉、腹部をきちんとコントロールしないと音は出ないです。

逆にいうと、サクソフォーン(あるいはクラリネット?)を吹ける方なら、すぐに楽しめそうです。身もふたもない言い方ですが、そういうことだと思いました。

音色についてですが。あまり良い音は出ない印象です。ただ、これも当たり前で、ブラスで作られたサクソフォーン本体よりも良い音が出るわけはありません。あくまで、Reise Saxophone = 旅行用サクソフォーンというのがふさわしい、どこでも手軽にふけるサクソフォーンとして考えるのが良さそうです。

まだ試していませんが、ソプラノサックスのリードを使うともう少し良い音が出そうです。付属のプラスチックリードには限界があるかも。
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私は、近所の河川敷で吹いてみました。周りに人がいたので、少し気が引けましたがなんとか。

それにしても、この手軽さで、サクソフォーンのような表情をつけられたりするのはなかなか面白い体験でした。また、サクソフォーンよりも音は小さい印象ですので、サクソフォーンより気を使わなくて済むかも。ただ、あくまで、サクソフォーンと比べて、です。リコーダーよりは大きい印象でしょうか。もちろん吹き方にもよります。

日頃サクソフォーンを吹く機会がないけれど、アンブシェアや腹筋などを鍛えておきたい方にとっては、手軽にトレーニングができるツールだと思います。

そういえば、昔の記憶を思い出しました。サックスが欲しくて欲しくて仕方がなかった高校時代、代わりにカシオのデジタルホーンを朝から晩まで吹いていました。当時15万円ほどしたサクソフォーンをさっと買うことなどできなかったわけで、私は、昼食代をケチりながら、お金を貯めて、ようやくと買うことができたという次第です。

買ってからは、まあ、運指はなんとかなるのですが、音が出ませんでした。1年ほどかけてようやく人前に出せるような音が出てきた記憶があります。

もし、あの頃、このVENOVAがあったら、多分真っ先に買って、練習できていたはず。音ももっと早い段階で出せるようになったはずです。

なんてことを思いながらも、今後もVENOVAを散歩に持って行って、さらりと吹いて見る、という感じで楽しめそうだなあ、と思いました。

さて、9月に入って、秋が来たという話は昨日書きましたでしょうか。とにかく、冬へとまっしぐら。ということはお正月へまっしぐら。でも、今年のお正月は、波乱のお正月かも。なんて。

それではみなさま、秋の夜長をお楽しみください。おやすみなさい。グーテナハトです。