厳しい日々が続いています。来週も厳しそう。年度末は壮絶です。
今日は仕事なしですが、歯医者に行き、家事をしていたら、午後になって体力を失い、ダウン、という一日。今年から花粉症を患うようになり、そちらもちとつらい。
写真は先日行った神田明神にて。今日、東京では桜の開花となったようですが、梅も美しいです。
もうすぐ、春分の日です。夏へまっしぐら。早く夏の光に焼かれたいです。
それではみなさま、おやすみなさい。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生

厳しい日々が続いています。来週も厳しそう。年度末は壮絶です。
今日は仕事なしですが、歯医者に行き、家事をしていたら、午後になって体力を失い、ダウン、という一日。今年から花粉症を患うようになり、そちらもちとつらい。
写真は先日行った神田明神にて。今日、東京では桜の開花となったようですが、梅も美しいです。
もうすぐ、春分の日です。夏へまっしぐら。早く夏の光に焼かれたいです。
それではみなさま、おやすみなさい。
もう2月も終わり。年度末。
年度末は様々なことが起きていて大変そうです。渦中に放り込まれている人もいるようで、まるで渦に呑みこまれる木の葉のよう。少しずつ渦に吸い寄せられ、気づいた時には、速い流れの中で揺さぶられ、あっと言う間に渦中に引きずり込まれます。その先に何が待っているのか?
それは何かブラックホールのようでもあり、その先にあるものは誰にもわかりません。あるいはホワイトホールで現世に戻るのでしょうけれど、何処へ移動しているのか。
おそらくは、時空旅行は、渦(ブラックホール)利用して行われるはず。今後、何年先かはわかりませんけれど。
旅行といえば、最近はすっかり海外へ行くこともなくなりました。最後に行ったのは2008年なので、もう10年近く前のことです。ローマに観光で一週間滞在して、フランクフルト経由で帰りました。
最近NHKでやっている「チョイ住み」みたいな旅行でした。バスを乗りこなしたりして、楽しい思い出。
帰路は、フランクフルト経由て、ルフトハンザのエアバスA340でした。思い出深いフライトでした。サービスが素晴らしかったですし、窓の外にせまる日没に向けて、黄金色にかがやく太陽が照らす雲海を見ながら、ブルックナー交響曲第7番を聴いたのが、人生最良の思い出の一つでしょうか。
で、こちら。アバドのブルックナー。なぜか、アバドに戻ってしてしまいます。
典雅という言葉がまずは思い浮かび、しばしのあいだ時を忘れました。そういえば、オケを聴きに行くのも難しくなりました。旅行と同じ。
明日は何が待つのか?
みなさま、おやすみなさい。
今年、なぜか春が来ないのではないか、という思いがありました。それは勝手な思い込みであることには変わりはありません。ですが、いつかは春が来なくなる時が来るはずなのです。何十億年も先のことだと予想していて、今年のことではない、ということはわかってはいるのですが、もしかすると、今年ではないか、という思いもあったようなのです。
昨日、近所の公園に行ったところ、オオイヌノフグリが咲いているのを見つけました。いや、これを見たとき、ああ、ことしも春が来てくれるんだ、となんだか嬉しいような、ありがたいような気持ちになったのです。
いろいろある中で、なんだか気分がホッとする瞬間でした。2018も春が来てくれて本当に嬉しいです。
そして、その先、私がもっとも大好きな季節である夏にむけてまっしぐらですね。
本当に早いものです。
毎年の季節の移り変わりを大切に過ごしていきたいです。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
久々に静かな夜。
さまざまなことがあって、いろいろなことに取り組んだ2月だったような気がします。まだ2月も終わっていませんし、いろんなことも終わっていませんが。
まあ、思うように行かないことの方が多いのが人生というものです。ただ、いえることは、リスクをとらないと、なにも得られないと言うことでしょうか。
歳はとりましたが、その分リスクをとれるようになったともいえるので、リスクをとることも考えないとなあ、と思いました。
ちなみに、リスクという言葉は、日本語においては、危険という意味合いがありますが、本当の意味はそうではなく、予想に対するぶれ幅、という意味の方が強う息が致します。
さて、そんなことを考えながらきいているのはこちら。
最近、夜に一人でジャズを聴くのにはまってます。もちろん、懐メロに類するものととられるんだとは思います。時代は流れます。
それではみなさま、とりいそぎおやすみなさいませ。
なかなか書けないまま一週間以上過ぎてしまいました。ものを書いていなかったわけではないのですが、なかなか時間ができませんでした。
時間は作るものですけれど。
今日はこちら。最近、ショパンを聴くことが多いです。なんでだろう。これまでピアノ曲まで手が回らなかったのに。
まだ、何か言う資格はないのですが、ポリーニは昔から好きです。アバドとやったブラームスのピアノ協奏曲に驚いたことがあります。
さて、仕事でも読まないといけない本がたくさん。まあ、仕事も私事もどうも区別なく取り掛からないといけないみたいです。
また粘りに粘って頑張ります。
おやすみなさい。グーテナハトです。

月曜日のことを反芻。
お昼頃から東京は雪が激しくなり始めました。ちょうど、遠くに皇居が望める場所にたまたまいたのですが、雪に染められていく皇居前広場は、深々と清楚典雅で、墨絵のようでもあり、あるいはなにか戦前のモノクロームの映像を見ているようにも思いました。
そういえば雪の東京には歴史の匂いを感じ、二二六事件だとするとどこかから兵士達が現れるのではないか、という妄想を抱きました。
夕方に早期帰宅命令。雪国の方には、疑問符だらけなのでしょうけれど、雪に慣れない東京においては帰宅できなくなる可能性もあり、雪の降るなか路上に立ちすくむとか、列車の止まった線路に沿って雪の中を歩く、というようなことも予想(妄想?)されたため、早々に帰宅することに。私は運良く30分程度余計に時間がかかるだけで帰宅しましたが、あとで聴くと4時間かけて帰られた方もいて、首都圏の人口の多さや、高度な交通網が遮断された時の混乱を思うと、綱渡りのような生活を我々は日々送っているのだ、ということをあらためて思います。
翌朝は、5時20分に出発。凍る雪の上を恐る恐る歩きながら駅へ向かいました。まだ暗い早朝の街には、いつも聴こえる自動車の音はなく、ただ雪を掻く音だけが響いていました。車の上に分厚く積もる雪は、雪が積もったというよりも、雪が乗っかっている、という方がふさわしいほどで、夜半までに降りしきった雪の量に驚くばかりでしたが、驚いたことに、すでに雪掻きが終わり、駅への道が開削されていたのでした。おそらくは深夜のうちに雪掻きがされていたわけで、頭の下がる思いでした。職場近くに着いたのは6時半過ぎ。こなでもやはり歩道は除雪済みで、作業をひと段落した方々数名が、肩で息をしているところでした。自治体の職員なのか、あるいは自治会有志なのか。
雪もやはり非日常である東京ですが、高度に発展した東京の危うさも、人々の働きによって支えられている、ということと思いました。そうした働きへと人々を動かすものは何か。文化圏に応じて様々と思いますが、それだけで本が何冊も書かれているテーマです。自分なりの意見はありますがそれはまたの機会に。
みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
毎年、攻めようと思うのですが、本当に攻めているのか?、と思います。今年はもっと攻めないと。
お仕事をされている方もいると思いますが、みなさまもどうか良いお正月をお過ごしください。
今年もあとわずか。
なんだかあっという間でした。
世界も激動ですが、個人的もたくさんのことがありました。仕事も目まぐるしく変わりました。
大切なことはただできることをきちんと考えて確実に行うと言うことでしかありません。大切なことを果たしてできていたのかは後になってみてわかることです。積み重ねが物事を作りますので。
来年はもう少しアグレッシブな一年にしたいものです。
辻邦生関連で言いますと、夏にあった学習院大学史料館での辻邦生ミニ展示と講演会が本当に素晴らしいもので、とても多くのことを考えました。ただ、秋に恵比寿で会った展示と講演会は故あって参れませんでした。残念。
来年の学習院大学史料館も展示は「背教者ユリアヌス」です。夏が待ち遠しい今日この頃です。
今年はコンサートには全く行くことができず。公私において多忙極まる毎日でした。そんななかで、できたことと言えば、マーラー5番の聞き比べをしたことが記憶に残っているぐらいでしょうか。ただ、そんな中、なにか音楽の希少性と重要性を再認識したとも思います。音楽の奥深さ、あるいは畏ろしさ、のようなものをあらためて感じたと思います。
総じて、今年は記事を書く機会が少なく、反省することしきりです。書くことが、考えることであり、ひいては存在することである、というのがモットーなんです。来年はもっと存在したいものです。
あるいは、来年はよい年になることを本当に願っています。地政学、経済の面で、世界史的重大局面にあるなかで、個人としてなせることは本当にないのですが、ともかく人間の叡智と倫理性が、人類史的に向上していることを願わずにはいられません。願うことしかできない、ということ自体が、問題の深刻さを物語っているようにも思います。
本年も本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よい年をおむかえください。

年の瀬が光速で迫っています。
ほんとうに今年はたくさん勉強できた一年間でした。どんなことであろうとも、マイナスになることはないのでしょう。
それでもなお、大切なことを見うしなうことなくことにあたらないといけない、と思います。
辻邦生「言葉の箱」から。
いいですか 。このことを忘れてはいけません 。あなた方一人ひとりの大事な一回こっきりの人生ですからね 。一回こっきりですよ 。二度も三度も生まれてこないんですから 、一回こっきりの大事なきょうのこのときだと思うんですよ 。こんなに大事なときに 、あしたもあればあさってもあれば 、きのうもあったし 、きょうなんてどうでもいいや 、ではダメなんです 。この一回こっきりの自分というもの 、自分のいまの世界を本当に大事にしてください 。
この一カ月、リマインダーにこの言葉を入れて、読めるようにしていたつもりでしたが、リマインダーを見る暇もないほど時間がありませんでした。
ようやく、今週に入って見直しました。
一体、望んだ一年を送れたのかなあ、とこの言葉を読みながら考えますが、確かに、たくさん勉強したけれど、その結果はまだよくわからないなあ、と思いました。
まだ今年は続きますが、今日からすぐに仕切り直さないと。
みなさまも良い年の瀬をお過ごしください。
おやすみなさい。
一ヶ月続いた風邪もやっと抜けました。風邪は辛かったです。
いい時も悪い時もある。いまはどちらかは、今わかることもあれば、先にならないとわからないこともある。
それで撮った写真。

朝日の中に、黄葉が光り輝いていました。装飾品のようなきらめきに心が打たれました。ただ、これから散りゆく運命にあることも確かです。枝からは、すでにだいぶんと葉が散っています。それは去り際の美しさ。あるいは惜別の感覚。その向こう側にある高層マンションでは、変わらない日々の生活が営まれていることでしょう。その中で、まるで、気づかれることなくひっそりと去りゆく名優のように、黄葉は散りゆくのでしょう。
こう言う美しさも、単調な生活の中で大切にしなければ、と言うことなんだと思います。
辻邦生なら、きっと写真に撮ることなく、文章だけで表現するでしょう。加賀乙彦さんは、先だっての夏の講演で、辻邦生が旅先で写真を撮ることなくただただ風景を書き連ねていた、と述べておられました。「ピアニストがピアノを毎日弾くように」、辻邦生は絶えず書いていたと言うことです。
さすがは師走。寒い毎日。インフルエンザも流行りだしました。みなさまもお気をつけて。
おやすみなさい。グーテナハトです。