Book,Classical,Music

先日二度目を読了した岡田暁生「西洋音楽史」、読み終わったあとも、書き抜きをしたり、文章を書いたりして考え続けています。これは本当にお勧めですね。2005年出版ですので、もう8年前の本です。帯には「流れを一望」とありますが、一望どころか、どこから見れば眺めがいいのか教えてくれる良書です。


それにしても、全体の構造まで随分考えられたものだと思います。

まず、副題が『「クラシック」の黄昏』ですから。「神々の黄昏」を意識しているわけです。この神なき時代の音楽のありようを書いている終幕部分へむけての部分は圧巻です。

徐々に手の内が明らかになり、最後に、冒頭の中世の音楽の項目に思い巡らすことになります。循環形式的です。

新書ですので大変わかりやすく、それでいて、つくところはついていると思いました。こうしたパースペクティブを教えられたのは大きいです。
GW明け。ですが、GWも一日おきに会社に行きましたから。今日はやけ食いです。
ではまた。

Music,Philosophy

はじめに

バークレー出身の老ギタリストとの対話。彼との会話は4回目です。まるで、彼の話にいつも出てくるスパイラル、サイクリック、という言葉のように、同じような話題を繰り返しながらも、そこに変奏が加わり新たな意味が立ち現れる、という感じになっています。

今日はありがちな対話調で書いてみます。よくある対話形式のパロディです。真似きれてないですが。。

ジェリー・ベルゴンズィ(バーガンジィ)

G:

一ヶ月ぶりの授業だね。ジェリー・ベルゴンズィを聞いた?

私:

もちろんです。彼のフレージングには驚きや意外性があります。

G:

そうそう、unpredictableだね。ベルゴンズィは、偉大なミュージシャンには珍しく偉大な教師だ。エリック・アレキザンダーと同じくね。これは稀有なことなんだよ。

※:ジェリー・バーガンジィーとも発音するみたいですが、彼がベルゴンズィと発音しているように聞こえますので、これでいきます。

音楽は瞑想

私:

あなたは、ショパンやバッハを、ジャズ・ミュージシャンでもあり、ヨギでもある、とおっしゃいます。ヨギとは、ヨガをする者のことです。ショパンやバッハが瞑想というのはどういうことでしょう? 彼らが瞑想しているなんて話は聞いたことないですし…。

G:

そうじゃない(笑)。彼らにとっての瞑想Meditationとは、音楽なんだよ。アインシュタインについては考えることが瞑想Meditationだし、画家にとっては描くことが瞑想Meditationなんだ。もちろん、ヨガだって瞑想Meditationだがね。

そもそも、Museという言葉があるだろう。ギリシア神話に出てくる9人の女神のことだ。諸学芸の神々で、ミューズとかムーサなどという。作曲家はミューズの助けを得て作曲をする。画家も科学者も同じだ。そうしたミューズとの交感が瞑想Meditationなんだ。

私:

なるほど! あなたのおっしゃる瞑想Meditationとは、そういうことなのですね。超越する何かにコネクトする、とあなたはおっしゃっていましたが、それらを総じて瞑想Meditationと表現しているのですね。それは私には哲学的な認識の前の「直感」に思えます。

全てはつながっている

G:

そう。全てはつながっているんだ。たとえば、君は本当はずっと音楽を聴いたり楽器を吹いたりしたいだろう。だが、現実はそうは行かない。働いて食べて行かなければならないのだ。だがね、そうした働くという行為も、実は瞑想Meditationにつながるものだ。たとえば、働くことで、意志力、忍耐、克己、持続といった徳性を鍛えるんだ。そして考え努力する。それが来世Next Lifeでの開花につながる。

君が今開花できないのはこれまでのカルマによるものだ。人生は繰り返す。首飾りのようなものなのだ。今この人生において自らを鍛えることで、来世Next Lifeで、例えば音楽家として開花することだってできるんだよ。

最後に

G: 今日の話は、Food for thoughtだ。考え続けるんだ。

私:わかりました。ありがとうございます。

編集後記

彼の話は、仏教思想に裏打ちされたスケールです。信じるか信じないかはともかく、人が一生を終えるまで努力し続けることに意味を見出すことができる思想です。私は、西田幾多郎の哲学を思い出しながら聞いていました。

イギリス人の彼から日本人の私がそうした仏教思想のレクチャーを受けることが不思議というか奇妙というか、そういう気分になりました。おそらく、70年台のアメリカで暮らしたことがあるので、ヒッピー文化の影響を受けているのでしょう。

もちろんこうした考えに盲従しないまでも、モティベーションを高める考えとしてこうした考えに肯うのは合理的だと思います。そのまま信じるという誘惑にも駆られますが、合理主義者としてはなにか引っかかりを覚えるのも事実ですので。

また、音楽を聞くことが瞑想なのだ、というテーゼは、私の瞑想感を変えました。私は坐禅やヨガが瞑想だと思っていたのですが、それは浅はかな考え方でした。

確かに、音楽に集中している時、矛盾するようですが、音楽とは関係のない思いがどんどん膨らむことがあります。音楽を聴くという目的からは外れたことですので、これまでは集中できていない証拠だとネガティブにとらえていました。ですが、実は音楽によって、超越世界と交感することによって生み出された考えなのであり、それはそれでポジティブに捉えてもいいのではないか、と考えました。

次回は来週です。

Music

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夏休み期間中、以下のコンサートに参りました。

  • 下野竜也指揮 読売日響 ブルックナー交響曲第五番
  • 大植英次指揮 東京二期会 こうもり
  • 尾高忠明指揮 東京フィル グレの歌

時間もあったと言うことで、他の方々の感想などを見て回る余裕がありましたが、凄く勉強になりました。

ここのところ、高名な音楽評論家の方のブログを読んでみると、なんとなく自分の聴き方が当てずっぽうでもないなあ、ということがわかった気がします。

音楽評論まで行かなくとも、楽曲を語ると言うことの難しさは痛いほど知っていますし、そこに正しいとか誤っているということも無いと言うこともわかっているのですが、それでもなお、一つの芸術事象を共有した者同士が、まったく別のことを思うというのも違うわけで、まるでベン図に重なる部分があるように、個々人の認識に重なる部分が出てくるわけです。

それを間主観性というのか意識一般というのか言語ゲームというのか、それぞれとは思いますが、そうした頼りない、それでいて現存するなにかを前提として人々は語り合い、何かを書くわけですね。

佐渡裕さんがベルリンフィルを指揮する際に言った「なにかいいものを作ろうとする共通の目的があるのが頼りだ」と言っていたのを思い出します。

強者くせ者揃いのベルリンフィルであっても、指揮者とともに美しいものを作ろうとする方向は必ず一致しているのだ、というような。

演奏者と聴取者も同じ。

お互いなにか美的な者をお互い求め合っている。確かにそこには言語ゲームのような「クラシック語」や「ジャズ語」というものがあって、それを前提としているわけですが、その中でお互いに同じ方向を向いている。その同じ方向を向いている聞き手それぞれが語ると言うことは、やはり同じ方向を向いて語っているということなのでしょう。

その方向がずれていないと言うことは、いわゆる「クラシック語」を私も少しは理解出来ているという証左になりましょうか、などと安堵感を得たのでした。

 

意識一般:Bewußtsein überhaupt でしたっけ? 懐かしい。

 

今日の仕事は辛い。辛すぎて、毒舌。明日からはおとなしく生きていきます。

それではまた。

Music

1月27日の老ギタリストとの授業。

前半はインド音楽についてひとしきり話を聞く。インド音楽の二つの要素はMicrotoneと独特なScaleシステムであるとのことだ。

Microtoneは、微分音と訳される。

私見では、これはインド音楽だけの概念ではなく、西洋現代音楽においては微分音を出せるピアノなどが作られているのだが、そのあたりとは話がかみ合わなかった。

もう一つ重要なこと。

偉大なクリエイターは常に、別のものを探し続けるということ。

インドのスケールをコルトレーンが取り入れたのもそうした一環。

(だが、彼にコルトレーンのどのアルバムにおいてそうした要素が顕著なのか、聴いてみると、いつものように、すべてである、という答えが返ってくる。禅問答のようだ)

では、何故、70年代にこうした主張が出てきたのか。

まあ、これは、いわずもがななんだが、戦後の経済や社会のリビルドが終結し、マテリアルからスピリチュアルへ興味が移った時代が1970年代なのだ、という歴史解釈だった。

米国は特にベトナム戦争もあったし。

彼の言説はすこし興味深い。彼はスコットランドからオーストラリア、ニュージーランドと渡り歩き、ボストンのバークレーに1969年に入ったと言う。つまり、戦勝国に滞在しているわけだが、それでも戦後の社会が崩壊していて、リビルドが必要だったというのだ。そうか、戦勝国もそういう歴史認識をすることがあるのね、と新鮮だった。

 

彼がギターを始めたきっかけ。友人がギターを弾いていたのだが、ドミナント13thに惹かれたって言っていたと思う。

彼に「輪廻」という日本の言葉を教えてあげたら喜んでいた。cyclicの日本語訳は何だっけ、という話のなかで。で、サンスクリット語は知っていたみたいだ。

Music

さすがに、ここまで聞いていると、自分史的にも重要になってきたので、書くことにしましょう。

私の敬愛するマイケル・ブレッカーのCDを集めていた頃のこと。

古内東子のアルバムStrengthにマイケルが参加しているということで、入手しましたが、あまり活躍していなくてがっかりしたのが、10年前のこと。

で、昨年の今頃、引っ越荷物の片付けで出てきたこのCDを何気なく聴いて見たんですが…。

めちゃ良いんです!!

このアルバムは、マイケル・ブレッカーだけでなく、ランディ・ブレッカーや、デイヴィッド・サーンボーン、ウィル・リー、オマー・ハキム、チャック・ローブ、ボブ・ジェームスなんていう。ジャズ系ミュージシャンの紅白歌合戦状態なわけです。

サウンドも最高ですが、旋律、メロディもカッコ良くて、バップフレーズによく出てくる進行が現れて、唸ったりすることがしばしば。

歌の方は、私は門外漢なので良くわかりませんが、このアルバムはいいのかもしれません。別のアルバムでは、別の評価になるかも。

やっぱり、こうしたサウンドを作り出す古内東子の審美眼とか趣味が素敵だ、と思います。

私は歌を聞く時には歌詞を聞くことができません。どうもサウンド全体か、ベースラインを聞いていることがおおいです。なので、古内東子が恋愛の教祖などと讃えられているようですが、私の場合、歌詞よりもサウンドのほうが重要なようで、どうもそちらの方はあまり気になりません。

まあ、古内東子を聞いて勉強するのはありだと思います。

続くかもしれません。。

Jazz,Music

昨週に引き続き角松な日曜の夜です。

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中川英二郎と本田雅人のバトルが見られるなんて幸せですよ。。

あとはですね、中村キタロー氏のベースがいいっす。

http://mambaboo.org/Pkitaro.html

ベースもドラムもツーメン体制で、曲によって入れ替わるんですが、中村氏が入ると、途端にサウンドが引き締まり、グルーヴが、そうですね、誤解を恐れずに言うと、バーバリズム的躍動感を持って立ち上がってきます。

この方、杏里や久保田利伸のバックで弾いていたこともある方。

ACT1が終わるところで、角松が「ここまでは前座です」と言ってステージを去っていくんですが、確かにACT2も充実しすぎてる。

バンドのメンバー、顔しかめて演奏しているんですが、みんな楽しんでます。羨ましいです。

夏の終わりに本当に楽しめました。M先輩、ありがとうございます。

 

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それでは、フォースとともにあらんことを。

※ パルジファル、お忘れ無きよう。私は予約済みです。

Concert,Music

ベスト・オブ・スター・ウォーズ~ミュージック・アンソロジー~
ジョン・ウィリアムズ
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有楽町の国際フォーラムで、スター・ウォーズ・イン・コンサートを聴いてきました。

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エピソード1から6までを映像と生オケで堪能する二時間は今までのエンタテインメントとは違う楽しみでした。

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私のスターウォーズは1990年ごろから始まりましたので、リアルタイムではありませんが、エピソード4は飽きるほど繰り返しビデオで観ました。セリフは大分覚えていたので、今日流れた映像はどれも思い出深いものばかりでした。

ナレーションとして登場したのは、C3PO役のアンソニー・ダニエルズでした。アメリカのショウビズな感じで、ナレーションに応じた表情の付け方がうまくて、ああ、これがアメリカなんですなあ、と感心しました。

エピソード4とエピソード1の最後の表彰式に涙してしまうのはなぜでしょうかね。その後の苦難をしっているからなのでしょう、きっと。

しかし、東京フィルの方々、特に金管の方々にとって、この機会は垂涎だったのでしょう。私も臆面なく羨ましく思いました。

私は元木管ですけど。

昔、金管の友人と二人で万博記念公園でスターウォーズテーマを吹き続けた淡い思い出。と言うか、今回のコンサートは彼が見つけておしえてもらったんですけどね。

メインテーマはもちろんですが、レイアのテーマとか、ヨーダのテーマの美しさには舌を巻きました。涙出ますよ、この歳になると。チェロのフレーズ、ホルンのフレーズに弱いです。

ライトモティーフを使った、ワーグナーの楽劇の後継者の一人がこのジョン・ウィリアムズですからね。ちりばめられた材料がまぶしくて仕方がなかったです。

タトウィーンの酒場の音楽も演奏されましたが、あそこはジャズですよね。オケのメンバーだと思われますが、ジャズバンドを編成してうまいこと演奏していました。スチールドラムとかエラクうまいし、普通にコンバス弾いてた人が、4ビートのベースラインを刻んでいてたまげました。さすがオケ奏者ともなると何でも出来るんですね。。

今日はトランペットもホルンも全開でした。

ただ、PAを噛ませているので音質面は全体的に??でしたけれど。

 

最後は、スタンディングオベーションで幕切れとなりました。盛り上がりましたよ!

 

カミさんも楽しんでくれたようで良かったです。

 

ちなみに、ライトセーバーは使用厳禁です。

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本当に沢山の方がいらしていました。

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ジョン・ウィリアムズへの寄せ書きを書く人々。私も書きました。

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興味深いこと。休憩中トイレに並んだところ、私の前にいらっしゃったのはもっとも有名なあの国の駐日大使でした。あまりに至近距離でした。

 

では。フォースとともにあらんことを。

Jazz,Music

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はじめに

いやあ、独りで盛り上がりすぎました。Fourplayのライヴをブルーノート東京にて。
前にブルーノートに行ったのは1996年のことだったはず。まだ学生で、安い学生券を買って、マイク・スターン・トリオを観に行ったのでした。それ以来。
あまりに慣れない客だったのでしょう。受付の仕組みの予習をしきれず、あまり良い席に座れませんでしたが、独りで盛り上がり過ぎました。周りも相当盛り上がってましたが。

永遠の音楽少年たち

まったく、この4人は、永遠の音楽少年みたい。チャック・ローブも、ネイザン・イーストも、なんだか無垢な少年のように没頭して音楽になりきっていました。あれは、揺るぎない自信と技術のもとに現れる自由な「遊び」なんだろうなあ、と。
恥ずかしながら、いわゆるプロのジャズ系のライヴに行ったのは十年以上ぶりだったんですが、本当に驚きました。当たり前なんですが、CDと全く違うライヴのダイナミックスというのは、頭では分かっていたつもりでしたが、実体験としては不足していました。これは、クラシックのライヴで分かっていたことでしたが、ジャズでも当然同じ。
曲もアレンジが相当変えられていたし、ダイナミクスレンジが大きくて、CDで聴いていた曲とは違う曲を聴いている気分でした。
やっぱり、ライヴに行かないと駄目なんだなあ。
しかし、東京の音楽シーンって、改めてすごいと思いました。これは、もうあまりに贅沢すぎる大人の遊びっていう感じ。しばしの幸せ。仕事を忘れました。

表参道

表参道に行くのも久々で、街の様子が変わったなあ、と。すこしヨーロッパの風情に似ていて、面白かったです。これ、街並みの視覚的要素もありますが、街を歩いている人たちが、普段、あまり接することのない方々で、まるで同じ国の人とは思えないぐらいだったというのもあります。
良い刺激を受けました。毎日地下鉄で東京を縦断していますが、たまには地上に出ていろいろな空気を吸わないとなあ。ボブ・ジェームズぐらいの歳になっても、新しいテクノロジを受け入れられる柔軟さが必要だなあ、とか。
(ボブ・ジェームス、譜面をiPadに入れてました。「やっぱりプログラムは紙に出して読まないとだめだ」なんて、言っている私が恥ずかしくなりました)
まだまだやらないかんことが沢山です。

おわりに

最後、ボブ・ジェームズと握手しました。思ったより柔らかい手だったなあ。感動。
これから一生手を洗わないことにします。

Music

昨日は久方ぶりの友人とのみました。とある企業に勤めておられる古くからの友人です。
東京には発表で来たとのことで、急遽、帰宅間際にとある街のアイリッシュバーにてほんの小一時間を。いろいろ音楽の話ができて面白かったです。
たとえば、彼がオーボエを始めた話とか、最近、指導を受けている指揮者がすごいとか。
この指揮者の方、オケの練習で、ピッチとかテンポとか言わないらしい。全部メタファーで指導をこなすんだそうです。「そこは背筋を伸ばす感じで演奏しなさい」ということで、ピッチを補正する、みたいな。
これって、岡田曉生さんが「音楽の聴き方」で書いていたエピソードと同じだなあ、と。大指揮者の音楽を語るメタファ言語はすごいらしい。「相手と握手するとき、最初に産毛をさわるように演奏して!」とかいうらしい。
それから、「メトロノーム使って練習しちゃだめだ」というのもあるそうです。もちろん、アマチュアのオケに向けてだし、練度が十分ではないオケに向けた言葉なので驚きました。
これ、ちょっと興味深いです。
大学から社会人の若い頃にかけて、とあるバンドでサックス吹いていたんですが、毎週三時間みっちりメトロノーム漬けで練習していたんです。しかもメトロノームのクリックを裏拍でとってました。あまりにそんな練習していたんで、スタジオの壁に掛かっている丸時計の秒針の動きが緩慢に思えたりして。あるいは止まって見えたり。
1秒間の間に出来ることはたくさんあるんだなあ、とおもいました。
あれはあれですごく楽しかったんですが、そうじゃない方向もあったのかもなあ、と。そうなったら、どうなってたかなあ、などと。
友人曰く、その指揮者がくると、雰囲気ががらりと変わって、演奏がみるみるよくなって、良い状態で本番を迎えられるそうです。
「メトロノーム禁止」とかいうもんだから、最初は「何言ってるんだ?」と、友人はとても懐疑的だったのだそうですが、いまでは心酔している感じでした。
一度練習風景を見てみたいです。
結局ずるずると遅くまで語り合ってしまいました。アイルランドの黒ビールは苦みもあるけれど、サラリとした飲み口で、実にさわやかで、後味もすっきり。泡も柔らかく、最後まで消えることのないきめの細かさでした。おすすめです。
明後日はまた試験。嗚呼。

Jazz,Music

先日の続きです。久々に長文書いている気がします。

再発見

ジャズを聴き始めたあとに、杏里の「Boogie Woogie on Mainland」のライナーノーツを点検したのですが、そこに刻まれていたのは、ジャズ・フュージョン界で有名なミュージシャン達の名前でした。そのときは結構驚きました。
ポール・ジャクソン・ジュニアは、1992年に渡辺貞夫とツアーをともにしていたんですが、リトナーの後輩にあたるLAフュージョンのギタリスト。
それから、アレックス・アクーニャ。彼はウェザーに在籍していましたが、私が初めて見たのがこれもやはり1992年の渡辺貞夫のツアーでのこと。ロスを拠点に活動しているミュージシャンです。
ホーンセクションのアレンジは、あまたのアルバムのライナーに名前がでてくるラリー・ウィリアムズでした。
つまり、私が初めて受容できた「商業音楽」は、実はというかやはりフュージョン音楽だったのでした。それも極上のLAフュージョンのセッションミュージシャン達の音楽。杏里のアルバムなので、日本のポップスと思っていたのに違ったというわけです。
杏里のセンスはLAフュージョンに向いているのは間違いないでしょう。リー・リトナーとつきあっていた理由の一つとして挙げられると思います。嗜好の合わないミュージシャン同士がうまくいくのは難しいのではないかと思われるのです。

杏里の良いところ

だからといって、バックバンドだけが良いわけではありません。杏里の歌唱自体も好きだったりします。その理由はこんな感じでしょうか。
歌い方の面では以下の通り。
* 高音で音量を上げるところの、ロングトーンに揺れやブレがなく、素晴らしい。母音の発音が巧いのだと思います。
* フレーズの終わり方、微妙なビブラートをかけて、あまり引きずることなくそっと終わる。このあたりの潔いカッコ良さも魅力です。
* 絶妙なベンド処理。半音階以下のピッチの微妙な加減でフレーズが生き生きとしています。
* ピッチが良いのはいわずもがな。
気になることはいまのところ二つ。
* 少し気になるのは、たまにリズムフェイクの仕方が、演歌調になるところ。これは時代が降ると現れ始めます。
* それから、古いアルバムだとピッチが全体に下がっているんですが、これは、時代が降ると克服されています。
そう言う意味で言うと、デビュー直後の声と、80年代後半以降の声は全然違います。齢を重ねたからと思いますが、私は今の声が素晴らしいと思います。
楽曲の構成面でいうと、作曲している曲、転調が絡んだり、構成が単純じゃなかったりしていて、曲的に面白いです。単純なAABA構成じゃない。AABA|AABA|C|ABAみたいな。Cが入っているのが素敵すぎるんですね。
歌詞は、私はあまり聴かないんですが、最近聴きすぎていて、歌詞が入ってくるようになりました。80年代以降のバブルな感じ、トレンディドラマの題材みたいな歌詞で、聴いていてすこし面はゆい。セカンド・バージンとか流行ってましたが、その頃の世代が重なっているんだと思います。

Interestingなところ

他のポップシンガーもやっているかもしれないですが、ピッチをずらしてロングトーンを装飾するところが、サックス奏者のそれとよく似ていると思います。私もたまにやっていましたが、似ているなあ、と。
私がポップスのボーカル音楽を聴くことはほとんどないので、杏里以外の歌手との比較が出来ないので、偏狭な意見かもしれませんけれど。

私の音楽源流

今、記憶にある限りにおいては、杏里を聴いたのが、ジャズ・フュージョンに傾倒した私の源流となっているのは間違いないようです。これまでは、高校時代にT-SQUAREを聴いたから、と思っていましたが、どうやらその前に杏里があったらしいということ。さらに言うと、「BOOGIE WOOGIE MAIN LAND」の音作りであるLAフュージョンなんだろうなあ、と。

最後に

というわけで、先日の杏里コンサート以来、よく杏里を聴くようになりました。音源もだいぶんと入手しました。
名曲はまだまだあるみたいです。
たとえば、先日聴いたSolというアルバムには、めちゃ音の良いギターが聞こえるのですが、やはりリー・リトナーなわけですね。で、歌詞は別れる寸前の男女の物語だったりするわけで、なんともかんとも、