NNTT:新国立劇場,Opera

取り急ぎ。さきほどメールが届きました。すでに稽古は始まっているようですが、あたらしい出演者の方には感謝の気持ちとともに、期待したいと思います。ありがとう!

このたびの東日本大震災によって被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
新国立劇場2010/2011シーズンオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」
(ダミアーノ・ミキエレット演出 新制作)公演は、大震災後の原子力災害による
自身の健康への懸念から、現在の日本に長期滞在することが困難であると決断した3名
(P.カリニャーニ、A.サムイル、D.コルチャック)及び体調不良者1名(E.ツァラゴワ)が
降板を申し出たため、指揮者及び出演者を以下の通り変更して上演いたします。
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます
◆ 「コジ・ファン・トゥッテ」新出演者 ◆
【指揮】
パオロ・カリニャーニ → ミゲル・A.ゴメス=マルティネス
【フィオルディリージ】
アンナ・サムイル → マリア・ルイジア・ボルシ
【デスピーナ】
エレナ・ツァラゴワ → タリア・オール
【フェルランド】
ディミトリー・コルチャック → グレゴリー・ウォーレン
【変更なし】
ドラベッラ役ダニエラ・ピーニ
グリエルモ役アドリアン・エレート
ドン・アルフォンソ役ローマン・トレーケル

NNTT:新国立劇場,Opera

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おー、これは素晴らしい。私は早速申し込みました。
5月29日が初日の新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術についてのイベントです。
“http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001454.html":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001454.html
今回の「コジ」は周辺イベントが充実しているなあ。
# オペラトーク(5月15日)
# カバー歌手による演奏会形式「コジ・ファン・トゥッテ」演奏会(5月15日)
# 舞台美術イベント(5月28日)
本当は、演奏会形式の「コジ」も行きたかったのですが、別の演奏会のチケットを譲っていただいていたので、やむなく見送り。それが残念。オペラは準備をすればするほど楽しめます。凄くたのしみ。

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

連休のこと

はやいものでGWもあと1日です。とはいえ、7日にはまたお休みとなります。ただし、休みは休みでやることはたくさんありますけれど。
5月2日は徹夜で仕事をして、帰宅は5月3日の早朝7時前ごろ。早朝の電車というのは、恐ろしいものがあって、酔っぱらいが徘徊しているし、なぜかガチャピンの着ぐるみを着ている人がいたりと、なかなかに刺激的でした。それから、私のおくさまの友人が来訪して楽しいひととき。
今日はわたくしの両親の家へと出かけました。久々にワインを飲みました。美味しかった。。。

コジ予習中

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今日は、引き続きコジ・ファン・トゥッテの予習をしています。アルノルト・エストマンが指揮をするドロットニングホルム宮廷歌劇場での録音です。ドロットニングホルムは、スウェーデンの都市です。自然に囲まれたところで、私の記憶では、現在のスウェーデン国宝であるカール16世グスタフは、子供のために、ストックホルム市街の王宮とドロットニングホルムの宮廷の両方を使い始めたのだとか。上の写真はドロットニングホルムの写真です。
指揮者のアルノルト・エウストマンはスウェーデンのマルモ(マルメ?)に生まれた方。エストマンは、古楽オペラの発掘などをしていたようですが、1979年からドロットニングホルム宮廷歌劇場の総支配人と音楽監督に就任したとのこと。古楽的な爽快さは疑いようもありません。こういうサウンドも実に新鮮に感じます。
あとは、デイヴィス指揮にてコヴェントガーデンで録音した音源も入手済みです。こちらも予習しないと!
こちらはおまけ。ストックホルムの王宮で行われる衛兵の交代式の様子です。
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Opera,Photo,Wolfgang Amadeus Mozart

大型連休に突入しました。
私のゴールデンウィークは、カレンダー通りと言えばカレンダー通りですが、少し変わっています。明日2日は会社に行きますが、なぜか夜勤で、徹夜の見込みです。仕事柄、年に一度はやりますので、毎年のことです。今年もレッドブルを持ち込んで、頑張ります。
というわけで、夜型に変えますので今日は夜更かしをして、明日は寝坊の予定。感覚的には金曜日から木曜日までの7日間、別スケジュールで動きますので、少し得した気もします。
さて、連休前半は、故あって埼玉県新座市の平林寺に行ってきました。ここは、松平信綱にゆかりの臨済宗のお寺です。武蔵野台地にあって、いまだに広大な土地を持っていて、かつての武蔵野の雑木林の風情が味わえるところです。
松平信綱といえば、島原の乱を鎮圧した切れ者の老中です。二千石の旗本の家から大名にのし上がった男で、「知恵伊豆」呼ばれたとか。江戸時代にもこうした出世物語があるものですね。
ここはしだれ桜や紅葉が有名ですが、新緑がみずみずしくて、大変癒されました。
驚くべきことに、このお寺には、あの秀吉子飼いの増田長盛の墓所があります。また武田信玄の娘の見性院の墓所らしきものも。WIKIには、別のお寺の名前がありますが。

新座市、清瀬市、東久留米市のあたりは、人口が増えて、どんどん畑や雑木林が減っているそうですが、まだまだ自然が残っています。少し嬉しいです。
今日は、コジ・ファン・トゥッテの音源を3つも入手できました。デイヴィスがコヴェントガーデンで振った盤、エストマンがドトットニングホルムで振った盤、それからモラルトがウィーンで振ったモノラル盤。早速エストマンが振った盤を聴いていますが、これまで聴いていたムーティーと全く違う音作りで、序曲を聴いたときにはコジとはわからなかったぐらいです。

NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner,TokyoRing

幼い頃からの夢ないしは目標は、おそらくはこの長大なオペラを聴くことにあったと思います。
19世紀後半以降のクラシック音楽の趨勢を決めた天才作曲家のリヒャルト・ワーグナー。彼の作曲した数あるオペラの中でも、記念碑的な作品である「ニーベルンクの指環」は、4つのオペラを組み合わせた長大なもので、上演に4日間かかるという大作です。作曲には26年の長い期間が費やされ、1867年に、ワーグナー専用のオペラハウスであるバイロイト祝祭劇場で初演されました。
私は、幸いにも、2009年3月から2010年3月にかけて、東京初台の新国立劇場で上演された「ニーベルンクの指環」の実演に触れる機会を持つことが出来ました。そのときの驚きは、当時書いていたウェブログにまとめられていて、今でも時折読み返して、当時の感動と興奮を追体験しています。
ウェブログの過去文書は、そのままでは振り返ることが難しいです。ここでは、ヴァルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏の3曲に絞ってまとめ直し、新国立劇場での公演を振りかえってみたいと思います。
つづく

Music

ヤノフスキのリング抜粋版を聴いていましたが、どうも音が今ひとつに感じていました。iPodとBOSEのクワイエットコンフォートの組み合わせです。いままでそんなに悪いとは思わなかったはずなのですが。
それで、帰宅してPCにゼンハイザーのHD600というヘッドフォンをつないで聴いていたんですが、これで聴くとかなり音がイイ。そもそも、このHD600って、まだ若くてバブルだった頃にボーナスで買った代物で、たしか5万円ぐらいしたと思います。低音から高音までまんべんなくクリアな音が出るもので、買った当初はのけぞっていました。今は、HD650という上位機種となっているようですが、ずいぶん値が下がっています。
その後、オーディオに投資する予定もありましたが、今まで実現していません。ハードウェアより、実演の方が良いなあ、と。でも、こっちのほうが贅沢かもしれませんけれど。でも、ずいぶんと素晴らしいスピーカーを見つけて、買う寸前まで言ったりしました。PIEGAというスピーカーでした。影のない女を聴いていたんですが、音が三次元でした。あれは忘れられない。
思うに、私のような借家住まいで、夜中しか自宅に居られないサラリーマンには、音量を上げてステレオを愉しむなんてできない相談です。それよりも、ヘッドフォンにお金をかけて、通勤時間や夜中に一人で音楽を聴くことが喜びになります。

Jazz

えーっと、今日はこんな気分です。
Some Skunk Funk !

* この音源のリヴァーヴ感はたまらん。
* マイケル、めちゃ音イイ!
* ライヴだから、走る走る。
* 20年前、ジャズ研の合宿で、夜中に布団かぶってみんなで観て興奮したのを思い出す。
* デニチェンのバスドラカッコイイーーーー!
* ウィッティのシンセ、時代を感じさせるレトロな音。
いろいろと立ち上げ準備中。時間がかかるが、少しずつやろうと思います。
物欲もそろそろ臨界へと近づきつつある。ホウ酸を大量に飲みたい気分です。

Tsuji Kunio

最近、どうにも齢を重ねたらしく、今まで見えなかったものがずいぶんと見通しよく見渡せるようになりました。
それとともに、辻邦生の作品への理解の質的変化を感じています。昔は、確かに理解していたかもしれません。ですが、今は理解を超えた理解になっている気がする。頭で分かっていたものが、腹の底から分かった、という感じ。
辻邦生の嵯峨野明月記で、本阿弥光悦が加賀の国へと出かけた歳に、海岸に立つシーンがあったと思います。あそこでは、打ち寄せる波の連続が、世の為政者の不断の変遷が、なんらの必然性を伴うことなく繰り返されるという、ある種の諦念の感覚だったのですが、なんだかずっしりとその考え方と一体化した感じです。
それから、俵屋宗達が行った「世の中は背理である。そこにあるのは哄笑だけなのだ」というセリフ。ずいぶんと心の中に残っていますが、今までとは違って腹の底にしっかりと座っている感じです。私も歳食ったんですねえ。
それから、同じく辻邦生「嵯峨野明月記」の以下の部分。

歳月の流れというどうにもならぬものの姿を、重苦しい、痛切な気持で認めることにほかならなかった。しかしだからと言って、そのゆえに行き、悩み、焦慮することが無意味だというのではない。そうではなくて、それは、むしろこの空しい思いを噛みしめることによって、不思議と日々の姿が鮮明になり、親しいものとなって現れてくる、といった様な気持だった。(中略)すべてのものが深い虚空へ音もなく滑り落ちてゆく、どうすることも出来ぬこの空無感と、それゆえに、いっそう息づまるように身近に感じられる雲や風や青葉や光や影などの濃密な存在感とに、自分の身体が奇妙に震撼されるのを感じた。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、210頁
なんだか、いろいろ分かってきた感じです。

Alban Berg


このネタは、有名な話で、きっとご存知の方が多いと思いますが、興味深いので書いてみます。
いまから25年前の、1986年8月17日、イギリスのオブザーバー紙に掲載されたエピソードです。
どうやら、アルバン・ベルク夫人であるヘレーネ・ベルクは、オーストリア皇帝フレンツ・ヨーゼフの庶子なのではないか、という説があるのだそうです。ヘレーネの母親はアンナと言いますが、どうやら、1875年5月8日に、公園を散歩中のフランツ・ヨーゼフと出会い、皇帝の心を奪ったらしいのです。それも、アンナは、どうやらフランツ・ヨーゼフと出会うために、わざわざ皇帝の散歩の時間を見計らっていたのだとか。アンナは当時15歳。したたかすぎます。今時の女子高生と同じです。
私は、「失われた時を求めて」で主人公がゲルマント夫人と出会えるようにわざと散歩をしていた、というエピソードを思い出しました。アンナはどうやら「ゲルマントの方」への鍵を手に入れたようです。
フランツ・ヨーゼフの皇后は、19世紀末の欧州の王族の中で最も美しいとまで言われたエリザベートですが、エリザベートはウィーン宮廷の雰囲気になじめず、旅に出ることが多かったようです。皇帝は皇后を愛していましたが、皇后は留守がちであったそうです。が故に、皇帝は愛人を囲った、あるいは囲えたのでしょうか。
アンナは皇帝との間に二人の子供をもうけました。一人はヘレーネ、もう一人は、皇帝と同じ名前を持つフランツ・ヨーゼフ。アンナは、皇帝の計らいで、フランツ・ナホヴスキーという男と結婚しますが、これも皇帝の計らいでフランツはガリシアへの長期出張を強いられたのだとか。
結局、愛人を作るような男は、飽きっぽいと見えて、皇帝は別の女性に惚れてしまい、アンナとの関係を清算することになります。
アンナと皇帝の娘とされるヘレーネ、はアルバン・ベルクと結ばれることになりますが、もう一人の庶子であるフランツ・ヨーゼフはどうなったか? 彼は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の生誕100周年式典で、皇帝の棺に自分の切断した小指を置くという行為に走り、精神病院に収容されてしまいます。
この「ヘレーネ・ナホヴスキー・ベルクはフランツ・ヨーゼフ皇帝の庶子である」という事実は、フォルカー・シェルリースによる「アルバン・ベルク──生涯と作品──」(1985)の邦訳に付け加えられた宮川尚理氏による「追記」において、「皇帝の私生児であることがほぼ確認されている」(245ページ)と言及されており、また日本アルバン・ベルク教会により1986年に出版されたベルク年報(1986)においても、オブザーバー紙のハードコピーとともに掲載されています(92ページ)。
私は、アルバン・ベルクの音楽も大好きですが、それ以上に、彼の人生を巡る数々の妖しく不思議な挿話にも興味をそそられます。ベルクの陰惨で妖艶で怜悧な音楽を聴く度に、なにか不安な気分になり、それがまたなにかしらの快感を覚えずには居られないのは、こうしたベルクにまつわる挿話があるから。
これらの挿話は、至る所で取り上げられていますが、折を見てこの場で紹介したいと思います。
※ 画像は、シェーンベルクにより描かれたヘレーネ・ベルク。