なんだかすっかりご無沙汰してしまいました。先々週、「夕鶴」を観た後の私は、アルバン・ベルクと「ヴォツェック」についての英作文を試みながら、エルガーの交響曲第二番、チェロ協奏曲にかかりっきりでした。エルガーも日本語にまとめないとなあ、などと。
最近つとに思うのは、ブログに書いたものが残らないなあ、ということ。世の中にはBLIKIという造語もあるそうですが、WikiとBlogが融合したコンテンツができないかと思案中です。その前に、このMovabletypeの重さをどうにかしないといけない。そのためにはサーバーを変えないといけない。できるんだけど、優先度は下げざるを得ない。辛いところです。
などといいながら、今日の私の通勤のお供はFourplayでした。ボブ・ジェームス、リー・リトナー、ラリー・カールトン、ネイザン・イースト、ハーヴィー・メイソンという米国ウェストコースト系の偉大なジャズメンが繰り広げる脅威のフュージョンサウンド。結成当時の20年前は、なんだか物足りなさを感じていたのですが、今はもうこういう音作りのほうが落ち着くようになってしまいました。
昨日、仕事でコーディグしながら聴いていたんですが、そりゃもう癒されたのなんのって。フュージョンといっても、20年前に流行ったT-SQUAREのような派手さはないし、Brecker Brothersのような激しく身もだえするようなものでもない。かといて、スムース・ジャズのよりも厚みがあるのです。スムース・ジャズの特徴の一つは極度なまでのインプロヴァイズへの依存にあるそうですが、Fourplayは、楽曲の構成や和声などのアンサンブルもきちんと考えられているし、PAだってすばらしい。
2010年にラリー・カールトンが脱退してチャック・ローブが加入したらしい。っつうか、これ、全部追いかけよう。
* Fourplay (1991) Warner Bros.
* Between the Sheets (1993) Warner Bros. ○
* Elixir (1995) Warner Bros.
* Best of Fourplay (1997) (Best edition) Warner Bros.
* 4 (1998) Warner Bros. ○
* Snowbound (1999) Warner Bros.
* Yes, Please! (2000) Warner Bros. ○
* Hearfelt (2002) Bluebird/Arista ○
* Journey (2004) Bluebird/Arista ○
* X (2006) Bluebird/Arista ○
* Energy (2008) Head Up
* Let’s Touch the Sky (2010) Head Up
そうそう、この週末からEWIを再開しました。楽しい。12音階のスケール練習をして、インプロヴァイズごっこをして遊びました。
今日は雪です。ボエームの三幕を聴いているところ。カラヤン&パヴァロッティの定盤にて。明日の出勤が心配です。
Fourplayのことなどなど。
新国立劇場「夕鶴」
今朝は7時頃起床し、8時半に所用のため新宿へ。午前中で仕事を済ませて、久方ぶりにジュンク堂に行ってみたのですが、あれだけたくさんの本を前にすると、幸福感と焦燥感、双方とも激しく亢進してしまいました。何冊かお目当ての本があったのですが、どれも分厚いので今回はパスしました。
東京の空は真っ白で、昨日までの快晴つづきも一休み。でもすごく寒い。立春を過ぎているから、もう春なのだし、どうやら各地の梅も咲き始めているようで、じわりと春の足音が聞こえ始めているけれど、春ほど憂鬱な塵芥に包まれる季節もありません。
「夕鶴」、昨日から二度ほど通しで聴いていますが、素直に読めばどうしたってキャピタリズムへの批判となってしまいます。それを超える読み替えは可能なのか、としばし考えてみたり。これをファンタジーとして捉えるのは、よっぽど心配がないか、よっぽど脳天気か、のどちらかであろう、などと、少々不遜な考えもよぎるぐらいです。
- つう:腰越満美(ソプラノ)
- 与ひょう:小原啓楼(テノール)
- 指揮:高関健
- 管弦楽:東京交響楽団
腰越さんは、昨年の「鹿鳴館」で聴いたので、今回が聴くのが二回目でした。ピッチはもちろん豊かさも併せ持つ方。「鹿鳴館」は中劇場でしたが、今回はオペラパレスですので、声の感じが少し違って聞こえました。やや中高音域が鋭く聞こえました。 与ひょうの小原さんも立派でした。
演出は栗山民也で、新国のオペラでは「蝶々夫人」の演出も手がけています。がゆえに、今回の「夕鶴」の舞台演出には既視感がありました。家は舞台の手前に土台が設えてあることで表現され、舞台の奥からぐるりと回るようにして登場人物が登場します。「蝶々夫人」ではピンク色の桜吹雪が舞台を覆いましたが「夕鶴」では吹雪が舞台を覆い尽くしていました。舞台奥のスクリーンがモティーフとして使われているのも同じで、「蝶々夫人」では星条旗が掲げられていましたが、「夕鶴」ではつうの昇天がライティングで表現されていました。
ストーリー的には、「蝶々夫人」でしょうか。辻作品で言うと「時の扉」。いずれも男の体たらくが女性を裏切り傷つけ死に至らせしむというもの。悲痛です。
しかし、つうの嘆きは、与ひょうへの嫉妬なのか、与ひょうが経済至上主義へと絡め取られていくことへの反抗なのか。秀逸な仕掛けは、つうは、金儲けの言葉を理解できない、という仕掛け。これは面白いです。経済至上主義が悪いとは言いませんが、良いとも言えない。、たまにはこういう作品を見て、振り返ってみるのも良いかもしれません。ただ、つう側のことを、最近は負け組と言うらしいですよ。なんて。
團伊玖磨「夕鶴」予習中
明日は、新国立劇場で「夕鶴」を見る予定です。言うまでもありませんが、念のためあらすじなどを。
このオペラ團伊玖磨により1952年に作曲されました。もとは木下順二の戯曲でいわゆる「鶴の恩返し」が下敷きです。この話は小さいころに何度も何度も聞かされましたね。鶴を助けた老夫婦のもとに若い娘が訪れ、機織をして立派な布を作るのですが、老夫婦には、絶対に機織をしている部屋をのぞかないように、と告げるのですね。老夫婦はこの布を売ったおかげで長者になりますが、ある日、とうとう我慢できなくなり機織部屋をのぞいてみると、そこには鶴がいて、自分の羽を布に織り込んで布を織っていたのでした。約束が破られたがゆえ、鶴は名残惜しくも去っていく、というお話。
オペラ版は戯曲を一言一句たがわぬよう作られているようです。ストーリーは、鶴の化身であるつうがすでに与ひょうのもとに嫁いでいて、、つうの織った布がすでに金蔓になっていることところからはじめまっています。また、つうが鶴の化身であるという示唆がちりばめられていて、最初から不幸な結末を暗示しているようです。そこが、通史的な民話とは少し違っています。
木下順二の戯曲には貨幣経済や経済至上主義への批判がこめられているようです。いつも思うのですが、こうした演目が劇場で公開されることの意味とは何か? ということ。おそらくは、これも純粋なファンタジーとして受容されるのでしょう。そうでない字義通りに受け止めるという受容の方法もあります。ともあれ、芸術作品の持つ偉大な力と、かたや何をもなしえないという非実践性、この二つの乖離が残念でなりません。
つうが、与ひょうが変わっていってしまう、と詠歎するところは涙ぐみます。ただ、日本語を西洋音楽へ乗せることの難しさというものも改めて理解しました。
木下順二の戯曲には貨幣経済や経済至上主義への批判がこめられているようです。いつも思うのですが、こうした演目が劇場で公開されることの意味とは何か? ということ。おそらくは、これも純粋なファンタジーとして受容されるのでしょう。
新国立劇場 2011年/2012年公演ラインナップ
相当周回遅れですが、2011年/2012年新国立劇場ラインナップをまとめてみました。
2011年
10月:イル・トロヴァトーレ(新制作)
10月:サロメ ★
11月:ルサルカ(新制作) ★
12月:こうもり ★
2012年
1月:ラ・ボエーム
2月:沈黙(新制作)
3月:さまよえるオランダ人 ★
4月:オテロ
4月:ドン・ジョヴァンニ
6月:ローエングリン(新制作) ★
★は、私的に楽しみなものたち。やはり、ドイツ系になってしまう。
新制作は2010年/2011年シーズンと変わらない4作品ですが、なぜか少しさびしい気がいたします。私の大好きなリヒャルト・シュトラウスは1本、ワーグナーは2本とこちらも少しさびしい。再演のラインナップもすこしサイクルが早い気がします。ドン・ジョヴァンニもオテロもこうもりもついこのあいだ見た気がします。
やはり、新制作となると経済面できついのでしょう。でも、せっかくソフトもハードもよくなってきたのだから、なんとか冒険をしてほしいものです。
ブログ消失の危機を乗り越えた
短いエントリー。
うーむ。危なかった。
なんだか、サーバー側の不具合らしく、MySQLのデータベースがごっそり消えてしまうと言うアクシデントに遭遇してしまいました。幸い、このブログのバックアップを直前にとっておいたので、ブログ消失の危機は免れました。バックアップ、こっちも毎週とるべきでした。反省。
2009年の新国「ヴォツェック」の映像をみて、身につまされる思いをしています。
いま、ヴォツェックについての記事を書いているところです。少しずつ出していこうとしています。くわしくはそちらを。
今日は、なんだか決定的な一日でした。なんだか迷いが吹っ切れた感じ。
珍しくもSwing Out Sisterなど
ふう。何とか週末にたどり着きました。週末もタスクが多いのは周知。特に土曜日はひどい。で、来月からはさらにタイトになる。とほほ。
今月から、英会話の先生が交代となりました。ニュージーランド出身のMikeという方で、私より年が上だと思うのだが、最近二年間ほど大学に通ってメディア論を学んでいたらしい。その授業の中で「ピーター・グライムス」と「魔笛」について学んだとのこと。今度は気が合いそうな方でうれしい限りです。
最近、NHK-FMを聴くことが多くなりました。昨夜は、夕方から深夜までかけっぱなしでした。18時からはなんだか高校生がDJをやるんだが、うまくいかなくて痛々しい感じ。でも、数年ぶりにSwing Out Sisterを聴けたのはうれしかった。実はすごく好きなのです。
21時からの吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」ハイドンスペシャルです。22時からのラジオドラマも面白かった。中学生の頃、やたらに「青春アドベンチャー」ばかり聴いていた時代がありましたが、その頃のことを思い出しました。ラジオドラマは映像の押し売りがなくて良いです。23時からは辛島文雄が出てきて二時間ほどジャズな感じ。最後に辛島さんが弾いたソロピアノは、少しひねりがきいたコードの使い方でしたが、素晴らしかったです。結構やられているコードの当て方ではありましたが、かっこよかった。
それで、今日はSwing Out Sister。先ほども触れたように、FMで流れていたのを聴いたんですが、一瞬、リー・リトナーとデイブ・グルーシンの「ハーレクイン」というアルバムの曲なのか、と思ったんですが、ウェブで確認して、得心した次第。
Swing Out Sisterは、1986年に結成されまイギリスのバンド。最初は男二人に女性ボーカル一人、というドリカム的な編成でしたが、その後一人脱退して、メンバーは二人に。これもまさにドリカム的。日本でブレイクしたのがきっかけで大きく羽ばたいたらしい。なんだかシャカタクにも似た経歴です。シャカタクもイギリスのバンドですので。
ヴォーカルのコリーン・ドリュリーは、音域的にはメゾソプラノか。そんなに技巧的というわけでもないけれど、清涼感のあるサウンドにマッチしている。私が最もすごいと思うのは、ディレクターなんだろうなあ。絶妙なリヴァーヴ感を保った一貫した音作りが素晴らしい。インコグニート的でもある。車に乗りながら聴いたりすると良いのではないか、と思います。ちょっと試してみよう。手元にライナーがないので、だれが音を作っているのか今は分からない。調べてみよう。
Swing Out Sisterを聴いたきっかけは、弟が何枚もCDを持っていたので、聴かせてもらったことから。弟と私は大学が同じで、二年間ほど学生寮の隣部屋で生活しておりました。楽しい二年間でありました。
そうそう、逢ったイギリス人みんなに「シャカタクって知っている?」と聴くんですが、全員「知らないよー」とおっしゃる。じゃあ、Swing Out Sisterはどうなんだろう? 今度聴いてみよう。
幼き記憶
幼きころ、つまり2歳から4歳ごろに、広島市に住んでいたことがありました。広島を訪れたのはそれ以来ですのでもう四半世紀以上ぶりということになりましょうか。
記憶違いというものはいくつかあるもので、当時から走っているはずのバスの塗装の色が幼き日々の記憶よりもくすんでみえたり。一番ショックだったのは厳島神社に行ったときのこと。小さいころはもっと広大な社殿だったと思ったのですが、いざ訪れてみると以外にこじんまりとしていて拍子抜けをしてしまったりもしました。
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それから、原爆ドームもすごく小さく思えました。あのころは聳え立っているぐらいのイメージだったのでけれど。
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とはいえ、ほんの1年半ほど通った幼稚園を車窓から見つけたり、路面電車のデザインが変わっていなかったりと、幼いころの記憶の強靭さも再確認しました。
尾道市立美術館の思い出
もう2ヶ月たってしまいましたが、広島のこと。
尾道は実に素敵な町でした。坂道と海があれば、それだけで詩になりそう。やはり文学者にも人気ですし、映画やドラマの舞台にもなっています。
なにはともあれ、一番嬉しかったのが安藤忠雄が増築を設計した尾道市立美術館でした。
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私は建築学には疎いのですが、お世話になったYご夫妻の奥様からうかがったところによると、安藤忠雄の建築は水の処理が巧いのだそうです。雨水の処理を間違えると、壁が水で汚れたりするものなのだそうですが、安藤忠雄の建築はそれがない。言われてみれば、水垢などで汚れたところは少しもないのですね。奥深いものです。安藤忠雄が増築した部分は、コンクリートが打たれた幾何学的なもので、色調はコンクリートにあわせてグレーにまとめられている。増築部分はほんの少ししかありませんが、それだけで、建物全体の印象が引き締まり、見ているだけで幸福な気分です。
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美術館の展示室には万国共通の匂いがあると思います。床に塗られたニスの匂いなのか、油絵が発する絵剤の芳香なのか。あるいは、絵画のもたらすアウラの香りなのか。
尾道市立美術館でもやはり同じ匂いを感じて、それだけで幸せな気分になりました。二回には画集がたくさんおいてあって、安藤忠雄の建築に囲まれて、窓からはしまなみ街道の吊橋などの瀬戸内の絶景が見られるという極めて贅沢な環境です。
ここで働ける方は幸せだろうなあ、と展示室で感想を話していたら、係りの方がそれをきいて、とても嬉しそうにほほえんでいらっしゃいました。
マルクス・シュテンツの「復活」
いやあ、今日のN響アワーは面白かった。マルクス・シュテンツの「復活」。聴いたことのないテンポ操作で、結構驚きました。観て良かった!
第4楽章のパーカッションの使い方に心を打たれた感じ。ティンパニーとドラムをあそこまで引っ張られると、完全に曲が変わってしまうぐらいインパクトがあってすごかったです。N響、追随しきれていなかったところもあったけれど、指揮者の意図はよく伝わってきました。良い演奏でした。
「復活」は、何度も書いているかもしれませんが、思い出深い曲であるがゆえに、実に感慨深い。第四楽章のフィナーレのところに心打たれたのはもう四半世紀前のこと。今聴いてみると、なんだか慣れてしまった感がありましたが、今日は久々に、初めて聴いた時のことを思い出しました。あのときはあり得ないぐらいに私のゾレン(should)にフィットしていて驚愕したんですよ。アプリオリに知っていたと感じた瞬間でした。
時々そう言うことがあります。初めて聴いたのに知っている気分になるときというのは。1998年にオペラシティでリームを聴いた時もそう思いました。
まだまだ素晴らしいものがあるはず。くたばってはおれません。
ドイツ語のトゥーランドット
そろりと、部屋の片付けをしようと言うことで、数あるCDのなかから、今ひとつなものを売ろうかなあ、と選別をしていたのですが、何年も前にかった少し怪しげな海賊版とおぼしきCDを売ろうか売るまいか、すこし悩んでいました。
それが、このショルティ指揮のトゥーランドットで、録音は1956年5月19日にケルンにて録音されたもの。そしてこれ、歌詞がドイツ語です。まあ、昔はオペラは上演する国の言語で演奏されるのが常でしたので、そうそう珍しい話ではありませんが。カラフがPadre! Mio padre! と歌うところはVater mein Vaterになっていて、「誰も寝てはならぬ」はKeiner schlafeになっている。すごく面白い。
で、このCD、買った当時は相当録音が悪い! という印象で、死蔵していたのです。今回、このCDを手放すかどうか少し悩んだので、念のためもう一度聴いてみました。
そしたら、めちゃ、面白いんですね、これが。録音は決してよくはありません。でも、若きショルティの爆発的なパワー炸裂で、サウンドも分厚くて、カミさんといっしょに「凄いね!」 と感心していました。
買った当時は、たしかショルティの破壊力をして、トゥーランドットがどう料理されるのか、興味があって買ったんですが、数年越しでようやく堪能できたという感じです。ショルティは一般的な評判は悪いのですが、私にしてみると、マーラーやブラームスを教えてくれた師匠だったりするので、そう無下にもできないのです。
- 指揮:ゲオルグ・ショルティ
- トゥーランドット:クリステル・ゴルツ
- カラフ:ハンス・ホップフ
- リュウ:テレサ・シュティッヒ=ランダール
- ケルン放送交響楽団
- ケルン放送合唱団
- フンボルトギムナジウムケルン少年合唱団