Miscellaneous

短いエントリー。

うーむ。危なかった。

なんだか、サーバー側の不具合らしく、MySQLのデータベースがごっそり消えてしまうと言うアクシデントに遭遇してしまいました。幸い、このブログのバックアップを直前にとっておいたので、ブログ消失の危機は免れました。バックアップ、こっちも毎週とるべきでした。反省。

2009年の新国「ヴォツェック」の映像をみて、身につまされる思いをしています。

いま、ヴォツェックについての記事を書いているところです。少しずつ出していこうとしています。くわしくはそちらを。

今日は、なんだか決定的な一日でした。なんだか迷いが吹っ切れた感じ。

Jazz

ふう。何とか週末にたどり着きました。週末もタスクが多いのは周知。特に土曜日はひどい。で、来月からはさらにタイトになる。とほほ。

今月から、英会話の先生が交代となりました。ニュージーランド出身のMikeという方で、私より年が上だと思うのだが、最近二年間ほど大学に通ってメディア論を学んでいたらしい。その授業の中で「ピーター・グライムス」と「魔笛」について学んだとのこと。今度は気が合いそうな方でうれしい限りです。

最近、NHK-FMを聴くことが多くなりました。昨夜は、夕方から深夜までかけっぱなしでした。18時からはなんだか高校生がDJをやるんだが、うまくいかなくて痛々しい感じ。でも、数年ぶりにSwing Out Sisterを聴けたのはうれしかった。実はすごく好きなのです。

21時からの吉田秀和さんの「名曲のたのしみ」ハイドンスペシャルです。22時からのラジオドラマも面白かった。中学生の頃、やたらに「青春アドベンチャー」ばかり聴いていた時代がありましたが、その頃のことを思い出しました。ラジオドラマは映像の押し売りがなくて良いです。23時からは辛島文雄が出てきて二時間ほどジャズな感じ。最後に辛島さんが弾いたソロピアノは、少しひねりがきいたコードの使い方でしたが、素晴らしかったです。結構やられているコードの当て方ではありましたが、かっこよかった。

それで、今日はSwing Out Sister。先ほども触れたように、FMで流れていたのを聴いたんですが、一瞬、リー・リトナーとデイブ・グルーシンの「ハーレクイン」というアルバムの曲なのか、と思ったんですが、ウェブで確認して、得心した次第。

Swing Out Sisterは、1986年に結成されまイギリスのバンド。最初は男二人に女性ボーカル一人、というドリカム的な編成でしたが、その後一人脱退して、メンバーは二人に。これもまさにドリカム的。日本でブレイクしたのがきっかけで大きく羽ばたいたらしい。なんだかシャカタクにも似た経歴です。シャカタクもイギリスのバンドですので。

ヴォーカルのコリーン・ドリュリーは、音域的にはメゾソプラノか。そんなに技巧的というわけでもないけれど、清涼感のあるサウンドにマッチしている。私が最もすごいと思うのは、ディレクターなんだろうなあ。絶妙なリヴァーヴ感を保った一貫した音作りが素晴らしい。インコグニート的でもある。車に乗りながら聴いたりすると良いのではないか、と思います。ちょっと試してみよう。手元にライナーがないので、だれが音を作っているのか今は分からない。調べてみよう。

Swing Out Sisterを聴いたきっかけは、弟が何枚もCDを持っていたので、聴かせてもらったことから。弟と私は大学が同じで、二年間ほど学生寮の隣部屋で生活しておりました。楽しい二年間でありました。

そうそう、逢ったイギリス人みんなに「シャカタクって知っている?」と聴くんですが、全員「知らないよー」とおっしゃる。じゃあ、Swing Out Sisterはどうなんだろう? 今度聴いてみよう。

Hiroshima2010

幼きころ、つまり2歳から4歳ごろに、広島市に住んでいたことがありました。広島を訪れたのはそれ以来ですのでもう四半世紀以上ぶりということになりましょうか。

記憶違いというものはいくつかあるもので、当時から走っているはずのバスの塗装の色が幼き日々の記憶よりもくすんでみえたり。一番ショックだったのは厳島神社に行ったときのこと。小さいころはもっと広大な社殿だったと思ったのですが、いざ訪れてみると以外にこじんまりとしていて拍子抜けをしてしまったりもしました。
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それから、原爆ドームもすごく小さく思えました。あのころは聳え立っているぐらいのイメージだったのでけれど。
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とはいえ、ほんの1年半ほど通った幼稚園を車窓から見つけたり、路面電車のデザインが変わっていなかったりと、幼いころの記憶の強靭さも再確認しました。

Hiroshima2010

もう2ヶ月たってしまいましたが、広島のこと。
尾道は実に素敵な町でした。坂道と海があれば、それだけで詩になりそう。やはり文学者にも人気ですし、映画やドラマの舞台にもなっています。
なにはともあれ、一番嬉しかったのが安藤忠雄が増築を設計した尾道市立美術館でした。
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私は建築学には疎いのですが、お世話になったYご夫妻の奥様からうかがったところによると、安藤忠雄の建築は水の処理が巧いのだそうです。雨水の処理を間違えると、壁が水で汚れたりするものなのだそうですが、安藤忠雄の建築はそれがない。言われてみれば、水垢などで汚れたところは少しもないのですね。奥深いものです。安藤忠雄が増築した部分は、コンクリートが打たれた幾何学的なもので、色調はコンクリートにあわせてグレーにまとめられている。増築部分はほんの少ししかありませんが、それだけで、建物全体の印象が引き締まり、見ているだけで幸福な気分です。
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美術館の展示室には万国共通の匂いがあると思います。床に塗られたニスの匂いなのか、油絵が発する絵剤の芳香なのか。あるいは、絵画のもたらすアウラの香りなのか。
尾道市立美術館でもやはり同じ匂いを感じて、それだけで幸せな気分になりました。二回には画集がたくさんおいてあって、安藤忠雄の建築に囲まれて、窓からはしまなみ街道の吊橋などの瀬戸内の絶景が見られるという極めて贅沢な環境です。
ここで働ける方は幸せだろうなあ、と展示室で感想を話していたら、係りの方がそれをきいて、とても嬉しそうにほほえんでいらっしゃいました。

Gustav Mahler,Symphony

いやあ、今日のN響アワーは面白かった。マルクス・シュテンツの「復活」。聴いたことのないテンポ操作で、結構驚きました。観て良かった!
第4楽章のパーカッションの使い方に心を打たれた感じ。ティンパニーとドラムをあそこまで引っ張られると、完全に曲が変わってしまうぐらいインパクトがあってすごかったです。N響、追随しきれていなかったところもあったけれど、指揮者の意図はよく伝わってきました。良い演奏でした。
「復活」は、何度も書いているかもしれませんが、思い出深い曲であるがゆえに、実に感慨深い。第四楽章のフィナーレのところに心打たれたのはもう四半世紀前のこと。今聴いてみると、なんだか慣れてしまった感がありましたが、今日は久々に、初めて聴いた時のことを思い出しました。あのときはあり得ないぐらいに私のゾレン(should)にフィットしていて驚愕したんですよ。アプリオリに知っていたと感じた瞬間でした。
時々そう言うことがあります。初めて聴いたのに知っている気分になるときというのは。1998年にオペラシティでリームを聴いた時もそう思いました。
まだまだ素晴らしいものがあるはず。くたばってはおれません。

Giacomo Puccini

そろりと、部屋の片付けをしようと言うことで、数あるCDのなかから、今ひとつなものを売ろうかなあ、と選別をしていたのですが、何年も前にかった少し怪しげな海賊版とおぼしきCDを売ろうか売るまいか、すこし悩んでいました。

それが、このショルティ指揮のトゥーランドットで、録音は1956年5月19日にケルンにて録音されたもの。そしてこれ、歌詞がドイツ語です。まあ、昔はオペラは上演する国の言語で演奏されるのが常でしたので、そうそう珍しい話ではありませんが。カラフがPadre! Mio padre! と歌うところはVater mein Vaterになっていて、「誰も寝てはならぬ」はKeiner schlafeになっている。すごく面白い。

で、このCD、買った当時は相当録音が悪い! という印象で、死蔵していたのです。今回、このCDを手放すかどうか少し悩んだので、念のためもう一度聴いてみました。

そしたら、めちゃ、面白いんですね、これが。録音は決してよくはありません。でも、若きショルティの爆発的なパワー炸裂で、サウンドも分厚くて、カミさんといっしょに「凄いね!」 と感心していました。

買った当時は、たしかショルティの破壊力をして、トゥーランドットがどう料理されるのか、興味があって買ったんですが、数年越しでようやく堪能できたという感じです。ショルティは一般的な評判は悪いのですが、私にしてみると、マーラーやブラームスを教えてくれた師匠だったりするので、そう無下にもできないのです。

  • 指揮:ゲオルグ・ショルティ
  • トゥーランドット:クリステル・ゴルツ
  • カラフ:ハンス・ホップフ
  • リュウ:テレサ・シュティッヒ=ランダール
  • ケルン放送交響楽団
  • ケルン放送合唱団
  • フンボルトギムナジウムケルン少年合唱団

 

NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

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1月10日の新国立劇場公演、テオリンのことしか書いていませんでした。その他のことも書かなければ。
まずは指揮のこと。ダイナミックでシャープな指揮は、大野さんの意図が良く伝わってくるもので、とにかく高揚する場面での統率振りは見事で、ここまでのレベルまでオケ全体を押し上げるのは相当大変だったはず。あの爆発的なパワーは、なかなかお目にかかれないです。バーンスタインのような陶酔と恍惚でもなく、シュナイダーのような玄妙でもなく。あえて言えばシルマーの「エレクトラ」を新国立劇場で聴いたときと良く似ているかもしれない。
昨日も書いたとおり、私はどうやら大変な体験をしていたようですので、それも大野さんのおかげだと思います。
ただ、場面によっては疲れからか、指揮が単調になる場面も数箇所ほどあった気がします。たしかに、大野さんの顔はやつれきっていて、大丈夫かいな、と心配するほど。顔色も良くないし、スマイルサービスにも力がありませんでした。それから、オケの機能的問題についてはここで詳しくは触れません。
ブランゲーネを歌った期待のツィトコーワは、テオリンと一緒に演技をするとほとんど別世界の人間と思えるぐらい、小柄で痛々しささえ感じてしまう。演出上でも、なんだか虐げられている設定で、イゾルデから怒鳴られ、クルヴェナールにいじめられ、船員には揶揄される始末。第二幕では、せっかくイゾルデに進言しているのに冷たく跳ね除けられてしまう。常に何かにおびえているブランゲーネで、イゾルデにも冷たくあしらわれている。最終部分も、体育すわりをしてしまって、ほとんど引きこもり状態。そんないじめられ役的なブランゲーネを演じていました。
しかし、あの小さい体格で、テオリンに肉薄する声の太さを持つというのは驚嘆に値します。それにしてもカーテンコールでテオリンとツィトコーワが目をぜんぜん合わせていないように見えました。演出上もイゾルデとブランゲーネの間に冷たい主従関係を見て取れただけに、なんだか怖い。なぜ、ブランゲーネはああまで虐げられるのか? 所詮は昼の世界にしか生きられないということなのか。
最期のカーテンコールもすごかった。8年ほど新国に来ていますが、終了のアナウンスを覆して幕を開けさせたのは今回が初めてだったと思います。ブーイングもブラボーが入り乱れましたが、これがいわゆる「よいカーテンコール」というものなはず。新国にも桜がいるのかもしれませんが。

Richard Wagner

昨晩、ふと思い出したこと。

先日の新国「トリスタンとイゾルデ」第二幕で幻覚を見た記憶のことで、これってほとんど、幽霊やUFOと同じぐらい信憑性はないのですが、内面のイマージュとしてはすごく具体的で、とても驚いたのです。光り輝く絢爛な円筒形の物体が一瞬心の中に浮かんだのですが、そのときの清澄感はこれまで音楽を聴いて感動したときのなかで最も強かったと思います。これは言語化するのはきわめて難しい。

なんだか、そのときだけ、美的な何かがすべてを超えているような直観が浮かんできて驚きました。

これって、辻邦生が述べるところの原初体験のようなものではないか、と考えています。辻邦生の原初的体験としては1)パルテノン体験、2)ポン・デ・ザール体験、3)リルケ体験の三つですが、そういった原初体験だったにちがいないのです。今回の私の「トリスタン体験」は辻邦生の「パルテノン体験」と似ているかもしれない。辻邦生曰く「美が世界を支えている」という直観。そこまで大仰なことをいえるほどではありませんが。

ここ数年、音楽を聴いて涙を流すようになって、それはどうやら歳のせいだとばかり思っていましたが、それだけではないようです。

私もこれまで、いろいろな場面で決定的な体験をしましたが、今回の「トリスタン経験」は、どうもそれに類するものになるやもしれません。

NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

引き続き「トリスタンとイゾルデ」。
全三幕ありますが、それぞれの幕にお気に入りの場があります。月並みながら、第一幕なら杯を飲み終わった後。第三幕ならイゾルデの愛の詩。第二幕ならマルケ王のモノローグ。そしてなにより私がもっとも感動するのは第二幕第二場でしょう。
夜の狩猟が罠とは知らずに、あるいは罠と知っていても、それを顧慮することを放棄せしめるほどに強い愛情がゆえ、トリスタンとイゾルデは背徳の逢瀬を敢行してしまう。ブランゲーネの進言をも讒言として取り合わないぐらいに。それほど盲目的な強い愛情の力は引き合う磁力よりも何よりも強い。
この逢瀬は夜にだけ許されるもの。昼においては、トリスタンは廷臣としての勤めを果たし、イゾルデは貞淑な妻を演じるのだが、本当の彼らになれるのは夜だけなのだった。
トリスタンがここで執拗なまでに昼と夜についての考察を歌い上げるのだが、そこには真の自分を求めるがゆえに昼の世界を侵害するという背徳感が同衾していて、この背徳感は、直接聴いているものの胸の中に直接入り込んでくることになる。
というのも、人間にはだれしもこうした背徳感を感じる経験があるはずで、もちろん下敷きになっているのはヴァーグナーの個人的経験なのだが、それをも普遍化し美の高みへと押し上げることで、トリスタンとイゾルデの逢瀬は普遍的客観的な理念へと昇華する。
テオリンとグールドの歌う、イゾルデとトリスタンは、ただただひたすら、難解にも思える愛情とうつせみの関係について語り合っている。圧倒的なパワーで。それだけで涙が溢れ、体は嗚咽に波打ち、頬に熱く涙が伝わる。
それで、僕は、どうやら、このとき、とある事態に相対していたと言うことに、ついさっき気がついたのでした。どうやら、これは辻邦生がよく語っている「至高経験」に似たものだったようで、もちろん、こういうたぐいの体験は、証明したり十全に説明できることではないわけですから、ここで語ることが出来るのかどうか。
だが、これは決定的な体験だったのではないか、と思うのです。
とりあえず、メモはとったので、詳しくは明日書けるはず。。。
日本中でタイガーマスクな日々が続いている今日この頃。まだ捨てたものではないですね。

NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

あああ、またやられてしまいました。涙なしには観ていられぬ6時間でした。
というか、この三日間ほど風邪で微熱が続いていてあまり体調は良くなかったんですが、そんなもの吹き飛んでしまうほど強力なパフォーマンスでした。しっかり元を取った感じ。
やはり期待を裏切らないテオリン。
のっけから、強烈な歌声に痺れてしまう。少し強めのビブラートが強力なブースターとなって、劇場内に響き渡るイゾルデの怨嗟や歓喜は、胸のうちに直接差し込まれる赤く熱した鏝(こて)のようで、理屈抜きに直接心臓を揺り動かすもの。
テオリンについて言えば、まずは、第一幕の冒頭で、イゾルデが怒りをぶちまける場面ですさまじいパワーに涙がでてきました。おそらくは音圧に圧倒されたのでしょう。いわゆる崇高を感じた瞬間。
次は、第二幕で「一緒に死にましょう」とトリスタンと歌う二重唱のところ。あそこもすごかった。グールドもテオリンも譲らず、高いところで戦っている感じ。あそこは泣けます。もちろんワーグナーの偉大さもあってのことではありますが。あの台詞はきっとワーグナーが自分のことを書いているはず。天才のカミングアウトというのは本当にすごいものです。そして、それを時間を超えて伝えるテオリン、グールド、大野さんの素晴らしさ。
あとは、最終部分、イゾルデの愛の死のところ。テオリンも少し疲れが見えるが、それでもあの厳粛な場面で実に凛々しい女傑的イゾルデで、もうひれ伏すのみでした。
明日も続きます。しばらく続くかもしれません。