Classical,Opera

Concert Hall

今年見に行ったオペラ・コンサートをまとめてみました。

  • 2月10日;ダフネ(若杉弘、二期会)
  • 3月4日;さまよえるオランダ人(ボーダー、新国立劇場)
  • 3月24日;運命の力(バルバチーニ、新国立劇場)
  • 3月31日;蝶々夫人(若杉弘、新国立劇場)
  • 4月21日;西部の娘(シルマー、新国立劇場)
  • 6月9日;ばらの騎士(シュナイダー、新国立劇場)
  • 7月4日;森麻季さんリサイタル
  • 9月2日;ばらの騎士(ウェルザー=メスト、チューリヒ歌劇場)
  • 10月14日;トリスタンとイゾルデ(バレンボイム、ベルリン国立歌劇場)
  • 11月3日;ブルックナー交響曲第5番(ティーレマン、ミュンヘンフィル)
  • 11月23日;ばらの騎士(ルイジ、ドレスデン国立歌劇場)
  • 12月;ドレスデン室内管弦楽団、森麻季
  • 12月22日;くるみ割り人形(新国立劇場)

今年はやっぱり、新国立劇場の「ばらの騎士」と「蝶々夫人」が圧倒的でした。あそこまで涙したのは初めてでした。歳を重ねて涙腺がゆるんでいるのかな。

辛かったのは「トリスタン」で、風邪で熱出した状態で6時間缶詰になったのはさすがにヘトヘトでした。でも良かったのですけれど。

今年は結構行ってますね。行き過ぎかも。その分CDの購入は押さえています。最近は生演奏を聞くことの意味がよく分ってきた気がしますので、来年も時間的、経済的な面をクリアできれば、引き続き行きたいと思っています。

来年は、1月に関西二期会の「ナクソス島のアリアドネ」、2月に新国立劇場で「サロメ」、4月に同じく新国立劇場で「魔弾の射手」を観に行く予定。それから2008/2009年の新国立劇場も注目ですね。トゥーランドットに、ラインの黄金、ワルキューレなど話題の公演が既に発表されています。特にトゥーランドットは是が非でも観に行きたいです。

Italy2007

 フィレンツェからヴェネツィアへは、イタリア国鉄のユーロスターにて。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅へは列車出発の30分前には到着する。構内は旅客で混雑していて、高い天井のロビーに人々の声がこだましている。プラットホームへ続くガラス扉の上に発着案内板が掲げられていて、確かにヴェネツィアへ向かう列車は表示されているのだが、 到着ホームの表示は空欄で、どのホームで待てばいいのかわからない。構内放送はしきりにミュンヘン行きのユーロシティが遅延することをわびているだけで、ヴェネツィア行きのユーロスーターについて言及する気配さえない。構内放送を聞き漏らすまい、と必死に耳をそばだてる。

Italy2007

そういえば、今年のGWにみた「踊れ!トスカーナ」でフィレンツェ駅が出てきたことを思い出す。確かに、映画そのままである。

出発予定時刻寸前になって、ようやく構内放送と案内板が、9番線へ到着することをつけるや否や、大勢の旅客が9番線へと移動を始める。流れに遅れまいと9番線へ急ぐのだが、いったいわれわれの乗る7号車がホームのどこに着くのかがわからない。日本の鉄道ならば、号車番号をホームに表示するのが常なのだが、そういった心遣いをする風潮はないようだ。

Italy2007
灰色のユーロスターが到着する。すばやく号車番号を見抜いて、トランクを引きずりながらホームを駆けて、目的の7号車に到着。いよいよと乗り込む。今回は、日本でチケットレスで予約と決済を済ませているけれど、ダブルブッキングがないか、などと不安に思う。座席は四人がテーブルを挟んで向かい合って座るスタイル。窓側に連れと向かい合って座り、通路側にはフィレンツェ在住の老夫婦が座る。連れが「隣が席に着いたら笑顔で挨拶するのよ」と言うので、座席に着いた老夫婦に笑顔で「ボンジョルノ」と挨拶を交わす。

列車はゆっくり動き出す。ダブルブッキングはなかったようで一安心。車掌の改札時には、ネットで予約をしたときに送られてくるPDFを印刷したペーパーを渡す。車掌は二次元バーコードを端末で読み取って決済状況、予約状況を確認する。当然問題ない。イタリアのチケットレス列車予約はよく出来ているものだ。

車窓はフィレンツェ市街を抜けてオリーブ畑のなかを進む。僕の隣に座る老婦人がSposare? と指輪を見せながら聴いてくる。辞書で調べるとmarryの意味とわかった。つまり、僕らが結婚しているのか、という問いだったらしい。Si Siと応える。それからしばし英語とイタリア語のちゃんぽんで老夫婦と話をする。ご夫婦はフィレンツェ在住だそうで(うらやましい!)、ヴェネツィアから客船に乗ってギリシアクルーズへ出かけるところだと言う。かろうじてRodiという単語を聞き取る。ロードス島だろう。物静かな旦那さんと、上品に着飾った奥様で、実に気持の良い時間を過すことが出来る。

列車は、ボローニャ、ロヴィーゴ、パドヴァ、フェラーラ、メストレとイタリア半島を北東へと進んで行く。メストレを出るとラグーナをわたる長大な橋。その向こうがわにヴェネツィアのサンタ・クローチェ駅がある。ほぼ定刻どおりに到着。隣の老夫婦と別れの挨拶をして、駅前広場へ出る。

ところが、このあと、とんでもない事件がわれわれを待っていたのだった。

Classical

Bach Brandenburg Concerto No. 5, Orchestral Suite No. 2/ Emmanuel Pahud
Bach Brandenburg Concerto No. 5, Orchestral Suite No. 2/ Emmanuel Pahud
  • 発売元: EMI
  • レーベル: EMI
  • 価格: ¥ 2,201
  • 発売日: 2001/03/13
  • 売上ランキング: 12860
  • おすすめ度 4.5

今日は、先日に引き続き管弦楽組曲第2番を聞いてみよう。

前回はオーレル・ニコレさんのフルートだったが、今回はエマニュエル・パユさんのフルートにて。やはり一番の衝撃は、最終曲Bandinerieでしょう。テンポは中庸。しかし、恐るべしは、二回目の主旋律にほどこされた装飾音符。超絶技巧。

この演奏をはじめて聴いたのは、ANAの国際線の機内放送だったのだが、そのときからこの演奏の空恐ろしい演奏が印象に残っていて、いつかきちんと聞きたいと思っていたわけだが、今回それがかなったかたちだ。

この曲で好きなところは、下記の譜面の赤い部分。フルートは八分音符で刻むだけなのだが、透かし彫りのように背後から弦楽器が現れ、十六分音符と八分音符のフレーズを演奏するのである。ここでなにか浮き上がるような高揚感と酩酊感を覚えるのだ。

青い部分はパユさんの超絶技巧(?)装飾が聞けるところ。このCDのここに惹かれたのである。刺激的なバッハを求める向きにはとてもおすすめのCDである。

Bach

Bach_Badinerie.mid

Tsuji Kunio

雲の宴〈上〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/01
  • 売上ランキング: 565691
雲の宴〈下〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/02
  • 売上ランキング: 671447

かねがね、バルザック、ディケンズ、ドストエフスキーといった小説全盛時代の、作家と読者の熱い関係を、このジャンルの本来的な在り方ではなかろうか、と考えていた。この時期、小説は知的に読まれるものではなく、一喜一憂しながら、主人公と運命を共にしてゆくものだった。小説がこうした本来の一喜一憂性を失ったために、それはいつか認識の道具になり、また文体意識の自閉的存在となっていった。

「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、195ページ

昨週末に「雲の宴」を読了しました。久々に「おもしろい」冒険小説を読んだな、ということもありますし、より根源的な「生きること」を考える契機にもなりました。

すべて心なのよね、この世の幸不幸を決めるのは。物がいくらあったって、心が不満なら、ぜったいに人間て幸福にならないもの

『雲の宴(上)』、朝日文庫、1990年、177ページ

いくら、CD持っていても、本を抱え込んでいても、なけなしの預金があっても、心が不満じゃあ、幸福にはなれないなあ、と。今の境遇を強制的に満足なものである、と認識を変えていくか、あるいは、今の境遇を捨て去って、思うがままに生きていくか、どちらかしかないなあ、と思うのでした。おそらくは前者の道を取ることになるのでしょうけれど。全ての事象は人間の認識であるが故に、認識を変えれば、境遇も変わるという感じでしょうか。

それにしても、この小説は、辻文学の中にあっては異質な光を放っていると思います。そのあたりのことも「永遠の書架にたちて」に所収されている「『雲の宴』を書き終えて」のなかにヒントが書いてありました。辻邦生さんは、いつもは事前にあらすじが決まっていて、そこに向かって書いていくから、だいたいは事前の意図通りに仕上がることが多いのだそうですが、「雲の宴」に関して言えば、そうではなく、登場人物が勝手に動いていったのだそうです。最初は意図通りに戻そうとしたのですが、途中であきらめて、なすがままに書いていったのだそうです(「『雲の宴』を書き終えて」『永遠の書架にたちて』、新潮社、1990年、194ページ)。そう言うことを、高橋克彦さんのエッセイでも読んだことがあります。高橋克彦さんは、まず登場人物の身上書を書き上げるのだそうです。そうすると自然に登場人物が行動をはじめるのだとか。そういう憑依的な小説の書かれ方というのも、部外者から見ればとても不思議に見えますが、そうそうあり得ないことでもなさそうです。

確かに、他の辻文学のような堅牢強固な石造りの建造物のような堅さはありませんが、奔放に動き回る登場人物と一緒にパリからルーマニアへいたり、地中海を縦断して西アフリカへと向かう喜びを味わうことができるのです。

Classical

ニューイヤー・コンサート1989&1992
ニューイヤー・コンサート1989&1992
  • アーチスト: クライバー(カルロス)
  • レーベル: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 価格: ¥ 2,457 (10% OFF)
  • 発売日: 2004/11/17
  • 売上ランキング: 1956
  • おすすめ度 5.0

今日も良い天気でしたが、少々疲れ気味。昨日、少々仕事をやってしまいましたので、そのせいかもしれません。バッハを聞き込んでいたら、バッハ疲れに陥ったようで、久々にヨハン・シュトラウスを聴きたくなりました。リヒャルト・シュトラウスもヨハン・シュトラウスもやはりカルロス・クライバーさんですね。というわけで、ちょっと気が早いですが、1989年のニューイヤー・コンサートのCDを聴くことにしました。

「こうもり序曲」の冒頭の緊張感と流麗な弦楽部は、本当にカルロス・クライバーさんらしいです。それから、微妙なリズムの取り方も。三拍目を少しもたらせるワルツのリズムの取り方は素晴らしい。もう0コンマ何秒の世界の話なのですが。すごいですね。

カルロス・クライバーさんの略歴をウィキペディアで見たのですが、やはり理系の大学に入っていらっしゃる。チューリッヒ連邦工科大学というところだそうですが。やはり音楽をやる方は理系の頭も持たねばならぬ、ということでしょう。というより、文系、理系双方において優れた人物でなければならぬ、と言うところでしょうか。

僕の場合、ニューイヤー・コンサートといえば、「美しく青きドナウ」につきるのです。理由は二つあって、なぜか中学校の時に合唱編曲版を歌わされた歌ったことと、やはり中学生の頃に「2001年宇宙の旅」を必死に見入っていたということもあり、この曲を聴けば聴くほど、優雅な宇宙船とか、キャビンアテンダントがコックピットに宇宙食を運ぶときに180度廻転する場面とか、そういうことが思い出されるわけでして、音楽を聴く態度としては不純なものであるわけです。

しかし、このウィーン風のノリは素晴らしいものがあります。平常時はあまり聴く機会のないヨハン・シュトラウスですが、今日のように落ち着いた日に聴くのも良いものでした。バッハ疲れには良い薬になりました。

次回は、バッハの管弦楽組曲第2番を取り上げようと思っています。

Climbing

先週の土曜日(15日)に、小田急電鉄が主催している「のんびりハイク&ウィーク」に参加してきました。今回の目的地は伊豆北部に位置する発端丈山と葛城山です。それぞれの標高は400メートルぐらいですので登山というわけではないのですが、少々キツい上り坂もあって、連れはヘトヘトになっておりました。僕はといえば、夏に3回登った大山に比べれば上り坂の角度は緩いですし、距離も高さも短く低いですので、個人的には思った以上に余裕があって、驚きました。

だいたいのルートは以下の通りです。

沼津市三津(「みと」と読む)から、発端丈山山頂を経由し葛城山頂を経て小坂共同みかん園へと至る約3時間強のルートでした。天気が非常に良く、駿河湾の向こう側に聳える富士の高嶺が蒼い海に映える姿をみて心を動かされましたし、杉木立に差し込む太陽の光に慈愛に満ちた暖かさを感じて本当に癒されました。

発端丈山

発端丈山から伊豆の山々を眺めたのですが、幾重にも重なる山の尾根が果てしなく広がっていて、まるで人跡未踏の山の中に迷い込んだかに思えてしまいました。そのとき思い出したのは源頼朝のこと。陸続きであるとはいえ、この山の連なる伊豆半島に流されたときの心情はいかばかりかと思いました。やはり頼朝についての伝承が残っているらしく、葛城山界隈で鷹狩りなどをしたとのことで、葛城山頂には頼朝の小さな像が建てられておりました。

今回は、小田急電鉄と東海バスの共同企画と言うことで、集合場所の小田原駅から東海バスの観光バスに乗り込んで、1時間半ほどかけて箱根新道と国道一号線で箱根を超え、三島市で国道136線に入り、そのまま伊豆へと南下して登山口へと向かいました。三島市内を通るのはもちろん初めてだったのですが、国道沿いは、どこの街もほとんど同じ風景ですね。国道沿いにはたいがい郊外型のチェーン店が軒を連ねていますので、たとえばこの風景を写真に撮ったとしても日本のどこで撮ったのかは分らないでしょう。それぐらい街々は没個性になりつつあるのだ、と思いました。

富士山と紅葉の写真を載せておきます。

発端丈山
発端丈山

Classical,Concert

ちょっとクリスマス気分を味わいたいというのと、どうしても「花のワルツ」を生演奏で聴きたいという理由で、行って参りました。参考CDはゲルギエフ版です。「くるみ割り人形」といえば、組曲の方が有名ですが、全曲版となると知らない曲がたくさんありますね。まだまだ知らないことはたくさんです。あたりまえですが。

まず、入り口に来て驚いたのは客層の違い。バレエともなればあたりまえでしょうか。小さな女子連れの家族がたくさん。そもそも男性客が少ないらしく、1階のトイレは女性専用に変更されていました。ホワイエにはキッズメークアップコーナーがあって、女の子がマニキュアを無料で入れて貰ったり、終演後の舞台袖の見学会募集(抽選で20名)がなされていたり、と本当にオペラの時とは違う風情。クリスマスの飾り付けでなどで、連れは俄然クリスマス気分で盛り上がっていました。

バレエを見るのは三度目ですが、日本国内で見るのは初めてでした。まずよく分からないのが拍手のタイミング。オペラでもアリアの後に拍手をしたりしますが、バレエの場合は、主役の方が登場するとそこで拍手をするらしい。それから、難しい(と思われる)技を披露したときも拍手をするらしいのです。そもそもバレエなどよく分からないで観に行っておりますので、何が簡単で、何が難しいのかはよく分からないのでした。

それにしてもバレエダンサーの方々の偉大さには感服します。リズム感抜群で、汗が光ぐらいまでの運動量なのに、息を切らせている様にも見えない。しかも笑顔をずっと維持している。信じられません。偉大すぎです。

マーシャ役を演じておられたさいとう美帆さんは、とても上品で素晴らしかったですね。もちろん他の方々も。はじめて見たバレエが、あまり振り付けがそろっていないイメージだったのですが、今回はタイミング乱れるような場面に気づくようなことはありませんでした。よくぞここまで美的世界を構築するものだ、と思います。バレエもたまにはいいなあ、と思いました。とてもべんきょうになりました。

オペラシティはクリスマスモード全開でした。雨は残念でしたが、巨大なクリスマスツリーに圧倒されます。楽しい一日になりました。

DCF_0015

Tsuji Kunio

雲の宴〈上〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/01
  • 売上ランキング: 565691

辻邦生師「雲の宴」は下巻に突入しています。この本は、ミッテラン当選の夜のパリの狂騒から話が始まりますが、辻先生がインスピレーションを受けられたのは、その夜にマリ共和国の黒人の男を見かけたことが契機になっているのだそうです。アフリカの描写がすばらしく、実際に取材にいらっしゃったのかと思い、全集についている年譜を見てみたのですが、どうやら西アフリカへの取材旅行は行っていらっしゃらないのです。そうか、あのアフリカの描写は全て現地での印象ではなく、想像力と調査のたまものなのか、と驚いてしまいます。歴史小説のように自分では行けない場所について書くことの難しさは相当なものではないかと思うのです。

下巻も中盤にさしかかると、物語も俄然緊迫してきます。この本でもやはり性急な改革は失敗するのだ、という鉛のような諦観が感じられ、そうは言っても世の中は「背理」なのであって、それを笑い飛ばさねばならぬ、という「嵯峨野明月記」の主題に戻っていくのでした。ちなみに、この「背理である世の中を笑い飛ばす」というのは、シラーが着想になっている(「人間の背理を笑う高みに立つ」『辻邦生全集第20巻』新潮社、2006年)のだ、ということを全集第20巻の年譜を読んでいて気づきました

Tsuji Kunio

春の風駆けて―パリの時
  • 発売元: 中央公論社
  • レーベル: 中央公論社
  • スタジオ: 中央公論社
  • メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1986/02
  • 売上ランキング: 976173

人間は生きているからには愉しむ義務があるのである。辻邦生師のおっしゃるフランス人とは、楽しく生きることを義務としている人のこと。落ち込もうが、非難されようが、意志の力でそうしたマイナス要因をはねのけ、あくまで生きることに打ちこみ愉しむという強靱な精神を持っている人たちであり、それを阻害しようとする者に対して激しい敵意を持つと言うこと。ただただ嫌なことがあったからといって、落ち込んだり怒ったりしないこと。大切に生きること。

Tsuji Kunio

春の風駆けて―パリの時
  • 発売元: 中央公論社
  • レーベル: 中央公論社
  • スタジオ: 中央公論社
  • メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1986/02
  • 売上ランキング: 976173

しばらく前に読み終えた「春の風 駆けて」。示唆的な文章が多くて、今の自分にとって大切に思えるところがたくさんあった。畏怖すべき偶然と運命の溶解である。これから2,3回、この本について言及していこうと思う。

意外なほどフランス大統領選挙に関する言及が多い。フランソワ・ミッテランが勝利する1981年の大統領選挙のことで、ちょうどパリ大学で教鞭を執っていた辻邦生師は、新聞報道などを通じて、フランス国民の大統領選挙に対する意識などを分析したりしている。この手法、まるで「春の戴冠」で、語り手フェデリゴが叔父マルコとフィレンツェを巡る政治に思慮を巡らせるのと同じタッチ。なるほど、これぐらい現実政治に対してアクチュアルに関わらなければならないのだな、と反省する。最近は、そうした現実世界のニュースからは距離を置いていたけれど、これからはもう少し関わっていこう、と考えた。

続く