Richard Strauss

リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリンソナタは、なかなかの難敵で、まだまだ聞く余地があるのですが、Apple Musicで色々探すと、こんな名盤を見つけました。

Franck/Strauss: Violin Sonatas
Franck/Strauss: Violin Sonatas

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Franck Dumay Lortie
Onyx Classics UK (2013-03-12)
売り上げランキング: 55,463

デュメイとルイ・ロルティによる録音。2012年発売の音源でした。

デュメイの音の甘さと豊かさには、本当に驚かされるばかりでした。弦をこするかすかな音にさえ、甘みが満ちているのには驚くばかりです。

私は、このアルバムにも収められているフランクのヴァイオリンソナタを、デュメイ、ピリスの音源で親しんでしましたので、なんとも言えない懐かしささえ感じました。

フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ピリス(マリア・ジョアン) デュメイ(オーギュスタン)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007-09-05)
売り上げランキング: 31,237

実のところ、ドイツ音楽を、フランスやイタリアの音楽家が演奏するのが好きだったりするので、このアルバムは本当に正解でした。

今週は、この曲ばかり色々な音源で聴いているのですが、オケとは違う楽しみです。

おまけ。

こちらの本、この面白さと興味深さは半端ないです。最近の読書傾向としては、色々な本を並行してゆっくり読む、という感じになってます。もう二週間も前に買ったものですが、まるで連続ドラマを観るような感じで、読んでいる感じ。学生の頃のように、徹夜して読む、なんて頃が懐かしいです。

双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)
クリストファー・プリースト
早川書房
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今日のところは、内容には触れません。ネタバレになりそうなので。

それでは、皆様お休みなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms

今日、ふと思ったこと。

ハイティンクの音楽のように生きられればいいなあ、と。抑制的で、均整がとれた美しさを保った音楽のように。

わかりにくい直観ですが、そもそも、人を変えるものは論理ではなくていかに腹に落ちるか、にかかっています。腹に落ちればそれで良いのでは、と思います。科学でも哲学でもなく、それが文学の仕事の意味なんだろうなあ、と思いました。

こちら。ハイティンクのブラームス。当たり前なんだけど、美しい。気づくことのない仕掛けが埋め込まれていて、だけど、何かハイティンクらしい落ち着きを感じさせるような。こういう美しさが理想なんだろうなあ。前へ前へと進む生き方も大事だけれど、進むことを感じさせない生き方みたいな。ただ、それを叶えられる人は限られている、とも思ったり。。

Symphonies 1-4 / Double Concerto
Symphonies 1-4 / Double Concerto

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London Symphony Orchestra
Lso Live UK (2005-10-11)
売り上げランキング: 22,161

今日は短く。おやすみなさい。

Miscellaneous

今日も、シュトラウスのヴァイオリン・ソナタを聴いています。20代前半で、よくもここまで豪奢な音をかけるものだ、と思います。
ですが、やっぱりシュトラウスの若さのようなものも感じます。まるで、奔放なオクタヴィアンが書いているような、そんな感じも受けています。

才能というものは、厳然としてあるんですが、特に音楽においてはなおさらです。いつも思うのですが、ヴァイオリンのソリストを前にして弾くオケのヴァイオリンのメンバーの気持ちというものはどういうものなのか、と思います。おそらくは、才能というものをきちんと熟知しているのだと思います。おそらくは、オケにいるということ自体で、才能を持っておられるのでしょうけれど、その才能の閾値のようなものも理解されているのでしょうか、などということをよく考えます。

努力だけでは抗えない世界というものがありますし、才能と努力があっても運がなければ、ということもあります。

数年前のバークリー音楽院を卒業したギタリストとの会話を思い出します。彼が言うには、才能とは、おそらくは、前世からの積み重ねなのだ、ということでした。彼は、ブラインドを操作するビーズ上の紐を、まるで僧侶が読経する時のように一つ一つ指で数えながら、人間の人生というものは一つ一つのビーズのように連なっているものだ、というのでした。モーツァルトが、たった一回の人生であそこまでできるわけがない、とも言っていました。

結局は、才能とか自分のできることというのは、自分の努力だけでなしえたものではなく、前世から得たものなのか、あるいは、天から与えら れたものなのか、というところにすぎない、ということなんでしょう。別に、それらは自分とは全く関係ないもの、なんだと思います。

そう思うと、あらゆるものが、自然に思えるようになるのかもしれません。もっとも、この考え方は、才能というものを自覚している向きにはいいのですが、まだ自分の才能トイいうものを見つけられていない人には難しい考え方になるのかもしれなです。

結局は自分探しなんですが、まあ自分を探す前に、なんでもやってみよう、ということなんだと思います。スピードとピヴォットです。

で、見つけた才能はきちんと責任を持って面倒を見てあげないといけないということなんだとも思います。

いつも同じようなことを書いていますが、この曲を聴いたり、才能ある音楽家の方のことを読んだり聞いたりして、改めてそう思いました。

今日は、そのシュトラウスのソナタを、この天才二人の演奏で。絢爛です。

フォーレ&シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ
パールマン(イツァーク)
ユニバーサル ミュージック (2015-10-28)
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風邪をひきかけていて、喉が痛かったのですが、泳いだら治りました。あるいは治ったような気がしています。体を動かすと、血流が良くなって、耐性が強められるのではないか、なんてことを勝手に思っています。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

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今日の東京地方は、急に寒くなりました。コートを着込んで、落ち葉を踏みながら散歩をしたり。いよいよ冬の始まりですね。しばらくは天気が悪いようですが、その後は、きっと冬の蒼天が訪れることでしょう。

今日はこちら。

NHK-FMのきらクラを聞いていたところ、シュトラウスのヴァイオリンソナタが紹介されていたので、Apple Musicで早速聞いてみました。

選んだところ、アラベラ・美歩・シュタインバッハーのアルバムが出てきて、ちょうど、今日、北ドイツ放送管弦楽団の演奏会で、シュタインバッハーがメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトを弾いているのを見ていたこともあって、様々なシンクロニシティを楽しみました。

きらクラでは、第三楽章を三舩優子さんが絶賛しておられたんですが、いや、本当にいい曲です。

ソナタということで、ヴァイオリンとピアノで演奏されているのですが、音数が多く、ピアノ四重奏かあるいは、ヴァイオリンコンチェルトを聞いているかのような気分になってしまいます。

室内楽を極度に拡張したもの、とされていますが、これ以降は、シュトラウスは室内楽を締めくくり、交響詩やオペラへと進んで行くことになります。

作曲されたのは1887年から1888年にかけて。23歳から24歳にかけてです。天才です。

しばらく、繰り返して聞きたい曲だなあ、と。エマニュエル・アックスとイツァーク・パールマンの録音もApple Musicにあるようですし。

明日からまた平日ですね。世界の変化も激しいですが、私の周りも変化がたくさん起きています。まあ、やるべきことを淡々とやるだけです。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

GlobalPolitics

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昨日に続き、雲の文様を。世界は不思議です。

今日の午前中に見た日曜討論、実に興味深い内容でした。

私が印象に残ったのは、池内恵さんが言っていた、多くのイスラム教徒は違うにせよ、その教義のの中にジハード主義がある以上、ISのような勢力の成立根拠になる、という議論の後に、司会の方がさらっと「それはイスラム社会における問題点ですね」と総括してしまった場面でした。

それがイスラム社会の中だけにとどまらなくなっているのが、今回の問題なのではないか、と思ったのですが、さらっとかわされたか、あるいは、あえて司会の方がそう総括したのかどちらかだなあ、と思いました。

議論の主だったものは、やはり、中東諸国の経済的苦境や、それが理由で欧州に移住してみたものの、そこでもやはり失業状態にとどまらざるをえないという状況が、社会への反抗心を生み出し、若い人々を駆り立てるのだろう、というものでした。

また、あのフランスのテロの犯人とされている人たちは、そのほとんどが軽犯罪などで刑務所に収監された履歴があるということも衝撃的でした。どうやら、刑務所においてはイスラム教徒が多いということで、雑居房で過激な思想に触れて、刑期を終えて社会に復帰した時には、過激な思想を持ったまま行動に走る、という背景があるようです。

この議論は、まさにミシェル・フーコーが言っていたとされる、刑務所というものが、犯罪を生み出す装置である、という議論などにつながるものだ、と思い、背筋が凍る思いがしました。

まずは、世界が経済的安定に向かうよう、政治、軍事、民生の各部門が知恵を出さなければ、ということのようです。

世界はどんどん変わっています。

番組の中で言われていたのは、キリスト教社会とイスラム教社会のせめぎ合いというものは、これまで1000年以上にわたって続けられていたわけですが、そのバランスが動いているのではないか、という指摘でした。そう思えても不思議ではない時代だと思います。

今日はこちら。何かブラームズづいています。先日も少し書きましたが、どうもブラームスが古き欧州を体現しているような気がして、懐古的な気分で聞いています。

こちら、Apple Musicはもちろん、先日始まったAmazon Prime Musicでも聞くことができるようです。みなさまも是非。

Complete String Quartets, Quintets, Sextets
Amadeus Quartet
Deutsche Grammophon (2003-10-14)
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それではみなさま、おやすみなさい。

Johannes Brahms

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秋らしい風情となりました。私は物理はよく知りませんがこの規則的な文様はきっと波と同じ原理で形作られているんですよね、きっと。物理の時間に三角関数を使って波動の力学を習った記憶がありますが、おそらくはそれと原理は同じだったりするのかしら、などと思ったり。高校時代の古典の先生が、理系だからといって子分をやらないのは、理系ではなく怠け者系だ、なんてことを言ってましたが、私もそうかもね。

というわけで、いつもようにウィキで調べてみました。これは、大気波と呼ばれる重力波によって生じるものなのだそうです。

波の波紋と同じ現象が大気で起きるものということで、原理としては重力の作用によって力学的平衡状態にある媒質が、異なる密度の媒質中に変位したとき、重力を復元力として再び元の平衡状態に戻ろうとする過程で、媒質の界面で発生して界面に沿って進む波動ということのようです。

なるほど。。ウィキには数式も出ていますが、どうもそこは歯が立ちません。

さて、お世話になっている方が、今年のハイティンク&LSOの公演が素晴らしかった、とおっしゃっていました。

私も、もしかしたら映像を録画しているかも、と思い、調べてみたら、なんとちゃんと録画してありました。

ハイティンクのブラームス交響曲第1番は、ハイティンクらしい抑制された美しさに満ちていました。この静謐で目立たないようでいて、なおその中にある品性とか高貴さとか、そういう良心を感じるという演奏は。だからと言って、マンネリな演奏というわけではなく、透き通るような演奏の中に、時折強い光が差し込む瞬間があって、ああ、本当によく練られた演奏なんだなあ、と思ったのです。

こちらは、ハイティンクとLSOによるブラ1の参考音源です。

Symphonies 1-4 / Double Concerto
Symphonies 1-4 / Double Concerto

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London Symphony Orchestra
Lso Live UK (2005-10-11)
売り上げランキング: 19,051

ハイティンクの演奏がいいなあ、と思い始めたのは、多分2010年に聞いた《ニーベルグングの指環》をバイエルン放送管弦楽団を振った演奏を聴いてからだと思います。

Wagner: the Ring
Wagner: the Ring

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Bernard Haitink
Warner Classics (2008-03-04)
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この抑制の中にも鋭さを兼ね備えた演奏がじわじわと身にしみいってきて、それ以降ハイティンクをよく聞くようになったのだと思います。

ちなみに、スピード重視でいろいろやってますが、なんだかなかなか癒えないものもあり、明日はゆっくり休んで英気を養わないと、と思います。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Apple Watchを使い始めて半年以上が経ちました。いろいろと変わったことがありますが、一番変わったことは、1日の長さを実感している、ということだと思います。
Apple Watchには、日の出と日の入りを感じさせる幾つかの仕組みがあります。一つは、そのままですが、日の出日の入りを知らせてくれるもの。これは特に言うまでもない機能です。以下の画面ですと、右上に日の出と日の入りの時刻が表示されています。
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ただ、私は、これを見て、改めて、東京地方の場合、冬の太陽が16時半には沈んでしまう、ということを認識しました。これ、感覚的には早すぎ、という気がしてしまいます。

また、こちらの文字盤ですと、地平線と太陽の位置関係が分かります。1日の長さが実感できるのです。

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デジタルな機器でありながらも、こうした自然の感覚を分からせようとする仕組みは、とても面白いなあ、と思います。Apple製品のこういうセンスが好きだなあ、と思います。

今日で一つ仕事を終えました。来週からまた別の仕事に没頭する予定です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

夏休みも終わり、明日からはまた日常が戻ってきます。
普段はいけないところにいろいろいけましたので、いい休みでした。

今日は、こちらも少しお休みです。

おやすみなさい。

Miscellaneous,Richard Wagner

image

いや、ほんとうにすいません。夏休みシリーズということで、普段行けないところに行っているのですが、今日は関東某所のIKEAに行ってきました。

2年ほど前にも行ったことがありますので、今日が2回目。

で、建物の中に入ったとたんに妙な感動が。

えーっと、ドイツの空港の匂いがするのですね。これ、なんですかね。ドイツっぽい匂い。むんむんくる、ドイツの匂い。

この匂い、べつにビールの匂いでもなく、ザワークラフトの匂いでもなく、塗料とか接着剤とか、そういう化学的な匂いなのです。

それだけで、もうテンションが最高潮に沸騰してしまいました。

レストランでもハイテンション。なんだか、ドイツの美術館とか、大学のメンザの雰囲気がさく裂していて、無駄にたくさん注文してしまいました。でも2年前に行ったときに比べて、食事の値段は上がったような気が。円安ですから仕方ないのかなあ、と思っています。

売っている品も、なかなかおもしろくて、美術館を見ているようでした。ちなみに、いつものように、家族はどんどん先に行ってしまい、私だけじっくり見る、というパターン。これも、美術館に行った時と同じパターン。

しかしなあ、IKEAは商売がうまいですよ。順路が固定されていて、その順に歩いていくと、購買意欲がどんどんそそられていくのですから。最初に、部屋のコーディネート例をいくつも見せられるのですが、これが本当におしゃれで、狭い空間を本当にうまく使って、しゃれたコーディネートができますよ、というプレゼンテーションになっているわけです。その後、そこに使われていた製品順路上に何度も何度も登場します。フロアもまさに美術館のように順路で構成されていて、IKEAの意図通りの順番で商品を見て回るということになるわけです。

(ちなみに、抜け道がいくつかあるので、それがわかるとなお面白いのですが。)

先ほども言ったように、順路に従って歩いていくと、いろいろな商品が繰り返し登場するのですが、子供向けのぬいぐるみなどは、アクセントのように随所に現れ、子連れ客はその都度その都度対処が大変そうでした。全然関係のない売り場に突然ぬいぐるみが売っているコーナーが出てきますので、サブリミナルのように、何度も何度も子供に刷り込まれるという感じ。食器売り場のぬいぐるみにご執心になってしまった子供に困ったお母さんの独り言がみみにはいってきたのですが、「ここで売っているわけじゃないのかな、あ、でもバーコードついてるから、買っても大丈夫そうだね」なんてことを言ってました。

極めつけは、展示フロアの2階から、倉庫のある1階へ降りたとき。そこにも、なぜか子供向けのおままごと道具がディスプレイされていて、「あれ、買い忘れてません?」というIKEAのメッセージを感じたりしました。

この繰り返し繰り返し現れるというのは、まるでワーグナーのライトモティーフのよう、なんて。いやいや、欧州人はそういう構築美には長けていますから、共通するものがあったりして。

でも、ホスピタリティは十二分だと思います。素晴らしいなあ、とおもいました。やはり、二度来てもらうためには、お客を楽しまさなければなりませんし、失礼があってもよくないわけで、そういう意図はいろいろと感じて、さすが!、と思いました。

というわけで、北欧にちなんだ楽曲を。といっても、ワーグナー。

Wagner: Tristan und Isolde (3 CDs)
Universal Music LLC (2007-04-09)
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スウェーデンの生んだ名歌手、ビルギット・ニルソンによる≪トリスタンとイゾルデ≫。まったく化け物のような楽曲なんですが。今日は、そこから最後の愛の死を聞いています。やっぱり、巧いのですが、なにか醒めた冷静さのようなものも感じたり。ベームもベームらしい雄大なもの。古き良き欧州って感じです。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Book

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先日、大学時代の友人と会った時、私は、これからはネットの時代だから、本もどんどん電子化されていくはずであり、徐々に紙ベースの書籍というものは淘汰されていくのではないか、ということを話しました。それ自体別に珍しくもない言説で、プロである彼にそんなことを力説するのは実際失礼にあったのかもしれないと、後から振り返って反省しました。

私は、iPodが2001年に発表された後の事が頭にあったのでした。iPodまでは、音楽といえばCDでした。ですが、iPodを買ってからは、購入したCDをせっせとPCにインポートして、それをiPodに入れて持ち運ぶ、というスタイルを実践して行ったのだと思います。

その後は、私の感覚では、CD文化は徐々に廃れてきたというふうに思っていて、若い人たちはiTuneなどのストリーミングで音楽を聴くか、ライブで音楽を聴くか、という状況のようです。

ですので、CDというものの形をしている媒体が徐々に意味を失っていった、というのが、iPod発売以降の音楽受容の歴史で、今となっては、iTuneでストリーミングを買う、という行為すら失われ、SpotifyやApple Musicといった定額課金制の音楽サービスが主流になっているのではないか、というのが、私の中での音楽媒体史観です。

その史観を本に持ち込んで考えているのが、先日までの私でした。本もいずれは、デジタル化され、KindleやiBook、あるいはKinoppyといった、電子書籍媒体でやり取りされるようになるだろう、というものでした。

ですが、やはり、それは違うのかも、というのが、この一週間の感想です。

それは、池袋のジュンク堂に行ったからですかね。ジュンク堂は言わずと知れた、大書店で、揃わない本はない、というのが売り文句だったと記憶しています。池袋店が出来たのは20年ほど前でしょうか。当時、図書館にもない本があって、研究している院生だかが、「貸してください」と書店員に頼んだ、というエピソードがあったのを記憶しています。

そのジュンク堂を回ったのですが、いや、これはもう、市営の図書館よりも当然ながら蔵書が充実していて、本当に楽しいのです。図書館の蔵書というのは、得てして古いものが残留しているような状況だったりします。もちろん、ツタヤ図書館のような不適切な蔵書剪定ではないのでしょうけれど、10年も経過した後の蔵書はさすがに何かしらの複雑な思いを抱くことがあります。新刊書が入るスピード感もありません。もちろん、それは公営図書館であるから当然のことではあるのですが、そうは言っても、時代の流れのようなものを感じるには限界はあります。

書店は、当然新刊書を並べますので、そうした時代の流れのようなものをリアルに感じることができますね。ネットでも検索の仕方などでは、そうしたことが可能だとは思いますが、平台に山積みにされた新刊書を見ると、さすがにあの迫力にはかないません。これは、音楽で言えばライブの感覚と似ているのではないか、と思います。

もちろん、ネットの利便性というものは否定できません。iPhoneにKindleを入れて、何冊も本を持ち運んだり、Apple Musicを使って、自分の持っている曲をクラウドに入れて、どこでも聴くことができる、というのは、リアルな書籍、リアルなCDには絶対にできないことでしょう。

ですが、選定となると別なんでしょうね。確かに、Apple Musicでも、プレイリストやアルバムのサジェスチョンで、新たな音楽に会える機会というものはあります。ですが、それは、Apple Music側にその選定の多くを依存してうrわけです。ネットでの検索性や一覧性はまだ不十分で、私はまるで視界の狭いゴーグルをつけて、海を潜っているような錯覚を覚えることがあるほどです。

リアル書店やリアルCDショップは、やはり五感を使って、いろいろな情報を入手できますし、視界は本当に広いです。いろいろな付随情報が視界の中に入ってくると、自ずとそちらに注意が向いて、セレンディピティのようなものを感じられます。時間はかかりますし、書店やCDショップまで足を運ぶという時間もかかりますが、それは、ネットでは得られないものです。

もちろん、音楽においてもタワーレコードやHMVなど、大型のCDショップがあります。そこで、最新の状況などを感じることはできるわけで、何が違うのだ、という話もあります。

書店とCDショップの決定的な違いは、中身が見られるか見られないか、ということに尽きるのではないか、と思います。書店の場合、中身を見て、どのような内容なのかを確認できますが、CDショップではそれはできません。20年ほど前には、試し聞きができるようなマシンが銀座の山野楽器に置いてあった記憶もありますが、当然全曲聞けるわけではなく、一部のみ聞ける、というような状況だったと記憶しています。

書店の場合は、リアルなものに手で触れて、活字を読むことができるというアドバンテージがあります。これは先ほども触れたようにCDショップにはないものです。

セレンディピティのようなものに会えるのは、書店もCDショップも変わらないのかもしれませんが、中身を自由に見てから、購入するかしないかを決められるのは、やはり書店の特権すね。この、中身を自由に見られるか見られないか、という点において、CDと書籍の違いがあります。CDと書籍では、リアウ店舗のアドバンテージが大きく相違するのだと思います。

電子書籍も否定はしませんし、今後も使うと思います。ですが、リアル書店の持つ、五感を使ったセレンディピティの可能性というものを、私の友人は言いたかったのかも、と思います。

もっとも、テクノロジーが進めば、リアル書店とネットの境目はどんどんなくなっていくのかも、とも思います。かつて流行ったSecond Lifeのように、自分がアバターとなって、バーチャルな書店の中に入っていき、バーチャルな書店で電子書籍を買う、というようなことは、あと数年で現実になるのかもしれません。テクノロジーの進歩は、そこにビジネスチャンスあるいは戦いの勝利のきっかけがある場合は、無限に進むものです。

今日も長くなりました。今日はこちらを静かに聞いています。マイケル・ブレッカーの遺作とも言えるアルバムです。悲しみに満ちたアルバムであることには間違いはありません。

聖地への旅
聖地への旅

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マイケル・ブレッカー
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007-05-16)
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それではまた、おやすみなさい。グーテナハトです。