Tsuji Kunio

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良い天気の1日でした。夏休みは4日目に突入しました。折り返しというところ。今日は武蔵野丘陵のとある観光地へ出かけました。広葉樹の木々が生い茂っていましたが、幼い頃の思い出を思い出します。

私の通っていた幼稚園は、武蔵野の雑木林を擁していました。ちょうど今頃、秋の風情の中その雑木林の中を散歩したものです。本当か嘘か知りませんが、大きな落とし穴と呼ばれる穴が二つほど空いていて、これは誰が掘ったのか、と聞くと、悪い人が掘ったのだ、という答えが保母さんから帰ってきたのだと思います。私はその時の悪い人のイメージというのが、タツノコプロの「ヤッターマン」に出てくる悪役三人組でしか思えなくて、ああ、そんな人たちが本当にいるのかあ、と不思議な気分になったのを覚えています。

西行花伝 (新潮文庫)
西行花伝 (新潮文庫)

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辻 邦生
新潮社
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それにしても、私がいつも辻邦生を読んでいたあるいは読んでいるので、辻邦生の考え方が体験として身についてしまっているから、ということなのかもしれませんが、辻邦生の文章を読むと、いつも、その時思ったり悩んだりしていることについての言及を見つけることになるわけで、こればかりは、高校生の頃に生意気にも言っていた「キリスト者に聖書があるように、私には辻邦生がある」みたいな考えが、実は本当なんではないか、などと思ったりしてしまう今日この頃です。

これをシンクロニシティ、という言葉で説明するとするならば、これはまた後日触れる可能性もありますが、お世話になった方に譲っていただいたとある本の中から、おそらくはあまり知られていないであろう、辻邦生・佐保子夫妻が参加したという座談会の記録の中に、箴言とも言える辻邦生の実に興味深い言葉を見つけたばかりだったのです。

今日、西行花伝で見つけた言葉はこちらでした。

あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄てたほうがいいのです。正しいことなんかできないと思ったほうがいいかもしれません。そう思い悟ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい

辻邦生「西行花伝」 新潮文庫 37ページ

完全に文学的で直感的な表現ですので、賛否両論があるのはわかっています。またこの言葉だけで世界を動かすことはできません。

この世には人々がいるだけ、それだけ公正な生き方があるのです。すべての人は自分は正しく生きていると思っています。それをどう塩梅し、より広い人たちが安堵を得るかが大事です。羅生門に住む鬼どもでさえそう思っているのではないでしょうか。

辻邦生「西行花伝」 新潮文庫 37ページ

あたかも価値相対主義とも思えてしまうこの言葉。ですが、誰でも正しいという完全にサジを投げたアナーキーな状況ではありません。結局、正しいものなどはなく、「ほとんど正しければ良い」のでしょう。この「より広い人たちが安堵を得る」という言葉がそれを物語っています。おそらくはそこには論理はありますまい。あるのは善き人間の知恵でしかないのではないか、と思います。

この言葉は、若い語り手が、朝廷による紛争の裁定に不満を持っていたことに対して、西行が語った言葉、という設定になっています。

今もかつても、世界においては、良いとか悪いとか、そういう価値判断を求められることがあって、それは結局は虚しいことで、なんてことをこのご時世に考えるというのも、何か切迫したものを感じたり、いざ自分が巻き込まれた時に何ができるのかということを思ったり、という感じです。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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夏休み3日目。もうすぐ半分。早いものです。

各国ともトリコロールを掲げて、パリのテロについての何らかの意思表示をしています。

昨日取り上げたように、Amazonのトップ画面にもフランス国旗の写真が載りました。ルネ・フレミングのフェイスブックのプロフィール写真は三色旗になりました。都庁や東京タワーもトリコロールに染められたようです。シドニーのオペラハウスも三色にライトアップされました。

世界各地でそうした動きがあったようです。

で、やはりあるのがそれに対する否定意見です。中東地域では、軍事作戦による民間人への被害があるのだから、ここでフランス国旗だけを掲げるのはおかしい、という議論。

おっしゃる通りです。

でも、トリコロールはフランス国旗である以上に、フランス革命のシンボルでもあるわけです。

ウィキぺディアによると、1789年にラ=ファイエット(あるいはバイイ)によって発案され、パリ市民軍の旗となったというものなのだそうです。世界史でも習った「自由・平等・博愛」という意味が象徴されている、とされます。それぞれの色がどの理念を示すのかは俗説なんだそうです。

興味深いことに、もともとは、青と赤がパリ市民軍の標章だったものに、ブルボン朝の象徴である白百合からの引用で白を加えたということなのだそうです。

この自由・平等・博愛という何か面映いほどの理念的な言葉が象徴するトリコロールが、ルーマニア、イタリア、チャド、メキシコなどの国旗に継承されているのだそうです。

おそらくは、今の文脈で捉えるのは、二つ、です。

一つはフランス国への連帯を示すためのトリコロール。もう一つは、フランス革命で成し遂げられたとされる普遍価値としてのトリコロール。

後者だとしたら、自由、平等、博愛という言葉を支持するという意味においては、別にパリのテロだけを追悼するものでもないということになるのでは、と思います。

ただ、ですね、こうした西欧の普遍的理念というものは得てして二重の意味を持つものです。その適用範囲というものが、西欧の中にとどまるのか、その外にまで波及するのか、という点。これが、西欧の持つ重層性ではないかと思っています。

これは、まるで一神教の言説と同じなのではないか、と。そのアガペー、つまり神の愛は異教徒には差し伸べられることはありませんから。

そしてなお、その理念は、時間が経つにつれ骨抜きにされ、権力に収斂されていくという問題もあります。

昨日も少し書きましたが、これは普遍価値のせめぎ合いであると同時に、普遍価値の本当の姿が何か、という問題でもあるのだとも思います。

結局のところ、あらゆる理念的なものは、時間とともに自壊していくものではないか、と思うのです。例えば、短期的には、1789年のフランス革命もやはり自壊していきました。1815年からのウィーン体制下での王政復古においては、フランス国旗もトリコールではなく、真っ白なブルボン朝を象徴する旗に戻ったのだそうです。

インターネットも、かつては自由の象徴だった気がしますが、今は様々な制限がかかったり、ウィルスやサイバー攻撃などの舞台になりましたし。

歴史の終わりのようなものを感じるばかり。これからどうなっていくのか。きっとなすすべなく笑い飛ばして見守るしかない、そんな気がします。辻邦生が「嵯峨野明月記」で語っていた境地なのではないか、と思います。

ちなみに、冒頭の写真は、それでもやはりフランスっぽいものを、ということで、雄鶏を載せてみました。

もう、本当に平和になるように願いつつ、事象の裏を見据えようとしつつ、おやすみなさい。

Miscellaneous

もう、何を書いても空々しいものになりそうなのですが、パリの同時多発テロの件については、本当に暗澹たる思いでニュースを見たり記事を読んだりしました。今朝、目が覚めたのが6時半前ごろ。Apple Watchをつけてトイレに行こうとした途端に、BBCのニュース番組の聞きなれたジングルがiPhoneから聴こえ、なんだろうね、またジハーディ・ジョンのニュース? と思ったら、パリのテロのニュースということで、驚いた次第。その後もBBCのアプリはニュースを伝え続け、はてはコンサートホールで100名の方が犠牲になったというニュースや、フランスが国境を封鎖した、というニュースなどがどんどん入ってきました。
BBCの速報に遅れることだいたい20分ぐらいで、日経の速報が入るという感じ。NHKは同じニュースをくりかえす、ということで、日系ニュースのスピード感などになんだか??という思いでした。BBCは、記者のツイートがリアルタイムに流れるというスピード感なんですが、なんだか、時代に遅れる組織と遅れない組織の違いはなにか、という、いつも思っていることを感じたり。
Amazonを夕方に開くと三色旗の画像が。

このスピード感。スピード感。スピード感!

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本当に見習わなければなりません。早ければいいと言うものではない、という言葉をよく聞きますが、それはもう20世紀的な古い考え方に過ぎないのではないか、と。この20年で世界は十二分に変わっているのに、変わらない地域や領域もあり、変わらないことや戻ることを美徳とするという状況。
変わっているのはテクノロジーだけではない、ということも。西欧的な普遍的価値が揺らいでいるのではないか、という思いも、改めて感じるのです。テロがパリで起きたということは、それを象徴しているのではないか、と。フランス革命が起きたパリという地で、大きな反動が起きているのではないか。ウィーン体制が反動と思えないほどのという、なにか底知れない不安です。
絶対真理の存在があることを捨てざるをえなかった西欧文明に、この状況を思想的に支える力はあるのだろうか、とも。学者ではないにせよ、文学をすこしばかり学んだ身にとっては、簡単には答えが出せない状況です。
世界の変化のスピードはどんどん早くなるわけです。情報や人の動きがかつてないスピードになっているわけで、かつての100年スパンの歴史の動きがどんどん短くなっているのではないかとも。だとすると、この激しい動きはどこへ行くのか、それがわかるのはそう遠い未来ではないのかもしれない、などとも思ったり。
もちろん、今回の事件が、報道通りのものかどうかはわかりません。これはもしかすると、真珠湾攻撃のように、今後の展開にとって大きな意味を持つものである可能性もありますから。
今日は、仕事場の同僚が入っているオケの演奏で、ブラームスの交響曲第1番を。この19世紀という西欧文明にとっては稀有な幸福な世紀の記憶が詰まっているものと思います。こうした記憶の意味がどうなっていくのか、見て考えなければなりません。
私は、最終楽章のホルンとフルートを聴いて、世界の変わりようを思い、涙を流してしまいました。
辻邦生が存命ならなんと言ったか、そればかり思います。
では。また。おやすみなさい。

Book

今日から夏休みに入りました。法定年次休暇です。が、今年はどこにも出かけず、いろいろと諸事をこなすことにしました。

今日はとりあえずは、池袋へ向かい、久々の大型書店へ。ジュンク堂に行ってきました。

7月中旬に、閉店間際の池袋リブロに行ったとき以来なので、4ヶ月ぶりです。

ジュンク堂の所蔵の多さは大変有名ですが、改めてすごいなあ、と思いました。まあ、これだけの本を読むと逆に選ぶことの大切さということを知らされました。

大学時代の先輩の本が置いてあったり、加藤陽子さん書店があったり、なかなか刺激的でした。

仕事関連の本も多く置いてあり、久々にハヤカワ文庫や新潮文庫の棚の前で時間を過ごしたり、新潮クレストブックの棚の前で追憶にふけったり。

楽しいひと時でした。

棚を回った後、喫茶コーナーで少し休憩しました。雲の合間からちょうど日が差してしばしの平和。

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で、こちら。

双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)
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これ、ハヤカワ文庫のNVではなく、FTなんですが、その理由がよくわかりました。恐ろしい本かも。。ネタバレになるので何も書けません。言えるのは、この本は歴史小説ではありません、ということです。舞台は、第二次世界大戦なんですが。思わず、ゲッベルスの経歴を確認して、あ、なるほど、と思ったりしました。

何書いているかわかりませんが、ネタバレになるのであえて。。

皆様も良い週末をお過ごしください。

Johannes Brahms

一日中ダッシュしてなんとか仕事を終えました。明日からまた5日間の休暇をいただくことになりまして。。

大まかな部分では問題ないんでしょうけれど、多分細かいレベルで色々やり残したことはあるんだろうなあ、と思いながら、そんなこと思うのは、社畜というか家畜というか、という感じでもあり、なかなか複雑な心境です。

ただ言えることは、おそらくは3日経つと仕事を忘れるということです。

今日はこちら。マゼールのブラ1。

ブラームス:交響曲第1番
ブラームス:交響曲第1番

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マゼール(ロリン)
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いや、本当にマゼールはすごい個性です。みなさんご存じのとおり、あれ、そうする? みたいな驚きがあります。

この、テンポの揺らぎ、なぜ、こうするのか、私には全く理解できません。どういう発想なのか。でも、それがなんだかすごくかっこいいわけですね。

私にはこれはもうほとんど現代アートのようにしか思えません。当たり前、と思うものを思いっきり捻じ曲げて見せるような、そういう価値の転倒を感じます。

それにしても、この指揮についてクリーブランド管弦楽団もすごいなあ、と思います。もちろん、慣れているというのもあるでしょうし、リハなどできちんと合わせていたりするのかもしれませんが。プロの恐ろしさを感じます。

先日、オケをやっている方とメールで少し話しましたが、やはりオケを遣っている方は、聞き方が違うなあ、と思います。その彼は「音楽の聴き方は百人百様だからね」と言ってましたが。思わず、村上春樹と小澤征爾の対談の件その1その2を俎上に載せようと思いましたが、思いとどまりました。

多分、彼なら、もっと違う見方で、クリーブランドの偉大さを語れるような気がします。

この問題、最も悩んでいるところかも。

では皆様、御休みなさい。グーテナハト。

Johannes Brahms

Brahms: The Symphonies
Brahms: The Symphonies

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今日は、ハイティンクのブラームス交響曲第1番を。

実は、ラトル&BPOも聴いていたのですが、このハイティンクがコンセルトヘボウと録った盤の方が、今日の気分にはぴったりでした。

これは、もともとハイティンクが好きだったというバイアスはもちろんあるはず。でも、1日聞いて、やっぱりしっくりくるのです。

録音が比較的よく、Apple Music&BOSEクワイエットコンフォートの組み合わせで聴いても、ずいぶんと良く聞こえるのです。

演奏も気をてらうことのない、演奏なのです。ですが、ときおり見えるきらめきのようなものがあるのです。

それから、音が実に緊密で、スタイリッシュなのです。何か、当たり前のことをきちんとやっているという感じです。

今日に限って言えば、ラトルの、あのうねるような躍動感が、なにかかえって足枷のように思えてしまうのです。

以前は、驚きこそが意味だ、と思っていました。ですが、どうもそうではなく、驚かない中にこそ真理がある、ということなのかも、と思うようになりました。これは、オペラを観ている中でわかってきたのように思います。特に、ペーター・シュナイダーの指揮に触れてから、だと思います。

良い演奏というものは、実は演奏それ自体が目立たないもの、なのかもしれません。演奏の面白さというよりは、そこにある音楽自身の面白さのようなものが大切である、そういうことなのかもしれないです。

それでは、皆様、おやすみなさい。

Book

昨日は、フーコー関連の本について書いていながら何なのですが、今日は以下のウェブの記事を読んで、その通り! と思った次第。

フィクションを読むと幸せになる9つの理由

フィクションを読むと以下のような良いことがある、とのことでした。

  • 共感力が身につく
  • ストレス解消
  • よく読む人はよく眠れる
  • 人間関係が改善する
  • 高齢になった時に認知能力が低下するのを防ぐ
  • 寛容になる
  • 語彙が増える
  • 創造性を育てる

私としては、それに加えて、フィクションこそ、物事を得心させる力がある、と思っています。

フィクションは読者に、なにがしかの体験を与えますが、その体験というものは得てして何かしらの学びをも生じるものだと思っています。

確かに、フィクションであるところの辻邦生「嵯峨野明月記」で、どれほどの人生勉強をしたか、本当に枚挙にいとまがありません。

権力の栄枯盛衰といった、現実世界を笑い飛ばすという豪放な生き方の術というものは、この本なくしては覚えられなかったと思います。あの、俵屋宗達の磊落な口調で、「笑うほかないのだ」と語られると、本当にその通り、と思うのです。

これは、おそらくは評論で得心するよりも、随分と生々しく、仮想とはいえ実体験で学べるから、どいうことだと思います。

で、今日はこちらを読んでみました。

双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)
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最初の部分だけで、映画を見ているようで、かっこよくて脱帽でした。謎の出し方なども自然に思えますし、というところ。

主人公がスーパーマンでないというのも、なにか好印です象。ジャック・ライアンシリーズなどは、スーパーマンすぎて、なんだかねえ、と思いましたし

また読み終わったら、書いてみようと思いますが、本日はここまで。

それではまた。お休みなさい。

Book

今日からまた新しい一週間です。

最近、仕事場での勤務時間を減らし気味でしたが、今日はついつい少し残業しました。

で、なんか変な安心感を得てしまい、まったく、と自分に呆れております。

なんですかね、これは。

学校の勉強より、結果がすぐでるアジャイルというか、リーン・スタートアップというか、そういうスタイルは、スピード感持って仕事ができるので、良いのでしょう。

先日、母親が、小学生の頃の私の口癖を教えてくれました。曰く、「思いついたらすぐ実行!」だったそうです。

生きるということは、限られた時間を大切に使うことですが、その時間はもちろん有限で、思いのほか少ないと感じるときはあるようです。

やれることは限られていますから、スピードを持って、かつ、ピヴォット(リーン・スタートアップ用語だそうです。 )しながら、進んでいかないと、と思いました。

勝負はスピードと量です。質は後からついてきますので。

今日は、ヘッドホン忘れて音楽聴けませんでしたので、今日の一枚はありません。

が、今日の一言、を。

たくさんの本を読め 、できるだけたくさんの映画を見よ 、せいいっぱい音楽を聴け 、たくさんの人に会え 、多くの経験を積め 、そして空想の羽ばたきに身をゆだねよ !自由を楽しめ !

フーコーの解説書である「知の教科書 フーコー」の最後で、著者の桜井哲夫さんが書いている呼びかけです。

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前にも書いたかもしれませんが、学生時代は、フランス現代思想を忌避している感覚がありました。もっと原理的な哲学に関心があったのです。ですが、この歳になると、世界は原理だけではなく、現実でも動いているように思うわけです。

フーコーは、監獄の考察など、現実の考察から、世界を暴こうとしているように思えます。帰納法的なアプローチなのかもしれません。ですが、そうした方法の方が、なにか「うまくいく」ことが多いのです。「うまくいく」のは、すべてではありません。「ほとんどうまくいく」と言った感じです。ですが、世界はこの「ほとんど」でいいのではないか、とも思うのです。

世界は均一ではなく、全体主義でもなく、ですから。

ですので、まずは、現実をもっともっと知るべし、なのではないか、ということなんでしょう。

もちろん、現実をすべて知ることはできません、ほとんど知るべし、なのです。ほとんど、と言えるためには、量から質の転換が生じる瞬間まで頑張らなければなりません。

がゆえに、そこまでいくには、本を読み、映画を見て、音楽を聴いて、人に会う。そういうことなんだろうなあ、と、思います

もちろん、知りすぎもよくありません。よく生きるために必要なだけ、知れば良いのですとも思います。

でも、この言葉、若い人には本当に、まるで砂漠で飲む水のような効果があるんだろうなあ、と思います。もっとも、若いという言葉は相対的な概念に過ぎませんけれど。

いろいろ書きすぎましたが、また明日。

お休みなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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うーん、本当に難しく大変な1日でしたが、とりあえずは責務は果たせたのかもしれません。本当に果たせたかどうかはわかりません。慣れないことはするもんではありませんが、慣れるまで頑張れ、ということなのかも。

明日からまたハードな毎日が始まりそうです。頑張らないと。デューティがこなせない毎日で、少々焦り気味ではありますが。

今日はこちらで、落ち着いた気分になりました。

Various: L'orgue Francais
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では、今日は取り急ぎお休みなさい。

Miscellaneous,Music

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夕方、仕事場の若い方が参加しているオケの演奏会に行ってきました。それも普通の演奏会ではなく、なんと、レーピンがショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を弾いたのです。

お恥ずかしながら、初めてミューザ川崎に行きました。コンパクトで、いいホールですね。残響がかなりあるなあ、という印象でした。通常のホールとは違う作りだなあ、とも。1F席がほとんどない、というのが少し驚きでした。

オケは、アマオケの皆さんでしたが、何とも素晴らしい演奏でした。フルタイムのオケとの違いもあるのですが、そうはいっても、じわりとくる感動を随分ともらいました。

アマオケを聴く機会はあまりないのですが、その中でもレベルは高いなあと(僭越ながらも)思いました。特に、木管とかパーカスとか、かなりの実力者ぞろいだなあ、と思いました。オーボエの方、巧かったなあ。

曲のほうですが、ショスタコーヴィチの持つ、ロシア的な大地の匂いとか、戦争や圧政に苦しみ悩む人々の思いとか、圧政の中でそれを笑い飛ばしてやろうという人間の力とか、そういうショスタコーヴィチの持つ精神性のようなものが随分と伝わってくる演奏でした。

レーピンが練習で色々とアドバイスしたとのことでした。プログラムの他の曲と、このヴァイオリン協奏曲では明らかに音が違うように思ったのも気のせいではないでしょう。

それにしても、アマオケをやっている方が羨ましいです。私はジャズをえらびましたので、こんなにクラシックのことばかり書いているにもかかわらず、いつも門外漢の気分でいます。おそらく、楽器ができてオケで吹いている、ということが、一つのステータスであり、あるいはフリーメーソんの入会の儀式のような、秘儀的な意味を持っているのではないかとすら思えてしまうことがあります。

もっとも、ジャズの方にもそういう何かしらの連帯感のようなものがあって、インプロヴァイズができるということが、あたかも隠された教徒の証、のように思えるときもあります。

今は、明日、急遽、演奏することになった曲を予習中。いつも好きで吹いている「酒とバラの日々」などスタンダード曲中心です。

明日も大変な1日になりそうです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。