ミケランジェロ広場にこんなに大勢の観光客が訪れる理由は、ここから望むフィレンツェ市街の絶景にある。蜂蜜のようにねっとりとした甘い陽光に静かに沈むフィレンツェの街の景色を見て最初に訪れる驚きに似た歓喜の念と、後になってゆっくりと訪れる感動とが入り混ざった甘美な気分。サンタ・マリア・デル・フィオーレ、サンタ・クローチェ教会、ヴェッキオ宮殿が望めるのはもちろんのこと、市街地の赤茶色い屋根のさざなみが遠くへと拡がっているのが見える。ここから眺められるだけの街にルネサンスが興隆し、メディチ家の興亡が繰り広げられ、ダンテ、リッピ、ボッティチェルリ、そしてレオナルドやラファエロまでもが生活した都市なのだという感動的な事実。偉大すぎる街である。
イタリア紀行2007 その22 ミケランジェロ広場へ
狭い路地をぬけて丘へと上る道にとりつこうとすると、なんと市壁と市門が見えてくる。まだこのあたりには城壁が残っているのだ。道にに面したレストランの庭で食事を摂りながら談笑するのが聞こえてくる。バイクが横を通り過ぎていく。丘への上り坂は緩やかな階段に変わっている。天気がとても良い。階段の両側には屋敷の庭になっている。だらだらとした緩い傾斜にとりついた階段が頂上に到着すると、通行量の多い道路へ。傍にはやはりジェラート屋。道すがらに左手へおれていくと、大きな観光バスが何台も止められる広大な広場。ああ、ここがミケランジェロ広場なのだ。
ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を聴く
EMI (2000/11/07)
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珍しく、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲を聴いています。今日は第5番を聞いています。ドイツ、イタリアの音楽とは語法が全く違うなあ、と思いました。クラシックといってドイツものばかり聴いてきただけなのだなあ、まだまだ未知の音楽はたくさんあるなあ、と思っています。この交響曲全集は4年ほど前に購入したのですが、iPodに取り込んでいませんでした。新しいiPodが入手できましたので、安心して全交響曲をiPodに転送しました。
それで、今日は5番を聞いております。
銀色の空を背景して流される白い霧の合間にうち沈む波打つ丘陵地帯は一面背の低い草に覆われている。苔むした石造りの小屋から腰を曲げた老人が出てきて、井戸の水で顔を洗い、白く硬いタオルで顔を拭いているのだが、のばした茶色い髭にはまだ水滴が残っている。軒下で休んでいた長身の毛の短い茶色い犬が尻尾を振って老人にじゃれついている。
そんな印象を持ちました。
中学生の頃には、有名な「南極交響曲」を愛聴していたことを思い出しました。もう何十年も前の話です。
イタリア紀行2007 その21 ミケランジェロ広場へ
ピッティ宮殿からいったんアルノ河へ下り、ヴェッキオ橋のたもとでジェラートを購入し、ジェラートをなめながらアルノ河過半を歩く。対岸のウフィツィ美術館や、遠くにさっていくヴェッキオ橋が川面に映っている。しばらく歩いて、ミケランジェロ広場へと登る道へ方向転換。ミケランジェロ広場は丘陵の上にあるから。登るための狭い路地に入り込む。高い石造りの屋敷に挟まれた狭い路地をしばらく歩く。陽光も届かず薄暗いかんじで、人気も全くない。だが、進むに連れて、奥までアンティークな家具を積んだ工房の前を通り、入り口の小さいスーパーマーケットが現れたり、そのうちにオリーブオイルとガーリックの旨そうな匂いがしてくると小料理屋が現れてくるという仕掛け。間口の小さな文房具屋には子供向けのカラフルなノートが並んでいる。石造りの屋敷には黒くさびた鉄の輪が設えてある。辻邦生師「春の戴冠」では、ここに松明をともしたのだ、と書かれていたことを思い出す。
ちょっと短め
木曜日から更新できていません。本業もいろいろあって、なかなか書く機会を持てませんでした。イタリア紀行は、パラティナ美術館の上階の近代美術館に関することを書こうと思っているのですが、資料がなくて書くのが大変です。次に飛ばしても良いのですけれど。
音楽的には、ブルックナー、ヴォーン・ウィリアムズ、シベリウスなどを聴いています。ヴォーン・ウィリアムズは交響曲の全集を5年ほど前に買ったきりでしたので、今日なんとかiPodに入れました。
本は、辻邦生さんの「春の風 駆けて パリの時」という、辻邦生さんがパリで一年間教鞭を執られた際の日記を読んだのですが、数多くの得るものがありました。最近読んだ中では一番良かったです。
というわけで、木曜〜土曜の記事については後でアップしていきます。
雨中の山行
とはいっても、今回は鉄道会社が主催するハイキングで、三時間ほどの緩やかなコースのハイキングです。とはいうものの、今日は雨でした。本当はもっとたくさん参加されるハズなのですが、さすがにおやめになった方が多かったようですね。
9時40分ぐらいから歩き出して、ほとんど休みなくあるいて12時前にはゴールに到着。途中、一箇所だけ坂道があったのですが、連れはそこでヘトヘトらしい。大山はこれが2時間続くんだよ、というと、私は遠慮するわ、とのこと。でも、大山で身体が疲れ切ってもなお山を登ろうとすると、登山道と一体になった気分、山に一体になった気分がするんだ、というと、それじゃあまるで修業だ、と。そうそう、修業なんですよ。山伏も比叡山の生き仏も、山登りますからね。そんな話をしながら雨の中レインコートを来て話しながら歩いていると、もうゴール。少しもの足りませんでしたが、久々に山の空気を吸って良い気分転換になりました。
しかし、悪いことに、近所のお菓子屋さんが20%オフフェアをやっていたので、ケーキを買ってしまいまして、おかげで体重は減るどころか増えてしまいました。とほほ。
また来月も鉄道会社主催の山歩きハイキングに参加しようと目論んでおります。良い運動になりますからね。きっと身体に良いと思います。
イタリア紀行2007 その20 ピッティ宮殿をでてから
ピッティ宮殿の二つの美術館、すなわち、パラティーノ美術館と近代美術館を見終わっていったん建物の外へ。空はどこまでも澄み渡っていて、甘い蜜のような陽光が降り注いでいる。というのも、ピッティ宮殿にしても、街の建物にしても、外壁が柔らかい褐色なので、光を受けると淡く輝くからなのだ。それが陽光を蜜のような風合いにしているというわけ。
ピッティ宮殿の庭園であるボーボリ庭園にはいるべきだったのだが、時間がなかったのと、入園料が高かったので断念。連れが宮殿前の文具屋でマーブル紙を物色するとなりで、カリグラフィーの筆先の多様さに見とれていたら、封蝋の道具一式に「衝動買いでもしてみないかい?」と誘われたりしたのだが、ここは我慢。連れの買い物が終ってから、景色が良いというミケランジェロ広場に向かう。
写真は連れが買ったマーブル紙。
イタリア紀行2007 その19 プリニオ・ノメルリーニ
パラティナ美術館の上階は近代美術館になっている。ルネサンス期の絵画を見た後に、近代美術館の比較的新しい絵画群を見ると不思議な気分になる。すでに絵画のイニシアティブはフィレンツェにはない。フランスへ移っているのだろう。そういうわけで、いわゆるよく知られた画家の作品は少ない。それに、体調もあまり良くなかった。午前中、たっぷり時間をかけてウフィツィ美術館を歩き回り、昼食後はパラティーナ美術館を堪能したわけで、さすがに疲れもピークを迎えている。美術館に行くと言うことは、すなわち体力勝負をする、ということと同義である。そう言う意味では近代美術館には申し訳ないことをしてしまった。あまり絵が目に入ってこない状態で室内をまわることになってしまったのである。疲れた身体に鞭を打ってまわっても余りよいことはない。今日に限って言えばオーバーワークだったと言うことなのだ。
ところが、展示の最後に強烈な印象を持った絵に出会うのである。プリニオ・ノメルリーニ(Plinio Nomellini)というリヴォルノ生まれの画家で、1866年に生まれ1943年になくなっている。ネットで検索していたところ、プッチーニと知り合いだったという。この画家のIl primo compleanoという絵に衝撃を受けたのだ。点描画風の絵で、窓から暗い室内に光が差し込んでいるだが、日なたの部分はもちろん日陰の暗い部分にも赤、青、緑といった原色系の点が粒状にちりばめられているのだ。暗い影だというのに、明るい色彩感を持っているのである。窓からの光が部屋全体に輝き拡散して居るのが分かるのである。光の魔術というのはこういうことを言うのかもしれない。画面には母親と四人の子供。一番小さな子は母親に抱かれている。暗い部屋なのだが、皆が幸せそうな顔をしている。
ノメリーニの別の絵もやはり凄い。「正午」という題名の絵なのだが、明るい日差しの差し込む森にテーブルを運び込んで家族が昼食を撮っている風景が、点描にも似た儚い筆致で描かれている。黄金色の日差しが画面に一杯に拡がっていて、食事の幸福感が強い力で迫ってくる。画面を縦に分割する木の幹が描かれていて、それが画面の構図を堅牢強固なものにしている。画面から迸る色の流れにのまれて、甘美に惑溺される思い。
画集などを検索してみたのだが、日本、米国、英国のAmazonでは取り扱っていないようだ。日本語の文献もない。イタリア語版のWikipedeiaには項目があるものの、すぐには読み下せない。悲しい思い。継続調査が必要だ。
イタリア紀行2007 その18 ラファエロ
つづいて、パラティーナ美術館へ。レストランをでて、暗く狭い路地を登っていく。暗い路地には小さな商店が幾つもある。煙草屋、小さなスーパー、花屋。暗い路地をぬけると一気にぬけきった青空と輝く堅牢な石造りの宮殿が視界の中に拡がる。ピッティ宮殿だ。トスカナ大公国時代には大公が住み、イタリア統一に際しては、一時イタリア国王の居城ともなったピッティ宮殿内には、パラティーナ美術館などの美術館が設置されている。今回の旅の目的の一つである、ラファエロの聖母子像を観ることができるはずである。
ここでも入場に際しては手荷物のX線検査と金属探知器の洗礼を受ける。この街の観光スポットでは、どこもそうした取り扱いをしている。
さて、パラティーナ美術館の陳列は近代以前の並べ方である。通常の美術館に於いては、年代別、地域別に分類されていることが多いのだが、ここはちがう。バラバラに、壁一面に絵画が下げられているのである。これには思ったより違和感を感じた。上の方の絵が光ってよく見えないのである。とはいえ、有名なラファエロの二つの聖母子像をは目の高さに架けられていて、とても見やすい。
小椅子の聖母。写真とは全く見え方が違う。絵の具の厚みと筆遣いがよく見てとれる。実物を前にしてしか見ることのできない現実感。絵がいままさにここにあるのだ、と言う緊張感。そして絵の奥に拡がる実在がいまそこにあるという感触。
大公の聖母。ラファエロにとっては、女性を愛するということが、仕事と同じぐらい重要事だったに違いない。絵の構図の手堅さは凄い、と感じ入る。
イタリア紀行2007 その17
ウフィツィを後にして、アルノ河の対岸に渡る。ヴェッキオ橋にはたくさんの観光客。渡りきってすぐに右折して、暗い通りを東に歩き続ける。目的地は、連れが探してくれた美味しい料理屋さん。地元の人が行くらしく、手頃な値段で楽しめるらしい。ということで、サンスピリト教会の脇を通って、路地に面したトラットリアに入る。奥の部屋の席まで案内されるのだが、地元の男達がたくさん食事をしていて、不思議なことに入ってくる男達と頻繁に挨拶を交わしている。まるで、このレストランのお客全員が知り合い同士なのではないか、と思えるほど。実際にそうなのかもしれないけれど、こういう風景は日本では全く思いつかない。もちろん写真食堂のような限定された食事場所でならあるかもしれないけれど。というか、本当にお互い人なつっこくしゃべっていて、イタリア語で僕らに話しかけてくる男もいて、スリリング。給仕のお姉さんは色黒で男勝りな口調で、お客とやり合っている。みんな食事を心から愉しんでいる感じ。隣の男は、白身魚を頼んで、黄緑色のねっとりとしたオリーブオイルをたっぷりかけて食べている。醤油のような存在なのだ、と聞いたことがある。まさにそう言うことなのだろう。
これは連れが食べたジェノベーゼ。
これは僕が食べたキノコのスパゲティ。
これがデザートにとったケーキ。10月頃だけ味わうことが出来るパイらしく、上には赤い葡萄の実が一面に。食べると、葡萄の甘酸っぱい匂いと共に、葡萄の種のジャリッと言う食感。種なし葡萄ではなく、種ありなのだが、よく焼けているので、種ごと食べられるというわけ。美味なり! 隣のテーブルの親切な男が、ToscanaのTipicoと言ってくる。どうやらトスカナ地方の典型的なデザートなのである、ということを言いたかったらしい。言葉が通じないというのに話しかけてくるなんて言う経験はこれまではなかった。少なくともドイツではなかった(のだが、イタリア旅行の帰り道寄ったドイツで、親切な何人ものドイツ人に出会うことになるのだから、本当に旅行というものは面白いものである)。