カラヤンの「ヴァルキューレ」を聴く

今朝は少々寝坊。あやうく遅刻しそうでしたが、なんとか練習には定刻に到着。ここから3時間一年ぶりのバンド練習でして、やはり疲れていた模様。楽譜はもっとさらわないと行けませんね。

ちなみに、新宿で練習したのですが、いつの間にかマルイの古いビルがぶっ壊されていてびっくり。元三越のビルに入ったジュンク堂書店で、久々にぶらぶらとしていたのですが、あまりの本の多さに圧倒されてしまう感じ。本なんてもう無限にあるから、読むか読まないかの選択する時点で勝負は決まって居るなあ、と思った次第。です。

今日は、久々にワーグナーに回帰。何度も登場しているカラヤンの「ヴァルキューレ」です。「ワルキューレ」と表記するべきか、「ヴァルキューレ」と表記するべきか迷いましたが、ウィーンだと「ワルキューレ」、ドイツだと「ヴァルキューレ」かなあ、と思い、あえて「ヴァルキューレ」に。ワーグナーもヴァーグナーなのではないか、とかありますが、まあ余りこだわると疲れるので、キメの問題と言うことで。

相変わらず美しい声を聴かせてくださるヤノヴィッツさんには脱帽。ヴィッカーズさんのジークムントもようやく咀嚼できてきました。

それにしても、ノートゥング(ヴォータンがジークムントのために準備していた剣)の挿話は、アーサー王伝説におけるエクスカリヴァーの挿話とよく似ていますね。選ばれた人にしか抜くことの出来ない剣、という設定は全く同じ。ワーグナーもきっとエクスカリヴァーを意識していたのでは、と想像します。

ジークムントとジークリンデの許されざる愛は、トリスタン伝説にも似ている。ですが、ジークムントとジークリンデのほうが遙かに悲劇的。トリスタン伝説は二人の死で昇華される訳ですが、ジークムントは父親のヴォータンに見放され闘いに敗れ、ジークリンデは森の奥に逃げねばならなくなる。しかも息子は奸計で殺されるし……。ヴォータンが指環を取り戻すために生まれたジークムントもジークフリートも悲劇的な死に見舞われる。ヴォータンって奴は……。そういう人間味のある神の姿はやっぱりギリシア神話のゼウスに思えてならないし。

指環は神話における壮大なカクテルなのだなあ、と思います。

以前、今年の秋に新国立劇場でラインの黄金とヴァルキューレがかけられる、と書いた覚えがありますが、勘違いでした。来年の春ですね。一年後になります。それまでには、ニーベルングの指環をもっと理解できていると良いのですが。

  • 作曲==リヒャルト・ワーグナー[ヴァーグナー]
  • 指揮者==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • ヴォータン==バリトン==トーマス・ステュアート
  • フリッカ==ソプラノ==ジョゼフィン・ヴィージー
  • ジークムント==テノール==ジョン・ヴィッカーズ
  • ジークリンデ==ソプラノ==グンドゥラ・ヤノヴィッツ
  • フンディング==バス==マルッティ・タルヴェラ
  • ブリュンヒルデ==ソプラノ==レジーヌ・クレスパン