はじめに
昨日の興奮冷めやらぬままこちらのCDきいているんですが、ちょっと、これすごくないですか!! フィガロのPaneraiがスゴイ。。
http://www.icartists.co.uk/classics/catalog/cds/carlo-maria-giulini
これは、また後日として、昨日の続きです。
演出
今回のケップリンガーの演出は2005年に続いて2回目ですが、以下の二つ理由から、今回のほうがより楽しめた気がします。
一つは、ビジュアル面でしょう。今回の公演、皆さんカッコイイ方ばかり。ロジーナのコンスタンティネスクも美人さんですし、伯爵のボテリョもずいぶんとイケメンです。あとは、フィガロのイェニスの粋な身振りが素晴らしいです。
(2005年公演では、ロジーナの方がアルマヴィーヴァより背が高いという状況だったと言うこともありますが)
舞台設定
もう一つ。席が良かったです。今回も奮発して前の方だったので、舞台の細かいところまでちゃんと観ることが出来ました。いろいろな仕掛けをつぶさに観ることができて面白かったです。
たとえば、電気器具や調度品の時代考証も凝っていて、置かれている白黒テレビは当然ですが、第一幕冒頭でフィオレッロが持っている白いラジオがレトロ調で格好良かったです。
フランコ統治下のスペイン
舞台は1960年代のセヴィリアです。ですので、フランコの肖像がバルトロの部屋に飾られています。
そういうこともありますので、どうやらグアルディア・シビルとよばれる治安警察が踏み込んできたという設定になっているようです。あの特徴的な帽子の形でそうだと分かりました。フランコ政権時代はこのグアルディア・シビルが国内統治に利用されていたようです。
若者と老人、フランコとアルマヴィーヴァ
今回の演出においては、アルマヴィーヴァ、ロジーナ、フィガロの三人の若者が、バルトロ、バリジオなどの年寄りに反旗を翻すという物語にも見えました。
演出のケップリンガーの説明においては、原作が書かれたが書かれたフランス革命前夜とおなじく、演出の舞台である1960年代のセヴィリアも「社会構造の変革を前にした「熱い時代」」であると語られています。
フランコ政権は1938年に始まり、1975年のフランコの死によって幕を閉じます。後継者として国王に指名されたファン・カルロス一世によりそれまでの全体主義体制から立憲君主制へと移行し、「スペインの奇跡」と称されるほんの少し前の時代です。
来るべき新しい時代が3人の若者によって象徴されているのか、などと思ったり。
ですが、アルマヴィーヴァは伯爵位にあります。いわば旧体制に属しながらも、若い世代に属しているというゆがみが生じているのだ、と思います。
警察(グアルディア・シビル)の隊長がアルマヴィーヴァの伯爵位に恐れをなし、同時にフランコの肖像を担ぎ出すのはそういうゆがみがなせるわざでしょう。
(余談ですが隊長は、2002年に観た新国立劇場の「セビリアの理髪師」では堂々たる人物でしたが、今回の演出では権威主義的でだらしない男になってました)
あるいは、アルマヴィーヴァもフランコと重ねあわされているような場面もありました。ロジーナがバルトロの奸計でアルマヴィーヴァとフィガロの企てに疑いを持った瞬間、フランコの肖像が壁から落ちましたね。あれはどうしてなんだろう?と思うのです。
旧体制に属しながら新しい時代を切り開く人物であるアルマヴィーヴァはいったい誰なんだろう? ファン・カルロス一世なのかなあ、などなど。
いやいや、我々はこの物語の続編を知っています。モーツァルトの「フィガロの結婚」です。そこでは、アルマヴィーヴァがバルトロのような俗物に成り下がっています。そうした示唆なのか……。
次回に続きます。