森さんは日本人が文化の上澄みをすくい取って、それで文化摂取が出来たと思い込む態度に絶望感を抱いていた。文化は、結果ではなく、結果に至る前経験が大事なのだ。
辻邦生「薔薇の沈黙」 7ページ
巨大な経験の堆積であるヨーロッパ文明というものが、こういう人間経験の無限の循環過程、その複雑な発酵過程だと言うことに思い至ったとき、僕はなんともいいようのない絶望感に襲われる。歴史とか、伝統とか、古典とかいう言葉の意味が、もう僕にはどうしようもない、内的な重みをもってあらわれてくる。
森有正「バビロンの流れのほとりにて」 152ページ
西欧文明を理解するなんていうのは、まったく、途方もない話です。
すでに不可能なことは分かっています。試みようとすれば、ろうそくに近づく虫のように焼き尽くされて命を失うことは分かっています。ですので、適度に距離を保って、周りを旋回するしかないわけです。っつうか、危うく焼き殺されるところだったことも。危ない危ない。
辻邦生も森有正も西欧を徹底的に考えた方で、こういう文章の重みは、支えきれないほど。
因果なことに、なんで、西洋音楽を聴いているのかなあ、などと。
先日も、イギリス人に「日本料理は他国のまねだ!」と言われて、非常に腹が立ちまして、イギリス料理批判をしようとしましたが、そこは思いとどまり、「そもそも「独自性」とはなんだ!」と居直って、フランス料理がカトリーヌ・ド・メディシスによってフィレンツェからもたらされことを指摘して、世界に名だたるフランス料理ももともとはイミテーションであると規定し、溜飲を下げました。写真がそのお方。ロレンツォ・メディチの孫娘で政略結婚でフランス王家に嫁いだお方。
音楽も、日本において受容され、そこで引き続き「発酵」を続けているわけで、その「発酵」の過程を見ているのだ、という解釈が、先鋭的ではない解釈なんでしょうね。
明日は、久々の完全オフ。大掃除と年賀状にいそしむ予定。