Tsuji Kunio

真に生きるとは、たえず不安、危懼、懸念に心がゆさぶられ、日々を神仏に祈りたい気持ちで過ごすことでなければならぬ。不動心を得たいというのは、誰しもが念願することではあるけれど、高齢になって世の名利の外に立ち、常住平静の心境に立ちいたってみると、若い迷妄の時こそが、生きるという、この生臭い、形の定まらなぬものの実体であったと思い知るのである。

嵯峨野明月記 から。

確かになあ。

いろいろあった頃のほうがきっと充実していたのでしょう。いまもいろいろあるのだけれど。

明日でいったん戦線離脱。昨年のクリスマスは仕事でしたが今年は自宅謹慎の予定。