隣駅のケーキ屋にて。カミさんへの感謝に。
と言いながら財布は同じなんですがね。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
プッチーニの最初のオペラ「妖精ヴィッリ」は、ソンツォーニョオペラ作曲コンテストに出品され、落選したものだった。
このコンクールは出版印刷会社経営するエドゥアルト・ソンツォーニョが企画したものだった。ソンツォーニョ社はもともと、文学作品の廉価版を出版したり、共和党の月刊誌にも関わっていた。
エドゥアルトはそれにも飽きたらず、音楽情報誌「イル・テアトロ・イルストラート」を作った。そこでオペラ作曲コンクールを催したのだった。
第一回目の優勝者は、ルイージ・ボレッリ「アンナとグァルベルト」、グリエルモ・セッリの「北の妖精」であった。プッチーニの妖精ヴィッリは落選したのだが、これには背景がありそうだ。というのは、プッチーニは遅筆で、締切間際に提出し、しかも乱筆であったから、というのだ。人間はまずは体裁から入るから、中身が良くても体裁が悪すぎては氷化されないと言うことになる。
ソンツォーニョ社はプッチーニを見いだすことが出来なかった。
だが、第二回目のコンクールにおいて、ソンツーニョ社は金の卵をてに入れたのだ。
マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」である。
これが「ヴェリズモオペラ」のブームのはじまりはここにあった。そして、そのブームがプッチーニに「トスカ」を作曲させる要因の一つになったのだ。
一方、落選した「妖精ヴィッリ」を目にとめたジュリオ・リコルディがプッチーニを見いだしたのだ。ソンツツォーニョ社はライヴァルのリコルディに塩を送ったことになる。
また、第一回目の入選者はどうなったのだろう。人生の哀楽をみる一つのエピソードがある。
次回へ
今回は郷土愛から友愛へ。明日は郷土愛に復帰します。
写真はサントリーホール前。今年ももう終わりですか。
もう時の速さに驚くこともなくなりました。
ですが、四半世紀前のことがまざまざと思い出されるのには驚きました。
先日の日フィルの定期演奏会で聴いたチャイコフスキー交響曲第四番ですが、幼き頃よく聞いていたのですね。確かFMシンフォニーコンサートのエアチェック音源で、山本直純が解説していました。
山本直純は、「この曲は暗い。日本人は暗い曲が好き。だから日本人はこの曲が好きである」と述べておられたと思います。
で、この曲聞くうちに、あの頃の記憶がふつふつと。なんだか昔の自分と対話している気分になりました。
こういうのがいわゆるマドレーヌの挿話なんだろうなあ、と思います。
指揮はマイケル・フランシス。長躯を活かしたダイナミックな指揮は見事。緻密な統率力で日フィルサウンドもいつも以上に引き締まっていました。最終楽章の高速フレーズは圧巻でした。
今週末は仕事になりました。まあ、ひと気のないオフィスでの生産性は半端ないので、楽しみです。
すいません。ソンツォーニョの件は日曜日に書きます。
ではまた明日。
今日も郷土のために頑張りました。
トスカに関連して、周辺事情をいろいろと調査しています。
ソンツォーニョ社について調べています。19世紀のイタリアの出版社で、ソンツォーニョオペラコンテストを主催していました。プッチーニはここに「妖精」を出品しましたが、残念ながら落選します。そのあとが面白いのです。
今日は遅いので取り急ぎ。明日に続きます。
先日の新国立劇場の「セビリアの理髪師」の演出。二回目なんですが、今回はいろいろ気づくところがたくさんありました。
そのうちのひとつ、面白かったところが序曲の部分です。
あそこでは、登場人物達が一人ずつ登場して、舞台の最前部でマネキンのように動きを止めます。最後にフィガロが登場するのですが、フィガロが合図するごとに、登場人物達は操り人形のように動き出し、また合図をすると動きを止めます。
なんだか、マネキンと言うよりフィギュアが登場したような感じでした。私はフィギュアは持ってませんのでよく分かりませんが、華やかな衣装を着けたキャストが人形のように立っているので、そう思えました。
フィガロがフィギュアのような登場人物達を操るのは、フィガロがこの物語の狂言回しだからでしょうか。にしては、劇中ではメタフィクション的な動きが見えませんでしたね。
一昨年の「コジ・ファン・トゥッテ」では、アルフォンソが狂言回しでしたので、途中で登場人物達の動きを止めてコントロールするシーンがありましたが、そうした動きはなかったと思います。席が前すぎて俯瞰できなかったのかも。。
何れにせよ、演出は本当に面白いです!
先日から連載しているトスカの件ですが、その後も引き続き調査を続けています。その中でわかったことをお伝えします。
トスカ成立の話の中でフランケッティという作曲家が登場しました。もともとトスカの作曲権を持っていたのですが、ジュリオ・リコルディにしてやられて、プッチーニに作曲権を渡してしまうという話でした。
その際に、フランケッティはプッチーニの学友だったという話を書いたと思います。このエピソードは、プッチーニの伝記として有名なモスコ・カーナーの著作に登場します。私はそこから引用しました。
ところが、南條年章氏の「プッチーニ」(音楽之友社)おいては、それが誤解ではないか、という説が紹介されていました。
曰く、フランケッティは、プッチーニと同じマージという先生に習っただけなのだそうです。いわば兄弟弟子です。ですが、一緒に学んだことはなかったとのこと。プッチーニはルッカで、フランケッティはヴェネツィアで、マージに師事したということになります。
歴史の中に埋れた真実はその手がかりをつかむのは難しいです。
(イタリア語がわかれば良いんですけどね。あと10年すれば、翻訳エンジンの性能が上がるでしょうから、文献程度なら辞書がなくてもわかる日がくるでしょう)
このシリーズ、来年元旦には、形にまとめてご披露できるよう頑張ります。
セヴィリアの理髪師、劇が一瞬中断する瞬間がありますね。
それは、第一幕の最終部分、第16場のところです。
http://www.youtube.com/watch?v=SYwG4199BCg
「銅像のように冷たく動けなくなったわ」以降では、キャストがみんな止まって、六重唱が始まります。この映像でいうと、2分27秒のあたり以降です。
演出にもよると思いますが、新国立劇場の演出では、登場人物達が停止し、背景の警察達が曲の拍節に合わせて体を動かし始めます。ストーリーの中の時間速度が遅くなる、あるいは停止して、登場人物達がストーリーから抜けだす瞬間です。
これは一種のメタフィクションなのでしょう。
リブレットを読むと、一応、バルトロが銅像のように固まってしまったと揶揄する場面と理解できるんですが、実演を観るとそうは思えません。
バルトロだけじゃなくてみんなかたまる必要はないんです。
でも、Youtubeの演出もみんな止まってますし、先代の新国立劇場演出でもやはりかたまってしまいました。
なんだか、この場面いつも奇異に思えます。
それに、歌が終わった後に、場面転換を告げるかのように信じられないほど静謐な旋律が出てくるのですよ。
その後またドタバタハチャメチャな喜劇に戻るのですよね。
これはリブレットを読んだだけだと理解できない世界です。
ここだけ、際だっているのですよねえ。
ググってみたんですが、どうも答えは見つかりません。