辻邦生没後15年によせて その9 芸術的真摯

小説への序章

「われわれの意識、われわれの認識、われわれの真理感覚が今日のような状況にあるとき、(外見を目的とするような)遊びがなお許され、まだ精神的に可能で、真剣に取り上げられるべきかどうか。自足的、調和的にまとまった作品そのものが、われわれの社会情勢の不安定さと問題性と不調和とに対して、なお何らかの正当な関係を有しているか」

辻邦生(1976)「小説への序章」河出文藝選書 245ページ
これも辻邦生「小説への序章」にかかれていた、悲痛なまでの芸術的真摯です。倫理と美学の相克に悩んだ辻邦生が昭和36年から昭和41年、つまり1961年から66年にかけて、書いていたことです。歳で言うと36歳から41歳にあたります。
芸術が、社会と如何に関わりを持ち続けるか。乖離してしまうことなく、あるいはあまりに接近することなく、正当に関係を持ち続けることができるか、ということです。
音楽や文学を「社会におけるデザートのようなもの」と評することもあるようです。なくても大丈夫、みたいな。ですが、そうとも一概にはいえないのだ、ということは直感的には分かるのですが、それを述べること自体に抵抗を覚える、あるいは、述べたところで屁理屈にしかならないのではないかというおそれを抱く、などなど難しい問題であるはず。エチカとエステティックの問題です。新カント学派なら「真善美は一致する。だからいいじゃない」というと思いますが。
この本、一昨日から引っ張り出してきて読んでいます。おそらくこれまで一読はしていますが、一読では済まない本だと思ってます。20世紀中盤までのの哲学状況を抑えておかないときちんと読むことができないわけで、ニーチェ、実存、ハイデガーなどが必要です。今となってはこの本で描かれる「現代思想」のあとがあるわけなんですが(構造主義など)、当時の空気を想像しながら読むと楽しいものです。
中身は、楽しいなんて行っていられないぐらいスリリングなんですけどね。
疲労困憊です。暑い一日でした。いつもは昼休みには散歩に出かけますが今日はそれどころではありませんでした。一日中会社にこもってました。
最近眼があまりに疲れます。メガネ屋に行ったら、「老眼ですよ。度を下げましょう」と言われますし。それも恐縮したような感じで言われるもんだから、余計に腹立たしいことこの上ありません。
というか、眼を使いすぎ。スマホで兵器で30分ぐらいはKindle読んでますので、眼が悪くなるに決まっているのです。老眼というより眼精疲労かな、とも思います。そろそろ生活を変えたいものです。
ではグーテナハトです。

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