暑い毎日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。この数年、冷房にやられることがおおく、必ず上着を来て仕事場に行きます。寒い冷房のなかで上着を持っていると、なにか安心をします。
ですが、さすがに今日は上着をあまり使いませんでした。年々耐熱性が下がります。熱に順応する訓練をしないと。
さて、一昨日、昨日に引き続きです。
それにしても、今回の展示は、なにか私の中の辻文学観のようなものが大きく変わったように思えます。
しばらく前に触れた「フォニイ論争」の件を調べている時に、このような文章を読んだわけです。
日本でも西洋でも、歴史小説は「通俗」の疑いを掛けられがちだし、『背教者ユリアヌス』は、いま読んでも、シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』のような通俗歴史小説に見えるし、その後の辻は、井上靖より薄味な通俗歴史小説を書きつつ、それを純文学として通用させて終わった人だった。
小谷野敦『現代文学論争』筑摩選書 70ページ
この文章を読んで以来、引っかかりを覚えていむした。これは、一つの見解ですので、なにかネガティブな感情を持つということはあまりありません。ですが、このような見解がある、ということはわかっておいたほうがよい、とは思います。
私が調べていたこの「フォニイ論争」は、小谷野さんの『現代文学論争』において詳しく取り上げられており、前述の引用も、「フォニイ論争」の章からのものです。
フォニイ論争というのは、1973年に、評論家の江藤淳が、辻邦生、加賀乙彦、小川国夫の「73年三羽烏」に丸谷才一を加えた4名を、「フォニイ」と評したというものです。
「フォニイ」とは、まがいものであり、「うちに燃えさかる火を持たないもの」、という意味ののようです。
小谷野さんは、『現代文学論争』において、フォニイ論争とは、文壇における私小説をめぐる論争だった、というように捉えておられます。江藤淳は、紆余曲折はあったようですが、純文学を正当な日本文学と捉えていたようです。
つまりは、辻邦生のような歴史小説は通俗であり、私小説こそが本物だ、と捉えられていたのだと思います。リアリズムですね。
私は、あまり文学史のようなものに詳しいわけでもなく、これまではあまり興味もなかったのですが、この「フォニイ論争」を調べて以来、端的ではありますが、やはり文壇のメインストリームから辻文学へ向けられたある種の視線のようなものを感じていたのでした。
ですが、本当に繰り返しになってしまいますが、谷崎潤一郎賞を受賞したということこそが、こうした「視線」に一つの終止符をうったということにならないか。そういう捉え方をしたのでした。辻文学を理解するための史観を理解した、とも言えると思います。
ここに、辻文学の歴史の大きなうねりのような曲線を感じるのです。
今日もここまでです。どうかみなさまごゆっくりお休みください。グーテナハト。