Opera,Richard Strauss

昨日から聞いているサヴァリッシュの《エレクトラ》。

この複雑な音響こそ、ロマン派の終着点の一つなのではないか、と思いました。ただ、その後、シュトラウスはもう一つの終着点である《カプリッチョ》にもたどり着くのですが。《エレクトラ》が全てを取り込む重厚長大な終着点であるのに対して、《カプリッチョ》は粋のような抑制があります。何か、戦うことに疲れた老兵のような。シュトラウスのそういうところが大好きです。天才の手遊びのような。マーラーが長生きしたらやはりそうなったんだろうか、なんてことを思ったり。

Strauss: Elektra
Strauss: Elektra

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Wolfgang Sawallisch
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私が《エレクトラ》で一番好きなのは、の最初の方のエレクトラの妹のクリュソテミスが歌うところ。あそこは、歌っていることが人間として真っ当なことなので、このおどろおどろしい世界の中で唯一美しいと思うのです。確か、母親になりたい、といったようなことを歌っていたはずです。人間らしいものが美しい、か。ですが、世界はおそらくは、そこ以外の《エレクトラ》みたいなんでしょうね、きっと。

そうだ。エレクトラのことを最初に意識したのは、デュトワがN響を演奏会形式でやったときのことを聞いたからでした。こちらに当時の模様をレポートしてくださっている方の文章がありました、そうか。2003年のことでしたか。。もっと前かと思いました。

ところで、昨今思うのは、置いていかれる感覚。これって、まあ、健全な感覚なんだと思います。そうでないと、人間進歩がありません。やりたいことたくさん。でも24時間。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。