昨日は、学習院大学で開催された講座「辻邦生《背教者ユリアヌス》をめぐって─美術と文学の観点から─」に行ってきました。
第一部は美術史家の金沢百枝先生の講演。「美術からみる『ユリアヌス』あるいはりすちゃんの気配。金沢先生は、辻邦生の奥様で美術史家の辻佐保子さんのお弟子さんに当たる方で、佐保子さんとの思い出を交えながら、辻邦生「背教者ユリアヌス」の場面や描写を美術史的観点から解説したものでした。登場する様々な文物、例えばモザイク画であったり建築物であったり彫刻であったりそうしたものを、実際の画像で見ると、やはり作品に対する理解も深まるし、あるいはもっと言うとパースペクティブ自体を変えてしまう力がある、と言うことがよくわかったのです。時間に余裕がないと、小説を読むにもあらすじを追ってしまいます。とくに、最近、時間に追われていて、「背教者ユリアヌス」の再読も果たしてきちんとできていたのか、と反省しながら講演を聴いていました。
第二部は、昨年に引き続き加賀乙彦さんの講演でした。昨年もお話しされた辻邦生との出会いのシーンやパリのシーンも再びお話になりつつ、また加賀先生の思い出話も交えながら、パリ時代、そしてその後の辻邦生との親交についてお話がありました。
ポイントは三つあったと思います。
一つ目のポイントは、同人誌「犀」の件。加賀さんは、同人に入るように辻邦生に誘われたが、その後立原正秋と辻邦生が文学のことで意見を対立させ、辻邦生が同人を離れた、というものでした。
一方、辻邦生がこの同人に入ったのは、加賀乙彦さんを世に出すためであり、目的を果たした上で同人を離れた、という記述を辻邦生のエッセイのなかで読んだ記憶があります。友情だなあ、と思いました。
もう一つのポイントは交通事故の件と、亡くなった場面のこと。これまで私が活字で読んだことのないことで、知らない情報でした。ここに書いてもよいものかどうか。話されたと、加賀さんはうつむかれ、おそらくは涙を流されていたように思いました。私も落涙。当時まだ二十代でちょうど読み始めて10年たった時でしたが、一ヶ月アルコールを飲まずに私なりに追悼しました(飲み会で先輩に強要されても耐え抜いたのです)。
ポイントの三つ目。北杜夫、辻邦生、加賀乙彦の小説の源泉とはなにか?と言う話題です。
北杜夫は、自分の親交を書いている。
辻邦生は、勉強して徹底的に調べ上げ文学世界を創り出す。
加賀乙彦は、精神病患者、犯罪者の研究がソースとなっている。
かつて菅野昭正さんが書かれた文章「本の小説、小説の本」について書いたことがありました。加賀さんのおっしゃるとおり、と私も思います。
https://museum.projectmnh.com/2016/03/21225416.php
個人的には、今回の文庫本についていた加賀さんの解説の種あかしが聴きたかったのですが、それはならず。もう少し考えてみたいと思いました。
講座の終了後は、辻邦生を語る会へ。日頃の環境と、まるで別の世界に来たような感じで、私としては、心が洗われ、しばし生きていることを再確認したような気が致します。また明日からが大変です。
それはみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。