昨日は充実した一日でした。
昼食はカミさんの友人の方々と食事。女性グループに私が入り込んだ感じで、居心地わるくならんだろうか、とちょっと心配したんですが、みんな魅力的な方々で、会話を楽しんだ感じでした。
夕方は大学時代のサークルの後輩の結婚披露パーティーという名のライヴ。呼んでもらって本当に良かったです。生バンドの演奏を聴くのは本当に面白い。もちろんみんなアマチュアの方々なんだけれど、ライヴという空間共有は実に気持ちが良かった。ビールやらワインを飲みながらの悦楽。オペラも良いですが、ジャズライヴ(といってもフォービートは登場しませんでしたが)もいいなあ。
ヴォーカル入りのバンドが二つ登場したんですが、どっちも結構楽しめた。結構ホーンセクションが充実しているバンドで、一つ目のバンドなんて、ペット、トロンボーン、アルサク×2、テナーサックスという豪華さ。それでファンキーなナンバーをやってくれて嬉しい。二つ目のバンドは、たぶんインコグニートの曲と、EWFの曲をやっていた。ああ、あっしも、ファンクなバンドのホーンセクションをやってみたい!
アルトの方、ちょっと話をしたんですが、デュコフつけていたんで、伊東たけしですか? と伺ったら、サンボーンだった。サンボーンの音は出すのはかなり難しいよなあ。私も出せるもんなら出してみたいが相当なコストと時間が必要。
もちろん、出席していた昔のサークル仲間との思い出話も楽しかった。もう15年ぐらい前の話なんだけれど、つい昨日のようにエピソードが噴出して笑いの渦でした。
今日は「愛の妙薬」です。
楽しい食事会&生バンドはいいなあ&旧交を温める
ローマ紀行 その33 ミュンヘンから成田へ
ミュンヘンに到着した僕らは、とりあえずポストオフィスを探して絵葉書を投函しました。GAさんに聴いてみたらKeine Ahnung(そんなの知らないわ)といいながらも地図を出して探してくれる。やっぱり南ドイツ人は優しいです。
ランチはもちろんドイツ料理。これが最後の海外旅行かもしれないという、すこし感傷的な気分になっていたので、昼間からWeis Bierを注文しました。これは「白ビール」と訳されますが、日本の一般的なビールとはもちろん違います。ご存知のとおり白ビールには酵母が入っていて味がまろやかなのです。ドイツ人的几帳面さで、きっちり0.5リットル。すばらしい。
ソーセージに、パン。
このパン、塩がついていてめちゃ旨い。日本だと塩加減緩くしてるんですけれどね。
飛行機のウェルカムドリンクはカンパリにしました。スナックがしゃれてます。
ミュンヘンから成田への機材は、行きと同じくエアバス340でした。エコノミーだったのですが、すごく待遇よかったですよ。スパークリングワインを3つも出してきてくださって、私ら二人ともべろべろに酔っ払ってしまいました。
その後、待ちかねたように始まった免税品販売の時点では完全に理性を失い、財布やら何やらを二人して大人買い。財布なんて、「ちょっと中見せてよ」といったら、キャビンアテンダーの男性が包装をビリビリ破ってくれるもんだから、買わないわけにはいかないじゃないですか。。
で、あとはシベリア上空を意識を失い眠り続けました。少し残念な気分。
着陸直前に、機内サービスのアンケートを頼まれました。あそこまで待遇よくしてくれて、悪い評価なんてつけられるわけないじゃないですか。まんまと、CA達の手のひらで踊ったかんじ。でもとても楽しいフライトでした。ルフトハンザ、今はどうなっているかわかりませんが、2008年当時はよかったですよ。
というわけで、成田に帰着。これで2年間もかかったローマ紀行もおしまい。次に海外旅行に行けるのはいつになるやら。。
リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大
この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。
はじめに
トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。
ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。
心惹かれる文章。
このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。
劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。
29ページ
これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。
ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。
13ページ
うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。
全体感
全体を読んで思ったところ。
ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。
ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。
ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、
性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力
99ページ
これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。
ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。
この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。
schola 坂本龍一 音楽の学校
私の一年前の最後の演奏写真。後輩の結婚式の二次会で吹いたところ。また、そろりと吹きたくなってきた。
この四月から始まったNHKの音楽番組「schola 坂本龍一 音楽の学校」。バッハ以降の西洋音楽の発展を語る番組です。
番組の概要
番組は、「鼎談」、「ワークショップ」、「演奏」の三つから成立している。「鼎談」の部分では、坂本龍一がホスト役で話をするんだが、ゲストの浅田彰が蘊蓄を披露するのがなんだか懐かしい。それからもう一人のゲスト岡田暁生氏の本は、最近読み始めているので、なんだか親近感がある感じ。
まあ、この三回の放送では、バッハの音楽を西洋音楽システムが確立されたという前提に立って、フレーズの使い回しの方法とか、通奏低音について語ったりしている。まあ、単声音楽から、一度(ド)と五度(ソ)のポリフォニーを経て、三度(ミ)が導入され、和声が成立する。これがオケゲムなんかの時代。以降バッハが平均律を確立し、あのクラヴィア集を作った、というあたり。ここで述べ立てるほどでもないですけれど。
ワークショップ
で、一番面白いのが「ワークショップ」。
中三から高三ぐらいの若者の音楽やっている方々が出てくる。楽器も様々で、ヴァイリン、フルート、エレクトーン、エレキギター、ピアノ、三線、などなど。
で、この若者が、バッハのフレーズを使ってアレンジしてみたり、通奏低音に合わせて曲を作ったりするんですよ。
たとえば、「主よ人の望みの喜びよ」のメインテーマが、バッハの音楽の至る所で使われているのだが、それを、若者なりにアレンジしてみたりする。エレキギターの男の子は、坂本龍一に「コード入れてごらん」とかアドバイスされて、ディストーションをかけてフレージングしてみせたりする。エレクトーンの男の子は、フュージョン的というかポップス的というか、かなりシンコペーションのかかった、まあありがちだけど格好いいアレンジにまとめ上げてしまう。あれを15歳で瞬間的に作ってしまうあたりが凄い。
で、もっとすごかったのが、お寺の名前のような名字を持った女の子。この子だけ、テーマをマイナーキーで演奏してみせて、坂本龍一と岡田暁生が、驚き喜ぶんですね。いやあ、良いセンスしてます。
自分との関係
それで、でも、このプロセスって、僕が高三から浪人を経て大学の頃にやってたことに似ているなあ、と。当時はジャズ理論なんか知らんわけで(いまもよくわかりませんが)、ともかく最初にキーを捕まえて、使える音と使えない音を覚えて、後ろでなっているコードを意識しながらフレーズを作っていくという作業を、毎日毎日やっておりました。だから、キーの感覚はかなり磨かれたんだと思う。この番組のワークショップでやっていることも、僕も今ならできるなあ、と思った。でも、斬新なことはできないだろうけれど。
坂本龍一のすごいところ
通奏低音に併せてフレーズを作るところで、坂本龍一も「じゃあ、僕も」みたいな感じで、やってみるんだけれど、これは私には理解できない難しさだった。24個のキーの世界+ある程度のテンション世界で生きてきた僕にしてみれば、全く何やっているのかわかりませんでした。悔しいのう。無調なんだけれど、方法論まで説明できない。悔しすぎる。
ちょっとだけ
とはいえ、やっぱり僕ぐらいだと少し物足りなさもあるなあ、という気もする。西洋音楽史をある程度押さえていたり、音楽理論を少しばかりかじっている方には、解説はすこし簡便かなという気もする。でも、一緒に見ていたカミさんは何言っているのかわからなかいらしい。ということは、聴取者の的を絞り切れていないということかしら。でも「ワークショップ」が最高に面白いからいいんです。
貴重な
この番組、凄く面白い番組であることには間違いないし、音楽理論を取り上げるという意味においては、少なくとも僕にとってはこれまで記憶にない番組ですので凄く貴重です。
私の大好きな「 名曲探偵アマデウス 」が楽曲の成立史を掘り下げていて、音楽理論についても、玉川大学の野本先生が解説してくださいますが、番組の性格上どうしても楽曲中心の説明になります。音楽理論を体系的に説明するという意味合いのものではありません。
音楽理論に触れる場としては、昔は「音楽芸術」という雑誌があったんですが10年ぐらい前に永遠休刊となってしまいましたし、その後長木誠司さんが作られた「 エクスムジカ 」も残念ながら終わってしまいましたし。
まだ三回しか放送していないから、これからどうなるか凄く楽しみ。
というわけで、この番組は、以下の時間帯に放送中です。是非ご覧になってみてください。
- 教育:毎週土曜 午後11時45分~
- BS2:毎週火曜 午後4時30分~
ニーナ・シュテンメの「ばらの騎士」を聴いてみよう。
第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。
で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています
2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。
https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php
でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。
ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。
「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。
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新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね
ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。
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そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。
シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。
レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。
逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。
それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。
あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。
今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。
【短信】テオリン様の「トリスタンとイゾルデ」発売!
あの(私の中では)伝説の、シュナイダー&テオリンの黄金の「トリスタンとイゾルデ」のDVD、ブルーレイが発売となりました。うむむ、欲しいぞ。というか、ごらんになっていない方は是非是非。演出には賛否両論あるんだろうけれど、テオリン様の声や演技、表情を見れば、恍惚状態に陥ることは間違いありません。シュナイダーの指揮も絶妙だし。っつうか、私これ買います。はたらきますよ、テオリン様のためなら。
当時の記事を。
バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第二幕&第三幕
どんどんテオリン様にはまっていくのがわかって面白いです。また聴きたいなあ、テオリン様。
※ で、その後、くだんのDVDは注文いたしました。すまぬ、財務大臣。
iPod壊れた……。
あー、iPod壊れました。理由不明。数ヶ月前に激しく床に落としたことがあって、それ以降普通だったんですが、昨日になってから急に再生ができなくなりました。それで復元を試みたのですが、赤い×印が表示され、何もおきない。要はアウト。
で、サポートに電話したんですが、これがまた本当に丁寧に指示してくださり、いろいろ試したのですがやはりだめで、修理となりました。2万円超。痛い。
いつも使っている携行品傷害の申請にいったら今年一月からiPodは免責になってしまったとのことで、保険金は降りないとのこと。極めて厳しい状況。
しかし音楽中毒の私はひと時もiPodを手元から離すことはできません。痛い出費。ショック。まあ、仕方がない。
対策を。
- iPodをクリアケースに入れる。外観の傷はこれで担保。
- ケースごとコンデジ用の厚手のケースに入れる。これで落下時の振動を軽減。
- ついでに、ケースが落ちないように、ズボンのベルト通しなどとカラビナでつなぐ。あるいは、ストラップで首から吊り下げる。
- 決してiPodをクリアケースの状態のままポケットに入れたり放置したりしない。
- 肌身離さず常に持ち歩く。
これぐらいでしょうか。気をつけましょう。私はもうショックで眠れませんので。
でも、カラヤンの「パルジファル」とロット様の「四つの最後の歌」を聴いたら少し元気出てきた。午後もがんばりましょう。
っつうことで、今日は短信モードで。
パトリシア・プティボンとジークフリート・イェルザレムの「カルミナ・ブラーナ」
昨日は東京は雪でしたね。もう春は終わったんでしょうか。ちょっと寂しい写真。散り積もった桜の花びら。でもこれからもっと暖かくなって、若葉が生える季節となりましょう。昨日はかなりヘビーな一日でした。ちょっと図書館で本を借りすぎ&ノートPCを持ち歩いたので、体が痛いです。軽くて丈夫なノートPCを買おうかなあ、と思案中。
私のノートPC
私のノートはThinkpad X30でして、もう7年半も使っています。最近は液晶のバックライトがいかれてきて、バックライトがついたりつかなかったり。そろそろ寿命かな。
ちなみに、このThinkpad X30は、ミュンヘンの
(現代美術を集めた美術館)に展示されていました。下の写真の左から三番目がそれ。
ついでに、懐かしのバタフライキーボードをもつThinkpad 701Cも展示されてました。
カルミナ・ブラーナ
さて、いやあ、東京春祭のムーティ「カルミナ・ブラーナ」は行けなかったけれど、日本時間でいうと昨日の未明にバイエルン放送協会で放送されたダニエル・ハーディング指揮の「カルミナ・ブラーナ」の録音に成功しました。最近ウェブラジオは失敗が多くて凹んでいたんですが、今回は成功。やった!
「カルミナ・ブラーナ」は中学生の頃聴いて衝撃受けてました。レヴァイン盤でした。ですが、それ以降は特に聴いた覚えはない。というか、聴くのは10年ぶりに近い。
ジークフリート・イェルザレム
いやあ、ジークフリート・イェルザレムは凄いですね。この方のテノール聴いたとたんにのけぞりました。確かに年齢からくる若干に揺れはあるんですが、なにより声がすばらしい。ハイティンク盤のリングでおなじみだったはずですが、この演奏での丁寧に歌い上げるイェルザレムには少し驚きました。
パトリシア・プティボン
それから、パトリシア・プティボンは、初めて聴いたという御恥ずかしさ。若干のピッチの揺れはありますが、実にドラマティックですね。この方の録音はバロック系が多いのですが、先だって「ルル」を歌っているんですよね。これ、録音失敗してひどく凹んでいるんですが、プティボンのルルを聴いてみたいと強く願いました。来日も良くされているようで、いつも拝見している さまよえるクラヲタ人 さんのブログで取り上げられていて気にしていたので、今回は聴けてラッキーでした。CDほしいなあ。
妙薬たるパヴァロッテイの「愛の妙薬」
4月の新国立劇場は「愛の妙薬」。三種類ほど音源を用意したんですが、パヴァロッティとサザーランドのコンビがすばらしいです。予習盤ランク一位は今のところこのパヴァロッティ盤です。
三大テノール
パヴァロッティは本当に偉大。おそらく、人によっては好き嫌いがあると思います。私も最初はちょっと受け付けられなかったのですが、5年ほど前から、かなりいいと思えるようになって来ました。
三大テノールのうち誰が最も好きか、という議論はよくある議論です。オペラを聴き始めたころは文句なしにドミンゴでした。カラヤン盤トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」に陥落という感じ。
パヴァロッティは、これもカラヤン盤「ボエーム」で聴いたのが最初だったと思いますが、なんだか自然さにかけるような気がしていたのです。
カレーラスはこれもカラヤン盤「トスカ」で聴いたのが最初でした。迫力はあるのですが、こちらも少し力に寄りかかった感じで自然さにかけた気がしていました。
パヴァロッティ開眼
それで、いろいろ聴くようになるうちに、パヴァロッティの株が僕の中で急激に上昇し始めました。
何が原因なのか?
おそらくはパヴァロッティのライヴ盤(ハイド・パーク)や、イタリア歌謡集を聴いてからではないか、と。あの南国的地中海的悦楽の表現は聴くだけで元気付けられます。それから、私はヴェルディ作品が苦手なのですが、その中でも「アイーダ」については、その重い扉を開けてくれたのがパヴァロッティでした。
4年前のトリノ五輪の口パク問題とか、スコア(総譜)読めないんじゃないの? 的な議論とか、まあ、いろいろあるみたいですけれど、イタリア的なイタリア人ですので、許せちゃう。
やっぱり行きます。
実は、仕事が忙しくて、今月の「愛の妙薬」はパスろうかと思ったのですが、パヴァロッティ盤を聴いて考えを変えました。やっぱりいきますです。私は本当にヴェリズモ以前のイタリアオペラ(この中には残念ながらモーツァルトも含まれるのですけれど)は苦手ですので、なおさら勉強のためにも。
あー、イタリア行きてー。でも行く時間ないっす。悲しみ。
愛の妙薬
しかし、このオペラ、実に罪のないストーリです。ヴァーグナーの毒々しさとか暗鬱とした大洋のうねりのようなものはない。こんなに楽しそうなオペラを見聞きするのは何時ぶりだろう? 「オテロ」、「魔笛」、「ヴォツェック」、「トスカ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「パルジファル」と続いてきた今年の僕のオペラ生活において「愛の妙薬」ほど単純で愉快なプロットはありませんでした。たぶん「 チェネレントラ 」以来だと思います。
きっと良い思い出になるはず。楽しみです。
もっとも、単純に見れば、だとも思うのです。やっぱり解釈の面白さは存在します。愛の妙薬と「トリスタンとイゾルデ」の関係とか、「ヴォツェック」との関係とか。これは、実際に見てから書いてみましょう。
歌手の声の種類と配役について その4 バス・バリトン篇
これで、もう最後でしょうか。桜の写真。来年も良い桜が見られると良いですね。
昨夜は、会社でお世話になった方が5月に異動になるということで送別会に行って参りました。生まれて二回目のふぐ料理でした。
さて、今日で声と役についての記事は一段落する予定。とはいえ、もう少し突っ込みたいところがあるので、後日また研究テーマとして取り上げると思います。
バス・バリトンは、ワーグナーオペラでは大変重要な役柄です。ヴォータン、グルネマンツなどなど。というわけで、また堀内修さんの本からの引用でまとめます。
リリック・バリトン
テノールに比較的近く広域も伸びる。
-
<コジ・ファン・トゥッテ>グリエルモ
-
<ファウスト>バランタン
-
<タンホイザー>ヴォルフラフム・フォン・エッシェンバッハ
-
<ローエングリン>軍令使
カヴァリエ・バリトン
その名のごとく騎士のバリトンの意味。声に輝きがあり主役的なバリトン。
-
<ドン・ジョヴァンニ>ドン・ジョバンニ
-
<エフゲニー・オネーギン>オネーギン
-
<タンホイザー>ヴォルフラフム・フォン・エッシェンバッハ
キャラクター・バリトン
個性的表現ができるバリトン。
-
<トスカ>スカルピア
-
<シモン・ボッカネグラ>パオロ
-
<リエンツィ>オルシーニ
-
<トリスタンとイゾルデ>メロート
-
<ニュルンベルクのマイスタージンガー>フリッツ・コートナー
-
<ラインの黄金>アルベリヒ
-
<ラインの黄金>ドンナー
-
<ジークフリート>アルベリヒ
-
<神々の黄昏>アルベリヒ
-
<神々の黄昏>グンター
-
<パルジファル>クリングゾル
ヘルデン・バリトン
低域が充実し起伏を表現するバリトン。
-
<メディア>クレオン
-
<アラベラ>マンドリカ
-
<さまよえるオランダ人>オランダ人
-
<ローエングリン>フリードリヒ・フォン・テルラムント
-
<トリスタンとイゾルデ>クルヴェナル
-
<ニュルンベルクのマイスタージンガー>ハンス・ザックス
-
<ラインの黄金>ヴォータン
-
<ワルキューレ>ヴォータン
-
<ジークフリート>さすらい人
-
<パルジファル>アムフォルタス
キャラクター・バス
比較的高音もあり幅広い表現が可能なバス(バス・バリトン)
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<トロヴァトーレ>フェランド
-
<フィデリオ>ロッコ
-
<リエンツィ>コロンナ
-
<さまよえるオランダ人>ダーラント
-
<タンホイザー>ビテロルフ
-
<タンホイザー>ライマル
-
<ラインの黄金>ファーゾルト
-
<ワルキューレ>フンディング
セリエーサー・バス
最低音域の深い声と存在感のあるバス
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<魔笛>ザラストロ
-
<ドン・カルロ>フィリッポ
-
<タンホイザー>領主
-
<ローエングリン>ハインリヒ王
-
<トリスタンとイゾルデ>マルケ王
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<ニュルンベルクのマイスタージンガー>ポーグナー
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<ラインの黄金>ファーゾルト
-
<ラインの黄金>ファフナー
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<ワルキューレ>フンディング
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<ジークフリート>ファフナー
-
<神々の黄昏>ハーゲン
-
<パルジファル>グルネマンツ
-
<パルジファル>ティトレル