Opera,Richard Wagner

ヤバイ。へたばりそう。

以上独り言。

さて、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の予習はそっちのけで、ハイティンクのリングを聞き続けています。なんだか面白いのです。録音が良いのはともかく、メリハリがあって、旋律がしみ込んでくる感じです。そんなに奇をてらって何かをやっているというわけではないと思いますが、何が違うのでしょう。ハイティンクの指揮を「抑制された」という表現で説明する文章を読んだことがありますが、エッティンガーのように饒舌にリングを語るのではなく、炉辺で話を繰り出すような静謐なイメージとでも言いましょうか(おそらくマーラーはエッティンガーのような指揮をしたと思います)。それでいて、意外とスタイリッシュで光り輝く部分も現れるのです。

ところで、パトリス・シェローがバイロイトで演出したリングを見たくてしかたがありません。指揮はブーレーズ。産業革命以降の欧州を舞台にした演出なのだそうですが、新国のプログラムに写真が載っていて、それに引きずり込まれました。ちょうそファーゾルトとファフナーがフライアを連れて行くシーンなのですが、リングの世界観にまったく違和感がない感じ。一枚写真を見ただけでこれですので、きっといいんだろうなあ。惜しいのは、日本語字幕版がないこと。昔はあったのでしょうか。まあ、英語の勉強と称して、英語字幕で観てみましょうか。あるいはドイツ語で。

Opera

この一週間は充実した毎日、とでも言うしかありません。平日はなかなか時間がとれないです。もっぱら通勤時間にジークフリートを聴いています。ジークフリートは二幕まではほとんど男声ばかり。鳥の声は女声ですが。ほとんど男子校的なのりで進むのですが、三幕にエルダが登場して、少し花を添えてくれますけれど、圧倒的なのは目覚めたブリュンヒルデとジークフリートの出逢い以降のところ。圧倒的高まりに感服。トリスタンの第二幕を思い出します。音楽的もようやくと分かり始めたというところでして、ワクワクしますね。

今朝、HMVのネットショップで、ブーレーズとレヴァインのリングDVDを買おうかと相当迷いまして、カートに入れるまでしたのですが、踏ん切れず。両者とも1万円を超えますし、DVDを見る時間はあまりないですのでかなり悩みます。っつうか、iPodに入れればいいのかなあ。

それにしてもジークフリートの無邪気さといったら。狡知に長けたハーゲンの術中にはまるのもうなずけます。ヴォータンの孫だというのに……。神々のコントロールを避けて、指環がアルベリヒの手中に収まらぬよう、自在に動くべき英雄なのですけれど。英雄とは邪気を持たぬ純粋な心の持ち主でなければならないのでしょうかね。そう言う意味ではジークムントも無邪気な英雄ですね。無邪気な英雄といえば、パルジファルもそうですね。

ここでワーグナーが書いた英雄は、神々のコントロールだけではなく、神々の意図を象徴する世間体とか共同体といった価値をも逸脱しているはず。ジークムントとジークリンデが駆け落ちしたのもそうだし、それを見てフリッカが怒るのは神々の意思=共同体倫理に反しているからともとれます。それは革命家としてのワーグナーとも重なりますし、不倫の恋を経験したワーグナーとも重なります。

そもそも芸術家はある種児戯的な物事に価値を置くところから始めます。常に世間と対立しなければならないということ。厳しい立場です。給与所得者とは違う厳しい道を歩いているというところでしょうか。 まあ、どの道も茨の道で、後ろからは追ってが差し向けられていて、走らないと死んでしまう。いや、死ねたほうがマシなくらい。追っ手は、我々を辱めたり、死よりも辛い境涯の輪を我々にかけようとしているのですから。

Opera,Richard Wagner

ワルキューレスペシャルということで、ドイツのプレッツェルが売っていましたので買いました。これはミュンヘンなんかだとホテルの朝食の定番なのですが、パンの周りに白い塩の結晶がついていて、塩味が効いてとても美味しいのです。すこし塩辛いのですが。新国で売っていたこちらは、決勝などはついておらず、周りに薄く塩味がついているだけですので、日本人の口にもよく合います。私は塩辛いほうも好きですけれど。

今日は演出面について。ネタバレあります。

実は色々面白くて、二幕冒頭でブリュンヒルデが子供用の木馬に乗って登場したのには失笑気味。でも、ブリュンヒルデもやっぱりいまいちだったらしく、木馬から降りると、えいとばかりに蹴飛ばして、木馬はするすると舞台袖に消えていきました。

二幕ではもうひとつ面白いネタがあって、ジークムントの眼前にフンディングが登場する場面。舞台には平べったいほとんど屋根だけの小さな小屋がしつらえてあるのですが、天上から伸びる赤い巨大な矢印がその小屋を指差しています。そこにはHundings Hütteと書いてあります(たしかそうだと思う)。意味的にはフンディングの家というとも取れますが、むしろ僕は犬小屋ととってしまい、苦笑。確かにあの大きさだと犬小屋というほうがしっくりきます。フンディングへの醒めた見方です。フンディングは既成の価値観でしか行動できない人物だとしたら、既成に尾を振る「犬」なわけですから。フンディングの名前の由来もそこから来ているそうですし。もちろん、Hundはドイツ語で犬で、Hütteは小屋という意味。さらにHundehütteだと犬小屋という意味。Hundings Hütteを「犬小屋」と捉えてもあながち外れていないと思います。

舞台機構も圧巻でして、三幕の救急救命センターが舞台奥へとすれ下がっていくのですが、すごい奥行きで、新国立劇場の舞台の奥行きがあんなにも巨大だとは、と思った次第。今度はしたから巨大な木馬、これにはGraneと書いてあって、ブリュンヒルデの馬の名前なわけですが、それが持ち上がってくる。息を呑みました。

それからもうひとつ。ブリュンヒルデが岩山で眠りに付き、火で囲まれるシーン。私としては、赤い照明効果が火をあらわしているのだろうな、とぐらいにしか思っていなかったのです。ブリュンヒルデは舞台中央のゆがんだ金属製の巨大なベッドに寝かされているだけですので。ところが、あっという間に、ローゲの炎に包まれる。本当に火が出たのですよ! マジですか! という感じ。っつうか、横たわっているブリュンヒルデのネーメットさんは熱くないのかな、と真剣に心配しました。もしかしたら人形なのかもしれないな、などと思いつつ。

音楽ももちろんすばらしかったのですが、今回は演出も楽しめた感じです。やっぱり「ラインの黄金」にあまりいい印象をもてなかったのは僕の責任なのだな、と痛感です。

ちなみに、私の席は、2階R3列1番。舞台に向かって右側のテラス席の前のほうです。そこですと、舞台右奥は死角になってしまい何が起きているのかわかりませんでしたが、舞台に近くて迫力満点でして、大満足でした。いつもは2階中央なのですが、久々のテラス席はなかなかいいなあ、と思いました。この席からだと、ピットの様子も良く見えて、打楽器奏者が自分の出番になると姿を現して、ひとしきりたたいたあと、譜面を次の演奏場所までめくって姿を消していくのが見えたり、ホルンが10人弱ぐらいいて、多いなあ、とか、意外とバスクラリネットがいくつもおいしい旋律を吹いていて、サックス経験者の僕としてはなかなか興味深かったり。 オケに入りたかったなあ、といまさらながらに思います。オーボエがイングリッシュホルンを吹きたかったですねえ……。難しいでしょうし、楽器も高いと思いますけれど……。

Opera,Richard Wagner

私も行ってまいりましたよ、新国立劇場の「ワルキューレ」。5月12日のマチネ。とはいえ、終わったのは19時半。実に濃密な5時間半でして、最初からのめりこんで時を経つのを忘れました。こんなに濃密にオペラ時間をすごせたのは久しぶりかも。それほど僕にとってすばらしい経験でした。

「ラインの黄金」との時はここまでのめりこめなかったわけです。原因のひとつは体調管理に失敗したということ、もうひとつは、やっぱり僕は「ワルキューレ」と「神々の黄昏」がすきなんですね。「ラインの黄金」の聞き込みが足らないということでしょう。

第一幕、のっけからジークムントのエンドリク・ヴェトリッヒさんの声にやられてしまう。雄雄しくて鋭利な声で少しく逡巡を含んだ表情も併せ持つ声。ジークムントの強さと繊細さにぴったりです。ジークリンデのマルティーナ・セラフィンさん、本当にすばらしくて、私は涙が止まりませんでした。パワーもあるし安定している。それだけですごいのに、哀切さをも持ち合わす表現力。「ばらの騎士」の元帥夫人もレパートリーだとか。うなずけます。 この二人が第一幕で切々と不倫と近親愛という二重のタブーを犯す禁じられた愛へとひた走るのですからたまりません。

これはもう「トリスタンとイゾルデ」よりも数十倍も苦しいですよ。トリスタンとイゾルデのように許されることもなく、死を分かち合うこともできない。ジークムントとジークリンデは繋がっているのに繋がりすぎていて離れている。これはもう物理的障壁に近くて、時間空間を越えようとするぐらい大変なこと。因習の壁、社会の壁、倫理の壁に取り囲まれてぎゅうぎゅうと押しつぶされていく感じ。 そういう意味では、フリッカやグンディングは本当に常識人で、ある意味我々の持つ社会的な部分の映し鏡だったりします。だからこそなおさら、ジークムントとジークリンデの愛情にほだされてしまう。それは我々の持つ反社会的な部分の映し鏡。鏡と鏡の間に挟まれて苦しむのがヴォータンで、実はヴォータンが我々の立場に近いかも。自由でいて不自由という身分は我々の置かれている立場と良く似ている。だから、第二幕のヴォータンの苦悩の場面でも聞いているのが本当に苦しかったです。

フンディングを歌ったクルト・リドルさんは、2007年のドレスデンの「ばらの騎士」でオックス男爵でしたが、あのときよりも強い印象。フンディングの威張り腐る様子が実に巧い。それでいて体制に逆らえない小心さのようなものも感じられました。声も強力で、誰よりも力強かったのではないかと。それから、振り付けが実に似合っていて良かったです。

ブリュンヒルデのユディット・ネーメットさんも強力でした。プログラムのキャスト紹介の写真があまりに冴えてなくて、一瞬ひいたのですが(すいません)、実際に舞台に出てこられた姿はブリュンヒルデの雄雄しい姿を体現しておられて実に安心できたのです。終始安定していましたね。良かったです。

エッティンガーさんの指揮ですが、これもすばらしかったです。リング全体を知悉していてコントロール下に収めています。特に印象的だったのが、リタルダントやゲネラルパウゼを拡大して見せてくれて、あまりの緊張感に震えてしまう感じ。

ちょっと一日じゃ書ききれないです。明日に続くということで。

Opera,Richard Wagner

 明日はいよいよワルキューレです。この日のために、ハイティンク盤を購入して意気揚々と言ったところです。ちなみに、スケジュールですが、

 【2:00開演】

1幕 2:00~3:10
休憩 3:10~3:55(45分間)
2幕 3:55~5:35
休憩 5:35~6:10(35分間)
3幕 6:10~7:25

だそうです。楽しみとはいえ、なかなか。次の日は仕事ですので、少し不安。今日はゆっくり休みます。

今日は、我が家の社長のご友人とランチでしたが、その方もオペラがお好きとのことで、すでに新国のワルキューレをごらんになったとのこと。なんでも、予定時間を30分オーバーしたのだそうです。エッティンガーの棒が意外にも遅いからでしょうか。明日がますます楽しみに。

明日はちと報告できなさそう。月曜日にはポストしたいところです。

 

Roma2008

トレヴィの泉にまだコインは投げ込まなかったが、先だっての掃除日のリベンジをはかるべく、パンテオンからトレヴィの泉まで歩くことに。途中でローマ時代のエンタシスを活用した株式市場の建物に感嘆してみたり。

トレヴィの泉はとんでもない混雑振りで、お客もたくさん、商売人もたくさんという感じ。商売人の猛者は、発電機と、PC、プリンタを持ち込んで、デジカメで写真を撮るとその場でプリントして渡している感じ。そういえば、昔宮崎県の青島で、隠しカメラで写真を撮られて、その写真を売りつけられるみたいな商売があったなあ、などと思い出す。とりあえずは、ユーロの小銭を投げ入れて、ローマ再訪を期することに。

天気はまったく良くて、青空には雲ひとつない。ここから、またバスの乗りこなし。昨日いけなかったフォロ・ロマーノへ向かうべくコルソ通りの停留所から856番のバスに乗る。コルソ通りを南下して、ヴェネツィア広場にいたり、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂を右手に見ながらフォロ・ロマーノの北東側の入り口近くのフェルマータで下車。バスがちゃんと使いこなせている感じで自己満足の世界。

Opera,Richard Wagner

 リング漬けな週末でした。ハイティンク盤がめっぽう面白くて、ともかく聞き続けています。録音が秀逸で、聴いていて疲れませんし、なによりハイティンクの指揮が面白い。といっても奇を衒ったものではなく、ある意味オーソドックスな範囲を逸脱しない中で、雄弁に語っているという感じでしょうか。今朝も早起きをして聴いているのですが、「神々の黄昏」の冒頭部分、実にいいですよ。輝きもありますし、深みもあります。カラヤン盤の取り澄ました美しさとは違って、もう少し下に降りてきてくれている感じです。聴いていて幸せな気分になります。なんの下馬評を聴かずに買ったのですが、これは大当たりでした。やはりショルティ盤やカラヤン盤よりも録音が新しいと言うこともあるのかもしれません。

しばらくはこちらにはまりそう。通勤時間が楽しみです。

Opera,Richard Wagner

 昨年の10月から、あえて足を遠ざけていたタワーレコードに行ってしまいました。お目当てはリング。いよいよ来週に迫ったワルキューレの万全な予習のため、リングの購入を決意したわけです。本当はブーレーズ盤を聴いてみたかったのですが、amazonよりも高かった。引き続き物色していると、どうやらハイティンク盤がお安い感じ。と言うわけで、ゲットしました、ハイティンク盤リング。バイエルン放送交響楽団と1980年代後半に録音した盤です。ヴォータンがジェームス・モリスさん、ジークムントがライナー・ゴールドベルクさん、ジークリンデがチュリル・ステューダさんです。

まだワルキューレの最初しか聴いていないのですが、のっけから切れ味のいい節回しと、切迫感・緊張感のある演奏にクラリと来ました。あれ、ハイティンク氏はもっと抑制した感じの演奏ではなかったかしら、みたいな。昔ハイティンクのマーラーを聴いて、あまりに平板で、あれれ、と思った記憶があったのですが、どうやら私の思い込みだったみたい。たしかに、ハイティンクのバビ・ヤールは凄い切迫感・緊張感だったなあ、ということを思い出したり。

ステューダさんのジークリンデ、いいですねえ。カラヤン盤のヤノヴィッツさんも良かったですが、ステューダさんもかなりいい感じ。透明な澄み切った歌声です。

久々にタワレコで買い物したのですが、ポイントを使いました。数年前に新しいポイント制度に移行してから初めてでした。昔は、ポイント使用は現金併用でなければダメだったのですが、今日はカード併用でもOKでした。ですので、お安くリングを手に入れられた感じ。店員さんはあのとき親切にしてくださった店員さん。今日もありがとう!

 

Vocal

いやあ、エレナ・ガランチャさん、すばらしすぎます。

先週から今週に掛けて、ワルキューレばかり聞いていて少し疲れていたときに、先日買ったガランチャさんのCDを。パワーもあるし、深みもあるし、ピッチがすばらしいし。最近の忙しさにあって、ふと気を落ち着けられる瞬間ですねえ。以前にも書きましたので、こちらも読んでみていただけるとうれしいです。

思えば、ガランチャさんの歌をはじめて聴いたのは2003年の新国立劇場「ホフマン物語」においてでした。あの時はまだ無名時代だったので、新国立劇場にいらしたのだと思うのですが(ちょっと失礼かもしれませんけれど)、そんな中にあって、他の方を凌駕する深みのある声の美しさに大感激したものでした。しかも容姿や演技もすばらしかった。白いスーツに白いシルクハットをかぶって登場したのです。格好良かったなあ。それが、あれよあれよという間にスターダムに。ライヴで聞けたのが奇跡みたいな話です。

次にライヴを聞けるのはいつになることやら、という感じです。

最近は、帰宅時間が遅くなって、なかなか記事を書けません、というのはいいわけですね。ちと気合が抜けているのかも。あるいは逃げ回っているのかも。おそらく後者でしょうか。せっかくブログを持っているのだから、ちゃんと活用したいものです。

最近の通勤時間はもっぱら英語の文書を読んでいる感じでして、まあそんなに難しい単語は出てこないのでなんとか楽しめているのですが、こんなことでもきっと会社の試験には役立つでしょうし、音楽関係の英語文章を読む練習にもなるはずです。きっと。

まあ、何をするにも、遅きに失した、ということはないそうなので、がんばりましょう。

Philharmony

最近ただれた生活が続いていて、月曜日、火曜日と不調でしたが、何とか回復。原因は睡眠不足と糖分の不足ですね。ちと体を休めつつ、仕事につかれたらチョコレートを食べることにしましょうか。

さて、疲れたときはラモーでしょう。ジャン・フィリップ・ラモーの組曲「アナクレオン」をナクソスレーベルにて。カペラ=サヴァリアの演奏、マリー・テイレイ=スミスの指揮。女性の指揮者ですね。 清澄だけれど厚みのある演奏。録音の残響も柔らかく深みがある感じで、胸がきゅうっと締め付けられる。懐かしい手触り。こんな曲を聴きながらフランスの田舎をドライブできたら幸せでしょう。

ラモーは1683年生まれですが、和声や調性を体系的に初めて理論化した方。ここから始まるのです。 バロックが聞きたくなるとき、けっして調子がいい状態ではないのですが、昼休みにヘッドフォンをかぶって大きな音で音楽に浸るととても気分が良くなります。こういう聞き方してはならないのでしょうけれど。