Opera,Richard Wagner

 明日はいよいよワルキューレです。この日のために、ハイティンク盤を購入して意気揚々と言ったところです。ちなみに、スケジュールですが、

 【2:00開演】

1幕 2:00~3:10
休憩 3:10~3:55(45分間)
2幕 3:55~5:35
休憩 5:35~6:10(35分間)
3幕 6:10~7:25

だそうです。楽しみとはいえ、なかなか。次の日は仕事ですので、少し不安。今日はゆっくり休みます。

今日は、我が家の社長のご友人とランチでしたが、その方もオペラがお好きとのことで、すでに新国のワルキューレをごらんになったとのこと。なんでも、予定時間を30分オーバーしたのだそうです。エッティンガーの棒が意外にも遅いからでしょうか。明日がますます楽しみに。

明日はちと報告できなさそう。月曜日にはポストしたいところです。

 

Roma2008

トレヴィの泉にまだコインは投げ込まなかったが、先だっての掃除日のリベンジをはかるべく、パンテオンからトレヴィの泉まで歩くことに。途中でローマ時代のエンタシスを活用した株式市場の建物に感嘆してみたり。

トレヴィの泉はとんでもない混雑振りで、お客もたくさん、商売人もたくさんという感じ。商売人の猛者は、発電機と、PC、プリンタを持ち込んで、デジカメで写真を撮るとその場でプリントして渡している感じ。そういえば、昔宮崎県の青島で、隠しカメラで写真を撮られて、その写真を売りつけられるみたいな商売があったなあ、などと思い出す。とりあえずは、ユーロの小銭を投げ入れて、ローマ再訪を期することに。

天気はまったく良くて、青空には雲ひとつない。ここから、またバスの乗りこなし。昨日いけなかったフォロ・ロマーノへ向かうべくコルソ通りの停留所から856番のバスに乗る。コルソ通りを南下して、ヴェネツィア広場にいたり、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂を右手に見ながらフォロ・ロマーノの北東側の入り口近くのフェルマータで下車。バスがちゃんと使いこなせている感じで自己満足の世界。

Opera,Richard Wagner

 リング漬けな週末でした。ハイティンク盤がめっぽう面白くて、ともかく聞き続けています。録音が秀逸で、聴いていて疲れませんし、なによりハイティンクの指揮が面白い。といっても奇を衒ったものではなく、ある意味オーソドックスな範囲を逸脱しない中で、雄弁に語っているという感じでしょうか。今朝も早起きをして聴いているのですが、「神々の黄昏」の冒頭部分、実にいいですよ。輝きもありますし、深みもあります。カラヤン盤の取り澄ました美しさとは違って、もう少し下に降りてきてくれている感じです。聴いていて幸せな気分になります。なんの下馬評を聴かずに買ったのですが、これは大当たりでした。やはりショルティ盤やカラヤン盤よりも録音が新しいと言うこともあるのかもしれません。

しばらくはこちらにはまりそう。通勤時間が楽しみです。

Opera,Richard Wagner

 昨年の10月から、あえて足を遠ざけていたタワーレコードに行ってしまいました。お目当てはリング。いよいよ来週に迫ったワルキューレの万全な予習のため、リングの購入を決意したわけです。本当はブーレーズ盤を聴いてみたかったのですが、amazonよりも高かった。引き続き物色していると、どうやらハイティンク盤がお安い感じ。と言うわけで、ゲットしました、ハイティンク盤リング。バイエルン放送交響楽団と1980年代後半に録音した盤です。ヴォータンがジェームス・モリスさん、ジークムントがライナー・ゴールドベルクさん、ジークリンデがチュリル・ステューダさんです。

まだワルキューレの最初しか聴いていないのですが、のっけから切れ味のいい節回しと、切迫感・緊張感のある演奏にクラリと来ました。あれ、ハイティンク氏はもっと抑制した感じの演奏ではなかったかしら、みたいな。昔ハイティンクのマーラーを聴いて、あまりに平板で、あれれ、と思った記憶があったのですが、どうやら私の思い込みだったみたい。たしかに、ハイティンクのバビ・ヤールは凄い切迫感・緊張感だったなあ、ということを思い出したり。

ステューダさんのジークリンデ、いいですねえ。カラヤン盤のヤノヴィッツさんも良かったですが、ステューダさんもかなりいい感じ。透明な澄み切った歌声です。

久々にタワレコで買い物したのですが、ポイントを使いました。数年前に新しいポイント制度に移行してから初めてでした。昔は、ポイント使用は現金併用でなければダメだったのですが、今日はカード併用でもOKでした。ですので、お安くリングを手に入れられた感じ。店員さんはあのとき親切にしてくださった店員さん。今日もありがとう!

 

Vocal

いやあ、エレナ・ガランチャさん、すばらしすぎます。

先週から今週に掛けて、ワルキューレばかり聞いていて少し疲れていたときに、先日買ったガランチャさんのCDを。パワーもあるし、深みもあるし、ピッチがすばらしいし。最近の忙しさにあって、ふと気を落ち着けられる瞬間ですねえ。以前にも書きましたので、こちらも読んでみていただけるとうれしいです。

思えば、ガランチャさんの歌をはじめて聴いたのは2003年の新国立劇場「ホフマン物語」においてでした。あの時はまだ無名時代だったので、新国立劇場にいらしたのだと思うのですが(ちょっと失礼かもしれませんけれど)、そんな中にあって、他の方を凌駕する深みのある声の美しさに大感激したものでした。しかも容姿や演技もすばらしかった。白いスーツに白いシルクハットをかぶって登場したのです。格好良かったなあ。それが、あれよあれよという間にスターダムに。ライヴで聞けたのが奇跡みたいな話です。

次にライヴを聞けるのはいつになることやら、という感じです。

最近は、帰宅時間が遅くなって、なかなか記事を書けません、というのはいいわけですね。ちと気合が抜けているのかも。あるいは逃げ回っているのかも。おそらく後者でしょうか。せっかくブログを持っているのだから、ちゃんと活用したいものです。

最近の通勤時間はもっぱら英語の文書を読んでいる感じでして、まあそんなに難しい単語は出てこないのでなんとか楽しめているのですが、こんなことでもきっと会社の試験には役立つでしょうし、音楽関係の英語文章を読む練習にもなるはずです。きっと。

まあ、何をするにも、遅きに失した、ということはないそうなので、がんばりましょう。

Philharmony

最近ただれた生活が続いていて、月曜日、火曜日と不調でしたが、何とか回復。原因は睡眠不足と糖分の不足ですね。ちと体を休めつつ、仕事につかれたらチョコレートを食べることにしましょうか。

さて、疲れたときはラモーでしょう。ジャン・フィリップ・ラモーの組曲「アナクレオン」をナクソスレーベルにて。カペラ=サヴァリアの演奏、マリー・テイレイ=スミスの指揮。女性の指揮者ですね。 清澄だけれど厚みのある演奏。録音の残響も柔らかく深みがある感じで、胸がきゅうっと締め付けられる。懐かしい手触り。こんな曲を聴きながらフランスの田舎をドライブできたら幸せでしょう。

ラモーは1683年生まれですが、和声や調性を体系的に初めて理論化した方。ここから始まるのです。 バロックが聞きたくなるとき、けっして調子がいい状態ではないのですが、昼休みにヘッドフォンをかぶって大きな音で音楽に浸るととても気分が良くなります。こういう聞き方してはならないのでしょうけれど。

Roma2008

ナヴォーナ広場から東の路地へ入っていくと、突然イタリア下院の建物があって、イタリア国旗とEU旗を掲げていたりする。その裏手にあるのがローマ時代から威容を保つパンテオン。作られたのはオクタヴィアヌスの時代だからもう2000年はたっているでしょう。まだまだ崩れ落ちることのない堅牢な建物。広場の中央にはオベリスクが立っていて、観光客でごった返している。

広場の周りに構えるレストランは、軒並み広場にテーブルを出して観光客達の呼び込みに余念がない。 ところが、社長(=尊敬する妻です)が選んだレストランはそうした観光客慣れしたお店ではなかった。オープンテラスなど広げない地味な感じの入り口は閉ざされていて、中の様子をうかがい知ることなど出来ない。若干の不安とともに扉を開けると、薄暗い店内に背が高い黒髪の男の給仕と、金髪の女性給仕が目を合わせてきて、軽くうなずいて席を作ってくれる。決して愛想笑いなどしなくて、それでいて嫌がっているような風にも見えない。明らかに自然な振る舞い。

ここで、クラウディア風というパスタを頼んでみる。確か、Claudiaと書いてあったのだけれど、名前の由来などはわからない。けれども出てきたパスタは……、まじですか……! こんなに絶妙な味わいのパスタは初めて。ソースはおそらくは魚介類のスープが使われている黄色い薄味のソースで、こんな微妙な味は初めて。これまで食べたパスタの中でもっともおいしいパスタであることは間違いない。

店内は薄暗く静かで、僕の後ろには禿げ上がった70前後の老人、老人よりも少し若いぐらいの婦人が食事をしていて、実に静謐な感じ。彼は下院議員なんじゃないだろうか、などと勝手に想像してしまう。

デザートにティラミスを食べてみたのだけれど、僕はティラミスを初めて食べた、と思った。いままで食べていたのは「ティラミス」なのであって、ティラミスではなかったのだ、という愕然たる事実。 明らかに背伸びをして入ったレストランでしたが、ローマ最後の食卓としては最高。選んでくれた社長に感謝。

未分類

 徐々に元気が出てきて音楽を聞けるようになってきました。今日はカラヤンの耽美的な世界を。6年前にリリースされたCDで、ラヴェルのほかにもドビュッシーやサン・サーンスをカップリングしたCDなのですが、このCDでもっぱら聞くのが「ダフニスとクロエ」の夜明けの場面です。

きっと、すさまじい夜明けでして、真っ赤な太陽が現れると、一気に水平線に浮かぶ雲が燃え上がっているのがわかります。カラヤンの指揮は幾重にも朝日に赤く染まった波が寄せては引く砂浜に経っている感じ。おそらくは誰一人いない砂浜で、波面も真っ赤に染め上がっていて、波の音が響き、風の音が耳のそばでうなっているだけ。

2003/2004年のシーズンに新国立劇場で「スペインの燦き」と題された演目で、バレエをみたことがありますが、鮮烈なイメージでした。

「ボレロ」も「亡き王女のためのパヴァーヌ」もすばらしくて、こういうねっとりとした甘美な世界に浸りきるのも悪くはないなと思います。

 

今日はちと疲れ気味でして、理由は昨日のハイキング。小田急電鉄ののんびりハイク&ウォークという催しに参加してきました。

小田原駅に8時前には到着して受け付けを済ませ、バスに乗って湯河原に向かいました。湯河原の幕山公園という梅の名所をスタート。とはいえ、梅はすっかり散っていましたし、雨がやむはずなのに途中で土砂降りの雨の中を歩かざるを得なかったりで大変でしたが、かなりのペースで歩きまして、3時間弱でゴールに着いてしまい、スタッフに驚かれた感じでした。本来なら山のてっぺんで食事をとりたかったのですが、あの雨じゃ無理でした。ですので写真も撮れず。やむなし、です。

今朝起きると体中が痛くて仕方がありません。普段運動していないのがたたっています。運動せねば。

写真はゴールの神社にあった古そうな狛犬です。

 

Ludwig van Beethoven,Symphony

東京はすっかり春めいてきました。黄砂が訪れたかと思うと、南からの暖気に覆いつくされた感じで、昼休みの散歩も爽やかな気分。木々も花を咲かせ始めていますし、タンポポやスミレがいたるところに見られるようになりました

。今朝の往路は英語のお勉強。ヒアリングしながら英語の文書を読む感じ。基本的に辞書はその場では引かないで、とにかく量を読んで覚えていこうという魂胆。でもあとで引くんですけれどね。

会社の昼休みは、先だってラトルの指揮で聞いたベートーヴェンの交響曲第二番をアバドが振るベルリンフィルの演奏にて。ラトル盤よりも重心が低く落ち着いているのですが、それでいて彩度も高いです。もちろん技術的な面では堅牢ですので、まったく不安感を感じさせない。音量調整もラトルほど先鋭的ではないです。アーティキュレーションが強調されていてそこがこの曲のアバドらしさといえるでしょうか。

ベートーヴェンの交響曲はこの数年間はあまり聞いてきませんでしたが、先日のペーター・シュナイダーさんの振る4番の実演に接したら、その魅力にとらわれたという感じでしょうか。古典的とはいえ、かなりアグレッシブで意表をつくフレーズが出てきたりして面白いのです。これはモーツァルトの魔笛を聞いていたときにも思っていたことです。ただ心地よいだけじゃなくて、そこにはバラの棘のように引っ掛かりがなければならない、ということなのだと思います。ブルノ・ワルターが「音楽は晴朗な地中海などではなく、黒々とした大西洋なのだ」といったようなことを言っているのですが、まさにそういうものですね。

個人的なカミングアウトですが、この2週間はそういう意味ではちょっと日和見的な音楽選択に終始していました。本当はオペラを聴かないといけないのに、フュージョン音楽を聴いていましたので。まあ懐かしかったので良かったのですけれど、昔良かったと思えた曲が、今聞くとまったく満足できなくなっているというのは、時代が進んだからなのか、私の歳のせいなのか、というところで、ちょっとさびしさを覚えた次第です。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

「霧の聖マリ」読了です。2ヶ月ぶりに辻作品の芳香に触れて感慨深いものがありました。

先にも触れましたとおり、ある生涯の七つの場所は、色の系列(7色)と数の系列(14篇)を掛け合わせて(98篇)プロローグとエピローグを加えたものですが、霧の聖マリでは、黄と赤におのおの7編を掛け合わせた14篇からなります。

黄の系列である「黄いろい場所からの挿話」は私Bが主人公の挿話群で時代は1970年代初頭のヨーロッパが舞台。「赤い場所からの挿話」は私Aが主人公の挿話群で1920から30年代にかけての日本が舞台です。

(私A、私Bはこちらを参照ください)

改めてプロローグを読み直してみると、スペイン内戦についての示唆が多く含まれていて、あとから登場するはずの人物達の名前も記されてあり、懐かしい思いです。

「黄いろい場所からの挿話」群では、おそらくはスペイン内戦に参戦した男達の影をいくつもいくつも通り抜けていきながら、私Bとエマニュエルのある意味独特な愛情関係をモティーフに、人間らしさとか、自由といった根本概念の考察が加えられていきます。

私Bとエマニュエルの関係はこの作品群に通底する大きなライトモティーフで、今後のことを知っているだけに、複雑な気分。あまり書くとネタバレですが、ともかく、この二人のある意味純化された美的な関係は実に甘美です。

「赤い場所からの挿話」群では、私A(私Bの父親なのですが)の幼少時代からの記憶をたどる物語。戦前の日本を舞台に、なかば哀切とした人間模様が語られていきます。逆境に耐え忍びながら、あるいは運命に抗おうと生きる男達や女達の物語を、幼少の私Aの視点から回想的に語られるわけで、胸を打たれるばかり。

今回も、読んでいくうちに今の自分にぴったりのことが書いてあって、空恐ろしさを感じた次第です。こういう経験は辻作品を読むたびに味わうので、最近では当たり前のように思っていますが、良く考えればとても不思議な出来事だと思います。