Opera,Richard Wagner

ちと忙しくてコンディションが万全とは言えませんでしたが、なんとか出かけることが出来ました→ラインの黄金@新国立劇場

いやあ、のっけから驚かされる指環でして、音楽そっちのけで演出に驚かされっぱなし。 ひしゃげた長方形の画面に水面の様子が映し出されてライン河をイメージしているのはわかりますが、この後からが大変でして……。

このあとはずっと、このひしゃげた長方形を通して指環劇を観ることになるのですが、あるいはそれは映画館のメタファーなのかも。ラインの乙女達はこのひしゃげた長方形の前に並べられた劇場椅子の上を自在に動き回り、アルベリヒを翻弄します。大衆的複製芸術としての映画が指環に重ねあわされるとどういう意味を持つのか。そういう意味で実にキッチュな感じの演出だったのではないかとも思うのです。

ともかく、最後にワルハラへの入城の場面で、仏陀やらキリストやらポセイドンやらイザナギ・イザナミがワルハラに現れるというのはどうしたもんでしょうか。あまりに刺激的ですが、なんだかとってつけたような感じも受けます。映画の「ソ○ィーの○界」を見たときに感じた居心地の悪さでした。

演奏が終わると、なんだか悪夢の中を彷徨っていたような気分になりました。これは夢の世界です。それもナイトメア。

まあ、こうしていろいろと指摘したくなるということ自体が、ウォーナーの意図するところなのかもしれません。まんまと蜘蛛の糸に絡め取られたというところでしょうか。

音楽的な面ですが、歌手としてはユルゲン・リンさんのアルベリヒが一番よかったです。声質に張りと艶やかさがある私好みの歌声です。

一番楽しみにしていたのは、エレナ・ツィトコーワさん。ツィトコーワさんを新国で聴くのは3度目になります。最初はケルビーノ、次はオクタヴィアン。これは素晴らしかった。そして昨日はフリッカ。うーむ、ちょっと印象が違うのですよ。オクタヴィアンの鮮烈な印象がすばらしすぎて、フリッカの持つ神々しさとかある種の傲岸さのようなものがあまり感じられないのです。衣装も地味なツーピースでしてすこし物足りなさが。歌声は柔らかく豊かで、すばらしさは健在で脱帽なのですが、それがフリッカ的であるかどうかはちょっとよくわかりません。

カーテンコールはブラボーだかブーイングだかわからない怒号が飛び交う感じ。こんなに荒れた感じのカーテンコールは初めてかも。あえて言えば、○国のボ○○ムを○上道○氏が振ったときと、関○○期○のナ○ソ○島のア○ア○○のときぐらいでしょうか。まあ、まだ56回しか観てないので、赤子も同然なのですが(56回「も」かしら。それにしては何も知らなさ過ぎる)。

それにしても、演出の印象が強い、ということは、僕自身音楽をきちんと聴けていなかったということになりそう。ここは至極反省。次回のワルキューレはきちんと体調を整えて行きたいと思います。

さて、究極の選択。

  • 休みなしの2時間45分のオペラ
  • 休みを二回いれた5時間超のオペラ

どちらが体に優しいでしょうか?

私的な答えは4月12日に出ます。

Opera

どうも最近調子が今ひとつで、ご無沙汰してしまっております。

会社の往還では辻邦生先生の「ある生涯の七つの場所」を読んでいまして、文庫版の第一巻「霧の聖マリ」をそろそろ読み終わります。今回は研究しながら読もうと思っているのですが、どうやってまとめればよいのか。以前はアクセスのデータベースで登場人物の整理をしよう、と思っていたのですが、なかなかうまくいかず。ここは一念発起するしか。

さて、 今日はいよいよ新国にて「ラインの黄金」を。ニーベルングの指環の実演に触れるのは恥ずかしながらこれが初めてでして期待はふくらむばかり。とはいえ、ウォーナーの演出は読み替えがなされているので、入っていけるかと言う点では心配でもあります。まあ、映像付きの指環はサヴァリッシュ@バイエルンで見ておりますので、何とか大丈夫だとは思うのですが。

それにしても予習をしていて立ち現れるのが、ペーター・シュナイダーさんの「指環」。あれ、本当に凄い演奏でした。今日もいい演奏だといいなあ、と思います。

予習にカラヤン盤の「ラインの黄金」を聴きすぎて、飽きてしまいました。とほほ。まあ、モナリザも毎日毎日眺めていたらただの人に見えてくるでしょうし、そう言うこともありましょう。

戻ってきましたら、またレポートしたいと思います。

 

Book,Japanese Literature,Literature,Tsuji Kunio

 辻先生の「ある生涯の七つの場所」について、2006年から2007年に掛けて集中的に書いていた時期がありました。そのころの記事を読んでくださったのだと思うのですが、先日ある方から心のこもったメールをいただきまして、本当にうれしい経験でした。この場を借りて改めてお礼申し上げます。

さて、私がこの連作短編集「ある生涯の七つの場所」を始めて手に取ったのは1992年の2月だったと記憶しています。場所は品川プリンスホテル内の書店にて。辻先生のお住まいは高輪でしたので、きわめて近い場所でこの短編に出会って驚きうれしかったのを覚えています。そのころのことは以下のリンク先の記事もお読みください。

https://museum.projectmnh.com/2006/11/29233753.php

さて、1992年といえば、もう17年も前のことになります。当時私は受験生でしたので(年がばれますが)、いろいろと思い悩んだということもあり、各月で刊行されていった「ある生涯の七つの場所」全7冊を発売当日に買い求め、そこになにか浄化のようなものを求めていました。 当初は法学部や政治学科を志望していましたが、おそらくはこの「ある生涯の七つの場所」をはじめとした辻邦生作品を読むことで半年後にはずいぶんと人間が変わってしまい、結局文学部に進むことにしたのでした。それはそれで本当に良かったと思います。

先日高校時代の友人達と会ったのですが(富士登山の友人です)、彼らと知り合ったのが16歳ぐらいですので、そこからまた17年とか経ってしまっているわけで、あのときまでの人生時間と同じ時間がたっているのだなあ、と愕然といたしました。

「ある生涯の七つの場所」は七つの色をモティーフとしたそれぞれ14の短編(7×14=98)に、プロローグとエピローグを加えた100の短編から構成される小説群で、長編小説ととらえることもできると思います。主人公は三代にわたる男たち。すなわち、

  1. 戦前にアメリカにわたって農業関係の研究をしている「父」の挿話群
  2. その息子である「私A」が戦前の日本で織りなす人間模様のなかで成長していく姿を描く挿話群
  3. 「私A」の息子である「私B」が、フランス留学中に知り合ったエマニュエルとの出来事や、スペイン内戦に関わる出来事に出会っていく挿話群

というぐあいです。

ともあれ、もう「霧の聖マリ」を半分以上呼んでしまいました。すでに通読しているからこそ意味がわかってくる挿話などがあって、特にスペイン内戦を巡って小説の水面下で繰り広げられる人民戦線に参加した男たちの物語を浮かび上がってくるのがとても興味深いです。このあたりは本格的に研究してみたいと思っているところです。時間をとれるといいのですが。研究したいと思ってからもう15年は経っていますね。光陰矢のごとし。されど「もう遅い」という言葉はありませんので、なんとか取り組もう、という決意。

さて、今週末の日曜日は新国立劇場で「ラインの黄金」を鑑賞予定。安い指環のセット売っていないかしら……。さすがにカラヤン盤とショルティ盤ばかり聴くのも芸がないような気がしてきましたので。超久しぶりにタワレコを急襲しようか、などと思案中です。

Roma2008

ジャニコロの丘を下る115番のバスは、ヴァチカンの手前で停車する。エンドポイントか、ときいてみるとそうだとのこと。

ガイドブックには地下の駐車場が終点だと書いてあったのだが。ヴァチカンの丘を貫く自動車トンネルのバス停でローマ中心街に向かうバスを待っていると、お目当ての48番バスが現れて、乗り込むのだが、程なくしてこちらも終点についてしまい、950番のバスに乗り換え。

バスは混み合っていたけれど、珍しく車内検察があって、女性の係員にチケットを見せてOK。

ナヴォーナ広場は、ローマ帝国時代の競技場跡がそのまま広場となっていて、確かに広場の形は戦車競争でもできそうな形をしている。ドミティアヌス帝時代だから、ベン・ハーが戦車競争をしたわけではなさそうですが。ここにはベルニーニの彫刻がたんまりあるのですが、工事中で隠されているものも結構あってショック。ベルニーニの作品はあまりに多すぎて、というところなのでしょうけれど。

お昼近くになっておなかがすいてきたので、食事をとらんと目をつけておいたレストランに向かうことに。

Symphony

昨日の夕方から聴き始めたショスタコーヴィチの交響曲第八番は、実に今の僕の風情にぴったりでして、これぐらいの曲で落ち込むところまで落ち込んでいって、ぐるぐる振り回されて、ぽいと投げ捨てられるぐらいがちょうどいいのやもしれません。

この曲は、ムラヴィンスキー盤を聴いたのがはじめて。中学生のころか高校生のころか、そのころ。当時から第三楽章のトランペットが好きでしたねえ。そういえば、大学生のときNHK交響楽団でこの曲の実演に触れているのですが、記憶は定かではありません。

昨日はバルシャイの全集から、今日はロジェストヴェンスキーの全集から聴いています。ロジェストヴェンスキーのほうがなぜか洗練されていて鋭利な刃物を突きつけられているかのように思えるのに対して、バルシャイ盤はずっしりと重い足かせをはめられて沼地を歩いているような気分になります。 バルシャイ盤は録音が少し残念ですが、このリヴァーヴ感と中低音が強調されている感覚が実にショスタコーヴィチ的だなあ、と思うわけです。どうしてこれがショスタコーヴィチ的なのかは良くわかりませんが、たぶん、何らかの僕の不安感とつながっているはず。僕が良く見る悪夢の風景にぴったりのサウンドなのですよ。

この曲もやはりスネアドラムが大活躍でして、特にバルシャイ盤の第一楽章のスネアドラムの打点のタメがすごくいい。下手をしたら遅れているととられてしまうかもしれないぐらい。こういうグルーヴ感は大好きです。

最近とある趣味を復活させまして、これがめっぽう楽しい。音楽聴きながら趣味に取り組むのが幸せでしかたがなくて、辛いことも忘れられるぐらいです。まあ、時間のムダなのかもしれませんが、今のところ生きていくに必要な時間とでもいえましょうか。幸い、英語の勉強にもなりますので、実益を兼ねている次第、と自分を納得させています。

Classical

なんだかぼれきれのような状態ですが、音楽は聴いております。散漫ですが。

こういうときは、「私的名盤」を聴いて心を落ち着かせるのが一番。今日の昼休みはパヴァロッティとフレーニの「ボエーム」を聴いたり、ドミンゴの「誰も寝てはならぬ」を聴いて気分を落ち着かせる感じ。両盤ともカラヤン指揮なのですが、甘くゆったりとした音に慰められる感じ。

カラヤンの指揮は、悪い意味での重みは感じないけれど、ゆったりと歌わせる棒ですね。 先日ドキュメンタリーを見て以来、なんだかカラヤンについての再発見が多いです。初めてクラシックのカセットテープを買ってもらったのが小学校五年生のときで、それ全部カラヤン指揮だったもので、僕にとってはカラヤンは水や空気のようなものだったので、それ以降、他の指揮者を聴くときは「カラヤンと比べてどうか」という観点で聴いていたのですね。だから、以前はカラヤン盤の良さを積極的に語ることが出来なかったのかもしれません。まあ、僕の場合、クラシック暦は長いようですが、途中でジャズに浮気してますので、あまり聴けていない、ということなのでしょうけれど。

ああ、また自虐的。

しかし、オペラは良いですねえ。「トゥーランドット」は2002年の冬にパリのバスティーユで聴いたのですが、あのころに比べれば本当に世の中の色が変わってしまった気がします。昨年の新国の「トゥーランドット」も良かったですが、ドミンゴぐらい甘いテノールで聴いてみたいです。

っていうか、またイタリアに行きたいなあ。ほとんど逃避行動ですが。もうこんなご時勢ではいくらユーロ安とはいえ夢のまた夢になりそうな気配。行ける時に行っておいて良かったと思うことにしますし、またいつかいける日が来るでしょうから。

あとは、辻邦生さんの小説を読めばもっと元気になるはず。また「春の戴冠」を読み直そうかなあ、という意欲。

Roma2008

この「連載(?)」の最初に書いたと思うが、バスの乗りこなしは本当に難しい。とくにトラステヴェレからジャニコロの丘に登る115番バスには本当に苦労させられた。停留所にも記載があり、路線図でも通るはず、ネットの最新情報でも間違いないと思われたところに、115番バスはまったくあらわれず、おそらくは小一時間は待ちぼうけを食らったと思う。ひと時は歩いていこうか、なんていうことを話したぐらい。やっと来たバスに嬉々として乗り込むのだが、どうしてどうして、歩いて上れるような丘ではなくて、ヘアピンカーブがジグザグと続き丘を登るのだから、バスを待っていて本当に良かったと思う。

ジャニコロの丘の頂上付近にガリバルディ広場があってそこで下車。ローマの街を一望できる。広場には巨大なガリバルディの像が立っている。イタリア統一の英雄ガリバルディだけに扱いもすごいということ。

ちょっと下ったところにあった噴水がすばらしくて写真を何枚も撮る。そうこうしているうちに都合よく115番のバスがやってきて、タイミングよく乗車。ジャニコロの丘を降っていく。

次はナヴォーナ広場やパンテオンへ向かう。

Richard Wagner

 ちょっとご無沙汰となりました。ちと仕事が忙しいです。にもかかわらず来年は大幅年収ダウンが決定し、意気消沈している今日この頃。新国にあと何年通えるかしら、みたいな……。まあ、こういうときこそ過度に悲観的にならずに前向きにやっていきたいものですが。

さて、前にも少し書いたかもしれませんが、カラヤンの「パルジファル」を聞き始めました。最近ワーグナーづいていまして、「神々の黄昏」とか「ワルキューレ」をイヤと言うほど聞いていましたので気分転換で。っていうか、気分転換になるような曲じゃないですね。素晴らしすぎます。天才ワーグナー。

なによりもこの盤のいいところは、グルネマンツがあのクルト・モルさんだということ。いつぞやも書きましたが、モルさんは私にとってもっとも大好きなバス歌手でいらっしゃると言っても過言ではないでしょう。「ばらの騎士」のオックス男爵はもちろん、フンディンクやハフナー、マルケ王まで、あの艶やかな声に魅了されてしまいます。

パルジファルのあらすじは、聖杯伝説によるものでして、これは小さい頃読んだアーサー王物語で何とも言えぬ不可思議さとともに親しんだ覚えがあります。っていうか、エクスカリバーって、ノートゥングそっくりですね。純朴たる青年パルジファルが聖杯の騎士になるいきさつ描いていて、クンドリやアンフォルタスの救済で幕を閉じるわけですが、この無垢な青年パルジファルが、ジークフリートに重ね合わされていて、アンフォルタスはトリスタンでしょうか。クンドリはマグダラのマリアだそうです。

それにしてもワーグナーは奥が深すぎ。パルジファルの全体の基調は横糸である音楽史的にはワーグナー的といえましょうけれど、そのワーグナー的なものが縦糸的に深化されていてすごくいい。しばらくはこれを聴き倒そう、という魂胆。

とはいえ、3月15日は「ラインの黄金」ですので、そちらの予習もぬかりなく。

 

Roma2008

今日も良い天気。ローマ西部のジャニコロの丘に登って、ローマ市外の眺望を楽しもう、ということで、テヴェレ河西岸のトラステヴェレ地区へと向かう。

乗車したバスはH番という快速バス。ガイドブックにはほとんどのフェルマータ(停留所)を通過すると書いてあるのだが、思ったより多く停車している感じ。テヴェレ河を超えたすぐの停留所で降車して、ベルニーニの彫刻があるサン・フランチェスコ・ア・リーバ教会へ向かう。

背が高く道路を覆うように枝を伸ばす街路樹のおかげで強い日差しから守られていて実に気持ちが良い。ローマ市だというのに、緑が多くてなにか田舎の街に居るかのよう。

途中でまたバールを見つけたので、エスプレッソを注文。ここはなかなか安くて0.8ユーロ。自然食品のお店があったので、ミューズリーとインスタントコーヒーを購入。そうしたら、店の外からひづめの音が聞こえてくる。あっと思って窓に目をやると、やっぱり。この街にも騎馬警官が配置されている。日本ではまず見られない光景だなあ。

サン・フランチェスコ・ア・リーバ教会は、その名のとおりフランチェスコ会の教会で、堂内には聖フランチェスコの肖像がたくさん。主祭壇には聖フランチェスコの像があるぐらいだ。おそらくは教会守の老人が横のドアから現れる。僕たちと同じ観光客と思しき金髪の男が熱心に写真を撮っている。

ここにも天才ベルニーニの彫刻がある。80歳の時の作品である「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」。すさまじい緊迫感と官能性と神秘性に開いた口がふさがらない。これが80歳の時の作品だなんて。もっと近くに寄った写真も撮ったのだが、シャッター速度が遅くてぶれてしまう。教会内の撮影は本当に難しい。辻邦生さんは、三脚を持って教会建築をきちんとカメラらに納めていた、ということを思い出す。

ああ、いつの間にか遠くになりきヨーロッパ。次に行けるのはいったいいつになるのだろう?? 

いかんいかん、こんなに弱気になっていては!

Roma2008

ローマのバスにも大分と慣れてきた感覚。微細な地図をクリアフォルダに入れて、路線を追うことができるようになってきて、なんだかうれしい。ローマのバスを乗りこなすのはとても大変だと聞いていただけに。

というわけで、リエンツォ通りでのおみやげものの物色を終えると、いちどリソルジメント広場に戻って、81番のバスでポポロ広場に戻る。サンタ・マリア・デル・ポポロ教会でベルニーニの彫像を見ようと思ったのだが、あいにく工事中でシートに覆われている。残念。

気を取り直して、同じ81番のバスにのってコロッセオに行ってみようということに。道端のガソリンスタンドの並びの停留所から81番バスに乗り込む。というか、ローマのガソリンスタンドって本当にこじんまりしている。

81番バスはコルソ通りからヴェネツィア広場へいたり、マルチェロ劇場通りを南下、マッシモ競技場通りを東進し、サン・グレゴリオ通りを北上してコロッセオへ到着。

あいにく空は雲に覆われていて、少しくらい雰囲気。雨も降ったのだから無理もない感じ。 残念ながらコロッセオの入場時刻はとうに過ぎていて中には入れず。やむなく81番バスに再び乗り込みヴェネツィア広場へ。84番バスに乗り換えてナツィオナーレどおりを北東へ向かい共和国広場で下車。

ここで、またみやげ物を物色しようとローマ三越へ入るのですが、なんだかいろいろ複雑な心境とともに店を退散。

あとは歩いてテルミニ駅まで戻り、いつものスーパーマーケットでピザを買い込み部屋に戻る。今日のピザは、酢漬けのミニキャベツで、ちょっとチャレンジ精神を発揮しすぎた感じ。