Classical

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人 バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
ラトル(サイモン) (2002/11/20)
東芝EMI

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バルトーク/バレエ音楽「中国の不思議な役人」作品19を、ラトル指揮のバーミンガム市響で聴いてみました。前回に続いて憂鬱な時に聴いてはならない曲でした。

簡単なあらすじ。登場するのは少女ミミ(ボエームではありません)と三人の悪党、そして不気味な役人。悪党たちは少女ミミに役人を色仕掛けで誘惑させ、金をせびりとろうとしています。ミミを抱擁しようとする役人を三人の悪党は殺しにかかりますが、ナイフを突き刺しても首をつるしても息絶える様子はありません。ついに役人はミミを抱擁するのですが、とたんに役人は息絶えてしまうのです。

なんとも頽廃的なあらすじで、曲を聴いて心がかき乱されるのはやむを得ないですね。若きラトルがバーミンガム市交響楽団を振っているのですが、若々しいだけに激しく情熱的な演奏なのでした。

ところで、最近思うのはラトルにも当たりはずれがあるのだ、ということです。もちろん、ラトルのすばらしい演奏に当たることのほうが多いのです。ちなみにこのCDは当たりでした。

参考文献

Classical

Alban Berg: Lulu Suite/The Wine/Lyric Suite Alban Berg: Lulu Suite/The Wine/Lyric Suite
Alban Berg、 他 (1991/01/14)
Sony

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ふと思いついて、ルル組曲をブーレーズ指揮ニューヨークフィルの演奏にて聞いてみましたが、この曲は憂鬱なときに聞いてはならない曲です。あまりに憂愁の色がこく、滅入ってしまいます。十二音階の不安定さが、夕方になって垂れ込めてきた鉛色の空に相まって、不安が心に忍び寄ってくる感じです。耳にこなれたフレーズさえも、まるで聞き手を裏切るように無調へと逃げ去ってしまい、強い空虚感を覚えるのでした。ヴァイオリンの鋭い美しさは黒魔術的な様相を呈した怪しい美しさで、手を触れると呪われてしまうかのように思えてしまいます。美しさの裏側にあるある種の非倫理的なにかがここに浮き彫りになってくるような気がしてなりません。昂じる不安感と闘いながら聞き続けるのですが、突然悲鳴声が聞こえてくるのです。切り裂きジャックにのどをかききられたルルの断末魔の叫び。いよいよ不安感が大きくなり、これ以上聴けない、とおもわされるのでした。

Opera

Richard Strauss - Capriccio / Schirmer, Carsen, Opera deParis 2004
(2005/10/18)
売り上げランキング: 94998

先日少し触れた、ルネ・フレミングのすばらしいカプリッチョですが、実はDVD発売されていることを今日知りました。レコード芸術を立ち読みしたところ、フレミングの特集が組まれていて、そこで紹介されていたのです。映像的にはNHKBSで放送されました。必見です。

Miscellaneous

http://capsule.stevian.jp/index.php
ふふふ、面白いウェブツールを見つけました。タイムカプセルです。これで未来の自分にメッセージを送るのです。さあて、そのころどんな自分になっていることやら…。楽しみですね(少し怖いですが)。

Tsuji Kunio

ラジオドラマCD 西行花伝 ラジオドラマCD 西行花伝
(2006/06)
エニー

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西行花伝のラジオドラマCDを発見しました。早速注文してみました。とても楽しみです。

西行花伝 西行花伝
辻 邦生 (1999/06)
新潮社

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ちなみに、西行花伝はなぜ「花伝」なのでしょうか?おそらくは能の形式である「夢幻能」を意識しているのではないかと思うのです。夢幻能とは、

亡霊が主人公(シテ)となって、僧(ワキ)の前に現れ、過去を語り、僧の供養を受けて成仏する

松岡心平『能 狂言 風姿花伝』週刊朝日世界の文学第28巻、2000 8-230ページ
という構造です。そこで何が起こるかというと、ワキが観客の代表としてシテの物語をリアリティーを感じながら聞いている、ということを演じている訳です。自ずと観客もワキと同じ立場に立って、リアリティを持ちながらシテの物語に没入していくことができ訳です。
このワキとも言うべき語り手が登場するケースが辻邦生作品の中には非常に多いと思います。いま思いつく限り並べてみると…。

  • 春の戴冠(サンドロをフェデリゴが語る)
  • 夏の砦(支倉冬子をエンジニアが語る)
  • 廻廊にて(マーシャを日本人画家が語る)
  • 西行花伝(西行を弟子が語る)
  • 安土往還記(シニョーレをディエゴ・デ・メスキータが語る)
  • ある生涯の七つの場所(宮部音吉を「私」が語る)

などなど、枚挙にいとまがありません。作品中の脇役ないしは語り手が、主人公を語ることで、物語世界のリアリティがより強固なものに補完されていくのです。
さて、辻作品関連のCDといえば、以下もあります。

細川俊夫作品集 音宇宙(9) 細川俊夫作品集 音宇宙(9)
細川俊夫、東京少年少女合唱隊 他 (2004/02/21)
フォンテック

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冒頭のハープ協奏曲が辻邦生に捧げられていますが、辻邦生はこの作品の完成を心待ちにしたそうですが、完成を待たずして99年の夏に急逝しまったのです。2001年3月31日6時からサントリーホールにて、秋山和慶指揮、ハープは吉野直子、東京交響楽団によって初演されました。学習院大学で2004年の晩秋に行われた辻佐保子さん(辻邦生の奥様)の講演に際して、講演前の待ち時間にこの曲流されいたのを覚えています。

Classical

ベートーヴェン:交響曲全集 ベートーヴェン:交響曲全集
アバド(クラウディオ) (2000/09/30)
ユニバーサルクラシック

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ビデオに録っていた話題のドラマ「のだめカンタービレ」を観ました。第四話までとりあえず見終わりましたが、いやあ、本当にベートーヴェン交響曲第7番はいい曲ですし、感動的ですね。のだめがピアノで7番を弾いているシーンは圧倒的な感動。こんなにいい曲だったっけ?という感じ。胸が締め付けられるような感動を覚えました。やはり音のないマンガ版より音のあるドラマ版のほうがいいですね。その後アバド版を聴いてさらに感動を新たにするのでした。

Opera

Richard Strauss: Capriccio / Sawallisch, Philharmonia Orchestra Richard Strauss: Capriccio / Sawallisch, Philharmonia Orchestra
Richard Strauss、 他 (2000/08/15)
Angel

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会社に向かう満員のバスの中で、思い立ってipodをスクロールして、サヴァリッシュ盤を聴き始めたのですが、冒頭の弦楽合奏でもう泣いてしまうのでした。昼休みにはクレロンと伯爵の朗読シーンと、フラマンが作曲するソネットに泣いてしまうのでした。ハープシコードの端正な和音と、それに寄り添うように弦楽合奏が絡んでくるあたりの優雅さといったら!カプリッチョはシュトラウス芸術の結晶化した花です。
もちろん、それは、ドレスデンで観たカプリッチョの記憶と間違いなくつながっていて、照明の落とされたザクセン州立歌劇場で、指揮のペーター・シュナイダーが、薄暗いオーケストラピットのなかで唯一天から差し込むスポットライトで浮きあがって見えていて、彼の指揮棒の動きにあわせて、弦楽部の一番前に座る首席奏者たちがおもむろに弓を動かし始める瞬間の緊張感と、静かに始まる弦楽合奏がもたらす絹糸に触れたような酩酊感が思い出されたからでした。
9月にNHK-BSで放送されていたカプリッチョも本当によかったです。
10月にドレスデンでカプリッチョを見ることに決めた数日後、NK-BSでカプリッチョを放映することを知ったのでした。まさにシンクロニシティの様相です。
この映像はウルフ・シルマーがパリで振ったバージョンで、ライブ録音なのだろうけれど、あとから映像をかなりいじっていて、すばらしく大胆な演出に仕立て上げていました。月光の音楽以降の伯爵夫人のモノローグが、幕中劇として扱われているのです!ルネ・フレミングが伯爵夫人を演じていたのですが、歌っているルネ・フレミングを客席からルネ・フレミングが観ているという構造。心躍る大胆さでした。「自分の演奏を客席からみてみたい」という欲求は音楽家の方なら一度は持つことがあると思うのですが、それを編集で具体化してしまったあたり、大胆でした。フレミング、よかったなぁ。賢明で誇り高く美しい伯爵夫人を見事に演じていたと思います。
しかし、本当にいい思い出だなあ、カプリッチョ。また見られるものならみたいオペラだなあ…。

Classical

Violin Sonatas
Violin Sonatas

posted with amazlet on 06.11.13
Johannes Brahms Maria João Pires Augustin Dumay
Polygram Int’l (1993/03/16)
売り上げランキング: 26597

ヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78を、デュメイとピリスのコンビで聴いてみました。いいなあ、ブラームス!久々にブラームス作品を聴いて本当に癒されました。四方八方から滅多打ちにされたあとにこういう演奏に触れると、深く癒されるのを感じます。できれば、窓から暗い海岸が見える薄暗い部屋で、独りになって聴いてみたいなあ、という感じです。
このコンビは、フランクのヴァイオリンソナタやブラームスのピアノ三重奏曲第1番でも競演しているのですが、それらの録音と同じく、溶けてしまうぐらい柔らかくて甘いアンサンブルなのです。デュメイのヴァイオリンは豊かな倍音をよく響かせています。ピリスのピアノは、ソフトペダルを踏みっぱなしなんじゃないかと思うほど柔らかくて優しいタッチです。この録音ではドイツ的な厳格さではなく叙情性を楽しむことができるのです。もしかしたらこういう音が苦手な方々もいるんじゃないか、とも思うのですが、僕は幸福なことに楽しむことができるようです。
聞き始めるとピリスの静かな和音に導かれてデュメイがそっと弦に弓をおく瞬間が感じられます。最初のヴァイオリンの六つの音符でもう参ったという感じ。この演奏にひれ伏さざるを得ません。穏和な感じの主題は展開部で激しく情感的に揺さぶられます。第二楽章は陰鬱な感じに歌い上げられています。救いなのは長和声で終わることでしょうか。そして第三楽章はすこし寂しげな舞曲風な楽章です。寒風に吹きさらされているドイツの田舎の街を独りで歩いている感覚です。最後はきちんと長和音で終わってくれるのが救いでしょうか。
この曲は1878年から79年にかけて作曲されました。そのころのブラームスは作曲家としてしっかり認知されていました。苦しみながら書いた交響曲第一番も既にできあがっていましたし、交響曲第二番も完成を見ていました。このころのブラームスはとても精神的に安定しているはずなのです。なのに、この寂寥感は何なのでしょうか?北ドイツ人のブラームスが持つ憂愁感が現れている、と片づけてしまいたいところですが、もう少しいろいろと想像するのもいいと思います。

Miscellaneous

土曜日は風邪を引いて寝込んでしまいました。大変な迷惑をかけてしまいました。体調管理は大事ですが、ついつい無理をしてしまいがちです。しかし無理をせずばなんとする、という感じです…。

Classical

Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48 Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48
Dietrich Fischer-Dieskau、 他 (1990/10/25)
Philips

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シューマンの「詩人の恋」作品48と「リーダークライス」作品39を、ディースカウとブレンデルのコンビで。
詩人の恋はハイネの詩に曲がつけられています。どれもがロマン的な恋愛感情を歌ったものでです。あまりに若々しすぎて、ふつうの健康な人間にとっては女々しい詩かともとらえられてしまうおそれがあると思います。ですが、詩人や音楽家のように、常に魂と格闘している人間にとっては、アクチュアルな問題なのです。それは恋愛感情にとどまるものではなくて、たとえば真善美の追求といった問題にまで拡大できるのだと思います。解説書には、シューマンが妻(クララ・シューマン)に対して抱いていた感情がこの曲を作らせしめたと書いてありましたが、果たしてそれだけなのでしょうか、という疑問を抱いてしまいました。単なる恋愛感情を赤裸々に述べるのではなく、もっと高次なレベルにまで昇華できうるのが芸術家の芸術家たる所以の一つなのではないでしょうか。
「詩人の恋」では、歌詞が未解決の和声で終わることが多いのです。それを解決するのが伴奏のピアノなのですが、この仕掛けも、すこしうがって考えてみると、詩人が歌手でピアノがその相手だったりするのではないか、とも思えてきます。最後の解決はピアノが与えるのですが、それは、詩人にとって必ずしも望んだ解決ではないはずで、だからこそ短調の和声で曲が閉じられることが多いのです。
「リーダークライス」のほうはアイヒェンドルフの詩に曲がつけられています。「詩人の恋」にくらべて、詩の意味するところは多くのアレゴリーで覆われていて、その深い森の中に分け入っていく努力を必要とします。やはりそこには喪ったものに対する愁然たる思いが満ちているような気がします。9曲目「悲しみ」では夜鶯の歌に込められた深い嘆きには誰も気づかない、と訴える部分があります。この部分も健康的な大人にしてみれば、なんと女々しいことを!と思う向きが多いと思います。しかし、それが芸術家の栗シミなのでしょう。ただの石ころに見えるものであっても、それが宝石の原石であることを見抜き、懐でゆっくり暖め熟成さえ、いつの日か美しい宝石に磨き上げてしまうのが芸術家というものなのでしょう。
12曲目「春の夜」は、春の到来に寄せる歓喜が歌われているように思えますが、果たしてそうなのでしょうか?ここでも夜鶯が登場し、「あの人はおまえのもの!」と歌います。しかしそこに込められた真の意味は、誰にも分からないのです。それは9曲目「悲しみ」で暗示されています。春ほど美しい季節はありませんが、春ほど残酷な季節もないのです。皆が皆春の美しさを享受できるとは限りませんから。
ディースカウは低音から高音まで本当によく聴かせてくれています。低音で雄々しい詩人を歌うかと思うと、今にも消え入りそうなナイーブな高音で、嘆く詩人をも演じています。ドイツの生んだ良心がここにもあるのだな、と思ったのでした。