Miscellaneous

写真 1 - 2015-10-23

今日はピアノを弾いたりして楽しみました。楽譜みながら、スタンダードを弾くのは結構楽しいですね。バルトークの教え「下手でもいいから楽器をやろう」を実践してみました。

ピアノは随分苦手でした。

小学1年から習い始めましたが、当時、音楽を聞く環境がなく、音楽に親しまないまま、ピアノを強制されていましたので、全くやる気なし。

バイエルなどやってましたが、一日30分10回弾け、などと強制されれば、小学校低学年はやる気無くしますわな。。

あのとき、もっとレコードやラジオを聴いて、音楽に親しんでいれば随分違っていたのではないとおもうのですが。

で、その後音楽に目覚めたのが小学校5年の秋でした。ちょうど今頃の季節。

そこで、ピアノやっておけばよかった、と後悔したものの、トラウマのようなピアノの記憶が邪魔したり、今更やってもおそいか、というあまりに老成した考えのため、再開せず。

両親が手助けしてくれればよかったんですが、そういうこともなく。

中3の時に、独学でベートーヴェンの月光ソナタの第一楽章をかろうじて弾けるようになったところでストップしました。

ですが、ピアノ自体は、サックスのトレーニングのためにその後も何度か触っていて、ひたすらハノンを弾く、ということをやっていた時期もありました。

おかげで、大学に入った頃にサックス吹き始めた時には、随分と指が回りました。

しかしですね、やっぱりピアノはその後も演るべきだったはずで、音楽理論をやるには、やはり鍵盤とか指板がないとイメージわかない部分はありますから、みたいな。

まあ、今から思えば、いろいろなところで機会を逸しているということに気づいているわけですが、それにめげずに、「借りもの人生」ですので、人生を大切にしないといけなくて、優先順位をつけて取り組んで行くべきなんだろうなあ、と思います。

時間と機会がもっとも大切です。

今日もこちらを聴きながら過ごしています。なんか、いいんだよな、と。この構成された美しさのようなもの。

多分、パット・メセニーのアルバムのようなストーリー性なんだと思います。スナーキ・パピーズ、注目。Apple Musicでもフォローしています。コネクトによると、いまチェコ・スロヴェニアツアー中のようです。

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それではみなさまつれづれでしたがおやすみなさい。

Miscellaneous

Photo

なんだか、今年度からデイタイムの仕事の質が変わりまして、いろいろと好きにやらせてもらっているということなのかも、などと。やること多くて、帰りは遅いですし、組織的にはメインストリームから外れた感もあるのですが、学ぶことたくさんだし、新たな可能性のようなものを見出したり。

まあ、人には得意不得意といろいろありますが、得意なことを遅くまでやるというのはいいことなのかもね、と。

ただ、その得意なこと、というのも、よくよく考えると、別に自分独りで得たものじゃないわけです。別に、努力して得意なわけではないので。

あるいは、努力したとしても、努力できる分野とそうでない分野があるはずで、努力できる分野で努力できたというのも、結局は自分だけでやったわけではないわけです。

そうすると、結局のところ、自分の業績のようなものは全く無いわけですね。あるとすれば、なにか意味はわからないけれど、自分ができる部分があるということ。

これ、3年前に、バークリー音楽院出身のギタリストと話した時のことを思い出します。

彼は、音楽の才能というのは、前世からの積み重ねに過ぎない。モーツァルトも、前世からその才能を引き継いだに過ぎない。人生というのは、一つ一つの人生がビーズが連なる首飾りのようなものに過ぎないのだから、ということを言っていた記憶があります。

(まあ、英語で話したので、私の曲解もあるかもしれないですが)

それを踏まえて、先日、ジャズを吹いた時のことをまた思い出したりして。なんだか、1年ぶりぐらいに吹いたのに、それっぽく吹けたりしたんですが、あれって、自分の努力とかではなく、与えられたもののように感じてしまったわけです。

いや、それは確かに外から見れば私が吹いているわけですが、私にして見れば、誰かに吹かせてもらっている、というような感覚を得たのでした。

まあ、よく言われる「生かさせてもらっている」みたいな言い方がありますが、私はそこまで得心しているわけではないにせよ、私の存在すら、誰かからの借りものであるかのような、感覚を覚えてしまったりして。

私の存在すら借りものだとすれば、私の所有物さえ、結局はだれかからの借りものだったりするような気もしてくる感じで、なんだか変な方向に考えが向いてますね。

逆に言うと、借りたものは、大切に扱わないといけないので、ということも言えます。だから、いまのここで全力をつくすのか、みたいな。

まあ、絶望の深淵のようなものから生還すると、こんなこと感じてしまうのかも。何が起きても、静謐に諦観できる感じがしたりも。短期的な思い込みかもしれないですが。

なんだかこういう文学的(?)な予感めいたものを、電車に乗りながら思いついたりしていました。

哲学やって、辻文学を読んだりと、完全にアウトサイダーなので、仕方ないです。

さしあたりはまた明日。おやすみなさい。

Apple Music

はじめに

どんどん秋が深まっていて、どうも風邪をひったっぽいです。今日は早く寝ないと。その前に少しだけ。

本編

アップルの定額制音楽配信、有料会員650万人突破

スポティファイに比べるとまだまだのようですが、順調、ということのようです。

これまでも随分書いてきましたが、いろいろと意見はありますが、Apple Musicを日々楽しんでいるのだと思います。

他のサービスはあまり使っていませんが、私が思うApple Musicのアドバンテージは、既存のiTunesライブラリとの統合だと思います。自分の持っていた音楽とApple Musicの音楽が同じ箱のなかに収まっているのをみると、なにか、Apple Musicの音楽全てに手が届くような気分になります。

「Apple Music」の有料会員が650万人に、850万人がトライアル中

こちらの記事ではもう少し詳しい状況が書いてあります。

Cook CEOはApple Musicに関して「人々は、人間によるキュレーションをたいへん気に入っている」と述べ、アルゴリズムによってお勧めプレイリストを提供する「Spotify」との違いを強調した。

とありますが、私はプレイリストと言うよりは、アルバムからアーティストを辿って、いろいろな音楽を聞くか、昔聴けチャンスのなかった古いジャズを聴いたりということで、人間におるキュレーションの恩恵にはあまり預かっていません。

ただ、「はじめてのハンコック」みたいなプレイリストは、ハービー・ハンコックの再発見になってよかったのかも、と今思い出したりしています。

この「人間によるキュレーション」というクックのコメントは以下の記事から引用されているようです。

http://blogs.wsj.com/digits/2015/10/19/apple-ceo-tim-cook-talks-new-frontiers-at-wsjdlive-2015-live-blog/#entry_36

その中で、スポティファイの人間によらないプレイリストもいいもんだけど、みたいなコメントがあって、それはそれで面白いです。

Humans are great and all, but both Joanna and I love the algorithm aspects of Spotify, such as the weekly playlist recommendations.

コンピュータのアルゴリズムがもたらす意外さのようなものも実は面白いのかも、と思ったりします。

スポティファイは日本でのサービスはまだですが、こういう記事を読むとまた興味が出てしまいます。

おまけ

このWSJDLiveの記事をみて、なんだか海辺のよさ気な会場で、いいなあ、とおもいました。船員服を着ている人がいるので、船でやっているのか、と思いましたが、船員などではなく、国家安全保障局長官のマイケル・ロジャーズ提督なんだそうです。大変失礼しました。

Commanderとあったので、海軍中佐かとおもいきや何故かAdmiral提督の称号を持っていて混乱しましたが、アメリカサイバー軍の司令官という意味のCommanderの称号みたいです。国家安全保障局長とアメリカサイバー軍司令官は前任者も兼務しているみたいです。

それでは、みなさまおやすみなさい。

Johannes Brahms

Photo

先日、散歩中に撮ったコスモス。たまには散歩もいいものです。コスモスは秋の風物詩で、秋桜と書くそうですが、昔から「桜」と書くほど日本的なものとは思えませんでした。なんだか無理矢理感があって、本当? みたいな。

で、それと似た、秋の夜長、といいますが、冬至のころが一番夜が長いはずなんですがどうしてでしょう? 

あるいは、秋の太陽はつるべ落としのように早く降りる、といいますが、なぜ秋だけなんでしょうか。冬も早く日没が来るはずなんですが。

今日の東京地方の日没は16時58分です。3ヶ月前は、日没は19時ごろだったのですが、日没時間は二次方程式の弧だか、あるいは三角関数の波動を描いています。ここからさきはじわりと日没時間が早くなり、冬至に向かっていくのだと思います。

秋は、日没時間が加速度的に早くなるわけで、その加速度をもって「つるべ落とし」と言っているのでしょう。

また、だからこそ、夏との比較で、秋の夜の長さをしみじみと感じるということもあり、「秋の夜長」というはず。

このあたり、体感的にはわかっていましたが、Apple Watchを買って日没時間を表示させると、定量的に体感することができます。

その秋の夜長は、またブラームス。タカーチ弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲第一番。同じ曲ばかり。ハンガリーの弦楽四重奏団です。今はアメリカを拠点にしているようです。

なんだか、重心の低い重みのある演奏ですね。深く濃い演奏です。

南欧系とは反対の中欧の民俗的な匂いを感じます。

もっとも、この「中欧の民俗的な匂い」というのは、「ハンガリー」という言葉からくるバイアスかもしれません。ですが、どうしようもなくて、聴きながらどうしてもバルトークが蝋管に録音をしたという史実と重なってしまい、そこから誰も聴いたことのない土の匂いのする民謡を買ってに想像してしまうのです。

ですが、結局は、こういうバイアスもまた音楽の要素なのかも、と思います。

秋の夜長も結局、相対的に体感しているに過ぎないわけで、なんだか似ています。要は主観、ですか。。

Brahms: String Quartets Op. 51 & 67 / Piano Quintet Op.34
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では、秋の夜長といいつつ、仕事をしていると、家にいる時間は絶対に夜なので、夜長も夜が短いもなく、いつも早く寝なければと思いながら書いているわけですが、どうかみなさまもお身体にお気をつけてゆっくりお休みください。

グーテナハトです。

Computer

Microsoft Windows 10 Home (32bit/64bit 日本語版 USBフラッシュドライブ)
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土曜日に、重い腰を上げてなんとかwindows 10を導入してみました。

なんなんでしょうね。この感覚は。なんとも言えない寂しさというか虚しさのようなものは。

私が初めて使ったWindowsは、3.1でした。Windowsというだけあって、Windowが何枚も格子状に敷き詰められたデザインになんだか圧倒されたものです。

初めてバイト代はたいてかったPCもやはりWindows3.1でした。あれは本当に嬉しかったですね。安いモデムを大学から譲ってもらって、ガーガーならして電話に繋いで、という感じでした。

あの頃は、まだWindowsにも未開の地があって、若い人もワクワクしながら使っていた記憶があります。

Microsoft WordもMicrosoft Excelも、なんだか新しくて、これからは、ロータスではなくMSOfficeだ!みたいな、盛り上がりがあった記憶があります。

ですが、あれから20年が経って、なんだかMicrosoftはビジネス向けの製品ばかりで、なんだか面白くないなあ、という感じです。

フォントも新味に欠けるし、操作性も全く変わりません。Windows8で、あまりに操作性を変えて大不評だったからということもありますが、なんにも変わっていないのです。

先日、とあるIT企業のセミナーに出席する機会がありましたが、Microsoftのプレゼンテーションは、組織で働くものとしては大変魅力的でした。これまで20年間にわたって蓄積されているOfficeファイルが引き続き使えるわけです。こうした今の資産の活用のなかで、新たな使い方、例えば、クラウドを利用したり、テレビ会議などのコミュニケーションをアップデートしていくという考え方です。

組織の一員として、これは、現在の有形無形の資産を活かしつつ、新しい物を取り入れることができる素晴らしいオプションであると感じたのです。

ですが、FacebookやLINEやYoutubeを知っている身にとっては、あれ、だから何?という感じになってしまうわけです。

こうしたことはコンシューマ向けサービスでは、無料かそれに近い金額で行うことができているものです。それを、わざわざ企業向けにプレゼンをしているということに違和感を感じてしまうわけです。

企業向けのコンピューティングにおいては、サービスレベルやセキュリティといった、コンシューマ向けにはない要素があるのはわかっています。また、IT部門が実際にはコンシューマ向けITリテラシーを理解するのが難しい状況ということもわかっています。

ですが、そうはいっても、5年ほど前から分かっていることを、Windows10とかOffice2016を通して、企業のエグゼクティブな担当者に説明しているということに虚しさを感じたのですね。

時代はその先を行っているのに、組織や企業は10年以上前の旧態依然としたコンピューティングが残っていて、その面倒を見ているのがWindowsである、という状況。

やたらとセキュリティを重視するあまり、逆に不自由になるほどの統制をかけてしまうという状況。

なんだか、ITの先にはバラ色の未来があるように錯覚していた20年前に比べると、現在の世界は完全に統制され管理された、まるで「1984」のような世界が広がっているという状況。

うーん、なんだかなあ、という感じです。

Micorosoftの担当者の方は「新しいMicrosoft製品で生産性を上げましょう!」と言っていました。ですが、別の会社の人は「生産性も大事ですが、創造性が大切です!」と言っていました。

これもなんだか端的にMicrosoftの立ち位置を表しているように思えてならないのです。

これも、先日も書いたかもしれませんが、フランス革命のあと、ウィーン会議における反動に落胆し失望する感覚と似ているのかも、と思いながら過ごしています。

次のイノベーションはいつ来るんだろう? 

昔に比べると、グローバル化が進み、時代の動きが加速している昨今ですので、次のイノベーションもそう遠くない未来に待っているかもしれません。

そこでは、人々が幸福になっているといいのですが。

今日は字ばっかりのエントリーですね。しかもコンピュータ。でもこれも一つの文化批評だと思いますので、あえて。

それでは、みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Jazz

2年ほど前に、10歳ほど若い音楽家と話をしました。かれは、同じ職場で働いているのですが、どうやら二足のわらじを履いているかたのようで、作曲活動なども行っている方のようでした。楽器もいろいろと操ることができるようで、音楽の才能がある方と話をしている中で思いました。

前にも書いたかもしれませんが、その方がおっしゃるのは、1990年代前半が羨ましい、ということでした。音楽が一番盛り上がっていたのがその頃だ、ということなのだそうです。

まあ、私が若い頃の音楽の話をしていたので、話あわせてくれただけなのかもしれませんけれど。

ただ、やはり、なにか私もそうした感想にはうなずかざるをえないような感覚を持っていました。

とあるジャズバーに行った時にも同じことを思いました。大学卒業してからは、クラシックやオペラばかり聴いていたので、ジャズの方は最新動向などはおさえることもなく、かつて好きだった曲を聴いていたので、最新動向は? などと聴いていたのですが、やはり誰も最近のジャズというものを聴いていないという感じでした。

ジャズもやはりクラシックと同じになっていて、かつての古い録音の解釈を進めているだけになってしまったのか、と少し残念な気分になったのでした。

ですが、ジャズ雑誌などを読まなかったり、ジャズフェスなどに行けば新しいジャズはまだまだるようでした。

ただ、そうした新しいジャズはジャンルがボーダレスになっている中にあって、ジャズという枠組みから外れたものになっているようだ、とも思いました。

Apple MusicかあるいはNHK-FMだったか、菊地成孔のバンドを聴いたのですが、その時に覚えたのは、これまでジャズやポップスの曲の枠組みから外れているなあ、問うことでした、。つまり、イントロがあり、サビを含むテーマと呼ばれる楽曲構成があり、そのあとにインプロヴァイズがあり、そしてテーマに回帰する、という一般的なジャズの枠組みを大きくはずれ、音楽がストーリ性をもってより大きな次元で展開されているように聴こえるのです。そして、拍動においても、通常の四拍子や三拍子ではなく、途中で五拍子に変わったり、といわゆる変拍子の導入によって曲のなかに変化が埋め込まれ、より深みが出ているように思いました。

私は、プログレというものは聴きませんが、とはいえ、プログレバンドのようなものに所属していたこともあり、なんとなく、そうした大きなプログレのようなものになりつつある、という感覚をおぼえました。

あるいは、もしかすると、旧来型の交響曲がベートーヴェンで拡大化され、ベルリオーズにおいてそこに標題が持ち込まれ、ブルックナーやマーラーによって巨大化していく、という形式の変質の過程をみているとも言えるでしょう。

そうした流れのなかにあって、このバンドのアルバムを聴いて、これが新しいジャズとされていることに、なにかうなずかざるをえない、という感覚を覚えています。

スナーキー・パピーズの《シルヴァ》というアルバム。こちらをApple Musicで三回聴いてそう思いました。

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ジャズ、ファンク、ダンス、フュージョンを融合した〈Jafunkadansion〉というスタイルに当たるそうです。まさに、本当のフュージョンなんでしょう。

このスナーキー・パピーズは、2004年にテキサスで結成されたバンドとのことです。もう11年に及ぶキャリアを持っているということになります。北テキサス大学の出身者が多いようですが、まあ、そういうものですよね。

この《シルヴァ》というアルバムは、2014年4月に録音されたものです。
統制のとれた楽曲構成や、ストリングスやブラスを含んだ63名というアンサンブルは、実に緊密です。上述のジャンルに加えて、ミニマルミュージックやエレクトロニカなどの雰囲気も兼ね備えた、本当に新しい「ジャズ」であるかのように思います。

私は、まだこのアルバムの全貌を掴みかねているように思います。それほど、複雑で解釈可能性に満ちているアルバムではないか、とも思い、久々にワクワクしているのです。

これは、なにかパット・メセニーの《シークレットストーリー》を聴いた時の感動にも似ています。あれもやはり旧来のジャズの枠組みを超えたアルバムでした、あれに近い面白さのようなものを感じるのです。

他にも最近発見した《ジャズ》があり、なんだかまだまだ捨てたものではないかも、と思いました。この1年、なにか音楽に対する倦怠のようなものを感じていました。なんでもやっぱり同じじゃないか、という感覚を覚えたり、テクノロジーの進歩で、古い言葉でDTMともいいますが、誰でも音楽を作れるようになり、コモディティ化が進んでいるようにも思ったのです。

ですが、才能というものは、まだまだ先に進んでいるのだな、と思いました。ただ、先に進める人はコモディティ化の中においては一握りですね。

※ちなみに、Apple Musicの唯一最大の欠点はライナーノーツがないことです。。もう少しいろいろ知りたいのですが、ウィキペディアなどで調べるに限られてしまいますので。

というわけで、今日はこの辺りで。

みなさま、秋の夜長をお楽しみください。ですが寝不足にはご注意を。自戒を込めて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Apple Music

音楽業界が推進する定期購読型のオンラインサービスについては、「消費者はCDを買うのと同じようにダウンロードで購入したいと思うだけなのに」「消費者を犯罪者であるかのようにあつかう」厳しいルールだと冷やかす。

(449ページ)

これは、誰の言葉かというと、スティーブ・ジョブズの言葉とされています。おそらく2002年頃の言葉だと思われます。

「あんなバカなアイデアなんて、AOLを横目に観て、揉み手をしながら『あんなふうに毎月、使用料金が転がり込んだらいいだろうなぁ』とでも考えた金勘定に長けた人物がいたんだろう」

(450ページ)

なるほど、なかなかおもしろいですよね。Apple Musicのことを言っているようにも聴こえます。

こちらの本に紹介されていました。世界も変われば人も変わります。不思議ではありませんが、なかなか興味深いものがありますね。

おそらくは、前提となっている「CDを買いたいように」という部分が崩れてきているのでしょう。当時は、まだCDのメタファーとして、ダウンロードして買う、という位置づけだったのだと思います。

ですが、あれから10年以上たって、現在音楽を聴いている若者はCDをあまり買ったことがないという状況になっているのではないでしょうか。

CDを購入し所有する、というかつてのモデルが崩れ、コンテンツとしていつでもどこでも使うことができていれば、ものとしてあるいはファイルとして所有していなくても、所有していることと同じことだ、ということなのだと思います。

所有という概念が少しずつ変わっているのでは、という予感があります。

http://www.lifehacker.jp/2014/07/140728how_i_work.html

こちらの記事の中の印象的な言葉。

私は、所有にこだわりません。(中略)同じお金をかけるなら、高価な腕時計を買うよりも、友達と旅行に行く方が好きです。これは、ミレニアル世代と呼ばれる私たちの世代に共通しているような気がします。

CDをものとして抱え込むというよりも、コンテンツとして体験する方により価値を持つ。そういうパラダイムシフトが少しずつ起きているのではないか、という予感を持っています。

スティーブ・ジョブズ-偶像復活
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それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Art

今日は出張で外出。18時半頃までみっちり。その後帰宅途中に上野を通りました。

早く帰ろうと思っていたのですが、本当に衝動的に下車してしまい、そのまま国立西洋美術館へ吸い込まれるように言ってしまいました。

入場券売場でわかったことは、なんと、ル・コルビュジエが設計した本館展示室は閉鎖されているということでした。ウェブでは見つけられないのですが、たしか記憶では1月ぐらいまで、だったでしょうか。

本館展示室にはオールド・マスタと呼ばれる18世紀以前の絵が多く納められているだけに、残念でしたが、幸い、幾つかの絵は、別室で展示されていました。

ここで一番好きなのがこちら。クロード・ロラン。初めてみたのは15年ほどまえかと思いますが、折にふれて見に来ています。この絵を日本で観られることに感謝です。

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そしてもう一つ。これも何度も紹介していますがギュースターヴ・ドレの作品。スペインのけだるいシェスタを表現した絵ですが、今日はこの絵の前でしばらくボーッとしていました。

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なんというか手前の日影と、奥の日向のコントラストが素晴らしく、なにか人生の陰影、あるいは世界の陰影を濃密に表現した素晴らしい作品だと思います。

以前の仕事場は、外で太陽が照っているのに、偉い人の以降で常にブラインドが閉められていました。そういう時本当に太陽の光が恋しいときがありました。

この作品を見ると日向の向こう、多分左側の先の太陽の差し込んでくるあたりに、なにか希望のようなものが感じられて、なんだか心がうごかされてしまいました。

先日書いたように、絵画というのは空間に閉じ込められた芸術ですが、何度も何度も時間をかけて見ていると、ある時、なにか弾けるように新しい意味が思い浮かんだり、あるいはこれまで見えていなかった装飾とかパーツとかが見えてくることがあります。

この絵が収蔵されたのは10年ほど前だと記憶しており、何度かブログにも書いている絵なのですが、それでもなお新しい意味を見出したり、新たな心の揺れ動きのようなものを感じて、絵画もなかなか奥深く一筋縄では行かないなあ、と思いました。

明日はおやすみ。明後日は仕事のようなもの。週末も光速で過ぎていくのでしょうね、きっと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今日はアバドとブレンデル

機能は、ドゥダメルとバレンボイムでしたが、今日は、アバドとブレンデルのブラームスのピアノ協奏曲第2番。

Brahms: Piano Concerto No.2
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峻厳という言葉がふと思い浮かびました。私のなかのブレンデルのイメージは、リストを静謐に透徹に弾くという感じで、それもこれも、巡礼の年第2年を30年ほど前に聴いたからに他ならないわけです。村上春樹で有名になってしまった音源ですけれど。

で、やっぱり最初聴いた時から、和音のタッチがリストに聴こえてしまいました。ブレンデルが弾いている、という先入観からなのか、本当にそうなのかはわかりません。

なんだか、上品なんだよなあ、と。それで澄み切った感じ。

で、勝手にこんな風景を思い出していました。

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ベルリンのジーゲスゾイレからみた東ベルリン方面。今から見るとくぐもってますが、当時は珍しくさわやかな秋晴れでした。

それにしても、ピアノの聴き比べというのもなかなかおもしろいです。音色の違いというのもありますが、タッチの雰囲気とか微細なテンポどりとか、そういう細かいニュアンスが全体の雰囲気というものを形成しているわけです。

ジャズの場合だと演奏の違いのブレというのは非情に大きいわけですが、クラシックの場合はもっと微細で絶妙な世界で勝負していることになります。昨日も述べたようにこういう相違が、Apple MusicやiTunesで簡単にそしてよく分かるようになりました。

これは、底なしの楽しみかもしれない。そう思います。

おわりに

さて、時間配分を変えてみたこの数週間ですが、まあ確かに家に関する雑務はスピーディーになってきました。家族とメッセージでやりとしながら、通勤電車の中で家事を済ませてしまう、というスタイル。

しかし、スピーディーすぎても良くないこともある。難しいですねえ。

「思いついたらすぐ実行」

これ、私の幼稚園の頃の口癖だったようですが、良く言えばスピード感、悪く言えばあわてんぼうですね。

でも、スピードこそが価値の時代となりました。失敗してもスピードで取り返せばよい、みたいな。

ただ、スピード出すにも燃料が必要です。食事も燃料ですが、睡眠も燃料ですね。

ということで、今日は寝ることにします。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Apple Music,Johannes Brahms

うーん、これをやられてしまうと、一気に興ざめしてしまう。

残念なApple Music

私が持っていないチック・コリア・エレクトリックバンドのBeneath the Maskを聴いていたんですが、曲名表示が薄いトラックが。

これももうみなさんご存知でお気づきのことと思いますが、アルバムのなかに、Apple Musicに登録されていないトラックがあるわけです。

当然、このトラックを再生することはできません。

で、そういう時に限ってその他のアルバムの曲がメチャいいというわけで、聴けないトラックが聴けないという、まさに地獄のような状況に陥るわけですね。

まったく。

で、結局このアルバムを買うはめに陥る、というわけです。

まあ、他にも山程Apple Musicで音楽を聴くことができるのでいいのですが、こういう事案は本当に興ざめです。

今日はこちら。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番&第2番
ドゥダメル(グスターヴォ) バレンボイム(ダニエル)
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そうは言いつつも、Apple Musicを観ていましたらこんなアルバムがお勧めに上がってきました。

ドゥダメルとバレンボイムのブラームスのピアノコンチェルト。

しかし私の中では、アバドとポリーニがデフォルト盤です。あの甘く透き通る夏のイタリアの空のようなアルバム。

しかし、これは違います。ドゥダメルはボリビア、バレンボイムはアルゼンチン。というわけで、南米コンビだったりしますので、本当に熱いブラームス。

バレンボイムのピアノは本当に石の塊を少しずつ押していくかのような推進力で、重々しいブラームスになっています。

私はこれを聴いて、バレンボイムの弟子であるエッティンガーが新国立劇場で振った《こうもり》を思い出しました。

とりあえず、第一楽章を聴きましたが、いやあ、本当にここまで違うのね、という感じです。

まあ、こういう聴き比べがかなり簡単にできてしまうというのがApple Musicの良い所で、これがあると鑑賞力がアップするのは間違いないです。

若いころ、お金なくて同曲異演が聴けず、初めて同曲異演のCDを買った時に感じた激しい罪悪感がウソのようです。

Apple Musicの功罪を述べたようなエントリーになりましたが、明日はもう一つApple Musicに関する興味深い感想を書いてみようと思います。故人となった方の未来へ向けた感想なのかもしれないです。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハト。