Classical

なかなか時間配分を変えられない日々が続いています。ですが、書くことは精神の平衡を保つためにとても重要なのだそうです。

以前にも紹介しましたがこちら。

http://toyokeizai.net/articles/-/74334?page=4

運動をして、音楽を聴いて、呼吸をして、何かを書けば、激務でも心が折れません。

ただ、肉体疲労は食べて飲んで寝ないと治りませんが。

というわけで、今日も寝る前に書いています。

きょうはこちら。ラトルが振る《くるみ割り人形》

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)
ラトル(サイモン) リベラ
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-09-21)
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私はこの曲のなかでも《花のワルツ》が好きでした。デフォルト音源はカラヤンとベルリン・フィルです。今聴きなおしていますが、あまりにたくさん聴いたので、全く違和感がなく、違和感がなさすぎて、新鮮さもなく、面白さを感じなかったりします。初めて聴いたのは30年前なんですから仕方ないです。ゴージャスで分厚い、ポルタメント気味の弦とか、本当に古きよきベルリン・フィル、という感じです。

チャイコフスキー: 3大バレエ組曲
カラヤン(ヘルベルト・フォン)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2006-11-08)
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で、今日聴いたラトルの《花のワルツ》は以前にも聴いたということを、今日思い出しました。それほど印象的な演奏なのです。

ラトルらしいダイナミズムも、素晴らしいのです。

最終部に到達するまでは、細やかな陰影に富んだ立体感のある演奏で、一つ一つの音符が、まるで、触れることができるような現実味を帯びて迫ってくるのです。

これは、もうベルリン・フィルのメンバーのレベルの高さと、それを引き出せるラトルの力量ということなんだと思います。

ところが、最終部以降、急にハチャメチャになっていくのです。抑制が効かなくなって、みたいな。どんどんテンポが上がっていき、なにか手綱を離して、どうぞどうぞ盛り上がりましょう! みたいな感じなんですね。

カラヤン盤を聴きなおしてみると、確かに熱くなるんですが、なにかロープのようなものに沿ったぶれない一線のようなものがあります。

カラヤン盤のほうが落ち着きます。ですが、ラトル場の放埒さもなにか捨てがたいものを感じます。ただ、最初聴いた時は、えっ! という驚きがあったのは事実で、なにか間違ったものを聴いてしまったのではないか、と思うほどでした。

※ しかし、こういう聴き比べを一瞬でできてしまうApple Musicは怖ろしいです。。

といわけで、今日はこの辺りで。どんどん寒くなります。どうかお身体にはお気をつけて。

グーテナハトです。

Music,Symphony

今朝の冷え込みは厳しかったですが、日中は随分と暖かくなりました。ですが、季節の変わり目ですので、体調には本当に気を使います。

さて、今日はこちらから交響曲第5番を。

Vaughan Williams: THE COMPLETE SYMPHONIES
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先日も書いたんですが、これ聴いただけで、イギリスのテレビドラマや映画に出てくる、地方の丘陵地帯の風景が目に浮かんでしまうんですが、それって、やはり先入観なんでしょうか。

第一楽章の冒頭なんて、朝の霧が丘陵地帯を這うように立ち込めていて、そのうちに琥珀色の太陽の光に霧が染まりはじめ、そのうちに霧が晴れると、丘陵に敷き詰められた青々とした草原が光で輝きはじめる、みたいな風景そのままに聴こえてしまうわけです。

これは、もう本当にヴォーン・ウィリアムズがイギリスの作曲家である、ということからくる勝手な連想です。

ですが、まあ、それはそれで良いのだ、ということです。音楽が伝えられることは、限られていますが、そこから何を汲み取るかまではコントロールできません。作曲家の意志に反して指揮者が曲を作ることがあるのなら、聴き手がその音楽にどういう意味を持つかまではコントロールできません。

聴き手が思う意味というものに、正誤もありません。ただ、そこにあるのは、引き出された解釈がどこまで豊かか、ということだけなんだと思います。

ですので聴くという行為は、やはり創造的であるべきなのでしょう。そこに創造がない聴き方も許されると思いますが、豊かさに欠けるのでしょう。最も、創造的という言葉は、おそらくはゼロから何かを創り出すということではなく、知識と知識を、偶然とでもいうほど論理的に組み合わないところを組み合わせる、ということなのだとも思います。

数ある物語のパターンは旧約聖書で出し付くされていて、その後の物語というものはその焼き直しに過ぎないということだそうですが、創造するということは、すなわち解釈にすぎないということなのでしょう。その状況においてもっとも効果的なパターンを旧約聖書的なパターンバンクから引き出して適切に配置する、ということ。創造=クリエイトというのはそういうことなのだと思います。

音楽が想起させるものも、やはり聴き手の解釈であり、がゆえに、そこでどういう意味を拾ってくるか、とか、その意味同士の結合の面白さのようなものが、音楽を聴くという楽しみなんだろうなあ、と思います。音楽の生成者は、そうした聴き手の解釈という創造性といかに交換できるかということが音楽の課題なのだと思います。

さて、このヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番をなんとかイギリス以外の情景と結びつけようと試みましたが、なかなかうまく行きません。ただ、なんだかよくあるイギリスのテレビドラマのような情景はどんどん湧いてくるのが面白いです

というわけで、今日はこの辺りで。文章ばかりですいませんです。おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

Photo

先日の公園の風景です。これから葉が散ろうとしている木々に、飴色の陽の光が差し込んでいました。

慌ただしく、光速で週末が終わろうとしていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

今日は静かにこちらを。

フォーレ:レクイエム
フォーレ:レクイエム

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ジュリーニ(カルロ・マリア) バトル(キャスリーン) シュミット(アンドレアス) フィルハーモニア合唱団
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フォーレのレクイエム。

なんだか、最近動き回りすぎていて、今もまさに、いろいろと画面を向かってやっていたのですが、この曲聴いて落ち着きました。

バリトンのアンドレアス・シュミットが登場したところで、なんだか、ギュッと固まった心のなかにいくらかの気泡が生まれて、少し心も柔らかくなったのかも、などと思いました。

サンクトクスの高揚もなんだか、光が差し込んでくるかのような。

ジュリーニという指揮者の持つ、味わい深さ、豊かさ、柔らかさ、大きさのようなものが十全に味わえる盤だと思います。本当に上品で、てらいのない演奏です。

わたし、大学がミッション系(死語?)だったもので、欧米出身の聖職者の教授の授業に出たり、一緒に飲みに行ったりしました。

アルバイトも、生意気にも学内のミッション系研究所の事務に携わり、恩返しができないままだったのですが、大変お世話になったのでした。おかげで、ミッション系ではないのに、司教座でのコンサートに行くことができたりしました。とある有名文学賞受賞者のご親族が図書館職員としてご在籍で、その方と仕事の会話をしたりとか。

でも、学生の時分は、世間知らずで、今から思うと、赤くなったり青くなったりすることばかりです。学生はダメですね、という感じ。

なんだか、情報と効率の世界で生きている今となっては、夢の様な話です。もちろん、そこには学内の政治闘争や学会の人間模様などが飛び火してきて、それはそれで勉強だったのです。

で、「ミッション系」で、欧米の「聖職者」がたくさんいたということで、それはそれでなにか西欧の延長に居たような気もしていました。日本にいながらも、なにか西欧の伝統の末端に生きているかのような。少し歩くと、白髪の老聖職者が歩き、留学生が歩きまわる、といったような感じ。

それが剥がされたのが社会人になってからでした。周りが日本人だらけなのに違和感を覚えたりしました。

なんだか、このジュリーニの「レクイエム」を聴いて、そういう忘れていたことを少し思い出し、なにか涙腺にいくばくかの刺激を覚えたりして。

どんどん寒くなりますね。どうかお身体にお気をつけ下さい。ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Book

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近所の公園。天気もよく、気温も適度で、心よい一日でした。

最近、本は読んでいますが、偏り気味。どうも仕事関係の本中心で、文学的なものをあまり読めていません。仕事系はこんな本を平行して読んでいます。電車の中の空き時間や、昼休みなどに少しつづ読んでいる感じです。

リーン・スタートアップ
エリック・リース
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ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン
プレジデント社
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が、私は思うのですが、人間にとって本当に力のあるものはストーリーでないと伝わらない、と思います。特に、私は、右脳派でエピソード記憶な人間なので。説明文、評論なんかよりも、ストーリーでガツン!とこないと、どうも身体に入ってきません。

仕事に関係なくても、仕事に役立つ本はあります。私は塩野七生の《神の代理人》を読んで、人間の飽くなき遂行力とか粘り強さとか、権力への意志のようなものを学びました。

数年前、新入社員に「仕事に役立つおすすめの本はありますか?」と聴かれて、この本を薦めましたが、結局、彼は読まなかったようです。変人上司を持った新人は気の毒です。

神の代理人 (新潮文庫)
神の代理人 (新潮文庫)

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塩野 七生
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それで、今日、反省をしてこちらを買いました。もちろん紙の本では数冊持っています。ただ、最近のKindle生活では、紙の本を持ち歩かなくなってしまいましたので、Kindleにて。というか、どうかお願いですので、辻邦生作品をKindle化して欲しいです!

廻廊にて (P+D BOOKS)
廻廊にて (P+D BOOKS)

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辻 邦生
小学館
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今日はこちら。先日から聴いているSnarky Puppy。これが本当のFusion=融合なんだろうなあ。

それでは、おやすみなさい。

Miscellaneous

写真 1 - 2015-10-23

今日はピアノを弾いたりして楽しみました。楽譜みながら、スタンダードを弾くのは結構楽しいですね。バルトークの教え「下手でもいいから楽器をやろう」を実践してみました。

ピアノは随分苦手でした。

小学1年から習い始めましたが、当時、音楽を聞く環境がなく、音楽に親しまないまま、ピアノを強制されていましたので、全くやる気なし。

バイエルなどやってましたが、一日30分10回弾け、などと強制されれば、小学校低学年はやる気無くしますわな。。

あのとき、もっとレコードやラジオを聴いて、音楽に親しんでいれば随分違っていたのではないとおもうのですが。

で、その後音楽に目覚めたのが小学校5年の秋でした。ちょうど今頃の季節。

そこで、ピアノやっておけばよかった、と後悔したものの、トラウマのようなピアノの記憶が邪魔したり、今更やってもおそいか、というあまりに老成した考えのため、再開せず。

両親が手助けしてくれればよかったんですが、そういうこともなく。

中3の時に、独学でベートーヴェンの月光ソナタの第一楽章をかろうじて弾けるようになったところでストップしました。

ですが、ピアノ自体は、サックスのトレーニングのためにその後も何度か触っていて、ひたすらハノンを弾く、ということをやっていた時期もありました。

おかげで、大学に入った頃にサックス吹き始めた時には、随分と指が回りました。

しかしですね、やっぱりピアノはその後も演るべきだったはずで、音楽理論をやるには、やはり鍵盤とか指板がないとイメージわかない部分はありますから、みたいな。

まあ、今から思えば、いろいろなところで機会を逸しているということに気づいているわけですが、それにめげずに、「借りもの人生」ですので、人生を大切にしないといけなくて、優先順位をつけて取り組んで行くべきなんだろうなあ、と思います。

時間と機会がもっとも大切です。

今日もこちらを聴きながら過ごしています。なんか、いいんだよな、と。この構成された美しさのようなもの。

多分、パット・メセニーのアルバムのようなストーリー性なんだと思います。スナーキ・パピーズ、注目。Apple Musicでもフォローしています。コネクトによると、いまチェコ・スロヴェニアツアー中のようです。

Sylva
Sylva

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それではみなさまつれづれでしたがおやすみなさい。

Miscellaneous

Photo

なんだか、今年度からデイタイムの仕事の質が変わりまして、いろいろと好きにやらせてもらっているということなのかも、などと。やること多くて、帰りは遅いですし、組織的にはメインストリームから外れた感もあるのですが、学ぶことたくさんだし、新たな可能性のようなものを見出したり。

まあ、人には得意不得意といろいろありますが、得意なことを遅くまでやるというのはいいことなのかもね、と。

ただ、その得意なこと、というのも、よくよく考えると、別に自分独りで得たものじゃないわけです。別に、努力して得意なわけではないので。

あるいは、努力したとしても、努力できる分野とそうでない分野があるはずで、努力できる分野で努力できたというのも、結局は自分だけでやったわけではないわけです。

そうすると、結局のところ、自分の業績のようなものは全く無いわけですね。あるとすれば、なにか意味はわからないけれど、自分ができる部分があるということ。

これ、3年前に、バークリー音楽院出身のギタリストと話した時のことを思い出します。

彼は、音楽の才能というのは、前世からの積み重ねに過ぎない。モーツァルトも、前世からその才能を引き継いだに過ぎない。人生というのは、一つ一つの人生がビーズが連なる首飾りのようなものに過ぎないのだから、ということを言っていた記憶があります。

(まあ、英語で話したので、私の曲解もあるかもしれないですが)

それを踏まえて、先日、ジャズを吹いた時のことをまた思い出したりして。なんだか、1年ぶりぐらいに吹いたのに、それっぽく吹けたりしたんですが、あれって、自分の努力とかではなく、与えられたもののように感じてしまったわけです。

いや、それは確かに外から見れば私が吹いているわけですが、私にして見れば、誰かに吹かせてもらっている、というような感覚を得たのでした。

まあ、よく言われる「生かさせてもらっている」みたいな言い方がありますが、私はそこまで得心しているわけではないにせよ、私の存在すら、誰かからの借りものであるかのような、感覚を覚えてしまったりして。

私の存在すら借りものだとすれば、私の所有物さえ、結局はだれかからの借りものだったりするような気もしてくる感じで、なんだか変な方向に考えが向いてますね。

逆に言うと、借りたものは、大切に扱わないといけないので、ということも言えます。だから、いまのここで全力をつくすのか、みたいな。

まあ、絶望の深淵のようなものから生還すると、こんなこと感じてしまうのかも。何が起きても、静謐に諦観できる感じがしたりも。短期的な思い込みかもしれないですが。

なんだかこういう文学的(?)な予感めいたものを、電車に乗りながら思いついたりしていました。

哲学やって、辻文学を読んだりと、完全にアウトサイダーなので、仕方ないです。

さしあたりはまた明日。おやすみなさい。

Apple Music

はじめに

どんどん秋が深まっていて、どうも風邪をひったっぽいです。今日は早く寝ないと。その前に少しだけ。

本編

アップルの定額制音楽配信、有料会員650万人突破

スポティファイに比べるとまだまだのようですが、順調、ということのようです。

これまでも随分書いてきましたが、いろいろと意見はありますが、Apple Musicを日々楽しんでいるのだと思います。

他のサービスはあまり使っていませんが、私が思うApple Musicのアドバンテージは、既存のiTunesライブラリとの統合だと思います。自分の持っていた音楽とApple Musicの音楽が同じ箱のなかに収まっているのをみると、なにか、Apple Musicの音楽全てに手が届くような気分になります。

「Apple Music」の有料会員が650万人に、850万人がトライアル中

こちらの記事ではもう少し詳しい状況が書いてあります。

Cook CEOはApple Musicに関して「人々は、人間によるキュレーションをたいへん気に入っている」と述べ、アルゴリズムによってお勧めプレイリストを提供する「Spotify」との違いを強調した。

とありますが、私はプレイリストと言うよりは、アルバムからアーティストを辿って、いろいろな音楽を聞くか、昔聴けチャンスのなかった古いジャズを聴いたりということで、人間におるキュレーションの恩恵にはあまり預かっていません。

ただ、「はじめてのハンコック」みたいなプレイリストは、ハービー・ハンコックの再発見になってよかったのかも、と今思い出したりしています。

この「人間によるキュレーション」というクックのコメントは以下の記事から引用されているようです。

http://blogs.wsj.com/digits/2015/10/19/apple-ceo-tim-cook-talks-new-frontiers-at-wsjdlive-2015-live-blog/#entry_36

その中で、スポティファイの人間によらないプレイリストもいいもんだけど、みたいなコメントがあって、それはそれで面白いです。

Humans are great and all, but both Joanna and I love the algorithm aspects of Spotify, such as the weekly playlist recommendations.

コンピュータのアルゴリズムがもたらす意外さのようなものも実は面白いのかも、と思ったりします。

スポティファイは日本でのサービスはまだですが、こういう記事を読むとまた興味が出てしまいます。

おまけ

このWSJDLiveの記事をみて、なんだか海辺のよさ気な会場で、いいなあ、とおもいました。船員服を着ている人がいるので、船でやっているのか、と思いましたが、船員などではなく、国家安全保障局長官のマイケル・ロジャーズ提督なんだそうです。大変失礼しました。

Commanderとあったので、海軍中佐かとおもいきや何故かAdmiral提督の称号を持っていて混乱しましたが、アメリカサイバー軍の司令官という意味のCommanderの称号みたいです。国家安全保障局長とアメリカサイバー軍司令官は前任者も兼務しているみたいです。

それでは、みなさまおやすみなさい。

Johannes Brahms

Photo

先日、散歩中に撮ったコスモス。たまには散歩もいいものです。コスモスは秋の風物詩で、秋桜と書くそうですが、昔から「桜」と書くほど日本的なものとは思えませんでした。なんだか無理矢理感があって、本当? みたいな。

で、それと似た、秋の夜長、といいますが、冬至のころが一番夜が長いはずなんですがどうしてでしょう? 

あるいは、秋の太陽はつるべ落としのように早く降りる、といいますが、なぜ秋だけなんでしょうか。冬も早く日没が来るはずなんですが。

今日の東京地方の日没は16時58分です。3ヶ月前は、日没は19時ごろだったのですが、日没時間は二次方程式の弧だか、あるいは三角関数の波動を描いています。ここからさきはじわりと日没時間が早くなり、冬至に向かっていくのだと思います。

秋は、日没時間が加速度的に早くなるわけで、その加速度をもって「つるべ落とし」と言っているのでしょう。

また、だからこそ、夏との比較で、秋の夜の長さをしみじみと感じるということもあり、「秋の夜長」というはず。

このあたり、体感的にはわかっていましたが、Apple Watchを買って日没時間を表示させると、定量的に体感することができます。

その秋の夜長は、またブラームス。タカーチ弦楽四重奏団による弦楽四重奏曲第一番。同じ曲ばかり。ハンガリーの弦楽四重奏団です。今はアメリカを拠点にしているようです。

なんだか、重心の低い重みのある演奏ですね。深く濃い演奏です。

南欧系とは反対の中欧の民俗的な匂いを感じます。

もっとも、この「中欧の民俗的な匂い」というのは、「ハンガリー」という言葉からくるバイアスかもしれません。ですが、どうしようもなくて、聴きながらどうしてもバルトークが蝋管に録音をしたという史実と重なってしまい、そこから誰も聴いたことのない土の匂いのする民謡を買ってに想像してしまうのです。

ですが、結局は、こういうバイアスもまた音楽の要素なのかも、と思います。

秋の夜長も結局、相対的に体感しているに過ぎないわけで、なんだか似ています。要は主観、ですか。。

Brahms: String Quartets Op. 51 & 67 / Piano Quintet Op.34
Brahms Schiff Takacs Quartet
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では、秋の夜長といいつつ、仕事をしていると、家にいる時間は絶対に夜なので、夜長も夜が短いもなく、いつも早く寝なければと思いながら書いているわけですが、どうかみなさまもお身体にお気をつけてゆっくりお休みください。

グーテナハトです。

Computer

Microsoft Windows 10 Home (32bit/64bit 日本語版 USBフラッシュドライブ)
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土曜日に、重い腰を上げてなんとかwindows 10を導入してみました。

なんなんでしょうね。この感覚は。なんとも言えない寂しさというか虚しさのようなものは。

私が初めて使ったWindowsは、3.1でした。Windowsというだけあって、Windowが何枚も格子状に敷き詰められたデザインになんだか圧倒されたものです。

初めてバイト代はたいてかったPCもやはりWindows3.1でした。あれは本当に嬉しかったですね。安いモデムを大学から譲ってもらって、ガーガーならして電話に繋いで、という感じでした。

あの頃は、まだWindowsにも未開の地があって、若い人もワクワクしながら使っていた記憶があります。

Microsoft WordもMicrosoft Excelも、なんだか新しくて、これからは、ロータスではなくMSOfficeだ!みたいな、盛り上がりがあった記憶があります。

ですが、あれから20年が経って、なんだかMicrosoftはビジネス向けの製品ばかりで、なんだか面白くないなあ、という感じです。

フォントも新味に欠けるし、操作性も全く変わりません。Windows8で、あまりに操作性を変えて大不評だったからということもありますが、なんにも変わっていないのです。

先日、とあるIT企業のセミナーに出席する機会がありましたが、Microsoftのプレゼンテーションは、組織で働くものとしては大変魅力的でした。これまで20年間にわたって蓄積されているOfficeファイルが引き続き使えるわけです。こうした今の資産の活用のなかで、新たな使い方、例えば、クラウドを利用したり、テレビ会議などのコミュニケーションをアップデートしていくという考え方です。

組織の一員として、これは、現在の有形無形の資産を活かしつつ、新しい物を取り入れることができる素晴らしいオプションであると感じたのです。

ですが、FacebookやLINEやYoutubeを知っている身にとっては、あれ、だから何?という感じになってしまうわけです。

こうしたことはコンシューマ向けサービスでは、無料かそれに近い金額で行うことができているものです。それを、わざわざ企業向けにプレゼンをしているということに違和感を感じてしまうわけです。

企業向けのコンピューティングにおいては、サービスレベルやセキュリティといった、コンシューマ向けにはない要素があるのはわかっています。また、IT部門が実際にはコンシューマ向けITリテラシーを理解するのが難しい状況ということもわかっています。

ですが、そうはいっても、5年ほど前から分かっていることを、Windows10とかOffice2016を通して、企業のエグゼクティブな担当者に説明しているということに虚しさを感じたのですね。

時代はその先を行っているのに、組織や企業は10年以上前の旧態依然としたコンピューティングが残っていて、その面倒を見ているのがWindowsである、という状況。

やたらとセキュリティを重視するあまり、逆に不自由になるほどの統制をかけてしまうという状況。

なんだか、ITの先にはバラ色の未来があるように錯覚していた20年前に比べると、現在の世界は完全に統制され管理された、まるで「1984」のような世界が広がっているという状況。

うーん、なんだかなあ、という感じです。

Micorosoftの担当者の方は「新しいMicrosoft製品で生産性を上げましょう!」と言っていました。ですが、別の会社の人は「生産性も大事ですが、創造性が大切です!」と言っていました。

これもなんだか端的にMicrosoftの立ち位置を表しているように思えてならないのです。

これも、先日も書いたかもしれませんが、フランス革命のあと、ウィーン会議における反動に落胆し失望する感覚と似ているのかも、と思いながら過ごしています。

次のイノベーションはいつ来るんだろう? 

昔に比べると、グローバル化が進み、時代の動きが加速している昨今ですので、次のイノベーションもそう遠くない未来に待っているかもしれません。

そこでは、人々が幸福になっているといいのですが。

今日は字ばっかりのエントリーですね。しかもコンピュータ。でもこれも一つの文化批評だと思いますので、あえて。

それでは、みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Jazz

2年ほど前に、10歳ほど若い音楽家と話をしました。かれは、同じ職場で働いているのですが、どうやら二足のわらじを履いているかたのようで、作曲活動なども行っている方のようでした。楽器もいろいろと操ることができるようで、音楽の才能がある方と話をしている中で思いました。

前にも書いたかもしれませんが、その方がおっしゃるのは、1990年代前半が羨ましい、ということでした。音楽が一番盛り上がっていたのがその頃だ、ということなのだそうです。

まあ、私が若い頃の音楽の話をしていたので、話あわせてくれただけなのかもしれませんけれど。

ただ、やはり、なにか私もそうした感想にはうなずかざるをえないような感覚を持っていました。

とあるジャズバーに行った時にも同じことを思いました。大学卒業してからは、クラシックやオペラばかり聴いていたので、ジャズの方は最新動向などはおさえることもなく、かつて好きだった曲を聴いていたので、最新動向は? などと聴いていたのですが、やはり誰も最近のジャズというものを聴いていないという感じでした。

ジャズもやはりクラシックと同じになっていて、かつての古い録音の解釈を進めているだけになってしまったのか、と少し残念な気分になったのでした。

ですが、ジャズ雑誌などを読まなかったり、ジャズフェスなどに行けば新しいジャズはまだまだるようでした。

ただ、そうした新しいジャズはジャンルがボーダレスになっている中にあって、ジャズという枠組みから外れたものになっているようだ、とも思いました。

Apple MusicかあるいはNHK-FMだったか、菊地成孔のバンドを聴いたのですが、その時に覚えたのは、これまでジャズやポップスの曲の枠組みから外れているなあ、問うことでした、。つまり、イントロがあり、サビを含むテーマと呼ばれる楽曲構成があり、そのあとにインプロヴァイズがあり、そしてテーマに回帰する、という一般的なジャズの枠組みを大きくはずれ、音楽がストーリ性をもってより大きな次元で展開されているように聴こえるのです。そして、拍動においても、通常の四拍子や三拍子ではなく、途中で五拍子に変わったり、といわゆる変拍子の導入によって曲のなかに変化が埋め込まれ、より深みが出ているように思いました。

私は、プログレというものは聴きませんが、とはいえ、プログレバンドのようなものに所属していたこともあり、なんとなく、そうした大きなプログレのようなものになりつつある、という感覚をおぼえました。

あるいは、もしかすると、旧来型の交響曲がベートーヴェンで拡大化され、ベルリオーズにおいてそこに標題が持ち込まれ、ブルックナーやマーラーによって巨大化していく、という形式の変質の過程をみているとも言えるでしょう。

そうした流れのなかにあって、このバンドのアルバムを聴いて、これが新しいジャズとされていることに、なにかうなずかざるをえない、という感覚を覚えています。

スナーキー・パピーズの《シルヴァ》というアルバム。こちらをApple Musicで三回聴いてそう思いました。

Sylva
Sylva

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Snarky Puppy & Metropole
Imports (2015-04-22)
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ジャズ、ファンク、ダンス、フュージョンを融合した〈Jafunkadansion〉というスタイルに当たるそうです。まさに、本当のフュージョンなんでしょう。

このスナーキー・パピーズは、2004年にテキサスで結成されたバンドとのことです。もう11年に及ぶキャリアを持っているということになります。北テキサス大学の出身者が多いようですが、まあ、そういうものですよね。

この《シルヴァ》というアルバムは、2014年4月に録音されたものです。
統制のとれた楽曲構成や、ストリングスやブラスを含んだ63名というアンサンブルは、実に緊密です。上述のジャンルに加えて、ミニマルミュージックやエレクトロニカなどの雰囲気も兼ね備えた、本当に新しい「ジャズ」であるかのように思います。

私は、まだこのアルバムの全貌を掴みかねているように思います。それほど、複雑で解釈可能性に満ちているアルバムではないか、とも思い、久々にワクワクしているのです。

これは、なにかパット・メセニーの《シークレットストーリー》を聴いた時の感動にも似ています。あれもやはり旧来のジャズの枠組みを超えたアルバムでした、あれに近い面白さのようなものを感じるのです。

他にも最近発見した《ジャズ》があり、なんだかまだまだ捨てたものではないかも、と思いました。この1年、なにか音楽に対する倦怠のようなものを感じていました。なんでもやっぱり同じじゃないか、という感覚を覚えたり、テクノロジーの進歩で、古い言葉でDTMともいいますが、誰でも音楽を作れるようになり、コモディティ化が進んでいるようにも思ったのです。

ですが、才能というものは、まだまだ先に進んでいるのだな、と思いました。ただ、先に進める人はコモディティ化の中においては一握りですね。

※ちなみに、Apple Musicの唯一最大の欠点はライナーノーツがないことです。。もう少しいろいろ知りたいのですが、ウィキペディアなどで調べるに限られてしまいますので。

というわけで、今日はこの辺りで。

みなさま、秋の夜長をお楽しみください。ですが寝不足にはご注意を。自戒を込めて。

おやすみなさい。グーテナハトです。