Japanese Literature,Tsuji Kunio

辻先生が亡くなった年、私は小田原近辺に住んでいました。
郊外の丘陵地に建てられた住宅でした。
あれは、辻先生が亡くなってからだったか、そのまえだったか。
1999年のあの年の夏に、大きな白い蛾が風呂場の窓にとまっているのをみかけました。蛾ですので気味が悪いと思ってもおかしくありませんが、不思議とそういう感覚はなく、なにか畏怖のようなものを感じたのを覚えているのです。
その後、辻佐保子さんが中央公論1999年10月号に書かれた追悼文を読みました。
そこにあの大きな白い蛾が登場していたのです。
オオミズアオ(大水青)という蛾のことです。偶然ではありますが、なにか不思議な縁のようなものを感じたのを記憶しています。
大水青と銀霊草と栗鼠と…
この追悼文、今読んでも、佐保子さんの深い悲しみに溢れていて、普通には読むことができません。

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今日読んだ「春の戴冠」で、サンドロが語る言葉がぴったり過ぎて、畏れを覚えるほどです。

「ぼくらはいつか死んで、二度とこの地上の明るい光を仰ぐことができなくなるのにね。」

ですが、そこで終わらないのが辻文学です。そのあとサンドロはこう語ります。

「<美>とは<悦ばしさ>を経て<不死>へと通じているんだ」
「<美>とは、フェデリゴ、永遠の虚無からぼくらを救いだす砦のようなものじゃないだろうか」

「春の戴冠」の冒頭で語られていることですので、その後の様々な変遷はありますが、これらの言葉はある種の「救い」をもたらすものです。
それではグーテナハトです。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

昨日に続き、辻邦生さんのことです。
1999年9月24日に催されたお別れの会にもいきました。9月24日というのは辻先生の誕生日です。
もしかするとそろそろお別れの会があるのかもしれない、と思い朝日新聞を開いたら、そこに案内が書いてあり、あれ、なんて偶然なのか、と思った記憶があります。
あれは金曜日の夕方でした。午前中にトラブルがあったのですが、速攻で解消させ、原因を究明して上司に報告して、午後半休をいただいて出かけたのを覚えています。当時、会社は私服でしたので、帰宅してスーツを来て出かけたんですが、会場に着くとみなさん喪服でいらしていたので、少し気後れしました。
その日は雨で、お別れ会が開かれた高輪プリンスホテルは、夕暮れの蒼い光の中に重く打ち沈んでいて、吹き荒れる風に混じる雨に叩かれていました。そんななか、傘を差して品川駅から向かったのですが、そのときは、どうにもこうにも疎外感というか、なにか場違いのところに行くのではないか、という気分だったのを覚えています。一読者だったに過ぎませんでしたので、文壇の偉い方や編集者の方に占められているのではないか、と思ったのです。
ですが、献花をさせてもらって、お写真を頂きました。フォトフレームに入れていまでも机に飾ってあります。
お別れの会で会場に流れていたのは、メンデルスゾーンの交響曲第三番「スコットランド」でした。献花台には辻先生の著作が並べてありましたが、どれも見覚えのあるものばかり、家にあるものばかりでした。
当時の日記を読み返してみました。今思い出した印象は当時もあまり変わっていません。台風が過ぎたあとで、風雨の強い日だったことが書いてありました。以下、少々偉そうな日記ですが、冒頭部分を引用します。

折りしも台風18号が九州から日本海を縦断し北海道へと向かっていたころ、台風からは遠く離れた東京も強い風と横殴りの雨にさらされていた。品川駅から高輪台へと登っていく蛇行する坂道を僕が登り始めたとき、横殴りの雨は激しさを増していて、すぐにスーツの裾はずぶぬれになってしまった。僕の前には、白髪のひげを生やした老人が、背中をびっしょり濡らしてとぼとぼと歩いていたし、私の後ろには、やはりサラリーマンらしき中年の男性が傘にしがみ付きながら、坂を登っていた。この人たちもきっと私と同じ目的でこの坂を登っているに違いないと思った。そして、それは当たっていた。

今日も引き続き「春の戴冠」。あの「永遠の桜草」問題が取り上げられていました。これもまた今後。
それではグーテナハト。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

1999年7月29日のことを思い出しています。あの日もやはり暑い日だったはずです。
カレンダーを見返すと木曜日でした。
会社から帰宅して、カミさんに電話したところ、辻先生がなくなったという訃報を聞いて、絶句してしまい、数分間なにも話せませんでした。いつか作品についてお話をうかがう機会があれば、と思っていたのです。ですが、そうした機会が奪われてしまったという、喪失感をおぼえていたのだと思います。
当時の毎日新聞のウェブニュースがハードディスクに保存してありました。どうやら中軽井沢のスーパー前のベンチで気分が悪くなり、病院に運ばれた、ということのようです。
それから一ヶ月は酒を絶って私なりの追悼としたのを覚えています。会社の飲み会で先輩にアルコールを勧められましたが断わりました。今から思えば無茶ですね。
一ヶ月後、作曲家志望の友人と四谷で飲んだのですが、彼がレクイエムを作曲してくれて、イグナチオ教会の尖塔の下で一緒にテープを聴いたのが懐かしいです。曲はフーガだったと記憶しています。
次回は、1999年9月24日に催されたお別れ会の思い出を書きます。
さて、今日読んだのは「春の戴冠」第一巻でした。Kindleで読んでいます。これが4回めになります。長い作品で、本は非常に分厚いものです。それがスマホに入る時代になりました。
画家のフィリッポ・リッピが登場するシーンが実に面白くて、女性の美を如何に絵に取り込むか、というような話題が繰り広げられます。たしか、佐保子さんの回想で読んだ記憶がありますが、佐保子さんが「ほら、あそこに美人がいるわよ」と教えて上げると、じっとその美人を見つめていたそうです。きっとそこから昇華しうる何かしらの情感を汲み上げていたんだと思います。フィリッポ・リッピのエピソードをみて、アーティスト=芸術家というのはそうしたものなんだろうなあ、と思いました。

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今日も禁酒成功です。音楽の方は最近はジャズ系が多いです。チック・コリア、ステップスなど。でも、今日はエルガーの交響曲第三番をデイヴィスの指揮で聴きました。そのあたりはまた機会があれば。
ではグーテナハトです。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

辻先生が亡くなってから15年という長い月日が経ってしまいました。このところ、辻作品を読み返しています。ちょうど「春の戴冠」をKindleで読んでいるところです。また、先だってゆかりの方とメールでお話する機会をありがたくいただきました。そのような中で、あらためて振り返りをしているところです。
辻先生が亡くなったは、1999年7月29日になります。まだ、同時多発テロもITバブルも起きていないころにあたります。
当時新聞の切り抜きが残っていました。朝日新聞ではあの天声人語が辻先生を悼んだものとなっています。告別式は7月31日でしたので、1999年8月1日に掲載されたものだと思います。これは辻作品はもちろん辻先生が出版社や編集者に愛されていた証左ではないか、と当時思いました。
今日はアルコールなしで過ごせました。いつまで続けられるか。。
それではグーテナハトです。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

すべてが、背理なのだ。この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく、正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)だが、この世の背理に気づいた者は、その背理を受けいれるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。だが、それは嘲笑でも、憫笑でもない。それは哄笑なのだ。

「嵯峨野明月記」は、今や私にとっては生きる指針にほかならないかも。
この引用、もう何回もやってます。
「この世は背理である、ただ、笑い飛ばすしかない」
この「この世は背理である」というテーマこそ、「風神雷神図屏風」を描いたとされる俵屋宗達が「嵯峨野明月記」のなかで、喝破するテーゼです。
すべての誤謬に怒りを表すのではなく、笑い飛ばせ、というもの。戦闘的オプティミズムとでもいいましょうか。
「ツァラトゥストラ」を読んでいて、この場面を思い出しました。まあ、当たり前なんですが。
それ以来、私は怒っているとき常に笑っています。なーんちゃって。
この「背理である」という言葉、数年前に流行った「起きていることはすべて正しい
」と同じことを指しているのでは、とも考えています。
嵯峨野明月記、実は辻美学の一つの頂点なのではないか、と思います。辻邦生の小説論である「小説への序章」とも内容がかなりかぶっています。「小説への序章」の中でディケンズ的表現とされているものが、「嵯峨野明月記」の中で使われていることもよくわかります。
今日で一週間終わり。月曜日休みだったから、短い一週間でした。週末は読書と書物とコンサート。ああ、勉強もしないと。

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辻邦生「光の大地」を読んだのは、発売されてすぐだったと思いますので、おそらく15年ほど前のことだと思います。
タヒチやアフリカを舞台にしたエキゾチックな物語で、ヨーロッパの香りたかい辻邦生作品の中にあっては異色の作品といえるかもしれません。物語の語り口も親しみやすく、おそらくは新聞小説ということもあり、想定する読者層が違うからだと考えています。
ですが、通底するテーマは辻邦生作品ならではです。生きることの喜び、しかしながら、その喜びを追求しようとするときに性急な改革を求めると必ず失敗するという冷厳な事実。これが私が思う辻邦生作品群の一つのテーマです。
この作品においても、クラブ・アンテルというリゾートをトリガーとして、宗教団体による「性急な改革」が描かれています。もちろんそれは失敗に終わります
このクラブ・アンテルというリゾート企業ですが、おそらくは、クラブ・メッドを下敷きにしているはずです。アンテルは、フランス語で「中」という意味で、クラブ・メッドのメッドは地中海の意味です。アンテルは地中海の「中」をとったのではないか、と想像しています。
私は、辻ご夫妻がタヒチにいらっしゃった時の写真をどこかで見ているのですが、どこだったのか探し出せていません。それをみるとすこしヒントがみえるかも。
先日行ってきたのは、沖縄にあるクラブ・メッドでした。辻作品の中のように、スタッフが活き活きと働いていましたが、現実と小説が違うこともあるようです。
滞在中は楽しい毎日で、帰宅してから社会復帰するのが非常に大変でした。
冒頭の写真は夜明けの海岸から撮ったものです。先日読んだ本によれば「プロの写真家は失敗写真を絶対人に見せることはない」とありました。何百枚と取りましたが、あと数枚しか出せません。。
さて、この「光の大地」ですが、構成が不思議なのです。主人公のあぐりが宗教団体の被害にあって、そこから恢復する場面が他の作品と違うのです。通常の辻作品の「恢復」の場面はもっとみじかく、エピローグほどしかないのですが、「光の大地」の恢復の場面はエピローグよりももっと長いですが、場面としては短いのですね。本当はもっと長い小説だったのではないか、などと思う時もあります。

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昨日、村上春樹氏「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了しました。


なにより、すべてを語ることはなく、謎の円環が閉じられることはありません。半分哲学書の感もある辻邦生先生作品であればもっと書かれるかもなあ、などと思いました。

この点は、最近「文学」を読むことがほとんどなかったので、懐かしさを感じました。

読者=受容者に解釈を委ねるのはオペラ演出と同じ。立ち止まらず考えることを要求されます。というか、それが楽しいですね。

前半の不条理感が素晴らしく、非現実的な状況がかえって現実世界の不条理を現しています。世界は論理ではありませんので。

意識と現実の狭間を描いていたのは素晴らしくて、自分の思念や想像が現実とつながっているのではないか、という怖れや疑いをリアルに感じるます。ここはすばらしいところ。特に夢と現実の結節の可能性を描いたところは素晴らしいと思うのです。疑いながらも事実が指し示すのが、夢が現実化している可能性であると言う点。ここに一番胸を打たれました。あまりにリアルですから。

その分、後半、明らかにされる物語は、幾分か整合性のある現実的なもの。もっと超常的な話でも良かったのでしょうけれど。それでも謎は残されているのですが。

あとは、この本、若い人が読むとどう感じるのか、少し興味があります。きっと違うのでしょうね。

「巡礼の年」、と来ましたから、タイトルを知った時から、リストだと思っていましたので、それは予想通り。加えて私の好きなブレンデルの録音が出て来たのは嬉しかったです。私が愛することのできる数少ないピアノ曲ですから。私もスカンジナビアの夏に「巡礼の年」を聞いてみたいものです。

気づいたらiPodにベルマンの「巡礼の年」も入っていて、驚きました。「第二年イタリア」だけでしたが。

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<楽しさ>のないまま、ただ時間を効果的に使うというのは、いかにも多くを生きたように見えながら、生きることから切りはなされ、無縁な仕事を集積させるにすぎない。いかにすべてを<楽しみ>のなかに取り戻すか──それが<今>に生きる鍵であるに違いない。

辻邦生の言葉です。「風塵の街から」から。

効率は大事ですが、それは楽しみのためにあるべきことなのですね。

ここでいう楽しみとは、おそらくは生きる悦び、と言った意味で、単なる娯楽とは違う意味合いと思います。

効率的に楽しみのために仕事をするのはOKだと思います。仕事でもこうあるべき。実現できるように頑張ります。

 

写真は辻邦生ゆかりの学習院大学の風景です。

明日は雨の中試験を受ける予定。

 

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今月の贅沢。Microsoft ナチュラルエルゴノミクスキーボード。

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トスカのことを書くのが久々の長文だったので、肩こりがひどくなってしまいました。せめて家では楽に文章を書きたいので試してみることにしました。

 

この本、以前から気になっていたのですが、図書館で見つけていそいそと借りて読んでいます。

驚きに満ちた本で、久々に感動しています。

小澤征爾の半端ない半生はもちろん、村上春樹の衒学的とも言える造詣の深さ。村上春樹ってジャズ畑のかたで、若い頃はジャズバーを持っていたぐらいなんですが、クラシックのききこみ方、こちらも半端ないです。小澤征爾もたじたじな場面もあったり。。

やはり天才は何をやっても天才なんですね。

それにしても思うのは、小澤征爾の人柄です。回想の中で、いろんなビッグネームに可愛がられたり仲良くなったりする話が出てきます。バーンスタイン、カラヤンはもちろん、クライバー、ルビンシュタインなどなど。フレーニやパヴァロッティとも親しいのですね。

小澤征爾が、「レコード・マニア」を余りよく思っていないということも。曰く、高いお金出してオーディオセットなんて買うけれど、お金を持っているということは忙しいと言うことで、結局音楽を聴く暇がなく、実は音楽について分かっていないのである、とのこと。

申し訳ありません。

私の人生、なんども変わっている気がしますが、この本でも変わったかもしれない。

これからは今まで以上にもっとまじめに音楽を聴いて、言語化していかないと、と決意を新たにしました。

そう思えるぐらい充実した一冊でした。大変おすすめです。

 

※ 本当かどうか分かりませんが、ウィキペディアによれば、小澤征爾の名前のうち「征」は板垣征四郎の「征」、「爾」は石原完爾の「爾」なんだそうです。

それではまた。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

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昨日の言葉

「時は去りて帰らず、言祝げよ、このよき時を」

ですが、

昨日書いたとおり、これは、辻邦生の大河小説「春の戴冠」でシモネッタとヴェスプッチ家の婚礼の場面で出てくるものです。

「春の戴冠」はルネサンス最盛期のフィレンツェを舞台にボッティチェッリやロレンツォ・メディチが活躍する政治小説、芸術小説、哲学小説です。

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日本人の書いたものとは思えません。小さい頃から外国の児童文学ばかり読んでいた私にとっては、まさに天からの恵みのような小説です。

 

さて、シモネッタは、この「春の戴冠」においてはボッティチェッリ「春」のモデルになった人物とされるヒロインです。

 

シモネッタは、婚礼前に、「春の戴冠」の語り手である古典文学者フェデリゴにある告白をしていました。自分には名も知らぬ好きな男が居るのだが、結局分からないままで、やむなくヴェスプッチ家へ輿入れするのだ、と。

その婚礼の後半の仮面舞踏会の場面。

フェデリゴが、仮面をつけたジュリアーノ・メディチと話をしていると、そこに仮面をかぶった女性が現れます。

ジュリアーノ・メディチは、フィレンツェを支配するメディチ家当主ロレンツォの弟にあたる男です。ロレンツォとともに仮面をつけたまま婚礼会場に現れ、そのまま仮面を取らないでいるわけです。

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仮面をつけていると、誰からも追われず責任をとる必要がない。勝手気ままでそれはそれでいい。でも、仮面をつけた女を愛することは出来ない。

 

だが、仮面の女性は、それに反駁します。

いや、ひょっとしたら、仮面をつけた男を愛せるかもしれない、と。

 

では、この場でお互い仮面を外して、愛せるかどうか試してみようじゃないか。

で、ジュリアーノと仮面の女性は仮面を外します。

 

仮面の女性はシモネッタ。

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で、ジュリアーノは負けたという。婚礼の花嫁が自分のことをを愛せるわけないじゃないか、と。

 

ですが、シモネッタは気絶してしまう。

 

シモネッタの名も知れぬ好きな男とはこのジュリアーノ・メディチであったのだから。。

 

思うに少女漫画的な場面と言われるかもしれないです。だれか漫画化すればいいのに。なんて。

でも、ずいぶんと仕掛けのある場面で、一つの「春の戴冠」の中のクライマックスのひとつです。

 

もちろん、史実はそうではないと思いますけれど。

「春の戴冠」のなかのジュリアーノとシモネッタは、芸術的存在に昇華されていて、天使のように描かれています。本当はジュリアーノには隠し子が居て、その子が後に教皇クレメンス七世になる、とか面白い話がたくさんあるんですけれどね。

 

また読まないとなあ、「春の戴冠」。

 

またしばし夢の中でした。

 

それではまたあした戦場でまみえましょう。