辻邦生没後15年によせて その3 お別れの会のこと

昨日に続き、辻邦生さんのことです。
1999年9月24日に催されたお別れの会にもいきました。9月24日というのは辻先生の誕生日です。
もしかするとそろそろお別れの会があるのかもしれない、と思い朝日新聞を開いたら、そこに案内が書いてあり、あれ、なんて偶然なのか、と思った記憶があります。
あれは金曜日の夕方でした。午前中にトラブルがあったのですが、速攻で解消させ、原因を究明して上司に報告して、午後半休をいただいて出かけたのを覚えています。当時、会社は私服でしたので、帰宅してスーツを来て出かけたんですが、会場に着くとみなさん喪服でいらしていたので、少し気後れしました。
その日は雨で、お別れ会が開かれた高輪プリンスホテルは、夕暮れの蒼い光の中に重く打ち沈んでいて、吹き荒れる風に混じる雨に叩かれていました。そんななか、傘を差して品川駅から向かったのですが、そのときは、どうにもこうにも疎外感というか、なにか場違いのところに行くのではないか、という気分だったのを覚えています。一読者だったに過ぎませんでしたので、文壇の偉い方や編集者の方に占められているのではないか、と思ったのです。
ですが、献花をさせてもらって、お写真を頂きました。フォトフレームに入れていまでも机に飾ってあります。
お別れの会で会場に流れていたのは、メンデルスゾーンの交響曲第三番「スコットランド」でした。献花台には辻先生の著作が並べてありましたが、どれも見覚えのあるものばかり、家にあるものばかりでした。
当時の日記を読み返してみました。今思い出した印象は当時もあまり変わっていません。台風が過ぎたあとで、風雨の強い日だったことが書いてありました。以下、少々偉そうな日記ですが、冒頭部分を引用します。

折りしも台風18号が九州から日本海を縦断し北海道へと向かっていたころ、台風からは遠く離れた東京も強い風と横殴りの雨にさらされていた。品川駅から高輪台へと登っていく蛇行する坂道を僕が登り始めたとき、横殴りの雨は激しさを増していて、すぐにスーツの裾はずぶぬれになってしまった。僕の前には、白髪のひげを生やした老人が、背中をびっしょり濡らしてとぼとぼと歩いていたし、私の後ろには、やはりサラリーマンらしき中年の男性が傘にしがみ付きながら、坂を登っていた。この人たちもきっと私と同じ目的でこの坂を登っているに違いないと思った。そして、それは当たっていた。

今日も引き続き「春の戴冠」。あの「永遠の桜草」問題が取り上げられていました。これもまた今後。
それではグーテナハト。