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まあ、激動の一年だった2020年ももう少しで終わります。いつもは見ないテレビですが、紅白歌合戦をつけながらキーボードを叩き始めている感じです。

写真は、2021年最後の夕暮れ。とはいえ、それは単にグレゴリオ暦2020年の夕暮れであるに過ぎないという相対性もなにか分かった気がします。さしあたりは、一年間の無事を感謝し、来年の発展を願いつつ、と言う感じでしょうか。

そして、コロナ第三波がいよいよという大晦日でもあります。東京の一日の感染者が1300人を超えたというニュスはさすがに衝撃でした。これまでの最大感染者を400人近く上回るペースというのはなかなかに厳しいものを感じます。いろいろと背景はあるにせよ、現実としては、ひとつ次元が変わってしまったのかもしれません。とはいえ、変わらないもの、変われないものも多々あるあります。長いスパンで輪を描きながら螺旋のように上昇していくのが世界なのだろうな、と思います。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

おやみなさい。Gute Nahctです。

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先だって、少し離れた山麓に泊まる機会を得ました。夜中の2時頃、ふと目をさまし窓の外をみると、文字通り満天の星空が。あれ、こんなに星を見たのは、久しぶりだ、という感覚でした。

早速カメラを取り出して、あれやこれや工夫をして、写真をとると、オリオン座がくっきりと。左に見える一等星はおそらくはシリウス。右上の赤っぽい星はアルデバランかな。

アプリを使っていろいろと星を探して、本当に懐かしいひとときでした。ぎょしゃ座のカペラ、こいぬ座のプロキオン…。双子座の双子星も見えたし。

北天を見上げると、あれ、北斗七星ってこんなにおおきかったっけ、と。おそらく40年ぶりの北斗七星のような気がします。

少しぶれた写真ですし、写真だけで、その大きさを実感することはできないですが、ああ、こんなに大きいのか!と驚きしかありませんでした。

で、しばらく星空を眺めていると、シリウスが点滅しているわけです。これが、いわゆる星の瞬きで、空気の揺らぎがその原因であるということはわかっているにせよ、実際に見てみると、本当に感動的なわけです。

東京では、こんな星空を眺めることはできませんので、本当に感動しかないです。いつもこういう星空を眺めておられる方には、あまり驚きはないのかもしれませんが、夜空を見上げる暇もなく、また見上げたとしてもネオンや街灯、自動車の灯火で照らされる東京の空には、こんな星は見られないわけで、感動的なのです。

古代の人々は、この星空をみて、さすがに様々なことを思うだろうなあ、と考えます。あのオリオン座の三つ星が、偶然であったとしても、均等に三つ並んでいるのをみると、そこに意味を見いだそうとするのは、想像をむねとする人類にとっては、必然です。本当に、月並みで古くさい感想ですが、この星空が数千年にわたって、人類の頭上に変わらず輝いていることの奇跡的な意味を感じずにはいられませんでした。

で、どこへ行ったのか? は、またこの場でご報告したいと思います。

今日はこのあたりで。おやすみなさい。グーテナハトです。

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ブログ、という言葉が最初に登場したのは、私の記憶では2003年頃だったはず。当時は、Web日記なんていうのがあって、WeblogとWeb日記は同じか違うか、みたいな論争があった記憶があります。

私も、HTMLで記事を書いて、せっせとFTPでアップロードするということをやっていて、なんだか不便と思っていましたが、Weblogの本を立ち読みして、これだ!と思った記憶があります。当時は、一人一人がメディアを持つのだ!というコンセプトが打ち出されていて、ああ、これで市民一人一人が自分の意見を公開することができて、ジャーナリストでなくても、情報発信が簡便にできるようになるのだ!という、期待のようなものがありました。

それは、なにか、フランス革命レベルの革命的なことのように思えたものです。

実際には、そんなことはなくて、あまたのブログが乱立し、ブログという言葉が、いつしか流行語となり、消えていったわけです。その後、TwitterやFacebookが出てきたのはご存じの通り。

そんな今日でも、ブログを続けるのは、奇特なことのように思えますし、あるいは、はてなブログやAmebaを使わないのも、さらに奇特なことです。

翻ってみると、どうも、商用ブログの著作権に抵抗を覚えたのだ、と。書いた文章が、商用ブログ側に著作権があるという情報を得まして、私の書いた文章は私のものだ、という至極真っ当な感覚から、自分の文章は自分で面倒を見ることにして、時前でブログシステムを立てたのだ、ということだと思います。

2003年からはMovableTypeを使い、一時期FC2を試しつつも、再度Movabletypeに戻り、WordPressに引っ越してきたわけです。

もともとはMovableType仕様で、記事のURLの付け方もMovableTypeにならったもので、それをパーマリンクとして使ってたのです。

ところが、先日、WordPressの仕様が変わったようで、タイムスタンプだけをもとしたパーマリンクは無効となり、その影響でコメント欄が表示されない、という事象がおきていることがわかりました。コメントをいつもくださっている方からの連絡でした。

このところなかなか文章を書く間もなかったので、最近コメントないなあ、などと思っていたり、コメントくださる方も、Facebook経由でくださったりしていて、なんでブログのコメントがつかないのかな、と思っていたんですが、システム障害だったわけで、申し訳なく思います。。

昨日から対応策を調べ始め、ようやく片付けました。デザインのアップデートが必要で、配布されているデザインを適用して、かつてのデザインに近づけていますが、全く同じとはなりません。時間のあるときに見やすくなるようにカスタマイズしないと。

スマホやタブレットからは少し見やすくなるかもしれないなど、改善されることもありますので、また是非お越しいただければと思います。

予告ですが、先だって辻邦生先生ゆかりの場所に行って参りました。その報告を書こうと思っています。

それでは、みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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今日の東京地方の予報は曇天でしたが、実際には、豊かな日差しが降り注ぐ良い一日でした。少し自転車で遠出をする用事があったのですが、近所の農地の中を自転車で走るのはずいぶんと気持ちが良いものでした。波打つように拡がる農地を横目にみて、日差しを浴びながら、冷たくなった風を頬に感じるのは、なにか日々の芥を洗い流すような気分になりました。

空は完全に秋空。うろこ雲に満ちています。東京地方の日没は16時40分。冬至まであと一ヶ月と少し。秋も深まり冬へ突入しますが、その先の春と夏の何かしらの予兆をなんとか感じようとしている、そんな感じです。

この2020年という年は、世界が大きく変わる年でしたが、2020年が終わりに近づくにつれて、なにか先行きのようなものが見えてきた気がします。個人的にも、なんだか、長いあいだトンネルの中を歩いていたような気がしますが、ギアが入り始め、歯車が正回転を始めた、そんな感じがします。できることは、せっせと本を読んで音楽を聴いて文章を書くことのはずです。あまりできていませんでしたが、また始めないと……。

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いつのまにか11月。

なんだか、1ヶ月ほど書けない状況でした。何かしらの調子が崩れたのだと思います。そのあいだも淡々と仕事していましたが、書くという活動は難しかったのです。書くことが、生活に結びついていない以上、致し方ありません。

そして、なにか、精神的には、冷凍睡眠の状態だったような気がします。ただただ、目の前を流れ去る景色を見ているだけ、のような、そんな感じの一ヶ月だった気がします。

まあすべては波です。波とは円運動が進行したものですから、これも太陽なのか月なのか、何かの天体の動きと関係があるのかもしれないです。

2020年も余すところあと2ヶ月。みなさまもどうかお身体にお気をつけてお過ごしください。

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今日は中秋の名月。素晴らしい満月。そして晴れ上がった美しい夜。

本当に月の姿は不思議です。銀色の光を地上に投げかけ、あらゆるものを浄めるような。

小さいですが、火星と一緒にとった写真。月の左側にかすかに赤白い火星がみえませんか。さすがに、普通のカメラでは撮れない……。火星は10月6日に地球に最接近。

これからお祈りをして寝ようと思います。

みなさまもどうかよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

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とたんに涼しくなり、東京地方の日没時間が17時41分であることにショックを受け、夏が名実ともに終わってしまった、と残念に思う一日でした。

辻邦生関連のオンラインイベントも終わりました。私が司会進行を担当しましたが、自分の発表準備の中で発見した興味深い事案に一人で興奮してしまい、振り返ってみてどうだったのかな、などと反省しています。その事案についてはいずれここに書くかもしれませんけれど。

とにかく、いろいろなことが動き始めていますので、私もここでやれることをみつけるだけです。まずは毎日書くことを日課に戻すべく進めるだけだな、と思っています。

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東京地方の梅雨が明けました。

本当に夏が待ち遠しかったのですが、ようやく、夏の空と雲を目にしてうれしくなってしまいました。

さらに、来週は夏休みがなんとかとれることになり、なにかしら役立つことをいくらかやってみようかな、と思っています。コロナなのでなかなか自由はききませんが、やれることをやりたいです。

とはいえ、徐々に暑くなってくるのも事実。みなさまもどうかお身体にお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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 週末の朝はNHK-FMを聞きながら食事をとります。テレビのニュースは暗鬱ですので、せめて食事時は音楽を聴きながら過ごしたいというもの。

とはいえ、CDを聞くだけだと、なにか外界への拡がりに欠ける、という思いもあり、なるべくラジオを聞いて、外界とつながり新しい「もの」に触れないと、という考えです。

 ということで、今日は「名演奏家ライブラリー」を聴きました。今日は、ウィリアム・ウォルトン。英国の作曲家ですが、自身の指揮による演奏がオンエアされていました。

Sir William Turner Walton.jpg


Bassano Ltd – https://www.npg.org.uk/collections/search/portrait/mw69488/Sir-William-Turner-Walton?LinkID=mp04688&search=sas&sText=+William+Walton+&role=sit&rNo=8, パブリック・ドメイン, リンクによる

 こればかりは理屈ではありませんが、私は文学でいうと、英米系か独墺系を好むことが多く、音楽もやはり独墺系を聴く機会が多いのですが、英米系の音楽は、幼い頃はエルガーやブリテンを聴くぐらい。その後、ヴォーン=ウィリアムズをよく聴いた気がしていますが、今もそんなに知っているわけではないのです。それでもなお、ウォルトンの曲風には親しみを覚えました。

 ウォルトンの音楽は実に鮮やかで、いい意味でキャッチーで聴くものを引きつけます。あまり集中してラジオを聴けなかったのですが、最後に流れた「行進曲《宝玉と王の杖》」は素晴らしかったのです。

1953年のエリザベス女王の戴冠式のためにウォルトンが作曲した行進曲。エルガーの《威風堂々》に似た趣を持ちながら、堂々として優美で、ただただひたすらにその瞬間瞬間の世界に畏敬と感謝を抱くような曲風。この曲を聴いたら、多くの人が、なにかその恩寵にひざまずくのではないか、と思います。エリザベス女王が当時どんな思いで聴いたのか、などと。

Coronation of Queen Elizabeth II Couronnement de la Reine Elizabeth II.jpg


BiblioArchives / LibraryArchives from Canada – Coronation of Queen Elizabeth II / uronnement de la Reine Elizabeth II Uploaded by oaktree_b, CC 表示 2.0, リンクによる

 この曲、記憶の中にありましたので、おそらくこの30年以内にどこかで聴いたことがあるはずですが、今の今まで忘れていました。奇跡的な邂逅だったなあ、と思います。やはり、ラジオで外の世界とつながると何かしらのシンクロニシティはあるものです。

 オンエアされたのは、作曲家自身の演奏だったのですが、Apple Musicで該当する番がよくわからず、聴いたのが、戴冠式の模様を録音したCD。

戴冠の宣言なども聞けるのですが、南アフリカやパキスタンの君主であるという宣言もありまして、戦後の大英帝国の陰りの中にあってもまだ海外領土を持っていた時代だったのか、となにか感慨深いものがあります。いまから70年前のこと。地続きであることを実感できる年代に思えるのは、年齢のせいなのか、あるいはカラー写真のせいなのか、戦後だからなのか……。

 それにしても、長い梅雨が続いています。いろいろなことが心配ですが、心配ばかりだと、もっと状況が悪くなりそう。そんな折に「行進曲《宝玉と王の杖》」を聴くのも悪くはないなあ、と思いました。

 なかなか安定しない気候で大変ですが、みなさまもどうかお気をつけておすごしください。

 おやすみなさい。

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先だっての土曜日の夜。

翌日の日曜日の天気予報は曇と雨でした。最近、太陽を見ていないのもあり、晴れてほしいな、と思いまして、家族に「明日は晴れるよ。天気予報は曇りだけど」といって、眠りにつきました。

で、6時頃、早起きをして散歩をしたのですが、そのときはまだ曇り。帰宅して疲れていたので二度寝してしまいまして(すみません)、幾分か寝坊気味で起きあがると、家族が「あれ、晴れてるよ」と。

窓を開けると、本当に晴れていて、びっくりしました。久々の太陽の光。そして大好きな夏が来た、と本当にうれしくてうれしくて。

で、予定を変えて、近所の公園へ。久々の公園もやはり太陽の光を浴びて、輝いていました。輝き燦めく緑の木々が眩しくて、素晴らしい一日。こんなこともありますので、まあいろいろあっても、生というものはものは素晴らしい、ということですね。「今、この瞬間の美しさに打ち込む」、ということを辻邦生は言っていると思いますが、この歳になってようやくその「打ち込む」という言葉の意味がわかった気がします。

あ、「今、この瞬間の美しさに打ち込む」という言葉の出典は不明です。どこかにそのような記載があったはず……。

辻文学は救いだなあ、と思いました。

それではみなさま、おやすみなさい。