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それにしても、美しい月。そして、右上には木星も見えました。何かに思い悩んでいても、天空は動じず、我々を見守ることでしょう。月と木星をみて、宇宙の巨大さに思いを至らしめる気がします。

それでは、また明日も。

おやすみなさい。

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新宿伊勢丹

何か素晴らしい午後だったので記録しておこう。

本郷界隈の要務地を後にしたのが、夕方16時ごろ。

水道橋まで忠弥坂をくだったところで、後楽園の向こう側から夕方の気だるく甘い太陽の光が差し込んでいました。三田線水道橋駅へ向かおうとして、路地の向こうを見ると、金刀比羅神社があり、確かにその路地には、夕陽を眺める老人がいて、それはまるで仁王様のように目を見開き、金比羅様を守っているようでもあったのですが、意を決して路地を通り抜け、金比羅様を参拝しました。

三田線水道橋駅界隈は、後楽園ゆうえんちがあることもあり、何か人々の明るい風情に満たされているようで、オープンバーで夕陽を見ながらテーブルを囲んでアルコールを楽しむ人たちもいて、歩いているだけで幸福感に満たされるようでもありました。

水道橋から新宿三丁目に向かおうと、地下鉄駅のホームへ向かうと、日吉へ向かう列車が入線。隣駅の神保町まで1分。

降りると、都営新宿線の新宿方面へ向かうエスカレーターが眼前に。

エスカレーターを上り、都営新宿線のホームへ行くと、列車はすぐに入線してきて、乗車すると目の前の座席が空いていたので着席。

新宿三丁目では、とある生活必需品を購入することにしていましたが、売り切れ前の最後の一つを購入。

お店を出て、カフェで遅い昼食でも取ろうか、カフェを探しますが、どこも満席で、仕方がなく別の駅へ移動しようか、と新宿三丁目駅副都心線ホームへ向かうと、自宅最寄駅方面へ直行する列車が発車寸前で待っていて、咄嗟に乗車。

水道橋の良い雰囲気や金比羅神社参拝で、何かいい運気をいただいたのかしら、と思いながら。。

どうか良い運気が皆様のところにも。

それではおやすみなさい。

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最近は、8時台から会議が始まるので、物事を考える時間が少なくなっています。やはり、朝という時間は素晴らしい。辻邦夫も、朝早く起きて仕事をしていたと言います。どんなに疲れても早朝執筆をしていたと。結局は体力なんだろうなあ、と。辻邦生の健啖家ぶりは、先日、松本の講演でも触れられていたと思います。

夜は、仕事場の方々と懇親会。池袋近く。私の友人が教えてくれたお店をたまたま幹事の方が選んでいて、割と楽しい時間。外国の方も来ていたので刺激があります。

私もせっせと動いていかないとと思いました。

それでは。

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最近、自宅の仕事場の間取りを少し変えてみました。これまでは本棚の方向を向いていた机を、窓側に変えてみたのです。窓は北にありますので、机が北側に向くということで、なんだか元気がなくなりそうだな、と思いますが、これはもう、仕方がないです。間取りの問題なので。

ですが、割と机が広くなりましたので、読書をしようかなという気にもなるものです。そこで、個人的にもう少し読み進めたいな、と思っていた「情緒論の試み」に取り掛かってみようかな、と思いました。本当は仕事の本などを読むのが良いのかもしれませんが、まあ、いつかは定年を迎えますので、定年後を見据えた本を読んだ方が、実のところ長期的には意味があるのではないか、と思ったりもしまして。

この本、2002年に出版されました。この本が書店に並んでいるのをみた時の記憶を割と鮮明に持っています。また、「情緒論の試み」自体は、岩波の雑誌である「思想」に掲載されていたのですが、学校の図書館で、くだんの「思想」を目撃したこともあります。過去に何度か読んだような微かな記憶もあり、本には付箋が貼ってありますので、まあ何かしら読んだんだろうなと思います。

小説の問題は、「現実認識と想像力の乖離」と、「その結果生まれる言語の対象化」である、と冒頭付近に描かれます。この想像力というのはイマージュの世界のことなのかしら、言語の対象かというのは言語を言語自体で捉えてしまい、そこに言葉を超えたものが入り込めるのか、と言ったことを考えたりしました。辻邦生は、言葉の力を大切にすると思いますが、その言葉によって描かれたものは現実とはまた別のイマージュの世界です。ですが、それ自体は、おそらく現実を超えたものになりうるということと思います。そうした観点の考察が書かれているのでは、と予想しながら、また読んでいきたいと思います。

それにしても、いよいよ冬の入り口という感じです。東京の日の出は6時8分だそうです。西日本はもっと遅いかもしれません。冬真っ盛りの1月ごろ、東京の日の出は7時ごろになります。その頃になると、出勤時真っ暗という話になりまして、やれやれという感じです。まあ、間取りを変えたこともあるので、冬に負けないようなインテリア的な仕掛けを工夫してみようかな、と思っています。

それでは長くなりましたが、今日もおやすみなさい。グーテナハトです。

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https://classical.music.apple.com/jp/album/1452586233?l=en-GB

モーツァルトの交響曲で、何を選ぶかと聞かれたら、ハフナーかな、と思います。昔、ジェフリー・テイトのモーツァルト交響曲全集のボックスを買って、iPodに入れて繰り返し聴いていたのでしたが、32番、35番や入った1枚が気に入って、何度も何度も聴いたものです。

しかし、懐古的な話ばかりになるのもあれなので、新しい録音を。ムーティの録音は、なかなか素晴らしいです。柔らかみのある演奏に聞こえました。最近、アバドの颯爽とした演奏に加えて、少し重めの演奏がいいな、と思い、ワーグナーなどは、ティーレマンやバレンボイムに取り組んでみようかな、と思いますが、モーツァルトだと、ムーティというのもいい感じです。

ムーティのモーツァルトをもう少し渉猟してみようかな、と思いました。

しかし、余談ですが、ムーティと言えばヴェルディという印象もありますが、ヴェルディだけは、私にとっては難攻不落の巨城なんですよね。。わずかに、オテロなんかにとりつくのがやっとでした。

というわけで、みなさまも良い一日をお過ごし下さい

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天気は割とよかった一日のようでした。秋晴れ? 太陽の高度は、2月と同じかな、と思います。今日は、普段お会いすることのない大変お世話になった方々にお会いした一日でした。文化的な活動は、、、外国の方とチャンバラ英語で少し会話した、というぐらいでしょうか。

それでは。おやすみなさい。グーテナハトです。

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今日も横浜。ITやデジタルについた考えた一日でした。お世話になった方や、新たに知り合った方とお話できて、ありがたい一日。積極的にいろいろな方と話すのはとても大切です。技術的に面白い話しもいろいろ聞けました。世界はAIまっさかりで、どうなることやら。

明日も横浜。自宅からは、意外と交通の便はよくありがたい。

それでは。

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今日は所用で横浜へ。みなとみらいへ来るのは、10年以上ぶりかもです。オフィスとマンションが同居して、海のそばというのはなかなかのものです。

私は、英語について、永遠の勉強を続けてますが、今日は英語も少しは聞いたり話したり。勉強中なので、実用的ではありませんけれど。

今日は、音楽も本も読んでない日。しかし、仕事関連で多くの情報をえましたので、整理して仕事場の方にシェアしておきました。昔と違い、GenAIでまとめられるので、昔よりも早く多くシェアできます。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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先週末の夕暮れ。三日月から太陽を追いかけながら、地平線に身を投じようとしています。

それにしても、昨日の出来事は、個人的には大変な思いを感じるものでした。このところ、こうした文章を書くことをサボっていたのは否めないので、何か怒られたような気がしたのも事実です。辻邦生は、「ピアニストがピアノを弾くように文章を書く」と書いています。私も、かつては、書評誌に書評を書いたこともあったなあ、と遠い記憶を感じたりもします。何度も書きましたが、高校時代に、ワープロを入手し、時を忘れて文章を書いた時のことが思い出されます。最近は、生成AIが清書してくれますので、仕事のレポートも、粗々のメモを役員用のメモにして、と生成AIにお願いして作ってもらっています。とはいえ、生身の人間が、自分自身で書くということもしばらくは廃れないでしょう。これは、手書きかワープロか、と、人間が書いたか生成AIが書いたかは、本質的に違うと思いますので。素人が仕事を語ると、それがたとえ正しそうであっても、うまくいくことはないように思います。人間は、事物の向こう側の文脈や物語を見ています。生成AIには、それがありません。それは、いくらロボットが超絶技巧の演奏をしたとしても、生身の人間の演奏と同じ感動をもたらさないことと似ているでしょう。

ともかく、いくら生成AIを活用しても、仕事は増えるわけで、それは、コンピュータが発達したことで、かえって仕事が増えたのと同じなので、驚かないわけですが(あるいは、数年後には本当に人間の仕事がなくなる、という危機感は増すばかりですが)、そんなわけで文学作品を読む余力はなく、仕事に関連する文章を読んでいる気がします。

そんななかでも、素晴らしい本は、五百旗頭真先生の「日米戦争と戦後日本」という本。いかに、終戦に至ったのか、が、米国側の視点で描かれていて、大変感動したのです。終戦がなったのは、米国側の知日派の並々ならぬ戦いがあったわけで、その知日派の方々と親交を深めた日本の政治家や軍人の長きにわたる努力があったということ。そして、早期講和に繋がった米国の厭戦を導いたのが、賛否もありますが、戦った方々の想いであったのでは、ということでした。

仕事に、直接関係あろうがなかろうが、視野を広げて、多くの人と繋がっておくこと、そして、最後まで無駄だと思わずにやり切ることは大切なことですが、そんな当たり前ですがなかなかできないことをあらためて教えてくれてのがこの本だったと思います。もちろん、それは、仕事に限ったことではなく、あらゆる場面で同じだと思いました。

それにしても、国際政治史は興味深いです。辻邦生の「春の戴冠」も「ユリアヌス」も「嵯峨野明月記」も、いわば国際政治小説とも言えます。こうした知見は、仕事においてもよく役立つものです。

暑い夏の最中に、80年前の今日、まさに、ワシントンと東京でギリギリの判断をしていたのを思うと、いまの日本の発展にありがたさを感じるばかりです。

それでは。長々とすみません。ここまで、27分でした。

おやすみなさい。

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今日、7月29日、この一年、私たちを楽しませてくれた金魚が亡くなりました。

生命が失われるのを見るのは、いつでも辛いことですが、あのとき、こうしてあげればよかったのでは、などの後悔もあるのは否めず、何か寂寥とした思いに囚われています。

奇しくも、今日は辻邦生の26回目の命日でした。1999年のあの日を私は忘れないでしょう。そして、こんな日に、小さな命が消えたのも何かの縁でしょうか。

最近は、何をもなしえぬまま、俗世の仕事にまみれる日々で、何かしら咀嚼しえぬ思いも抱えながら日々過ごしている感覚があります。

あの金魚を喪ったことは、なにかを私に伝えるものではなかったか、とも思うのです。数ヶ月に渡って、本調子ではなかったあの金魚が、数ヶ月耐えに耐え、よりによって、辻邦生の御命日に逝ってしまうとは、偶然の所産とは思えないのです。

あの子が回復したら、新しい水槽に五色の砂利を敷き詰め、清らかな水を注ぎ、また、ゆっくりとした生活を送らせてやりたい、と思っていたのに、今日この日に逝ってしまうとは。

あらゆる生き物はいつかはこの世を去りますが、そこには何かしら意味があります。彼、あるいは彼女は、こうして何かを伝えて旅立ったということは、そこに意味があるわけで、そこに意味を見出すのが、生きている我々の努めなのでしょう。

私は、今日のこのことで、なにか、通底するさだめがあるのだと思いました。それは、人智を越えた何かで、語ることの許されないものなのだと思います。

実際、こうして、意味を見出した、といって、私自身が心の整理をつけようとしていること自体が、何か利己的で弁解がましいものなのかもしれません。それは否めない。ですので、この瞬間は、感謝と謝罪を繰り返すことしかできず、時が経つにつれ、世界全体がそれを理解し赦し、一つの平穏な世界へと回帰していくことになるのでしょう。

世界は波であり円環ですので。

ともかく、暑い日が続きます。みなさまもどうかお身体にお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。