Miscellaneous

つれづれエントリー。

光陰矢の如し。

というか、もうこれ前にないぐらい時間に追われる感じで、昔なら夜更かししてでも時間を作っていましたが、それをやると翌日のパフォーマンスがガタ落ちで、あるいは長い目で見て疾病罹患リスクが上がるということで、夜更かしを封印、となると、本当に時間は少ない、という感じ。

うーむ。もっと精神鍛錬をしなければ。。もっとミニマリズムを追求するのだ、という感じか。色々修正していかないと。

読書の方も実用本を読まざるを得ず、本来の読書はなかなかできません。秋の夜長はいいとして、自由な夜が始まるのが遅いので、あまりメリットには与れてません。八方塞がり。あるいは何かを抜本的にガチャ、と変えないといけないです。そうしないとその先に進めない、という。

そんなつれづれエントリーですが、ひとまず。皆様もどうかお体にお気をつけてお休みください。おやすみなさい。グーテナハトです。

 

 

 

Miscellaneous

今日は午前中はなかなか良い天気でした。というわけで、近所をサイクリングして、良さげなところをいくつか見つけました。

今日は累計で15キロほど走ったようで、随分とヘトヘト。早く寝て疲れを癒さないと。寝ないと疲れは絶対に撮れません。ウナギを食べてもビタミン剤を飲んでもダメだそうですね。当たり前のことですが、当たり前すぎてなかなかできません。

それではみなさまおやすみなさい。

 

Miscellaneous,Wolfgang Amadeus Mozart

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いや、もう本当に秋本番で、めまいがしそうです。昨日の東京地方は、久々に晴れた休日だったような気がしまして、喜び勇んで20キロもサイクリングをしてしまいました。思いがけず、近所にコスモス畑をあるのを発見し、有頂天でした。

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秋桜という名前がついていると聞いたことがありますが、、どうにも日本の花とは思えません。ウィキペディアで調べると、明治20年に日本に渡来したとのこと。秋桜というものさだまさしが初めて使ったようです。正確な和名は、オオハルシャギクですか。なるほど。

一転、今日は、曇り空でしたが、仕事関係で1日お勉強。疲れましたが、今日ですべてが終了ですので、次の課題に向かって頑張らないと。

お勉強にはやはりモーツァルト。

私的には、なんとなくお勉強をするときには、モーツァルトやバッハを聴きながら、というのが多い気がします。特に交響曲第32番、第35番など。ジェフリー・テイトの指揮は、すっきりとした味わいで、もう10年以上聞いていますが、聴くたびに新鮮な気分になります。

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次の課題、と言ってもたくさんあって、一つ一つがなかなか険しいんですが、これまで険しい道を乗り越えてきた気がしますので、なんとかしましょう。それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

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9月の初め頃、秋の風情が終わる気配を感じる頃、しかし、まだ暑さは厳しいおり、なにか秋が深まる寂しさのようなものを感じていた時、仕事場の年上の方と話をしました。その方は、夏が終わるとホッとされるそうです。夏の厳しさがこたえるから、とのこと。おっしゃる通り。私も夏の暑さはやはり辛いです。ですが、なにか名残惜しさのようなものを感じました。今年は特に夏を楽しんだような記憶があるので。もちろん、盛夏のそれではなく初夏のそれを楽しんだのですけれど。日差しが照りつける無人の野球グラウンド見て、なにか懐かしさを感じたり。

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あるいは、大地に立ち尽くす老ひまわりの姿を見たり。

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夏は生命の横溢の極致であり、さらには来るべき休みの季節への導入でもあります。生命の横溢を謳歌する季節が終わり、休息への備えを思う気持ちは、先輩と私とでは少し違うのが知れません。それは想像することはできても、体験するとまた違う味わいなのだと思います。それは、この数年で、味わいの違いを覚えはじめたから気づいたことなのかもしれません。
一ヶ月前のそうした出来事を思い起こしながら、いつの間にか10月も折り返しを目前にしています。肌寒い日が続き、あるいは過ごしやすい夜長の季節が訪れました。それはそれでまた愉しみ。そういう季節になりそうです。

今年も残りあとあと2ヶ月と半分です。やりたいこと、やるべきことは少しずつ進んでいますが、まだまだ不十分ですので、最後の追い込みにむけて追い込まないと。

それではないみなさまも良い秋の夜長をお楽しみください。

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今朝は、昨晩からいくばくかの大仕事がありまして、徹夜明け。おかげで5時の朝焼けを見ることができました。あざやかな色で、驚きました。仕事柄、徹夜には慣れていましたが、最近、所属が変わって徹夜勤務もめっきり減りましたので、昔より辛い感じ。歳というのもあるのか…。

10月になって秋本格と言いながら、日中は随分と日差しが強い1日でした。これから秋の良い季節にどんどんなっていきそうで楽しみです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

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先日、とある機会があり、全寮制の男子校(高校)の側を通りました。寮の前のグラウンドで、サッカーに興じる生徒たちと、それを寮生たちが2階から身を乗り出して眺めていて、声援を送っていました。一階にはその様子を眺める女性教師がいて、という感じ。なんだか、旧制高校みたい。といっても旧制高校をみたことはありませんけれど。

旧制高校の特別な空気のようなものは、辻邦生の小説(特に「風越峠にて」など)で、その雰囲気がよくわかります。そういう空気はきっともう無いと思っていましたが、意外にもあるのかも、などと。

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Johannes Brahms,Miscellaneous

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いろいろ仕事の山が続いていて、といっても個人的なものなので、そんなに大きなものではないのですが、そうはいっても、大変なことは大変なので、差し当りの無事を神頼み。

まあ、この歳にもなると、自分のやっていることは、別に自分がやっているわけではない、という気分になってきてまして、うまくいくのもうまくいかないのも単なる巡り合わせに過ぎない、という感じになってきました。なので、怒られても褒められても、なんだか他人事のような感じです。なので、さしあたりは、自分ではない何かに思いを託すということなのだと思います。特に日本は災害が多いので、最終的には神頼みになってしまうのかなあ、なんてことを思います。

で、今日はこちら。

ブラームス:交響曲第2番
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相変わらず聞いているブラームスの交響曲第2番。今回はサバリッシュがロンドンフィルを振ったものです。正統的で高潔なブラームス。すこし癒されました。

先日イタリアで地震がありましたが、ドイツやフランスあたりでは地震はあまり少ないと聞いたことがあります。文化と自然環境は関係しているのかなあ、なんてことを思いました。

それではみなさま、よい連休を。

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ブラームス:交響曲第2番

ブラームス:交響曲第2番

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今日はジュリーニのブラ2。録音は1991年で、ウィーンフィルとの演奏。ジュリーニらしい重みとともに、軽やかさを兼ね備えた、絶妙な演奏です。ロスフィルとの演奏もあるようです。そちらも聴いてみたいです。

私の中では、ジュリーニといえば、ブル8でして、あの第一楽章の圧倒的な高揚感が懐かしいです。あれがきっかけで、ブル8を何枚も買い込んで聴き比べたものです。

そういう意味で言うと、ジュリーニのブラ2もブルに聴こえてもいいはずで、確かに第一楽章の展開部のあたりは、確かに対位法的構築美がブルっぽい感が横溢しています。第二楽章もやはりどこかブルックナーような空気で、深い森の中に沈んでいく感覚。

まあ、それにしても、本当に本当に遠くまで来てしまったものです、なんてことを考えながら、聴いてしまいました。

珍しくもありませんが、気がつくと40年以上も生きているわけで、本当に遠いところまで来てしまいました。それも思いもよらぬところへ。そしてなお、違うところへ向かおうとしているのではないか、ということ。

それはしかし、よいこともあれば悪いこともあり、適応という言葉で語られることもあれば迎合という言葉で語られることもあり、捉えたり受け止めたりするのは難しいものです。

しかし、咀嚼や理解や諦観のような気分でもあり、昔のようななにか定めることなくとも良くなった気もします。

こうやって人は齢を重ね重ねるのか、と思いつつ、はて、今度はどこへ連れて行かれるのか、または、どういうふうに旅が終わるのか、と想像しながら過ごしていました。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms,Miscellaneous

先日からのブラームス交響曲第2番ばかりきくプロジェクト。先日以降、カラヤンとバーンスタインを聴きました。

特に感銘を受けたのがバーンスタイン。

ブラームス:交響曲第2番、大学祝典序曲
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これも先日書いたバーンスタインの田園の件と同じく、これも恍惚としたブラームス。緩徐楽章の恍惚とした美しさに酩酊してしまいます。この曲はブラームスの田園交響曲と呼ばれていますので、そういう共通性を、感じても不思議ではありません。深い悲しみとそれを咀嚼する静かな諦念のような境地。この曲を聴きながら、遠くに見える山を眺めていたい気分。まあ、若いときだと違うように聞こえるのかもしれません。

録音はウイーンフィルとのもの。もちろんAppleMusic にて。録音はおそらく1982年。

次回はチェリのブラ2を書こうと思います。
今日は朝から晩まで頭を使いました。明日も明後日も盛りだくさん…。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

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よく、肯定語で否定を示唆するというものがあります。字義通りの意味と真の意味が真逆であるというもの(とわたしは理解しています)。ジョージ・オーウェルの「1984」に出てくるダプルスピークにあたるものとも。たとえば、戦争をする国家機関は平和省という名前だったりします。

英語のallegeという単語は、いうという意味とともに、それが疑わしいという語感を持ったものであったり、あるいは、ドイツ語のganz という言葉は、字義通りだと「すごく」という強調の意味ですが、時に、「まあまあ」「そんなに良くない」というニュアンスを持っていたり。

あるいは、30年ほど前に出た、誉め殺し、という言葉も、やはりそうしたダブルスピークのような意味合いを持ちます。

結局、ダブルスピークというものが生じた時点で、全ての言葉は機能停止に陥るわけで、言葉の文脈から、真実を探らなければならず、ダプルスピークであるがゆえに、真実は絶対にわからないわけです。あらゆるテキストは信用できないものになってしまいます。

疑いだしたらキリがないわけで、そこで行き詰まるのですが、多分その先にあるのは、ただ単純な肯定なのかも、と思ったりしています。以前書いた「人生は良いものだ」という認識です。この認識は、おそらくは、人生が良いばかりではないので人生をより良いものにしなければならないということと、人生は良いものではないので、だからこそ、良いものと方法論的に思わなければならない、という二つの意味が込められているように思うのです。辻邦生のいう「戦闘的オプティミズム」もこういうことなのかもしれません。

わたしの知っている方は、自分の会社を本当に愛している、と言います。話をよく聞くと、それは会社にいる時間が最も長い以上、そこを方法論的に肯定するのが最善だ、という、認識あるいは諦念がありました。立派でした。

ダプルスピークもあれば、あるいは本当の悪いこともあるのかもしれませんが、少なくとも、ダブルスピークの疑いがあるうちであれば、字義通り良い意味である可能性もあるわけですから、それはそれでいいそのまま受け取ることが、「人生は良いものである」という方法論的認識においては、有用であると言えます。むしろ自分にとっては最善とも言えるかもしれません。

ダプルスピークを含めてさまざまな仕組みに触れていると、すべてが揺らいでしまうわけですが、不動の大地に足を付けられない以上は、不動の大地であると言い聞かせながら、道なき沼を進むことが大切であると思いました。それが「人生は良いもの」という言葉なのでしょう。

しかし、それすら良きダブルスピークなのか、とも思ったり。トートロジー。しかし、有用なダブルスピークであることは間違いないです。言語の持つ字義と価値の問題。困難。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。