Miscellaneous

毎朝、6時に起きる生活。そのために、5時50分と55分に目覚ましがなるようにしています。が、5時半ごろには目が覚めてしまいます。

今日もやはり、5時半ごろから目が覚め始め、6時に向けて起きようとしたところで長めの地震でした。テレビをつけると津波警報ということで、本当に東北の方々の不安に共感しながら身支度をして仕事場へ。向かいながら、NHKのストリーミングを見ました。なにか、この瞬間をきちんと共有しなければ、という感覚があったのでした。福島第二原発の冷却ポンプが停止したというニュースに肝を冷やし、宮城にも津波警報が発令された瞬間、アナウンサーがいっそう緊張して、避難を呼びかけるのを聴きました。とにかく、同時代の出来事として、同じ時間に同じ感覚を持っていたかったということがあります。

また、真実というものは時間が経てば覆い隠されていくものですから、その瞬間瞬間に現れると思われる統制されない真実のようなものを見据えたい、という思いもあったと思います。東日本大震災の時にテレビに映し出された、田畑を侵食する黒い津波や、何十台もの車が流される映像は、今やテレビで放映されることはありませんし、1999年の同時多発テロで放送された高層ビルにボーイングが吸い込まれ爆発するシーンなども、もはや普通には見ることはできないのですから。真実というものは徐々に隠され、その意味を失っていくものなのだ、と思うので、せめて、その時に見ておかなければ、という思いがあったのだと思います。

怪我をされた方が何名もいらっしゃったり、朝早く寒い中避難されている方もいたりと、本当に大変な出来事だと思いながら、いつどこに来るかわからない地震の恐ろしさを感じていました。しかし、日本に住む以上は、全員が負わなければならない宿命ですし、日本という土地につながったものとして、ただただその恐れは受け入れておかなければならない、ということも思いました。これはもう、日本人が自然崇拝をしてきた理由がまさにこうした地震や火山といった災害があるがこそ、ということなのだと改めて思いました。自分たち人間の努力では限界のある出来事があるからこそ、何か自然に宿る神的なものに祈るしかない、ということが、日本人的な感覚なのだ、という気持ちになっています。

そんな今日はこちら。ブレンデルが弾くバッハのイタリア協奏曲。バッハの世界はおそらく世界はもっと確固たるものなんだと思います。そういう均整が素晴らしいです。ドイツではあまり地震がないそうです。こういう曲はそういう土地にこそ生まれたものなんでしょうかね。

Italian Concerto

Italian Concerto

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それでは皆様、ありがとうございます。おやすみなさい。

Miscellaneous

最近、悲しいことがありました。もしかすると、何かしらのことがあれば、回避できたのかもしれない、という、悲しい出来事でした。それも、なにか勝手な想像なのかも知れず、詳しい事情もわからず、わかっているのはただ結果だけなのですが。また、なにかしらのことがあれば避けられた、というのも勝手な想像で、あるいは自己満足とでも言える解釈なのかもしれない、とも思います。ただ、振り返ってみたときな、やれることがあったのでは、という思いが残っているだけで、その可能性も、実際にはできなかったのだから、結局は不可能だったということに過ぎないということも分かっているのですけれど。

世界は、無限の偶然から成り立っていて、まるで一キロ先の針の穴に糸を通すとか、砂浜から一粒の小石を見つけるような偶然が、あたかも運命であるかのような必然性を帯びて見えてしまう、という状況なのだと思います。J.P.ホーガンの「プロテウス・オペレーション」を30年ほど前に読みました。あれはパラレルワールドを描いたものでしたが、「原子が一つ動くか動かないかだけで、世界は分岐し、パラレルワールドが生じる」という内容が書かれていたと記憶しています。パラレルワールドがあるかないかはともかく、原子が一つ動く動かないというレベルの積み重ねが世界を作っている、ということになるのでしょう。

プロテウス・オペレーション (ハヤカワ文庫SF)
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なので、悲しい出来事も、うれしい出来事も、そこに因果があるかなように見えますが、本当にわずかな偶然が重なったもの、と思いました。繰り返しになりますが、それを偶然と見るかあるいは必然と見るかは、我々にはコントロールできないという意味において、偶然とも言えるし、必然とも言える、ということになるのだと思います。

今日はこちら。エルガーのチェロ協奏曲。

Elgar: Cello Concerto/Dvorak/Respighi
Sol Gabetta
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Miscellaneous

今日は風の強い一日。冬の風情がますます強くなりました。仕事場の窓から運河が見えるのですが、いつもは波もなく、まるで湖のように静かです。でも、今日は波立っていたように思います。ちょうど引き潮の頃で、岸辺の浅瀬に波が打ち寄せているのが見えました。それは風波だったのかもしれませんが、何か、幼い頃夏の浜辺で見た波の打ち寄せるように見えました。なかなか砂浜に行く機会などないのですが、しばし、昔のことを思い出しました。仕事をしているさなかの一瞬ですが、何か意識が遠くへ飛んで行って、また戻ってきたような感覚でした。

今日はこちら。今日は、何かエルガーを聴きたい気分。やはり交響曲第2番は素敵です。

Symphonies No 1 & 2
Symphonies No 1 & 2

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London Symphony Orchestra
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それではみなさま、おやすみなさい。

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monet_-_impression_sunrise

今日の夕方、窓の外を見ると、西の空はモーヴ色、あるいはバラ色に染まっていて、なんだか心を奪われてしまいました。僅かに霞がかかる向こう側に、淡い影のレインボーブリッジが見えていて、太陽が西の空を赤く灼いていました。東京の日の入りははすでに四時半に近づいていて、めぐる季節の早さには目がくらむ思いです。

その時思ったのは、モネの絵。あの印象派始まりとされる「印象・日の出」のこと。画面上部の赤とピンク、あるいは灰色がかった温かみのある淡い影は、今日の夕方に見た空の色と同じでした。時代も場所も時間も違うのに何か通底する感興があり、しばらく、遠くへと心が動きました。遠くとは、おそらくは、時間的にも空間的にも、あるいは意味的にも論理的にも、なのだと思います。日常で大切にされている意味や、日常で実践的に使われる論理とは離れた、遠くだったのだと思います。日々の生業の中では、失われたり、流れてしまったり、見向きもされないものたちこそ、実は最も原初的で根本的なのではないか、という問題です。

AppleWatchによれば、明日の日の出は6時18分です。ひところ4時半に日が昇っていたことを思うと何か別の場所にいるような気がします。もちろんこの感想は、私と同じ地域に住んでいる人だけのもの。北海道には北海道の思いがあり、九州には九州の思いがあるはずです。私にとっては、太陽は活力を与えてくれるものですが、それは私にとってだけではなく、あらゆる地球の上に住むものたちにとって、活力を与えてくれるものであるわけで、日の出と日の入りは、太陽を思う者にとっては、何か特別な意味を持つ者のように思います。

仕事場で、傾き差し込む太陽の光を「まぶしい」と嫌がる方が多いのですが、正直言って私は太陽の光を狂ったように浴びたいたちなので、差し込む光がさすがに迷惑かとブラインドを下ろすときも、1秒でも長く日差し浴びていたいと、ゆっくりと惜しむようにブラインドを下ろすのでした。いつか、日差しを狂ったようにいつまでも浴びながら仕事ができる日々を夢想しています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

なんだか本当に御無沙汰になってしまっています。

生活リズムがこの1ヶ月強ぐらい変わっていまして、なかなかものごとに取りかかれない状況下が続いておりました。というか、今後も続きそうですが、昔読んだ本には「時間の使い方、住む場所、付き合う人を変えないと、人は変わらない」だそうで、まずは、できることからということで、時間の使い方を変えて見ないと、と思い、まずは時間を変えて見ないと、と。

にしても、今でもかなりギリギリやっているので、さらに工夫をしたいと。先日聞いた、一代で飲食メーカーを上場させた型の講演では、やはり工夫をずいぶんして、不可能と思われた価格改定をやりきったらしく、まあ、無理と思う前にまだまだ余地はあるのでは、と思うのも良いかなあ、と思います。失敗もあるけど、やって見ないと成功しないので、いろいろやって見ないと。

今日は、フォーレを聴きながら、風邪の熱に浮かされております。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

写真 1 - 2016-10-30

かなり久々にEWIを吹いてみました。なんだかそちらへ意識を向けることができていませんでしたが、昔の懐かしい写真を見たので、ついつい。EWIだと少しは吹けますが、SAXとなるとまた話は別で、SAX吹いたのはちょうど1年前だったかなあ、などと。

(あれ、うーむ、何かタイミング的に偶然とは思えない何かが。。)

あすからまたウィークデー。また前に向かって進んでいかないと。

今日は短いですが、この辺りで。みなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

つれづれエントリー。

光陰矢の如し。

というか、もうこれ前にないぐらい時間に追われる感じで、昔なら夜更かししてでも時間を作っていましたが、それをやると翌日のパフォーマンスがガタ落ちで、あるいは長い目で見て疾病罹患リスクが上がるということで、夜更かしを封印、となると、本当に時間は少ない、という感じ。

うーむ。もっと精神鍛錬をしなければ。。もっとミニマリズムを追求するのだ、という感じか。色々修正していかないと。

読書の方も実用本を読まざるを得ず、本来の読書はなかなかできません。秋の夜長はいいとして、自由な夜が始まるのが遅いので、あまりメリットには与れてません。八方塞がり。あるいは何かを抜本的にガチャ、と変えないといけないです。そうしないとその先に進めない、という。

そんなつれづれエントリーですが、ひとまず。皆様もどうかお体にお気をつけてお休みください。おやすみなさい。グーテナハトです。

 

 

 

Miscellaneous

今日は午前中はなかなか良い天気でした。というわけで、近所をサイクリングして、良さげなところをいくつか見つけました。

今日は累計で15キロほど走ったようで、随分とヘトヘト。早く寝て疲れを癒さないと。寝ないと疲れは絶対に撮れません。ウナギを食べてもビタミン剤を飲んでもダメだそうですね。当たり前のことですが、当たり前すぎてなかなかできません。

それではみなさまおやすみなさい。

 

Miscellaneous,Wolfgang Amadeus Mozart

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いや、もう本当に秋本番で、めまいがしそうです。昨日の東京地方は、久々に晴れた休日だったような気がしまして、喜び勇んで20キロもサイクリングをしてしまいました。思いがけず、近所にコスモス畑をあるのを発見し、有頂天でした。

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秋桜という名前がついていると聞いたことがありますが、、どうにも日本の花とは思えません。ウィキペディアで調べると、明治20年に日本に渡来したとのこと。秋桜というものさだまさしが初めて使ったようです。正確な和名は、オオハルシャギクですか。なるほど。

一転、今日は、曇り空でしたが、仕事関係で1日お勉強。疲れましたが、今日ですべてが終了ですので、次の課題に向かって頑張らないと。

お勉強にはやはりモーツァルト。

私的には、なんとなくお勉強をするときには、モーツァルトやバッハを聴きながら、というのが多い気がします。特に交響曲第32番、第35番など。ジェフリー・テイトの指揮は、すっきりとした味わいで、もう10年以上聞いていますが、聴くたびに新鮮な気分になります。

Mozart Complete Symphonies

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次の課題、と言ってもたくさんあって、一つ一つがなかなか険しいんですが、これまで険しい道を乗り越えてきた気がしますので、なんとかしましょう。それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

9月の初め頃、秋の風情が終わる気配を感じる頃、しかし、まだ暑さは厳しいおり、なにか秋が深まる寂しさのようなものを感じていた時、仕事場の年上の方と話をしました。その方は、夏が終わるとホッとされるそうです。夏の厳しさがこたえるから、とのこと。おっしゃる通り。私も夏の暑さはやはり辛いです。ですが、なにか名残惜しさのようなものを感じました。今年は特に夏を楽しんだような記憶があるので。もちろん、盛夏のそれではなく初夏のそれを楽しんだのですけれど。日差しが照りつける無人の野球グラウンド見て、なにか懐かしさを感じたり。

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あるいは、大地に立ち尽くす老ひまわりの姿を見たり。

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夏は生命の横溢の極致であり、さらには来るべき休みの季節への導入でもあります。生命の横溢を謳歌する季節が終わり、休息への備えを思う気持ちは、先輩と私とでは少し違うのが知れません。それは想像することはできても、体験するとまた違う味わいなのだと思います。それは、この数年で、味わいの違いを覚えはじめたから気づいたことなのかもしれません。
一ヶ月前のそうした出来事を思い起こしながら、いつの間にか10月も折り返しを目前にしています。肌寒い日が続き、あるいは過ごしやすい夜長の季節が訪れました。それはそれでまた愉しみ。そういう季節になりそうです。

今年も残りあとあと2ヶ月と半分です。やりたいこと、やるべきことは少しずつ進んでいますが、まだまだ不十分ですので、最後の追い込みにむけて追い込まないと。

それではないみなさまも良い秋の夜長をお楽しみください。