今朝は、昨晩からいくばくかの大仕事がありまして、徹夜明け。おかげで5時の朝焼けを見ることができました。あざやかな色で、驚きました。仕事柄、徹夜には慣れていましたが、最近、所属が変わって徹夜勤務もめっきり減りましたので、昔より辛い感じ。歳というのもあるのか…。
10月になって秋本格と言いながら、日中は随分と日差しが強い1日でした。これから秋の良い季節にどんどんなっていきそうで楽しみです。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
今朝は、昨晩からいくばくかの大仕事がありまして、徹夜明け。おかげで5時の朝焼けを見ることができました。あざやかな色で、驚きました。仕事柄、徹夜には慣れていましたが、最近、所属が変わって徹夜勤務もめっきり減りましたので、昔より辛い感じ。歳というのもあるのか…。
10月になって秋本格と言いながら、日中は随分と日差しが強い1日でした。これから秋の良い季節にどんどんなっていきそうで楽しみです。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
先日、とある機会があり、全寮制の男子校(高校)の側を通りました。寮の前のグラウンドで、サッカーに興じる生徒たちと、それを寮生たちが2階から身を乗り出して眺めていて、声援を送っていました。一階にはその様子を眺める女性教師がいて、という感じ。なんだか、旧制高校みたい。といっても旧制高校をみたことはありませんけれど。
旧制高校の特別な空気のようなものは、辻邦生の小説(特に「風越峠にて」など)で、その雰囲気がよくわかります。そういう空気はきっともう無いと思っていましたが、意外にもあるのかも、などと。
いろいろ仕事の山が続いていて、といっても個人的なものなので、そんなに大きなものではないのですが、そうはいっても、大変なことは大変なので、差し当りの無事を神頼み。
まあ、この歳にもなると、自分のやっていることは、別に自分がやっているわけではない、という気分になってきてまして、うまくいくのもうまくいかないのも単なる巡り合わせに過ぎない、という感じになってきました。なので、怒られても褒められても、なんだか他人事のような感じです。なので、さしあたりは、自分ではない何かに思いを託すということなのだと思います。特に日本は災害が多いので、最終的には神頼みになってしまうのかなあ、なんてことを思います。
で、今日はこちら。
相変わらず聞いているブラームスの交響曲第2番。今回はサバリッシュがロンドンフィルを振ったものです。正統的で高潔なブラームス。すこし癒されました。
先日イタリアで地震がありましたが、ドイツやフランスあたりでは地震はあまり少ないと聞いたことがあります。文化と自然環境は関係しているのかなあ、なんてことを思いました。
それではみなさま、よい連休を。
今日はジュリーニのブラ2。録音は1991年で、ウィーンフィルとの演奏。ジュリーニらしい重みとともに、軽やかさを兼ね備えた、絶妙な演奏です。ロスフィルとの演奏もあるようです。そちらも聴いてみたいです。
私の中では、ジュリーニといえば、ブル8でして、あの第一楽章の圧倒的な高揚感が懐かしいです。あれがきっかけで、ブル8を何枚も買い込んで聴き比べたものです。
そういう意味で言うと、ジュリーニのブラ2もブルに聴こえてもいいはずで、確かに第一楽章の展開部のあたりは、確かに対位法的構築美がブルっぽい感が横溢しています。第二楽章もやはりどこかブルックナーような空気で、深い森の中に沈んでいく感覚。
まあ、それにしても、本当に本当に遠くまで来てしまったものです、なんてことを考えながら、聴いてしまいました。
珍しくもありませんが、気がつくと40年以上も生きているわけで、本当に遠いところまで来てしまいました。それも思いもよらぬところへ。そしてなお、違うところへ向かおうとしているのではないか、ということ。
それはしかし、よいこともあれば悪いこともあり、適応という言葉で語られることもあれば迎合という言葉で語られることもあり、捉えたり受け止めたりするのは難しいものです。
しかし、咀嚼や理解や諦観のような気分でもあり、昔のようななにか定めることなくとも良くなった気もします。
こうやって人は齢を重ね重ねるのか、と思いつつ、はて、今度はどこへ連れて行かれるのか、または、どういうふうに旅が終わるのか、と想像しながら過ごしていました。
ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
先日からのブラームス交響曲第2番ばかりきくプロジェクト。先日以降、カラヤンとバーンスタインを聴きました。
特に感銘を受けたのがバーンスタイン。
これも先日書いたバーンスタインの田園の件と同じく、これも恍惚としたブラームス。緩徐楽章の恍惚とした美しさに酩酊してしまいます。この曲はブラームスの田園交響曲と呼ばれていますので、そういう共通性を、感じても不思議ではありません。深い悲しみとそれを咀嚼する静かな諦念のような境地。この曲を聴きながら、遠くに見える山を眺めていたい気分。まあ、若いときだと違うように聞こえるのかもしれません。
録音はウイーンフィルとのもの。もちろんAppleMusic にて。録音はおそらく1982年。
次回はチェリのブラ2を書こうと思います。
今日は朝から晩まで頭を使いました。明日も明後日も盛りだくさん…。
それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。
よく、肯定語で否定を示唆するというものがあります。字義通りの意味と真の意味が真逆であるというもの(とわたしは理解しています)。ジョージ・オーウェルの「1984」に出てくるダプルスピークにあたるものとも。たとえば、戦争をする国家機関は平和省という名前だったりします。
英語のallegeという単語は、いうという意味とともに、それが疑わしいという語感を持ったものであったり、あるいは、ドイツ語のganz という言葉は、字義通りだと「すごく」という強調の意味ですが、時に、「まあまあ」「そんなに良くない」というニュアンスを持っていたり。
あるいは、30年ほど前に出た、誉め殺し、という言葉も、やはりそうしたダブルスピークのような意味合いを持ちます。
結局、ダブルスピークというものが生じた時点で、全ての言葉は機能停止に陥るわけで、言葉の文脈から、真実を探らなければならず、ダプルスピークであるがゆえに、真実は絶対にわからないわけです。あらゆるテキストは信用できないものになってしまいます。
疑いだしたらキリがないわけで、そこで行き詰まるのですが、多分その先にあるのは、ただ単純な肯定なのかも、と思ったりしています。以前書いた「人生は良いものだ」という認識です。この認識は、おそらくは、人生が良いばかりではないので人生をより良いものにしなければならないということと、人生は良いものではないので、だからこそ、良いものと方法論的に思わなければならない、という二つの意味が込められているように思うのです。辻邦生のいう「戦闘的オプティミズム」もこういうことなのかもしれません。
わたしの知っている方は、自分の会社を本当に愛している、と言います。話をよく聞くと、それは会社にいる時間が最も長い以上、そこを方法論的に肯定するのが最善だ、という、認識あるいは諦念がありました。立派でした。
ダプルスピークもあれば、あるいは本当の悪いこともあるのかもしれませんが、少なくとも、ダブルスピークの疑いがあるうちであれば、字義通り良い意味である可能性もあるわけですから、それはそれでいいそのまま受け取ることが、「人生は良いものである」という方法論的認識においては、有用であると言えます。むしろ自分にとっては最善とも言えるかもしれません。
ダプルスピークを含めてさまざまな仕組みに触れていると、すべてが揺らいでしまうわけですが、不動の大地に足を付けられない以上は、不動の大地であると言い聞かせながら、道なき沼を進むことが大切であると思いました。それが「人生は良いもの」という言葉なのでしょう。
しかし、それすら良きダブルスピークなのか、とも思ったり。トートロジー。しかし、有用なダブルスピークであることは間違いないです。言語の持つ字義と価値の問題。困難。
ではおやすみなさい。グーテナハトです。
優先順をつけてことを運ぼうとしますが、たまにその優先順を間違ったり、あるいは、優先順位に従って行動できない場合があります。まあ、人間なので、機械のように常に合理的に動くことは難しいものです。結局、そうした優先順が妥当であればあるほど人生は幸福なのだと思います。もちろん、その優先順は人それぞれ。優先順が本当に自分にフィットしてれば、人生は幸福ですね。もっとも、優先順が間違っていたとしても、気づいた時に修正すれば良いのかも。
今日も、優先順を修正して難を逃れたような気がしないでもないですが、まあ、失敗したのだろうなあ。
今日もFinziな日々。
なぜか、こちらを買って読み始めてしまいました。英語なので時間がかかります。
Gerald Finzi: His Life and Music
なぜか日本のAmazoneで「人気」となっています。私が買ったのが貢献しているのかも。なーんて。
それではみなさま、おやすみなさい。
週末は実家にて短い夏休みでした。すべてを止めてみたのですが、まあ、やっぱりオフは必要なのかも、とあらためて。
これからの計画表を作ろうとしたのですが、それもやめて、夜は早く眠り、早めに起きてみたりしました。夏の日差しを避けて、夕方、涼しくなってから散歩をして、蝉の鳴き声が、クマゼミのそれからツクツクボウシのそれに変わりつつあるのを知り、酷暑の中に秋の気配を感じたり。散歩の途中で驟雨に襲われ雨宿りする場のない畑道で行き場を失ったり。
今日は仕事場で溜まった仕事を片付けながら、いろいろ悟ってしまい、まあ、なんとなく大きな流れに中にあるから流れのなかでベストを尽くそうと思ったり、あるいは、世界は悲しみの中にあるがゆえにそれを肯定することから始まるのだ、と思ったり。
今日はこちら。
チェリビダッケのブル7。ブルックナーの交響曲の中でもっとも優雅な美しさを持っていると個人的には思います。チェリビダッケの指揮は、今聴くと、昔のような重さをあまり感じず、むしろのびやかなはばたきのようなものを感じます。
ちなみに、題名はこちらのパロディです。内容を思い出しただけで涼しい。。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハト。
梅雨が明けて、夏が本番ですね。青い空。その向こうに積乱雲と夕立が見えます。日差しは強く本当に素晴らしい天気。
これで暑くなければ最高なのですが、うだるような暑さの1日でした。今日は、はやめに起きてきになる仕事をぐいぐいとやりました。
明日から8月で、いよいよ夏も本番ですね。私はすでに夏風邪を体験しました。みなさまも体調にはお気をつけください。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。
本当に短信。
そんなに力を入れなくてもいいのかもしれないけれど、なんだか自分にとってはやるところまでやらないといけない仕事を終わらせた感じ。職人的な気質なのかしら、などと。
それにしても、まだまだ先は長いが、少しずつ先に進んでいるのかなあ、と。しかし、それでもなお体のメンテナンスはしないと。。
今日は、早々に帰宅して、早く寝ます。。
皆様、おやすみなさい。