Miscellaneous

どうも、最近は「変化」をネガティブにとらえがちなのかも。

帰宅しながら、聴いたこちら。

Bruckner: 9 Symphonies (9 CD's)
Universal Music LLC (2002-11-18)
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ヨッフムの振るブルックナーの交響曲第7番。これを聞いて、真っ先に寂しさを感じてしまったのですね。歴史の終わりに際して、ロマン派が大きく花開いた時代に書かれたこの交響曲の大きさとか美しさのようなものが、郷愁と哀愁を帯び散るように思えて。

ただ、歴史はこのブルックナーの交響曲第7番以降何度も終わっているのでした。まずは第一次世界大戦で終わり、第二次世界大戦で終わり。そして、もしかすると、それから何度も何度も歴史は終わっている。つまり断絶しているのだ、と。ただ、それは私がこの交響曲を聴いた30年前スパンで捉えているに過ぎないのだなあ、とも。30年前はまだソ連がありましたが、あれからも何度も歴史は断絶しています。ベルリンの壁が壊れ、9.11があり、数多の戦争があり、3.11があり。断絶という言葉をあえて使いますが、実際には歴史の転換点のようなものであって、その中で、失われるものもあれば、生きながらえるものもあるわけです。そうした生きながらえているものの一つにこの交響曲があるのかもしれませんが、その生き方もやはり変わっているのだとも思います。

今日この交響曲を聴きながら思ったのは、不協和音の多さやめくるめく転調でした。当時はおそらくはとても画期的なことだったのではないかと思うのです。ですが、同時代のフランス近代音楽や、その後のシェーンベルクやベルク、ウェーベルンなどによって、その画期性は陳腐化したのでしょう。それでもなお、生き残っているのは、特定の領域に受容されるそれ自体の美しさのようなものがあったり、あるいはその時代時代で新たなパースペクティブを持っていたからでしょう。

ですが、私には、まだその新たなパースペクティブのようなものがわからず、もしかすると(私の勝手な想像ではありますが)、教授の職を得ようと、唯ひたすらに作曲に没頭し、ヴェルデヴェーレ宮殿の庭師の小屋に住むブルックナーの姿と、それを取りまく、フランス革命後の自由の気風とそれに対する反動の戦いが見えてしまい、それがどういったアクチュアルな意味を持つのかというのがよくわからず、ただただ、美しいという感想しか思い浮かばないのです。私はこの曲をドイツ旅行からの帰路、夕刻のシベリアで沈みゆく太陽が雲海を金色に染める風景を見ながら聞いたことがあります。あの神々しい風景がおそらくはこの曲と結びついていて、何かイデアールなものを想起させてしまうわけです。

私はこの文章を書く前に、寂しさを覚える、とまで思いました。歴史の終わりにあって、この美しさはすでに失われたのではないか、という思いからです。ですが、それは間違っているとも思いました。ただ単に、それは経験に左右されるものであったり、極度に19世紀ロマン派の考え方に拘泥しているからに違いないのです。確かにこの曲の実在のようなものは今ここにあるわけで、それが「歴史の終わり」のようなものを何度も何度も通り抜けながらもここまで至っていて、時折この極東の国でも演奏会にかけられるような状態にあるということは、「歴史の終わり」に際しても、この曲に美しさや力がのこっているだけではなく、「歴史の終わり」は「終わり」ではなく、次の「歴史の終わり」への道程に過ぎないということなのでしょう。

この曲はおそらくはこの後もしばらくは美しいものを表出し続けるでしょう。ただ、文化文明というものが本当に儚いということも我々は知っています。良いという価値が相対的であることも知っています。昨今、イタリアでは文化予算を増やしているようです。その理由が何であるにせよ、彼らは重要性をわかっているということも改めて思いました。また、日本人の我々が、この曲を聴いているということに対する疑問もやはりなお残ることは言うまでもありません。

 

 

Miscellaneous

頑是ない歌

http://www.aozora.gr.jp/cards/000026/files/219_33152.html

夜、帰宅の電車の中から、車両基地が見えた時、ふと思い立った言葉が「思えば遠くに来たものだ」でした。

誰の言葉だっけ、と探してみたら、中原中也でしたか。吉田秀和が「中也が」と呼び捨てにしているのをテレビで見て、驚愕したのが懐かしいです。

ま、みな思うことは一緒ですね。思えば遠くに来たものだ。だが、ここは思った場所ではなかったのだ、と。12歳の時のことを30歳で思うというも、何か合点が行くような。

ちなみに海援隊も「思えば遠くに来たもんだ」と歌にしているようですが、私は海援隊は聞いたことはありません。多分、高校の時に読んだんでしょう。

歳をとると誰しも思う言葉なんでしょうけど、「畢竟意志の問題」なんでしょうね。

今日はこちら。

ブルックナー: 交響曲第9番(クラシック・マスターズ)
カール・シューリヒト
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シューリヒトを初めて聴いた時の鮮烈な感覚を思い出しました。確かに、今聴くと、技術的にはいくらかのキズはあるのです。しかし、なにか清冽なうねりのようなもの、エッジの効いた輝きのようなものが確かにあるなあ、と。ただ、それが17年ほど前の記憶とすこいばかり形を変えていることに驚きます。時間。記憶。移ろいゆくもの。が、考えるのはあまり意味がないのかも。中原中也が言うように、

なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと

でも、やっぱり

思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ

というわけで、また明日。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

音楽を語ることの難しさ。そもそも語ることはできないのに、無理やり書こうとしている感があります。音楽を語るためには、それを説明するというような形ではなく、別のやり方を使わなければならないのではないか。その別のやり方というのは、多分、辻邦生もやっていますが、おそらくは音楽と同じ芸術のレベルで語るということ。音楽に対する絵画であり、音楽に対する文学であり、のような。

そんなことをおもいながらこちらを。

ブルックナー:交響曲第9番
ブルックナー:交響曲第9番

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ジュリーニ(カルロ・マリア)
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この演奏のよさも、言葉にするとどんどんこぼれ落ちていきそうな気がします。もっとも、言葉にする能力がないということになってしまうのかもしれませんけれど。しかし、すごいダイナミズムとパワーと、静謐さと繊細さなんだろう、と思います。こればかり聴いていると、人間や世界というのは、本当に素晴らしいものだけなのだ、と勘違いしてしまいそうです。

もっと本を読み音楽を聴かなければ。ですが、本を読み音楽を聴いても解決するものとしないものがあるのでしょう。無限大の本と無限大の音楽を把捉することはできず、がゆえに、ここにあるものから世界を掴むことしかできないのではないか。それでもなお、無限と向き合って無限と戦うことが大切なのか。戦い勝つことがじゅうようなのではなく、戦い続けるということ、無限との無限に続く戦いということが大切なのか。この底もなく果てもない膨大なHugeとかtremendousという形容詞がふさわしい世界に対峙するということはこういう恐怖と苦しさと嘔吐とむきあうということなのか。

だが、その戦いはおそらくは、今ここにあるものから世界を掴むという確信を得た時に終わるものなのかもしれないとも思います。あの、辻邦生の「嵯峨野明月記」に登場した狩野光徳という画家が、世間の全てを絵に描こうとして、その不可能性に絶望しながら息をひきとるようなことがあってはならないのでしょう。量の変化が質の変化に変わる瞬間のようなものがあるわけで、そこまでは無限との戦いをするんだと思います。

さて、土曜日に、仕事の山をひとつ越えました。昨日の日曜日は、朝から夕方まで仕事系の講習。今日は振替で休日にしました。今月に入って初めてのお休み。ですが、今日も朝から事務作業を。先ほどやっとおわり、ほっと一息つきました。明日から次の戦いに本腰を入れないと。

しかし、まあ、こんなに体を動かしてもなんとか持っているのは、もしかすると、やっぱり泳いでいるからかも。あるいは、最近始めた鳥の胸肉を食べる活動のおかげかも。鳥の胸肉は疲労回復に絶大な効果があるようです。

ちなみに、ここには、「疲れました」ということは書かないようにしているのですが、今日、ふと思い立って「疲」という文字で検索をかけてみると、出現頻度がこの3ヶ月増えてまして、毎日書かないと、と思うと、知らず知らず「疲れにくくなるように」とか「疲れを癒します」とか、間接的な表現で「疲れました」って書いちゃうんですね。いかんいかん。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms,Miscellaneous

昨今、なかなか時間が取れないというのは先日も書いた通りですが、なんだか考えることが仕事系に偏っている感じもあり、今日も、帰宅する地下鉄の中で、目を閉じながら色々と逡巡しながら考えを巡らせていたのですが、そのときブラームスを聴いてみようと思い、カラヤンのブラームスを。一瞬だけ、何か学生時代の淡い記憶のようなものを思い出しかけたりしました。この二週間、働いて、食べて、寝るだけの暮らしを続けるこうなるのかも。

で、こちら。

ブラームス:交響曲第1番&第2番&第3番&第4番
カラヤン(ヘルベルト・フォン)
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今日たまたま聞いたのがカラヤンのブラームス。カラヤンは正直に言って今の私にはあまりにスタイリッシュです。世界が仮に間違っていたとしても、こういうものはあり続けるといいですね、と思います。

では、お休みなさい。

Miscellaneous

今日は寒い1日。昨日、暖かくなったんですが、忙しすぎて世界に目を配れず、気温の変化に対応しないで真冬並みのコートで出かけました。が、皆さんスーツの上着だけで過ごしている。で、やばい、と思い、今朝は薄手のコートで出かけようとしたのですが、ニュースで「寒くなりそう」といことでしたので、慌ててコート変更。帰宅時の冷たい雨になんとか耐えることができました。

昨年、2015年9月22日からが、できるだけ毎日投稿することを心がけてきました。が、3月初旬から途切れがちに。

直接のトリガーは、日々の仕事系が年度末に向けて厳しい状況にあるから。ま、年度末が忙しいのは別に普通なんですが、先手先手で手を打てずこうなってしまったというところです。土日に休まず働くと、じわりじわりと疲れの色が濃くなっていきます。何か、自分の体の中に、もう一つの自分の体があって、それが膨張してくるのですが、それが鈍い痛みとなっている、というような。

毎日書きたかったのは、どういう変化が起きるのか試してみたかったからです。1年間休まず書くと、色々と面白い、という話を聞いたこともあるからです。結論から言うと、半年だとなかなか変わりようはありませんでした。というより、エントリーの回数とエントリーの質のバランスが崩れるという危機感のようなものは感じたのだと思います。

まあ、スマホを使うことができていますので、どこでもエントリーを書けるインフラはあるはずですが、いかにエントリーにつなげる集中力をキープし、題材を選ぶか、ということが問題になるわけですね。時間とか体力もリソースですが、そのリソースをどう配分するか、という問題。これがなかなか難しいです。

切り口は考えればいくらでもあって、そうした切り口で切り抜けることが必要で、それは日々の仕事系でも役に立ちそうなものなのですが。。

明日、明後日と二日仕事場に行けば、休みとなる、はず。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです、

 

Miscellaneous

Photo
今日、天気が良かったので近所の神社に参拝。何度か写真出したことがありますけれど。

そんなに大きい神社ではありませんが、江戸時代前から続く近辺では由緒ある神社ということで、いつ行ってもどなたかが参拝しておられるような神社です。

出かけると気分が良くなる理由は、常に掃き清められているからなんだなあ、と改めて思いました。

初春の日差しが差し込んでいて、いつものように神々しい雰囲気でした。

週末もいろいろありましたが、リフレッシュできたかも。

でこちら。このCD、昔高くて買えないや、と思いながらも、なんとか買ったんですが、今はもうMP3で1680円で買えてしまうという。。濃厚濃密なカラヤンの美学で聞く新ウィーン楽派はカッコ良くもあり、あるいは危険な妖艶さすら感じることもあります。もちろん聞いているのは「浄められた夜」です。新ウィーン楽派の世界に浸り切りたい。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

  
先日、栄転する方を励ます会に、仕事場の隣駅のビストロにて。いつも、どれだけ安い美味しいワインを選ぶか、ということにこだわっていますが、外のお店で飲むと、こだわりを外さないと飲めなかったりします。ま、高いけど美味しかったです。

しかし、年度末は時間がありません。プロジェクトもたくさん。よく「時間はつくるもの」と言いますが、限度はありますね。生き方変えないと、と真剣に考える今日このごろです。

なんたが、ツイートのようなエントリーが続く昨今ですが、時間をつくるにも限度あるということのあらわれかも。

でも、愚直にほぼ毎日泳いでいるので、元気てはあります。

というわけでまた明日です。おやすみなさい。

Miscellaneous

最近、本当に仕事場にいる時間が長いです。私のApple Watchは、19時になると「早く帰らないと健康を損ないますよ」とメッセージを送るのですが、無視してばかり。

そうであっても、なるべく会社帰りに泳ぐ週間は維持しようと努めています。何度も書いていますが、2014年の10月から泳ぎ始めて、そろそろ1年半になります。何かいいことがあったかというと、よくわかりませんが、今日、25メートル、息継ぎ無しで泳ぐことができるようになりました。最初に達成した時、あれ、私息継ぎしなかったんだっけ? と自分のやっていることがよくわからなくなったので、もう一度試したところ、確かに25メートル息継ぎ無しで泳げました。ただし平泳ぎですが。

で、ググってみると「水泳部員なら誰でもできます。一般人なら頑張ったね、といえるでしょう。すごいというレベルではないです」というコメントが。色々調べると、別に大したことじゃなさそうです。水泳部員なら。

1年半も泳げば、水泳部員と同じぐらい泳いでいるのかも。

また、深呼吸を何度もして長時間潜水すると、ブラックアウトになるみたい。息苦しさを感じずに酸欠になるそうです。別に、肺活量がどうこう、ということではないのかも。

まあ、水泳部員並みに息を止められるようになってよかったね、というぐらいですね。

一番いいのは、これで普段の生活でも疲れを感じにくくなる、というようなことが起きるといいんですけど、そんなことはないですね。。

今日は本当のつれづれ。ちなみにショルティの「エレクトラ」と「影のない女」を聞いているところです。

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それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

土曜日。体が動かずなかなか起きられない。とりあえず、起きて泳ぎに行くが、帰宅して猛烈な眠気と気だるさにより、ダウン。とりあえず、午睡。

日曜日。起きられず。午後、家事をやるが、動けなくなり、20時には睡眠。

本日。仕事場で、顔が火照って真っ赤に。おそらく熱が出ている状況。仕事場の皆さんには早く帰れ、と言われますが、顔が火照っているだけで、仕事はできるので、そのまま21時すぎまで仕事して帰宅。

現在は、熱っぽいですが、頭も痛くなく、まあなんとか。

というわけで、おそらく、インフルエンザにかかったのだと思います。

毎年ワクチンを打っていますが、多分ワクチンが効いて、軽症で済んだのだと思います。こう言う症状は、毎年一度、必ずかかりますが、絶対に重症化しません。ワクチンの効用なのかはわかりませんがけれど、信じる者は救われます。

でも、これで、明日重症化したら「自己管理ができてませんね」と言われるのがオチなので、今日は寝ることにします。おやすみなさい。

Miscellaneous

モーリス・ホワイトがなくなって、Earth Wind & Fireの曲を聴くことが多くなりました。毎朝、仕事場まで歩く10分ぐらい、決まってEWFを聞きます。

あえて、ネットで同じ意見を調べることはしませんが、多分EWFの影響を受けてIncognitoがあるんだと思いました。そこにある共通性は、重厚なホーンセクションだけなのかもしれないのですが、何か、EWFにあるキレとか重さとかグルーヴなんかが、Incognitoに受け継がれているんだろうなあ、と思ったり。

そんなことを思いながら、今や私にとっては懐かしいメロディになりつつあるIncognitoをつまみ聞きした帰宅時間でした。

例えばこちら、など。

Surreal
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Incognito
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さて、ふと思ったこと。昨夜書いた《エレクトラ》のことの中で、世界は《エレクトラ》のようだ、とかいました。なんだか、最近、そういう世界に浸りすぎているんだろうなあ、と。まあ、そっちの世界ではそれでいいんですが、たまには、そうじゃない「美しい」世界にも戻らないと、なんてことを思ったり。そういう時に辻邦生を読むべし、です。

それではみなさま、おやすみなさい。