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あっという間に4月も終わりですね。日本は連休へ。そしていつの間にか初夏の風情に。

昔、福田和也の本を読んだとき、スランプに陥ってもルーチンを崩すな、みたいなことが書いてあった気が。

ルーチンは崩さず、食べて飲んで寝る、というのがポイントなんですが、連休にはいってついつい夜更かし気味です。

星は巡り、世界は変わりますので、ま、うまくいくようになるまで身を潜めて雌伏を伺いましょう。

仕事場では新しいことも始まり、少しは希望もわきますが、ミシェル・フーコーの考えを知ってしまった私には、何も信じられない状況なのかも。ともかく「なぜ腹がたつの? こんな世の中なのに」という言葉を《ばらの騎士》で元帥夫人に語らせたホフマンスタールに思いをはせるしかないですね。彼がこの言葉を書いたのは100年以上前ですが、ま、世の中はそうそう変わりません。

ともかく、再開し続けることが大事ですね。

ではみなさま、おやすみなさい。

 

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金曜日、仕事場で熊本城の石垣が崩れている写真を見て、なんだか切ない気分になりましたが、実際にはそれからが大変なことになってしまいました。修復には20年かかるという話も出ていたり。

その後、どんどん被害が拡大していて、まさに現在進行系の地震で、心が痛みます。昨日は、やらないといけないことがたくさんあったにもかかわらず、なんだか手につかない感じでした。やれることをやるしかないのですけれど。

昔、大分に住んだことがあり、よそ者にもかかわらず、本当にお世話になったり、城下町ならではの矜持あるみなさんとお付き合いができたりと本当にいい思い出ばかりの大分や、修学旅行や家族旅行で行った熊本が傷ついているのを見ると、本当に悲しい気分です。

日本にいる限り、こうした自然災害の脅威にさらされるわけですが、それが日本人のメンタリティに影響しているのかなあ、ということを漠然と思ったりしました。農耕民族で、協力して稲作をしなければ食べていけないがゆえの帰属意識ということもあるのでしょうが、こういう自然災害の時に助け合わなければならないという記憶が、日本人ならではの帰属意識を醸成しているのかも、なんてことを思いました。

ヨーロッパや中国だと火山も地震も少ない地域もあり、そうだとすると、災害というのは外敵の侵略のようなものになるわけで、おのずと処世術が変わったり、あるいは自然をコントロールできるという感覚のようなものも生まれてくるのかもしれないですね。

1994年に神戸で震災があり、2004年に中越で震災があり、2011年に東日本で震災があり、そして2016年に熊本で、ということで、震災に会わずに生きることなんてできないのかも、と腹をくくったりもしました。

がゆえに、自然が神格化されている神社の神様にお祈りをしたくなったりもする感覚が明るような気もしたりします。

本当に日本人は自然の中で生きているんだなあ、と実感します。

もっとも、キリスト教だって砂漠という厳しい環境で生まれた宗教ですね。大学の授業では、イスラエルという土地は砂漠ばかりではなく温暖な土地もあるのだ、ということで、キリスト教が普遍的な宗教であるということが示されましたが、砂漠と地震では少し趣が違うのかもなあ、とも。日本の場合は、いつもは温暖なのにあるとき地震で破滅的、みたいな感じですが、砂漠は常に破滅的。がゆえに、砂漠と戦うのが西欧で、日本は平時は自然と触れ合い、いざとなると平伏してしまう、みたいな感じなんですかね、なんて。

まあ、日本に住む以上は、地震に勝てるわけもなく、ただただ備えつつ、無事を祈るしかないのだなあ、とということなのですね。

そうであっても、明日は仕事。がんばらないと。

きょうはこちら。西欧の自然が少しわかるかも。雲が沸き起こり雷鳴が轟き村人たちが逃げ惑う姿が見えます。そういえば、西欧音楽で「地震」とか「火山」とかないな。。やはりメンタリティも文化も環境によります。その後、牧童の笛で閉じるというのも、なんとも奇想画のようです。

Beethoven: Symphony No. 6 in F-Dur, Op. 68 Pastorale - Mozart: Symphony No. 33 KV 319 (1953 Recordings)
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きっと、こういう世界なんだろうなあ。国立西欧美術館にある「踊るサテュロスとニンフのいる風景」のような風情。これはひとつのアルカディア。憂のない調和のとれた世界。

踊るサテュロスとニンフのいる風景 Landscape with Dancing Satyrs and Nymphs

ではみなさま、おやすみなさい。

 

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これから趣味を持ちたい人へ」というエッセイをフォーサイトで読みました。書かれたのは成毛眞さん。日本マイクロソフトの社長を務められた方で、前々から随分面白いことをたくさん書かれていてフォローしていました。

新潮社のフォーサイトというサイト(昔は雑誌でした)でもいろいろ面白いことを書いておられます。もともとは週刊新潮に書いておられたもののようです。

その中に、趣味は、体験型、蓄積型、没頭型がある、ということなのだそうです。成毛さんによれば体験型はジェットコースター、蓄積型は盆栽や歌舞伎、没頭型はプラモデル、ということになるのだそうです。

特に、蓄積型の趣味である盆栽は、「趣味を盆栽にしていなかったシニア層は、全力で孫や子供に盆栽を勧めるべき」とまで言います。30年ものの盆栽なんていうものは大変な値打ちになるのだとか。

これを読んで思ったのは、楽器とか、音楽とかもやはり蓄積型なんだろうなあ、と。

まず、楽器は若いうち、学生時代に初めておかないと難しいです。やはり時間がないと楽器の習熟というのは難しいですね。私の妄想でオーボエを始めましたが、さすがに暇ではない社会人にとっては難しい結果になっています。時間が取れれば問題ありません。でも、時間は限られます。

音楽もそうかも。14年前に聴き始めたオペラは、その時すでに遅れを取っていると思い、焦りとともに狂うように聞いたり見たりしました。でも、実は遅くはなく、14年経ってみれば、うまく蓄積できたと思いました。でも、14年はやはり長かったですし、まだまだ聞き足りないですし観足りない。もっと早く聴いたり観たりしていれば、人生は違うものになっていたとも思います。

なんでも早く早くやらないと、と。

遅いということはあるかもしれませんが、気づいたときに始めればそれがベストを尽くしたということになるのだと思います。もちろん、時間が経っているので限界はあるのですが、それでもベストを尽くすことは、結果ではなくプロセス的には本当に意味のあることです。

しかし時間はないなあ。。若い人、まだ社会人ではない方、あるいは社会人になりたての方は、長く付き合うものを早く見つけられるといいですね、と思います。

私も。。

では、おやすみなさい。グーテナハトです、

 

 

 

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一週間ほど前に撮った江戸彼岸。ほのかな色合いが実に美しいですね。

こういう美しさも世界。あるいはあまりある芥も世界。世界は多様で混沌としているわけですが、そういう混沌から、何の脈絡もなく、何かが決まったり、人の生き方が変わっていったりするもんなんでしょうね。ニュースを読んだり人の話を聞いたりして、そんなことを思った1日でした。

こういう世界にあって、パルテノン神殿に象徴される「美しさ」のようなものを希求した辻邦生はやはりすごいです。きっと随分と苦悩されたのだと思います。奥様の手記を読んだり、自筆日記を少しだけ拝見してそう思ったりしました。

「「たえず書く人」辻邦生と暮らして」の162ページ。

亡くなる一週間前から、午後のマーラーなどを聴く時間帯のあと、西向きの大きな窓に面した椅子に、日が暮れるまでじっと座っているようになった。

勝手な想像なんですけれど、夕暮れの山並みを眺めておられたのではないでしょうか。なんだかそういう気分です。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして (中公文庫)
辻 佐保子
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やっと週末。なんだか長い一週間でした。やるべきことは何も終わらず。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

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ソメイヨシノ満開です。

ですが、東京地方は曇り空でした。さらに寒い。だいたい現在12度ぐらいのようですが、まるで冬のような感じです。曇っていることもあり、なんともかんとも。ただ、寒いと桜が散るのが少し遅れることにもなりそうです。

昨日から新年度。いろいろギアチェンジしないと。

きょうはこちら。

ブルックナー:交響曲第7番
バレンボイム(ダニエル)
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バレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンを振った交響曲全集から7番を。バレンボイムらしい質実剛健な演奏。これがドイツ的なのかなあ。バレンボイムはドイツ人ではないですけれど。。

それでは。

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今日は振替休日でした。2年ぶりぐらいに川越の喜多院へ。

まったく意識していなかったのですが、行ってみるとなんとしだれ桜が絶好の状況で驚きました。徳川家光お手植えのしだれ桜の二代目という説明です。流れ落ちる滝のように桜が咲いている様子は実に見事です。ヒヨドリが何匹もこのしだれ桜に集まっていて、桜の花びらを食べているようでした。ヒヨドリが枝にとまったり、あるいは飛び立つとき、枝が打ち震え、桜の花びらが幾重にも散る様は、なにか詩的な感興を呼び起こすものでした。

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それにしても、なんだかんだ言って、日本人だなあ、と思いました。こうした風景はもちろんですが、本堂で護摩壇で火を焚きながら読経しているのを見て、本当に心に沁みるものがありました。日本人は本当に不思議です。

音楽的にも面白くて、太鼓のリズムに合わせてお経が読まれているわけですが、護摩壇で仏具を叩く金属音がポリリズムというか変拍子のリズムを叩いているというか、なにか太鼓のリズムに合わないようでいて、実は同期しているというリズム感に興味を覚えたりしました。

ちなみに、一眼レフも持っていたのですが重すぎてあまり使わず、結局きちんと撮れてスピード感をもって使えるのはiPhoneで撮った写真という状況です。コンデジの時代はもちろん終わっているのですが、一眼レフも危ないですね。。もちろん一眼レフの表現力がとてつもないのは言うまでもありませんが、そうだとしてもiPhoneのようなスマホでも、その場で様々な加工をしてスピード感をもってクラウドにアップできるというのは、10年前からするとほとんど信じられない状況です。

さしあたり、すこし癒された感あります。さすがに最近色々ありすぎました。また明日からがんばらないと。

ではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

 

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昼になって晴れました。三春のしだれ桜だそうです。

今日の東京地方、寒い1日でしたが、お昼頃からは日差しが照り、少し暖かくなりました。

近所の公園に行ってみましたが、ソメイヨシノはまだまだ。ですが、しだれ桜は随分と咲いていました。

明日も仕事関連の講習へ。ま、仕事は仕事ですが、仕事をもっと高速化しないと。

音楽の方は相変わらずブルックナーばかり。

Bruckner: 9 Symphonies
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今日は短く。おやすみなさい。

 

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SAKURA2016

東京では月曜日に開花となった桜ですが、本日、振替休日だったこともあり、近所の桜を見に行きました。曇り空だったので、青空にバッチリ映える桜は撮れませんでしたが、日の丸構図ですが、なんか水墨画みたいでいいかも、と勝手に思ったり。iPhoneで急いで撮ったのでピンが少し甘いです。

今日からまたヨッフムのブルックナーの聴き直しを始めました。第1番から順番に。やっぱり、激しい演奏だ。。

Bruckner: 9 Symphonies

Bruckner: 9 Symphonies

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あたためていたものがなんとなく言語化できてきたのですが、それがあまりに壮大すぎて、空恐ろしい。だが、やらないといけないことなので困っています。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

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昨夜トラブルで徹夜。たまにあることなので慣れてます。

先日からブルックナーばかり聞いていたり。

ブルックナー:交響曲第8番(クラシック・マスターズ)
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でもブルックナーは、きっとダブルスピークではなく、素直に書けたのでしょうけれど、芸術は、おそらくはそこに現れた直接の意味と、その背後の意味と、二つ重ねて考えなくてはならないようになってしまう場合ももちろんあるんだと思います。信用できない語り手、問題。あるいは、作品全体が二つの意味を持っている問題。

音楽評論家の方がどこかで書いておられたのですが、洒脱な音楽を書くプーランクは、現実の凄惨さを踏まえた上で、それを乗り越える意味であえて洒脱な音楽を書いていたという見方があるみたいです。

これ、辻邦生の戦闘的オプテイミズムの考え方と似ています。逆境にあって理想を語るべし、というもの。ただ、がゆえに、歴史小説だったということも言えるのだとも思います。

昨日の徹夜仕事も、疲れた時にこそ真価が発揮されるみたいな感じがあります。あるいは、先日来休みなく働いている時も、そういう時こそきちんとした仕事をしないとみたいなことも言えます。逆境にあってこそ笑みを絶やすな、みたいな。

もっとも、あまり笑ってばかりだと、楽しているのではないか、と疑われるのでほどほどに、とも思います。難しいです。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

 

 

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どうも、最近は「変化」をネガティブにとらえがちなのかも。

帰宅しながら、聴いたこちら。

Bruckner: 9 Symphonies (9 CD's)
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ヨッフムの振るブルックナーの交響曲第7番。これを聞いて、真っ先に寂しさを感じてしまったのですね。歴史の終わりに際して、ロマン派が大きく花開いた時代に書かれたこの交響曲の大きさとか美しさのようなものが、郷愁と哀愁を帯び散るように思えて。

ただ、歴史はこのブルックナーの交響曲第7番以降何度も終わっているのでした。まずは第一次世界大戦で終わり、第二次世界大戦で終わり。そして、もしかすると、それから何度も何度も歴史は終わっている。つまり断絶しているのだ、と。ただ、それは私がこの交響曲を聴いた30年前スパンで捉えているに過ぎないのだなあ、とも。30年前はまだソ連がありましたが、あれからも何度も歴史は断絶しています。ベルリンの壁が壊れ、9.11があり、数多の戦争があり、3.11があり。断絶という言葉をあえて使いますが、実際には歴史の転換点のようなものであって、その中で、失われるものもあれば、生きながらえるものもあるわけです。そうした生きながらえているものの一つにこの交響曲があるのかもしれませんが、その生き方もやはり変わっているのだとも思います。

今日この交響曲を聴きながら思ったのは、不協和音の多さやめくるめく転調でした。当時はおそらくはとても画期的なことだったのではないかと思うのです。ですが、同時代のフランス近代音楽や、その後のシェーンベルクやベルク、ウェーベルンなどによって、その画期性は陳腐化したのでしょう。それでもなお、生き残っているのは、特定の領域に受容されるそれ自体の美しさのようなものがあったり、あるいはその時代時代で新たなパースペクティブを持っていたからでしょう。

ですが、私には、まだその新たなパースペクティブのようなものがわからず、もしかすると(私の勝手な想像ではありますが)、教授の職を得ようと、唯ひたすらに作曲に没頭し、ヴェルデヴェーレ宮殿の庭師の小屋に住むブルックナーの姿と、それを取りまく、フランス革命後の自由の気風とそれに対する反動の戦いが見えてしまい、それがどういったアクチュアルな意味を持つのかというのがよくわからず、ただただ、美しいという感想しか思い浮かばないのです。私はこの曲をドイツ旅行からの帰路、夕刻のシベリアで沈みゆく太陽が雲海を金色に染める風景を見ながら聞いたことがあります。あの神々しい風景がおそらくはこの曲と結びついていて、何かイデアールなものを想起させてしまうわけです。

私はこの文章を書く前に、寂しさを覚える、とまで思いました。歴史の終わりにあって、この美しさはすでに失われたのではないか、という思いからです。ですが、それは間違っているとも思いました。ただ単に、それは経験に左右されるものであったり、極度に19世紀ロマン派の考え方に拘泥しているからに違いないのです。確かにこの曲の実在のようなものは今ここにあるわけで、それが「歴史の終わり」のようなものを何度も何度も通り抜けながらもここまで至っていて、時折この極東の国でも演奏会にかけられるような状態にあるということは、「歴史の終わり」に際しても、この曲に美しさや力がのこっているだけではなく、「歴史の終わり」は「終わり」ではなく、次の「歴史の終わり」への道程に過ぎないということなのでしょう。

この曲はおそらくはこの後もしばらくは美しいものを表出し続けるでしょう。ただ、文化文明というものが本当に儚いということも我々は知っています。良いという価値が相対的であることも知っています。昨今、イタリアでは文化予算を増やしているようです。その理由が何であるにせよ、彼らは重要性をわかっているということも改めて思いました。また、日本人の我々が、この曲を聴いているということに対する疑問もやはりなお残ることは言うまでもありません。