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双生児(上) (ハヤカワ文庫FT)
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双生児(下) (ハヤカワ文庫FT)
クリストファー・プリースト
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昨日取り上げた「双生児」を書いたクリストファー・プリーストを調べていくと「信頼できない語り手」という言葉にたどり着きました。

なんだか、フーコーの議論を思い出して、とても興味深かったのですね。

語られていることが、実は真実ではないということで、一人称小説や、精神疾患を患う語り手などが、一貫性のない非論理的で物語世界においても誤った言説を取る、というものと理解しました。

まあ、「双生児」においても、事故などが原因となって、一人称の語りが大きく揺らぐ場面が多々あるわけですが、これが「信頼できない語り手」ということになるわけでしょう。

私が最近思っている、文学における「ズレ」あるいは「不協和音」のような構造・言説が、この「信頼的ない語り手」ということになるのか、と思いました。

かつては、真実を語るべきテクストが、真実を語ることはない、という、古くて新しい出来事が現れている、ということなんだと思います。

これが、多分旧約聖書で出尽くしたと言われる類型的な物語を昇華する仕組みなんだと思います。

それは、まるで、オペラの演出のようなものに思えてなりません。知られたオペラの筋書きをスコアに基づいて読み替えるという営為は、おそらくはいかにも知られた「よくある筋書き」のようなものに、新たな意味を加えるということです。

まあ、少し話は戻りますが、主観というのは本当に何を思うのかわかりませんから、誰しもが信頼できない語り手とも言えるわけで、真実なんてものはどこにもない、という状況の中で、信頼できる語り手こそが、信頼できない、という状況に陥りそうです。

歴史も文学も、真実ではなく解釈ですから、なんてことを思います。かなり悲観的な見方ですけれど。

本当は、フーコーのことなど書いてみようと思いましたが、それはまたにします。

今日はそろそろ休みます。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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大晦日。

今年は、大変なこともありましたが、とはいえ、いろいろと充実した一年であったと言わざるをえません。詳しくはここには書けませんが、ともかく、これまでの10年とは違う状況へと移行した一年だったと言えるでしょう。いろいろ迷いもありましたが、自分のやるべきことが見え始めたという点においても画期的な一年でした。

ちなみに、少し穴は開いていますが、9月22日からは、ほとんど毎日更新を続けているつもりです。穴が空いたのは、4日ほどでしょうか。本業関連で都合がつかない日以外は、書いたつもりです。

何時ぞや書いたかもしれませんが、まずは量を充実させることであり、質は後からついていくる、というのをモットーに書き連ねてきましたが、結果としてどうだったのか、というのは神のみぞ知る、で私にはまだよくわかりません。ただ、いらっしゃってくださるみなさまは、10月以降これまでよりも多いという統計結果が出ておりまして、やはり書き続けることが重要なのだ、ということを改めて理解しました。

私の尊敬する辻邦生は「ピアニストが弾くように、文章を書け」と言っており、小説家になるとか、そういう気があるかないかはともかく、辻邦生の学徒(自称)で、文章を愛する一人の人間として、辻邦生のようにかけるように、日々意識を向けていた、ということは言えると思います。

まあ、うまくはいかないのですが。

とはいえ、一年を振り返ってみると、約32000回表示されたようで、特に、こちらの記事群が最もご覧いただけたようです。

辻邦生──西行花伝展 その1

辻邦生──西行花伝展 その2 自筆の日記を読んで

辻邦生──西行花伝展 その3 フォニイ論争を顧みながら

辻邦生──西行花伝展 その4 おわりに

また、こちらの記事もたくさん読んでいただいたようです。色々批判はありますが、2002年から13年間にわたって使ってきたiPodとiTunesのシステムが、Apple Musicという形で進化した今年は、やはり感慨深いもので、これからもより使いやすく、進化してくれることを願っているのですが、どうでしょうか。

iTunes Matchの制限曲数は10万曲になるのか?

さて、来年はどうなるでしょうか、というか、どうしたいか、ということなんですが、まあ、来年は「叩かれる」ぐらい頑張らないとね、ということなんだと思います。結局は、何かをやろうとする人というのは、少なからず批判を受けるわけで、私も今年はずいぶん仕事場で突き上げを食らったりしたものです。しかし、どんな人も、何かをやる時というものは、批判されるもので、批判されるぐらいでなければ、何をもなしえない、ということなんでしょうね、と思いました。打たれているうちが、出る杭も華なんだ、ということみたいです。

というわけで、みなさま良いお年をお迎えください。グーテナハトです。

Miscellaneous

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先だってなくなった伯父のことを、最近もずっと考えていました。この10年会えずじまいだったのは、最初の半分はこちらの問題ということもあったのですが、ついつい疎遠になって会うきっかけがつかぬままずるずると時が過ぎていき、この数年は伯父が体調を崩して会いに行けるような状態ではなかった、というのが実際のところです。

先日、NHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の後悔と反省の音楽の回で、ゴンザレス三上さんが、会うべき人に会えないという後悔についての話を、たまたまされていて、確かにね、と思いました。時機を逃すと何もできなくなるということで、それはそう思った時には既に手遅れなのだ、ということなんだろうなあ、と。

そうした手遅れを何度も何度も重ねるのが生きるということなのかもしれない、と思います。生きれば生きるほど、業を背負っていくということ。このことを二十歳ごろに気づいてしまったのですが、もしかすると早すぎたのかもしれません。業を背負う、なんて諦めてしまったから、こうなったのかも、などと。

伯父には、音楽も教えてもらったし、オーデイオの楽しさも教えてもらったわけですが、何より教わったのは、新しいものを柔軟に取り入れる、という気概だったと思います。それは、私の血や肉になっているはず。

それから、私の理想の生活こそ、定年後の伯父の生活だったんじゃないか、とも。海辺の町に住んで、夏は海で泳ぎ、冬もプールで泳ぐ。夕方早く夕食を食べて、早く寝て、朝は早く起きる。私が、会社帰りに毎日プールで泳いでいるのも、実のところ伯父の真似をしているのだ、ということに改めて気づいたのも、伯父の訃報を聞いてからでした。

それにしても、伯父と見た日本海に沈む夕日は忘れられないです。

これ以上辛くて書けないこともありますし、やろうと思っていることもありますが、今日はこのあたりで。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical,Miscellaneous

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今日も休ませていただきました。やはり色々と疲れていたようですが、よく寝て、ひと泳ぎしたら持ち直してきたようです。

写真は、ちょうど3年前に撮った払暁の写真です。朝焼けで、ウロコ雲とくれば、天気が崩れる前兆だということはその後知りました。この日以降天気が崩れたのを覚えています。

Apple Watchには、日の出日の入りの時間が表示されます。購入以来、日の出日の入りに対する感覚が鋭敏になりました。

今日気付いたのですが、日没時間が数日前よりも早まりました。確か、16時26分ぐらいまで早まっていたのですが、今日見てみると16時30分となっていて、ああ、やっと暗い夕方が明るくなり始めるのか、と胸をなでおろしたのです。

とはいえ、冬至は12月22日なので、少し早いなあ、と思い、いろいろと調べてみました。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2015/hdni13154.html

どうやら、東京地方の場合、12月14日の16時28分が最も早い日没時間で、その後少しずつ遅くなって言うようです。

一方、日の出の方は、まだまだ遅くなります。12月14日は6時42分ですが、一番遅いのは1月13日の6時51分のようです。

当時の定義は、日中の時間が一番短い、ということのようですので・12月22日の6時47分の日の出、16時32分の日の入り。つまり、9時間45分というのが最も短い日中時間ということになるみたいです。

こういう常識のようでいて知らないことを、AppleWatchが気づかせてくれた感じです。

そういえば、小学2年生の夏休みの自由研究は、日の出日の入りの時間を毎日新聞を読んで記録しグラフ化する、というものでした。母親に「自由研究は毎日やるものにせよ」と厳命を受けた結果です。ですが、毎日やるのは意外と辛いのですね。。日の出日の入り、という言葉は、私にとってある種の苦味のようなものを感じさせるものです。

それにしても、今日も17時半に家を出て泳ぎに行ったのですが、夏のあの頃はまだまだ暑い盛りだったわけで、全く不思議なものです。当たり前ではあるのですが、同じ時間だということが信じられません。季節、場所で、こんなにもかわるということは、公転のスケールの大きさということもあるでしょうし、地軸の傾きがなせる不思議のようなものでもあり、本当に興味深いです。

辻邦生は、日没を見にご自宅のマンションの屋上に上がられたそうですが、住民の方に、変わり者だと思われていたそうです。高輪のマンションから見る日没はさぞかし壮麗なものだと思うのですが、そういう感性も辻邦生に教わったのかもしれません。あるいは元からそうだったのかもしれないです。あの自由研究のおかげかも。

日没といえば、小学生の頃に住んでいた武蔵野からだと、ちょうど富士山に太陽が沈む時期があり、みんなでそれを眺めた記憶があります。実は、今日、その太陽が富士山に沈むダイヤモンド富士が見られる日だったようなのですが、私が写真を撮ろうとしたところからは残念ながら見えませんでした。

今日はこちら。

チャイコフスキー:交響曲第5番/地方長官
シカゴ交響楽団
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アバドのチャイコフスキー交響曲第5番。アバドの演奏というのは、本当にたおやかですね。絶妙なボリュームコントロールは甘すぎない生クリームのような微細な気遣いがあります。今日のNHK=FMの「きらクラ」で流れたベートーヴェン《運命》もやはりアバドでしたが、その時にも感じたことです。

それでは、お休みなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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昨夜から東京はずいぶんと寒くなって、いよいよ冬もクライマックスに向けて動き始めた感じです。

昼間は、晴れ渡っていて、いつまでも日差しを浴びていたい感じ。でも、すぐに仕事場に戻らないといけないというところ。昔から、日差しが好きで、仕事場のブラインドを開けてしまうのですが、いつも顰蹙を買っています。

夕方、仕事場から、沈む夕日を眺めましたが、これが仕事場以外の別の街で見られればきっといいのになあ、と思いました。前にも書きましたが、これがドイツかスウェーデンだったらもっと感動するのに、なんて思ったり。逃避。

今日はこちら。Apple Musicのプレイリストから、「スムース・ジャズ:ヴォーカリストが素晴らしい曲」というもの。

スクリーンショット 2015-12-19 00.32.18

なんだか、こういう形でキュレーションしてくれるのはありがたいですね。

特に、冒頭のアル・ジャロウは素敵ですね。1983年のアルバム「Jarreau」からで、音作りが黄金の80年代サウンドで素敵です。

それから、アニタ・ベイカーもいいっすね。深いアルトの声。音作りももちろん80年代。

週末は天気が良いようです。今週末は、家の仕事がたくさん。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

悲しみは人を強くするのでしょうけれど、そうは言っても、辛いものはありますね。

人は生きれば生きるほど悔恨を抱えるものです。それが、大人になるということなんだなあ、と思ったのが、ちょうど大学生の頃だったように思います。が、それでもなお、悔恨を作り続けるのはなぜかか、ということなんでしょうね。

今日もがっつりと仕事をしましたが、折に触れて、物思いにふけってしまったり。あるいは、仕事場の窓から見えた壮絶な夕陽を見て、この夕陽をかつて別の場所で見たものだ、ということを思い出し、別の場所でも同じ方角に夕陽は沈むのだ、ということに気づいて、仕事場の窓から見える風景の奥に、あの時のあの場所の夕陽を重ね合わせて見たり。

結局は、生きるということは記憶を重ねていくことに他ならないわけで、記憶こそが人生だったりするわけですが、ということは、記憶こそが真実とならないでしょうか、という、かなり経験論的なことさえ考えてしまうわけです。逆に言うと、現在経験できないことであっても、かつて経験した記憶がしっかり残っていれば、それでもう事足りる、ということも言えるのではないか、と思うわけです。

記憶こそが全て。

だから、あの時の記憶さえあれば、良い、ともいえるわけです。私が学生時代に住んだ学生寮は、先日出かけてみると、マンションに建て替わっていましたが、結局のところ、今自分の記憶の中で、綿密に再現できるわけですから、私にとっては、まだ、今そこにある、ということさえ言えるのではないか、と思います。

記憶は、記憶の中で、もう一度生きることすらできるもの。ということは、あの時の記憶があれば、良いわけです。たとえ、誰かに会えなくとも、会った時の記憶さえあれば、何度でも語り合うことができるのだ。なんてことを思っています。

で、今日もやはりこちら。

二楽章のしんみりくる感じは、やはり今の気分にぴったりです。しかし、よくこんな曲作ったなあ、と感心することしきりです。

Poeme De L'Extase / Piano Concerto / Promethee
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では、おやすみなさい。グーテナハト。

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今日も、シュトラウスのヴァイオリン・ソナタを聴いています。20代前半で、よくもここまで豪奢な音をかけるものだ、と思います。
ですが、やっぱりシュトラウスの若さのようなものも感じます。まるで、奔放なオクタヴィアンが書いているような、そんな感じも受けています。

才能というものは、厳然としてあるんですが、特に音楽においてはなおさらです。いつも思うのですが、ヴァイオリンのソリストを前にして弾くオケのヴァイオリンのメンバーの気持ちというものはどういうものなのか、と思います。おそらくは、才能というものをきちんと熟知しているのだと思います。おそらくは、オケにいるということ自体で、才能を持っておられるのでしょうけれど、その才能の閾値のようなものも理解されているのでしょうか、などということをよく考えます。

努力だけでは抗えない世界というものがありますし、才能と努力があっても運がなければ、ということもあります。

数年前のバークリー音楽院を卒業したギタリストとの会話を思い出します。彼が言うには、才能とは、おそらくは、前世からの積み重ねなのだ、ということでした。彼は、ブラインドを操作するビーズ上の紐を、まるで僧侶が読経する時のように一つ一つ指で数えながら、人間の人生というものは一つ一つのビーズのように連なっているものだ、というのでした。モーツァルトが、たった一回の人生であそこまでできるわけがない、とも言っていました。

結局は、才能とか自分のできることというのは、自分の努力だけでなしえたものではなく、前世から得たものなのか、あるいは、天から与えら れたものなのか、というところにすぎない、ということなんでしょう。別に、それらは自分とは全く関係ないもの、なんだと思います。

そう思うと、あらゆるものが、自然に思えるようになるのかもしれません。もっとも、この考え方は、才能というものを自覚している向きにはいいのですが、まだ自分の才能トイいうものを見つけられていない人には難しい考え方になるのかもしれなです。

結局は自分探しなんですが、まあ自分を探す前に、なんでもやってみよう、ということなんだと思います。スピードとピヴォットです。

で、見つけた才能はきちんと責任を持って面倒を見てあげないといけないということなんだとも思います。

いつも同じようなことを書いていますが、この曲を聴いたり、才能ある音楽家の方のことを読んだり聞いたりして、改めてそう思いました。

今日は、そのシュトラウスのソナタを、この天才二人の演奏で。絢爛です。

フォーレ&シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ
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風邪をひきかけていて、喉が痛かったのですが、泳いだら治りました。あるいは治ったような気がしています。体を動かすと、血流が良くなって、耐性が強められるのではないか、なんてことを勝手に思っています。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Apple Watchを使い始めて半年以上が経ちました。いろいろと変わったことがありますが、一番変わったことは、1日の長さを実感している、ということだと思います。
Apple Watchには、日の出と日の入りを感じさせる幾つかの仕組みがあります。一つは、そのままですが、日の出日の入りを知らせてくれるもの。これは特に言うまでもない機能です。以下の画面ですと、右上に日の出と日の入りの時刻が表示されています。
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ただ、私は、これを見て、改めて、東京地方の場合、冬の太陽が16時半には沈んでしまう、ということを認識しました。これ、感覚的には早すぎ、という気がしてしまいます。

また、こちらの文字盤ですと、地平線と太陽の位置関係が分かります。1日の長さが実感できるのです。

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デジタルな機器でありながらも、こうした自然の感覚を分からせようとする仕組みは、とても面白いなあ、と思います。Apple製品のこういうセンスが好きだなあ、と思います。

今日で一つ仕事を終えました。来週からまた別の仕事に没頭する予定です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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夏休みも終わり、明日からはまた日常が戻ってきます。
普段はいけないところにいろいろいけましたので、いい休みでした。

今日は、こちらも少しお休みです。

おやすみなさい。

Miscellaneous,Richard Wagner

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いや、ほんとうにすいません。夏休みシリーズということで、普段行けないところに行っているのですが、今日は関東某所のIKEAに行ってきました。

2年ほど前にも行ったことがありますので、今日が2回目。

で、建物の中に入ったとたんに妙な感動が。

えーっと、ドイツの空港の匂いがするのですね。これ、なんですかね。ドイツっぽい匂い。むんむんくる、ドイツの匂い。

この匂い、べつにビールの匂いでもなく、ザワークラフトの匂いでもなく、塗料とか接着剤とか、そういう化学的な匂いなのです。

それだけで、もうテンションが最高潮に沸騰してしまいました。

レストランでもハイテンション。なんだか、ドイツの美術館とか、大学のメンザの雰囲気がさく裂していて、無駄にたくさん注文してしまいました。でも2年前に行ったときに比べて、食事の値段は上がったような気が。円安ですから仕方ないのかなあ、と思っています。

売っている品も、なかなかおもしろくて、美術館を見ているようでした。ちなみに、いつものように、家族はどんどん先に行ってしまい、私だけじっくり見る、というパターン。これも、美術館に行った時と同じパターン。

しかしなあ、IKEAは商売がうまいですよ。順路が固定されていて、その順に歩いていくと、購買意欲がどんどんそそられていくのですから。最初に、部屋のコーディネート例をいくつも見せられるのですが、これが本当におしゃれで、狭い空間を本当にうまく使って、しゃれたコーディネートができますよ、というプレゼンテーションになっているわけです。その後、そこに使われていた製品順路上に何度も何度も登場します。フロアもまさに美術館のように順路で構成されていて、IKEAの意図通りの順番で商品を見て回るということになるわけです。

(ちなみに、抜け道がいくつかあるので、それがわかるとなお面白いのですが。)

先ほども言ったように、順路に従って歩いていくと、いろいろな商品が繰り返し登場するのですが、子供向けのぬいぐるみなどは、アクセントのように随所に現れ、子連れ客はその都度その都度対処が大変そうでした。全然関係のない売り場に突然ぬいぐるみが売っているコーナーが出てきますので、サブリミナルのように、何度も何度も子供に刷り込まれるという感じ。食器売り場のぬいぐるみにご執心になってしまった子供に困ったお母さんの独り言がみみにはいってきたのですが、「ここで売っているわけじゃないのかな、あ、でもバーコードついてるから、買っても大丈夫そうだね」なんてことを言ってました。

極めつけは、展示フロアの2階から、倉庫のある1階へ降りたとき。そこにも、なぜか子供向けのおままごと道具がディスプレイされていて、「あれ、買い忘れてません?」というIKEAのメッセージを感じたりしました。

この繰り返し繰り返し現れるというのは、まるでワーグナーのライトモティーフのよう、なんて。いやいや、欧州人はそういう構築美には長けていますから、共通するものがあったりして。

でも、ホスピタリティは十二分だと思います。素晴らしいなあ、とおもいました。やはり、二度来てもらうためには、お客を楽しまさなければなりませんし、失礼があってもよくないわけで、そういう意図はいろいろと感じて、さすが!、と思いました。

というわけで、北欧にちなんだ楽曲を。といっても、ワーグナー。

Wagner: Tristan und Isolde (3 CDs)
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スウェーデンの生んだ名歌手、ビルギット・ニルソンによる≪トリスタンとイゾルデ≫。まったく化け物のような楽曲なんですが。今日は、そこから最後の愛の死を聞いています。やっぱり、巧いのですが、なにか醒めた冷静さのようなものも感じたり。ベームもベームらしい雄大なもの。古き良き欧州って感じです。

それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。