2011/2012シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

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はじめに

引っ越してから2ヶ月が経ちました。通勤にも慣れましたし、ようやく部屋も落ち着いてきたところです。また元のように書き始めないと。私の目標は、ピアニストがピアノを弾くように文章を書こう、と言うものだったのですが、最近日和っておりますゆえ、ここらでもう一度奮起が必要。
さて、前回に続き新国立劇場「サロメ」のご報告です。

新国「サロメ」演出について

さて、演出の方は、エファーディング氏によるもので、私が2003年にはじめて来たときと同じです。
あの、7つのベールの踊り、のところが、記憶違いかもしれません。あんなに際どいところまで歌手は脱いだでしょうか? 最後はほとんど何も身につけておらず、だいぶ心配になりました。さりとて、オペラグラスで覗くわけにも行かず…。
今回気づいたのは、前半部分においては、サロメが天幕の中で踊っていて、シルエットだけが浮かび上がってくるのですが、あそこは他のダンサーが踊っていると思われます。衣装替えに時間がかかるからだと思われます。
前回2008年も気づいたのですが、ヨカナーンが実に人間的に描かれてれていました。サロメの甘い言葉に心と動いているのですが、それを否定するように、サロメをバビロンの娘とか、ソドムの娘などと呼びます。あれは、おそらくサロメを否定すると同時にヨハナーン自身の人間的弱さへの否定なんだなあ、と考えました。

歌手の方々

サロメのエリカ・ズンネカルド、やはりこういう方がサロメを歌わなければ。華奢な体でよくもここまで均一な声を出し続けられるのでしょうか。最終部では、さすがに疲れが見えましたが、最後まで張りのある声で、強靱に歌い続けていたと思います。
ヨカナーンを歌ったジョン・ヴェーグナー氏。この方は、2008年の公演でもヨカナーンを歌っておられましたが、あの時も鋭角な声に感動したのでした。今回もやはりすごかったです。波打ち震える銀箔のような声です。サロメの誘惑に心を乱されながらもひたすらに強く拒絶する姿は、ヨカナーンが乗り移っていたかのようです。
ナラボートを歌われた望月哲也氏。実は氏の歌うシュトラウスを今年の初夏に府中市交響楽団定期演奏会で聞いておりました。あのとき、えらくうまくてピッチのいい方だなあ、だなあと感動したのでした。今回もピッチは勿論声の質も充実しているように思いました。今後も愉しみです。
ヘロディアスを歌ったのは、ハンナ・シュヴァルツでした。先日も少し書きましたが、ベルリンフィル・ディジタルコンサートホールで見ることのできる演奏会形式のサロメでもヘロディアスを歌っていましたが、今回のパフォーマンスの中で突出した存在感でした。

ちなみに

今回の新国のパンフレットではヨハナーンと表記されていますが、ヨカナーンと表記されることもあります。で、パンフレットの綴りはJohanaanと書いてあります。9ページのヴェーグナー氏の紹介部分ですが。この綴りだと、ヨハナーンとか発音できない。私がこれまで「ヨカナーン」と書いてきたのは、大いなる勘違いであったのか、としばし疑ったのです。
ところが、私の持っているDover社のスコアではJochanaanと書いてあります。この綴りなら、ヨカナーンと発音してもOKです。
というわけで、私には、ヨカナーンのほうがしっくり来ますので、ここではヨカナーンと書いておきます。

最後に

今回もシュトラウスサウンドを満喫しました。さすがに落涙するようなオペラではなかったのですが、やはり私はシュトラウスが大好きなのでした。理由は何かなあ、と考えてみると、やはり和声なのでしょう。調性と無調の狭間を行ったり来たりしたり、不協和音であったり、旋律がテンションにヒットしたりするたびにゾクゾクしてきます。
それが、先日聞いたヴェルディのオペラと決定的に違うことだと思われます。
そう思うと、自分のジャズフレーズのついての問題点がわかったりするのでした。
このあたりはまた今度。
それでは。

2011/2012シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Strauss

新国立劇場で「サロメ」を聞いてきました。時を忘れた100分でした。まったく、天才たちが集まると、こうも素晴らしいことになっちゃうのですね。
今日は、指揮者のヴァイケルト氏のことを。長くなってしまいました。それほど面白かったのです。
演奏の開始は、いつもと少し違いました。
場内が暗くなり、明るくなったとたんに音楽が始まりました。いつもなら指揮者の登場を拍手で迎えてスタートなので、かたすかしをくらった気分でした。もちろん、以前にもこう言うことはありましたが、今日はなぜか違和感があったのです。
どうしてなのか、考えて見たのですが、どうやらそれは指揮者のラルフ・ヴァイケルト氏の姿をみたかったから、と言うことだったようです。
今回の公演は本当ならば芸術監督の尾高さんが振るはずだつたのですが、キャンセルとなり、急遽の代役だったのです。新国立劇場のウェブサイトでリハーサルの状況が紹介されていましたが、オケの心を一瞬でつかんだとのことで、どんな方なのか興味深かったのです。
最初はどうにも大人しい感じのサウンドで、何か音がくぐもっているような印象でした。どうしてそこでもっと鳴らしてくれないのか、というもどかしさのようなものがありました。
その理由の一つは、おそらくは私が座っていたのは二階席四列目だったので、響きが今ひとつのではあった、ということにあるでしょう。
それだけが原因なのか、と断じる気にもなれず、しばらく棒の振り方をみていたのですが、実に抑制された枯淡の境地のような振り方でした。
私が思い出したのは、10年ほど前に見たサヴァリッシュの指揮でした。最小限の棒の動きでN響を操っていた姿は名人そのものでした。ヴァイケルト氏の指揮の振り方はあのときと同じように、あるいは、他の老巨匠の姿と同じものだったのです。
そうした抑制美を聞き取る方向に考えが向かってからは、徐々に演奏になじむことができるようになりました。
テンポ感は、どちらかというと淡々としたもので、大げさにテンポを動かしたりしません。また音量も大げさにならず、抑制されたダイナミクスですが、それがまた絶妙なのです。ペーター・シュナイダーのそれより抑制されていると思います。ゲネラル・パウゼもそんなに引っ張らない感じです。シノポリよりも抑制されていたかと。しかし、それがとても良かった。媚びることのない美意識、声高に叫ばない主張、そういう感じです。
オケの音がいつもと全く違う響きだったのが驚きでした。私の印象では、弦の響きに透明感が加わっていて、実によくまとまったきめ細かい響きだったのです。この響きは、私にはペーター・シュナイダーのそれとよく似ていると思いました。
次第に、ラルフ・ヴァイケルト氏の語法がわかってきた感じで、最終幕に向かうにつれ徐々に演奏に心がフィットしていくのを感じました。私の感情も、最終部に向かうにつれ高まってきたようで、最終部、サロメの独唱の部分の昂揚感は凄まじいものがありました。指揮棒はそんなに大仰なものではないのですが、オケがちゃんとなっているのですね。
今日のオケは東京フィルハーモニー交響楽団でしたので、前々週に行ってきたトロヴァトーレと同じです。トロヴァトーレのときは、オケの縦線が全く合わない部分があり、歯がゆさも感じたのですが、今日の東フィルは何か違っていました。先ほど触れた弦楽器の緻密さもそうでしたが、縦線がかみ合っているのを感じたのです。いつもはそろわないこともある金管も今日はそろっていたように思います。なにか、マエストロの静かな気迫にこたえているかのようでした。
やはり、リーダーたるもの、メンバーを自主的に従わせるようでないとダメなのですね。首根っこを捕まえるのとは別の方法論がそこにはあるのではないか、と。あ、これは今日の演奏を聴いたからというより、今日の演奏を聴いて思いだした教訓です。
明日は演出や歌手の方々のことを書きます。

2011/2012シーズン

すっかり秋めいてきましたが、皆様お元気でしょうか?
私の方は社命の試験が終わり、日々の仕事にくわえて、これも社命にて行っているお勉強に精を出さねばならないという今日この頃です。
そんな中でも、音楽聴いております。本当はEWIやSAXの練習をしたいところですが。今週末はきっと練習できるでしょう。
さて、オペラの法は、最近ですとシュトラウスの「サロメ」を聴いています。2009年2月にネトレプコの同窓生であるウシャコワの妖艶なサロメを見ましたが、サロメ再演が早くも新国立劇場に、というところですね。
その予習ということで。ベルリンフィルのディジタル・コンサートホールとカラヤン盤をよく聴いています。
ベルリンフィルのオンデマンドでは、ラトル指揮による演奏会形式の「サロメ」を観ることが出来るんですが、これが本当に素晴らしい。特にサロメを歌うエミリー・マギー。この方は、2010年5月の新国立劇場「影のない女」で皇后を歌われた方です。あのときもすごくパワフルな皇后で、さすがにバラクの妻を歌ったステファニー・フリーデにすこし食われた感じもありましたが、私的には本当に印象深い皇后だったのです。
エミリー・マギーは、新国ではただお美しい方だなあ、という印象があったのですが、ベルリンフィルの映像で見ると、美しい方というわけではなく、その後ろに燃えさかるものがあって、これはいわゆるブリュンヒルデ的なすごみというべきものなのでしょう。フレミングやデセイにはない凄みとでもいいましょうか。テオリン姐さんとまではいきませんが(テオリン姐さんは別格だと思う)、烈女的な魅力を兼ね備えているんですね。
 サロメの聞き所って、色々あると思うのですが、私が一つ楽しみにしているのは、ユダヤ人の博士達が、すごい六重奏を聴かせるところ。あそこはいつ聴いてもすごいと思います。これは、カプリッチョの後半に登場する六重奏的なスリリングさです。今回の新国においても期待できます。今週末、たのしみ。

Opera

もうすぐ8月ですが、夏の音楽祭シーズンにむけてまっしぐらです。
本シーズンが終わって気が抜けていたところに遅ればせながらニュースをキャッチ。
っていうか、これは6月28日に発表されていたのですね。周回遅れ100周。
今年も、バイロイト生中継ありますね!!!!

■8月14日(日)22:15~[特別編成]
<生中継> バイロイト音楽祭2011から 歌劇「ローエングリン」(ワーグナー)
 
《出演予定》
クラウス・フロリアン・フォークト、アネッテ・ダッシュ、ほか
《指揮》
アンドリス・ネルソンス
《演出》
ハンス・ノイエンフェルツ
**生 中 継**: 2011年8月14日 バイロイト祝祭劇場から衛星生中継

あやうく、ネット中継代として14.90ユーロ払うところでした(ウソ)。
ネルソンスのローエングリンは、今年の4月の東京春音楽祭が幻となりましたから、いよいよ映像で見ることができます。今年はブルーレイを導入していますので、録画もできちゃう。
そして、なんと、もう一つ。
ティーレマンの「影のない女」!!!!
まじっすか。

■8月13日(土)23:30~
<速報> ザルツブルク音楽祭2011から 歌劇「影のない女」(リヒャルト・シュトラウス)
《出演予定》
ステファン・グールド、ウォルフガング・コッホ、エヴェリン・ヘルリツィウス、ほか
《指揮》
クリスティアン・ティーレマン
《演出》
クリストフ・ロイ
収録: 2011年7月-8月 祝祭大劇場(ザルツブルク)

これ、ちゃんとやってくれるんですかね。
ステファン・グールドは、新国の「トリスタンとイゾルデ」で聴きました。あの、金色の円柱の幻をみた公演。
すごく楽しみです。
それから、これ。

■8月27日(土)23:30~
<速報> ルツェルン音楽祭2011から クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会
《曲目》
交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」 (モーツァルト)、
交響曲 第5番 変ロ長調(ブルックナー)
《指揮》
クラウディオ・アバド
収録: 2011年8月18,19, 20日 ルツェルン文化会議センター コンサートホール

マーラーの次はブルックナー。しかも5番ですから。愉しみ。

■8月20日(土)23:30~
<速報> ヴェルビエ音楽祭2011から 「スペシャル・イヴニング・ガラ」&「ライジング・ピアノ・スター」
《出演予定》
ジョシュア・ベル、イヴリー・ギトリス、レオニダス・カヴァコス、
ギドン・クレーメル、アンネ・ゾフィー・ムター、ヴァディム・レーピン(以上、バイオリン)
ユーリ・バシュメット(ビオラ)
ゴーティエ・カプソン、ミーシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ、エフゲーニ・キーシン、カティア・ブニアティシヴィリ(ピアノ)
収録: 2011年7月18-26日 サル・デ・コンバン(ヴェルビエ)

ライジング★スターに見えてしまった。。。

NNTT:新国立劇場

今週の日曜日、やっと時間が取れましたので、新国立劇場の収支計画を色々と確認してみました。

おさらい

昨年の三月と六月にも同じように分析を進めていました。これは昨年流行った事業仕分けがどのように新国立劇場に影響をしているのか調べるためでした。
“昨年の記事":https://museum.projectmnh.com/2010/06/06200553.php
当初事業仕分けでは、新国立劇場の予算を圧倒的に縮減するとしていました。大変心配していた平成22年度の予算においては、圧倒的とまで行きませんが、5億円近く縮減されました。本年(平成23年度)においてはどのようなトレンドになっているのか、大変気になるところです。

この四年間の予算額推移について

以下の表が平成20年度からの予算額推移です。注意をしなければならないのは、決算額ではないと言うこと。平成22年度以降は、新国立劇場のウェブにおいては予算のみの開示となっているためです。


こうしてみてみると、平成20年から徐々に削減されているのが分かります。
留意点としては、この収支予算は「特別会計」のものであるということです。昨年の調査が、新国立劇場への国からの「委託費」がどのように変化しているのかを調べるのが目的だったためです。
実は、これとは別に「一般会計」というものもあります。こちらでは興味深い事実があるのです。
続きます!

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

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はじめに

もう昨日のことになりました。
新国立劇場「蝶々夫人」。
このプロダクションを見るのは、2005年、2007年、2009年と二年おきで、今回が四回目です。すこしばかり、同じものを見過ぎているのかもしれません。逆に、だからこそいろいろ思うところがあるのかも。

秀逸な演出!

しかしながら、いつもながら驚くのは、最後の蝶々夫人自害の場面です。あそこで、セットがスーッと奥へ引っ込むのですね。蝶々夫人が死ぬ間際、気が遠くなり意識を失うのが視覚的に表現されているのです。照明も最高明度にあがります。そうか、ここをもっとも重要視しているんだな、というところ。
h3. 指揮者のイヴ・アベル
今回の公演では、イヴ・アベルの指揮が良かったと思います。この最後の場面でも相でしたが、金管、特にトランペットの輝きがいつもにも増して感じられました。
鋭利な刃物のようにグサリグサリと刺されるような鋭い響きで、その都度、どきりとしたのですが、最後の場面は、なんだか本当に自分の胸に刃が突き刺さったかと思うぐらいで、衝撃的でした。
全体のサウンドの印象は鮮烈さ、と言うところだと考えます。素晴らしかった。

歌唱陣

蝶々夫人を歌ったグリャコヴァ。声めちゃいい! ただ、少し歌が不安定なのが少し。。。
シャープレスの甲斐 栄次郎さん、すごく良かったです! 日本人離れした深いバリトンは、もっとも役柄にはまっていました。安定しているし。ウィーンで張っていることだけでも凄いというのに。
私の記憶では、2003年にウィーンで甲斐さんがシュレミールを歌っていたはず(当時の資料、探したが出てこない…)。幸いなことに、私はウィーンで実演を聴いています。信じられない話。マイバブルな時。

過去の公演の思い出

四回の公演で言うと、やはり2007年が忘れられません。若杉さんがタクトをとられた公演でしたが、あのときは、プッチーニのオーケストレーションが体に染み渡る感覚で、対旋律が現れるたびに感動して涙が止まらなかったのを覚えています。operaを観て感涙する快感はあのときの公演ではじめて覚えたものです。ジャコミーニのピンカートンも素晴らしかったなあ。
* “2009年の記事":https://museum.projectmnh.com/2009/01/19231915.php
* “2007年の感想その1":https://museum.projectmnh.com/2007/03/31205000.php
* “2007年の感想その2":https://museum.projectmnh.com/2007/04/01232825.php
* “2005年の感想":http://ms.projectmnh.com/2005/07/12232552.html
これで、私の2010年/2011年シーズンは終わりました。
次は、ウェブラジオで夏の音楽祭をウォッチしないと!

NNTT:新国立劇場,Opera

開場記念公演から、2010/2011シーズンまでの演目一覧を作っています。本公演に加えて、高校生向け、子供向け、小劇場、コンサートオペラ、ガラ公演など、可能な限りデータ化しているところです。

その中で栄えある公演演目第一位は? 

もちろん蝶々夫人です。
本公演以外も含めると通算で15回公演されています。日本が舞台のオペラだけに新国立劇場のアイデンティティ的な位置づけとも言えるでしょうか。
制作は二回で、初代は栗山昌良氏による演出で1998年4月の公演がプレミエです。第二代は栗山民也氏による演出で2005年6月がプレミエです。
最初の演出は、開場以来3年連続で毎年2回公演があり、第二代演出からは、隔年で本公演で取り上げられています。本公演以外にも高校生のための公演や、オペラ鑑賞入門などでも取り上げられていますね。

個人的な思い出

個人的には、2005年、2007年、2009年と隔年で観に行っています。最もすごかったのは2007年の公演で、指揮は若杉前芸術監督、ピンカートンはジュゼッペ・ジャコミーニ氏でした。オペラでボロボロ泣いたのはこのときの公演が最初でした。あのときは、パフォーマンスの向こう側に広く深く広がる西欧音楽の歴史を垣間見た気がしたのを覚えています。そのとき私が書いたアンケートの感想は新国のウェブに載りました。

蝶々夫人上演の歴史

本公演 7
1998/1999シーズン 1
1999/2000シーズン 1
2000/2001シーズン 1
2004/2005シーズン 1
2006/2007シーズン 1
2008/2009シーズン 1
2010/2011シーズン 1
オペラ鑑賞教室 3
1998/1999シーズン 1
1999/2000シーズン 1
2000/2001シーズン 1
高校生のためのオペラ鑑賞教室 5
2004/2005シーズン 1
2006/2007シーズン 1
2008/2009シーズン 1
2009/2010シーズン 1
2010/2011シーズン 1
総計 15

今シーズン最後はやっぱり「蝶々夫人」

ご存じの通り、蝶々夫人は2010/2011シーズンの最後の演目です。初日は昨日でした。例によって感想は観ないようにしています。私はこの週末に出かける予定です。今回のパフォーマンスには本当に期待しています。
下のリンク先には、リハーサルで歌う、蝶々夫人のオルガ・グリャコヴァの声が。メチャすごい!
“http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001511.html":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001511.html
※データには万全を期していますが、万一誤りがありましたらコメント等でご指摘ください。

NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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本日も演出のこと。あまりに楽しく興味深いことがあります。もう一度観に行きたいぐらいなのですが、さすがに時間が。。。残念すぎる。

最高! 池のシーン

第一幕ではピクニック場だったところは、第二幕になると、池に早変わりしていました。その池の周りで、デスピーナ、フィオルディリージ、ドラベッラが話をしているんですが、脈絡なく、フィオルディリージ、ドラベッラが池の中に入るのです。池は浅くて、膝下ぐらいの深さ。池は本当に水が張ってあって、水音が聞こえるぐらいです。で、そこにパンクロッカー調のグリエルモとフェルランドがやってきて、そこで、いきなり服を脱ぎ始める。マジですか! 
ほとんどストリップ状態で、劇場内からもクスクスという笑い声が聞こえます。で水泳パンツ状態な二人は池の中に入って、フィオルディリージとドラベッラに色目を使いながら、水を掛け合って、ついには池の中に身を横たえて寝そべったりする。あそこはほんとに面白かった。すごく意味のあるシーンで、無理して目を引こうという男二人の一生懸命さがよく分かります。

賭は成立するのか?

最近日本ではやっている八百長ですが、欧州人は八百長はしないのでしょうか。グリエルモもフェルランドも、何故に、アルフォンソの言うがままになっているんでしょうか。八百長すれば賭には勝てるはずなのに。
先日のオペラトークでも、アルフォンソの掌の上で若者達が動いているに過ぎないのだ、という話がミキエレット氏自身から語られました
そこで気がついたのはアルフォンソの奇妙な仕草。
今回の演出では、若者四人をアルフォンソがコントロールしているかのようなそぶりを見せます。私が気づいたのは二カ所でした。最後の結婚式の場面で、若者達四人をアルフォンソが座らせようとするところ。肩に手を置いているように見えましたが、よく見ると、手は肩に触れておらず、まるで魔術のように四人操って、を座らせようとしていました。グリエルモはだけはなかなか言うことを聴かない感じでしたけれど。
アルフォンソの魔術のようなものに操られているから、八百長をせずに、グリエルモもフェルランドも諾々と演技をしつづけたということなのかな、と。
ここは私ももう少し考えてみないと。

ふくろう

第二幕、夜になると、キャンピングカーの上にフクロウがとまっていましたね。あれはかわいい。何か意味があるはずなんだけれど、分からない。。。おそらくは文化史的な意味合いがあるはず。ミネルヴァのフクロウ? フクロウは知識の源泉であったり、理性や哲学を象徴するものでもあった、ということか? オリジナルの「コジ・ファン・トゥッテ」の最後は唐突な理性賛美に終わるということもあるから? などなど。

サッカー

やっぱり、ヨーロッパを理解するためにはサッカーが大切なのでしょう。キャンピングカー前のテーブルに置かれていたポータブルテレビに映っていたのはサッカーの試合でした。私もサッカーの勉強をするのが今年の目標。がんばります。

音楽面

音楽面のことなのか不明ですが、公演中日だった6月5日は、他の人比べて今ひとつな部分があったようです。確かに、ピッチの狂いや、オケと間合いが巧く取れていなかったり、という部分は少し感じました。
それから、あまりに演出が楽しくて、音楽まで気が回らない瞬間が何カ所かあったかもしれません。。。だから、語るのが難しいのかもしれません。
ともかく女声陣3人が素晴らしい。まずは、ダニエラ・ピーニのドラベッラ。リッチな低音域に支えられた太く豊かな声で、芯もしっかりとした安心の歌声でした。第一幕の独唱はすごかったです。この方のオクタヴィアンを聴いてみたいです。おそらくはレパートリ違いと思いますけれど。
あとは、フィオルディリージのマリア・ルイジア。ボルシも良かったです。前半、ピッチが乱れる場面があったものの、第二幕の聴かせどころでは外すことなく聴かせてくれました。この方のヴィオレッタはすごそうです。
デスピーナのタリア・オールも良かったですよ。私はこういう役どころを歌われる方が大好きです。
ちょっと意外だったのは、最後に公証人に変装した場面で声色を変えなかったところ。あそこは、面白いことをやってくれるんじゃないか、と期待していたのですが、普通に歌っておられました。

最後に

というわけで、楽しかったコジ・ファン・トゥッテについてはここまで。本当に素晴らしい公演でしたし、それに関連したオペラトークと、舞台美術講演会などがあって、この一ヶ月間はコジ・ファン・トゥッテを十全に楽しめました。新国の企画に本当に感謝します。ありがとうございます!
あとは、他の方々の感想も気になります。これから探してみようと思います。
次は、今週末にせまった「蝶々夫人」の予習をしないと。

参考 これまでの関連記事

新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その1
新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その2
新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その3
【短信】「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術に行ってきました!
新国立劇場のリハーサル室に潜入!── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その1──
登壇された方々── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その2──
もう一度、コジの演出と舞台について── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その3──
コジの制作の舞台裏── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その4──
大道具小道具そしてQA── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その5──
「コジ・ファン・トゥッテ」のチケットはこちらから。11日が最終日です → チケットぴあ
舞台写真 は “こちら":http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000154_frecord.html

NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart


先日舞台美術の観点でしたが、解釈面も書いてみないと。

最初の読み替え─グラビアを見る二人

まずは最初からして面白かったです。フィオルディリージとドラベッラが、お互いの恋人の写真を見て嘆息するシーンは、雑誌のグラビアをみてイケメンモデルの品定めをしているシーンに置き換えられています。この読み替え、二人のその後の成り行きへの複線ということになりましょうか。最初から変化球を投げられて、ワクワクしました。

徴兵のシーン

あとは、戦争へ行く部分の演出も素晴らしいです。。先日も少し書きましたが、ヨーロッパの場合、兵役がありますので、日本人よりも軍隊との間合いは違うのではないかと思っています。かなり古い話になりますが、辻邦生の作品の中に「洪水の終わり」という話があります。その中で、大学の夏期セミナーに参加したフランス人の学生が、アルジェリア戦争に徴兵されるシーンがあって、そのことを思い出したり。あとは、以前スイスに行ったとき、軍用列車を観たときのことも。普通の駅に兵士が乗った列車が停車していたんですが、あのときは現代日本では絶対に観られない風景だっただけに、驚いたのを覚えています。
脱線しますが、自衛隊員は、町中を制服で歩くようなことをあまりしないようです。わざわざスーツに着替えるのだそうです。ただ、一度だけ、町中で海上自衛隊の一等海佐を観たことがあります。ただし、それは呉港の客船待合室でしたけれど。
話がそれました。
徴兵されるシーン、一般的な演出では船に乗って出発なのでしょうが、キャンプ場ではそう言うわけには行きませんので、ジープが登場しました。兵士が迎えに来るという設定です。合図がクラクションなのはしっくり来ました。

グリエルモとフェルランドの変装はなぜばれないのか?

あとは、アルバニア異国情緒のある服装は、ヘヴィーメタルかパンクロッカーの服装に替わっていました。髭を生やして、鋲がたくさん打たれた革ジャンを着て、ピアスをしているという感じ。すごく面白いです。
ただ、そもそもの台本からしてそうなんですが、女性が、自分の彼氏の変装を見破れないということがあるんでしょうかね。私はその点については大きな疑いを持っています。さすがに声質やら、顔の骨格でばれるのではないかと。ばれないと思っているのは男だけかもしれません。というのも、私の奥さんは、顔認識能力が極めて高く(?)、先日もその能力に驚いたのですよ。まあ、女性には先天的にそうした能力が備わっているのではないか、と。でも、そこをやめちゃうと物語が成り立たない。難しいところです。

補遺:私の奥さんの顔認識能力の高さについて

先日、私の奥さんと歩いていたときのこと。とある場所で、えらく背の高い美人な女性とすれ違ったのです。すれ違ったあとに、奥さんは「あれ、佐藤しのぶさんじゃない?!」と言うのです。私は慌てて引き返して再度確認してきました。確かにあの深い声は佐藤しのぶさんに間違いない。そしてあの背の高さも。さすがに顔をじろじろ見るのははばかられましたので、ちゃんとお顔を観ることは出来ませんでしたが。ともあれ、私なら絶対に気がつきません。私はそんな経験を幾度となくしております。渋谷で大物カップルを目撃したり、新国で意外な有名人カップルを目撃したり。いずれも私は全く気がつかず、奥さんが教えてくれたものです。
ワクワクしっぱなしの今回の演出についてはもう少し続けようと思います。明日は池のことを書こうと思います。

参考 これまでの関連記事

新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その1
新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その2
新国立劇場オペラトーク「コジ・ファン・トゥッテ」その3
【短信】「コジ・ファン・トゥッテ」の舞台美術に行ってきました!
新国立劇場のリハーサル室に潜入!── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その1──
登壇された方々── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その2──
もう一度、コジの演出と舞台について── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その3──
コジの制作の舞台裏── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その4──
大道具小道具そしてQA── 「コジ・ファン・トゥテ」の舞台美術 その5──
「コジ・ファン・トゥッテ」のチケットはこちらから。明日はマチネでコジ・ファン・トゥッテ。 → チケットぴあ
舞台写真 は “こちら":http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000154_frecord.html

NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

はじめに

いやはや、もう、本当に楽しい3時間半でした。新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」。一緒に行ったカミさんも喜んでいたようです。

コジのストーリーはオリジナルなものからみると、少しく無理があったり、なんだか都合が良すぎて、どうもなあ、と思うこともありましたが、今日の演出での読み替えを見ると、リアルにありそうな話しに思えます。少し軽薄とも言える若者文化の中にあっては、こういうこともあるんじゃないかなあ、と思います。

キャンプ場!

ミキエレットの演出とファンティン美術によって初台に現れたキャンプ場のセットは、周りに首都高やオペラシティがあることをしばし忘れさせ、若い日の何かしらのキャンプやら臨海学校なんかの記憶を思い出させてくれました。

特に第二幕のキャンプファイヤーの場面。曲調がまさにキャンプファイヤー的で、幼き日のことを思い出しました。ああいう場面は、確かに若者にとってはドキドキ感がありますね。あの感覚が良く伝わって来ました。

徴兵される部分も、ヨーロッパならあり得るなあ、と思いました。海軍のフリゲート艦の模型を使うあたり、「オランダ人」の演出みたいでしたが面白かったですし。あの模型、第二幕では、アルフォンソのレセプションの奥の本棚に飾ってありました。

神は細部に宿る

本当に細部まで緻密に練り込まれた舞台美術で、草の生え方とか、階段の隙間から草が生えていたりとか、もう至る所に仕掛けがたくさんで、目がくらむようでした。神は細部に宿る、ってこういうことを言うんでしょうね。

先日も書いたように、コカコーラの缶や、毒薬の設定の食器洗剤、生ビールベンダー、バーベキューセットなど、小道具のほとんどはイタリアから調達したようです。

あとは、テレビではサッカーが放送されてましたね。ポラロイドカメラ、今日は写真が出てこなかったようで、事務所の中から写真を持って来たりしていました。あの写真、結婚証明になっているのです。

やはり、こだわりを持って、細かいところまでしっかりとやるのが芸術的仕事です。割り切りを強いられる現実の仕事とは大違い。私もそういう仕事をしてみたい。

音楽面は明日書きます。

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舞台写真 は “こちら":http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000154_frecord.html