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天気に恵まれた一日も終ろうとしていた。サンマルコ広場から路地に入って、ザッテルレ地区まで歩いて帰ろうと、入り組んだ細い路地をグラン・カナルをわたるアカデミア橋まで向かう。所々で路地は小さな水路様なカナルにぶつかるのだが、観光客を乗せたゴンドラが往来していて、漕ぎ手がカンツォーネを歌いながら船を動かしているのに出くわす。バリトンの歌声は立ち並ぶ石造りの建物に反響して思いのほか美しいリヴァーブ感を醸成しているのだが、もっと驚くのはその声の美しさで、歌を職業とする日本人でも絶対に出ないような甘さと豊かな倍音を持つ。つややかな声で、ゴンドラが遠ざかるに連れ歌声も反響の中に隠れていく。僕はこの歌声を聞いて感心すると同時に絶望感をも覚えてしまう。市井の男でさえ持つこの歌声の美しさ。やはり西欧の歌は西欧人にしか歌えないのではないか、という思い……。

アカデミア橋は、グランカナルにかかる木造の太鼓橋だが、橋上では黒い肌のアフリカの男達がブランドもののカバンや絵画を売っていて、警察が来ればすぐに逃げられるためだろうか、手に持てるだけのバックをもって、通りすがりの観光客に愛想笑いを振りまいている。イタリアに来てからこの手の男達を何度見ただろう。フィレンツェにもいたこの男達の売っているものは何故か同じだ。観光客の持つ気怠い雰囲気のなかに、生活のために働く男達、それもきっと違法な商売なのだ。ヨーロッパの繁栄の裏側には収奪されたアフリカの大地が横たわっているということなのだ。

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ヴァポレットの騒擾にくたびれながらも、なんとかザッテルレ地区の宿屋に到着。ヴェネツィアの宿屋は、古くて高い、と言われているけれど、この宿屋は古いと言えば古いし、高いと言えば値段の割には部屋は狭く、シャワーがついていなかったりするのだが、こざっぱりしていて古いヨーロッパの雰囲気を残していたので、まあ良いかなと言う感じ。

チェックインするとき、フロントのお姉さんが英語でなにやらいろいろまくしたてられて、どうやら宿で夕食を全日食べるのなら、一日一人15ユーロで提供できる、云々と、お誘いを受けたりするのだが、こちらは辞退。夕食は地元のスーパーで食材を買って食べた方が安いのである。

部屋でしばらく休息して(ヴァポレットの件と、フロントのお姉さんとのやりとりにつかれたのだ)、サンマルコ広場に行ってみようということで、宿屋を飛び出し、ヴァポレットでサンマルコ広場に向かうのだが、ザッテルレ運河を南東に下り、税関の建物の向こうに、鐘楼が姿を現し、ついでドゥカーレ宮殿のバラ色の壁面が光り輝いているのが見えてきた瞬間は我を忘れた。あまりに美しい。もちろんこの風景はカナレットが描いているから、嫌と言うほど見たつもりなのだが、やはり実際に見る美しさは想像を遙かに超えている。青い空にバラ色のコントラスト。夢中でシャッターを切っていた。素晴らしい風景。

広場横の浮き桟橋で上陸。サンマルコ広場は凄い人で、ここは渋谷か? と思うほど。広場に面したカフェでピアノ、クラリネット、アコーディオンのトリオがイパネマの娘を演奏している。照りつける日差しは強く、南国に来たのかと思うほど。ドゥカーレ宮殿はもちろん、サン・マルコ聖堂の複雑な様式、そびえ立つ鐘楼、ああ、これがプルーストが来たがっていたヴェネツィアなのか、と感激するのだが、ヴェネツィアの感激はこれだけにとどまらなかった。滞在した三日間、毎日違った美しさを噛みしめることが出来たのである。

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船上では若者達のグループが、船員達と話をしている。若者グループの一人で、サングラスをかけた金髪の男が、船員に手を合わせて懇願している。どうやら、警察を呼ばないで欲しいと頼んでいるらしい。僕らは浮き桟橋で船上の様子を見守る。浮き桟橋には、ヴァポレットが停泊したままなので、後続のヴァポレットが浮き桟橋に接岸できないでいて、カナルに停泊しているのだが、状況を理解したらしく、通り過ぎていってしまう。通り過ぎたヴァポレットに載るつもりだった老婦人がなにやら船員に文句を言っている。

そうこうしているうちにモーターボートが近づいてくる。青い船体にはPOLIZIAの文字が。とうとう警官が来てしまったのだ。警察のボートはヴァポレットの右舷に乗り付けて、警官がヴァポレットに乗り込んでくる。若者達は必死に懇願しているのだが、一番ヤバそうで、ラリっている若者、その若者は手から血を流しているのだが、その彼を三人がかりヴァポレットから引きずりおろして、怒声と共に壁に押しつけて拘束しようとしている。若者は必死に抵抗している。乗客達が一斉にヴァポレットに乗り込む。僕たちも一緒に。

満員のヴァポレットは運河を進んでゆく。それでも騒いでいる若者達。ヴァポレットは30分遅れで、僕らの目的地、ザッテッレに到着。ヴェネツィア到着早々のトラブルで疲れてしまった。

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駅前広場は、同じユーロスターで到着した旅行客であふれかえっている感じ。イタリア語はよく分らないのだが、なんとか市内交通チケット売り場を見つけて、72時間券を購入し、旅行前に穴が開くほど眺めたヴァポレット(ヴェネツィアの水上バス)の路線図の指示通り、51番のヴァポレットが着く黄色い箱形の浮き桟橋の列に並ぶ。

このときから、何かがおかしいな、と感じていたのだった。サングラスをかけた短髪のブロンドの若者が、仲間とおぼしき黒髪の若者と握手をしている。若者の仲間が何人かいるらしく、知り合い同士大声で話をしている感じ。もちろん何を話しているのか分らない。そんなこんなで、51番のヴァポレットに乗ろうとする人々は浮き桟橋に入りきらずに長い列を作っている。

到着時間になったというのに、なかなかヴァポレットが現れず、気をもんでいると、ようやくとオレンジ色の電光掲示に51番を表示させる象牙色のヴァポレットが到着。この時点で、待合い客であふれかえっていて、ヴァポレットに全員乗れるかどうか分らない状態。次の便は20分後だったので、待っても良かったのだけれど(後から思えばだが……)、早くホテルについて落ち着きたかったので、重いスーツケースを引きずりながら満員のヴァポレットに乗り込むことになる。

この時点で、待合い客に圧迫されて、連れとはぐれてしまう。まあ、おそらく乗れただろうと思い、甲板から一段下がった船室に降りてしまう。なんとかスペースを確保する。階段の横に設えられた一人分の座席には、黒いアタッシュケースを持った銀髪の初老のビジネスマンが座っていて、彼と眼が合ったのでニッコリ笑って挨拶。

ヴァポレットはようやく動き出すのだが、何か騒がしい。さっきの若者達が甲板の船室の間を言ったり来たりしている。そうこうしているうちに、船室の後ろの方で、若者達が天井を叩きながらわめき出す。何かの歌を歌っているらしい。これは、サッカーファンなのか? いわゆるフーリガン的な若者達なのではないか、これはちょっと嫌な連中と一緒になってしまった、と思う。さっきのビジネスマンが、手招きして、こっちの方が空いているよ、と彼の座席前に入ってくるように勧めてくれたので、若者達から待避するような格好で、ビジネスマンの座席前に移動。

次の停留所に到着。降りる乗客、乗る乗客でヴァポレットはごった返す。若者達、降りてくれないかな、とおもうのだが、まだ騒いでいる。船室内へと入っていく乗客達は、若者が騒いでいることなど全く知らぬまま。舫綱を解いて、ヴァポレット出発。

ここからだった。騒ぎは大きくなる。麻薬をやっているからなのか、酒に酔っているからなのか、よく分らないが、完全にラリっている若者二人が船客に絡み始めている。そのうち一人は、手から血を流していて、手のひらは血糊でドロドロになっている。その血がどうやら、船客の服を汚したらしい。怒った船客が、甲板にあがって、操舵室の船長になにかを訴えている。

ラリっている若者が、僕の目の前に立つ。眼があったので、ニッコリと笑ってやる。なにか呆けたような目つきをしていて、これは常人じゃないな、と思う。だが、全然恐怖感なし。驚くぐらい冷静だった。若者は、初老のビジネスマンになにやら話しかける。厳しい顔をしていたビジネスマンも、ニッコリと微笑みながら若者を睨んでいる。ものすごく格好がよい。映画の一シーンを観ているような錯覚に陥る。あの落ち着きを払った微笑みは賞賛に値する。一生忘れないと思う。

ヴァポレットは次の停留所に舫をかける。そのまま動かない。起こった船客が船長に捲し立てている。ヴァポレットは動かない。何かが起こったのだ。そのうちに乗客が浮き桟橋に移動しはじめる。ビジネスマンもやはり船を降りていく。これは、なにかがあったな、ということで、スーツケースを担いで一旦、ヴァポレットを下りる。ここで連れと再会。連れはおびえきっている。

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 フィレンツェからヴェネツィアへは、イタリア国鉄のユーロスターにて。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅へは列車出発の30分前には到着する。構内は旅客で混雑していて、高い天井のロビーに人々の声がこだましている。プラットホームへ続くガラス扉の上に発着案内板が掲げられていて、確かにヴェネツィアへ向かう列車は表示されているのだが、 到着ホームの表示は空欄で、どのホームで待てばいいのかわからない。構内放送はしきりにミュンヘン行きのユーロシティが遅延することをわびているだけで、ヴェネツィア行きのユーロスーターについて言及する気配さえない。構内放送を聞き漏らすまい、と必死に耳をそばだてる。

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そういえば、今年のGWにみた「踊れ!トスカーナ」でフィレンツェ駅が出てきたことを思い出す。確かに、映画そのままである。

出発予定時刻寸前になって、ようやく構内放送と案内板が、9番線へ到着することをつけるや否や、大勢の旅客が9番線へと移動を始める。流れに遅れまいと9番線へ急ぐのだが、いったいわれわれの乗る7号車がホームのどこに着くのかがわからない。日本の鉄道ならば、号車番号をホームに表示するのが常なのだが、そういった心遣いをする風潮はないようだ。

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灰色のユーロスターが到着する。すばやく号車番号を見抜いて、トランクを引きずりながらホームを駆けて、目的の7号車に到着。いよいよと乗り込む。今回は、日本でチケットレスで予約と決済を済ませているけれど、ダブルブッキングがないか、などと不安に思う。座席は四人がテーブルを挟んで向かい合って座るスタイル。窓側に連れと向かい合って座り、通路側にはフィレンツェ在住の老夫婦が座る。連れが「隣が席に着いたら笑顔で挨拶するのよ」と言うので、座席に着いた老夫婦に笑顔で「ボンジョルノ」と挨拶を交わす。

列車はゆっくり動き出す。ダブルブッキングはなかったようで一安心。車掌の改札時には、ネットで予約をしたときに送られてくるPDFを印刷したペーパーを渡す。車掌は二次元バーコードを端末で読み取って決済状況、予約状況を確認する。当然問題ない。イタリアのチケットレス列車予約はよく出来ているものだ。

車窓はフィレンツェ市街を抜けてオリーブ畑のなかを進む。僕の隣に座る老婦人がSposare? と指輪を見せながら聴いてくる。辞書で調べるとmarryの意味とわかった。つまり、僕らが結婚しているのか、という問いだったらしい。Si Siと応える。それからしばし英語とイタリア語のちゃんぽんで老夫婦と話をする。ご夫婦はフィレンツェ在住だそうで(うらやましい!)、ヴェネツィアから客船に乗ってギリシアクルーズへ出かけるところだと言う。かろうじてRodiという単語を聞き取る。ロードス島だろう。物静かな旦那さんと、上品に着飾った奥様で、実に気持の良い時間を過すことが出来る。

列車は、ボローニャ、ロヴィーゴ、パドヴァ、フェラーラ、メストレとイタリア半島を北東へと進んで行く。メストレを出るとラグーナをわたる長大な橋。その向こうがわにヴェネツィアのサンタ・クローチェ駅がある。ほぼ定刻どおりに到着。隣の老夫婦と別れの挨拶をして、駅前広場へ出る。

ところが、このあと、とんでもない事件がわれわれを待っていたのだった。

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広場で、けたたましいクラクションが鳴り響く。何かあったのか? と音のみなもとを探るのだが、何も見えない。と、突然デコレートされた自動車が広場に乗り入れてくる。あ、結婚式なのだ、と言うことが分かる。数多の観光客もこれには驚いていて、自動車が乗り付けたヴェッキオ宮殿の入り口に人垣を作り拍手喝采を始める。自動車からは新郎新婦が。ああ、なんてイタリア的なすこしキザめな新郎と、派手な新婦なんだろう、と驚く。派手な二人だったなあ。参列者もかなり派手な感じで、夜の匂いをぷんぷんと匂わせている。

さて、ヴェッキオ宮殿でもセキュリティチェックが厳しいのだが、そのチェックを警察官が一人で行っている。長蛇の列。だが、誰もめげずに並んでいる。宮殿内に入って、チケットを買って階上へ。ああ、ここが大広間なのだ。ここで、コジモが、ロレンツォが演説をふるったのか、と思うと感慨深い。

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壇上からの眺め。同じような風景を、メディチの男達も眺めていたに違いない。
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サンタ・クローチェ広場からヴェッキオ宮殿までぶらぶらと散歩しながら歩いていく。細い路地。石畳。両側の高い石造りの建物に圧倒されそうになる。しかし、人通りはとても多く、町中が観光スポット、いや、町中が美術館であるといわれても驚かない。それぐらい魅力的な待ちである。この路地をきっと、ボッティチェルリやラファエロが歩いたのかもしれない、と思うとぞくぞくしてくる。

ヴェッキオ宮殿前広場にでると、それまでの狭い路地から景色が急に広がる感じがする。尖塔を持つヴェッキオ宮殿の壁面にはいくつもの色とりどりの紋章が描かれている。写真を見ているだけではやはり何もわからない。実際に見るのが一番良いのだろうけれど、極東から欧州へ来る機会なんて今の僕の境遇では高が知れているから、本当に幸福な瞬間なのだ、と感謝せずにはいられない。

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メルカート・ヌオヴォ、つまり新市場には、ブロンズの猪の彫刻が置いてある。これに触るとまたフィレンツェにこられるらしい。トレビの泉のようなものだ。だが、そういう非合理的なものこそ積極的に受け容れていくのが大事なのだ。科学や論理だけが事実ではない。戦闘的オプティミズムと辻先生はおっしゃるが、自分にとってプラスになるものは、どんなに非科学的なものであろうとも、楽しんで喜んで受け容れるべきだろう。もちろん、それによって人生を見誤るようなことはあってはならないのだけれど。

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サンタ・マリア・デル・フィオーレの次は、サンタ・クローチェ教会へ。サンタ・クローチェ前の広場では欧州物産展が開かれていて、ドイツビールやオランダのチーズ、オーストリアのケーキなどの屋台が出てにぎわっている。かつて、ここで馬上槍試合が繰り広げられ、ジュリアーノ・メディチがロドルフォ・パッツィを打ち負かし死に至らしめるという故事があったことは、辻邦生さんの「春の戴冠」で取り上げられているとおり。物産展が開かれていたせいか、意外と狭い広場だな、と感じた。ここで馬上槍試合が行われたというのが俄には信じがたい感じを持つ。

サンタ・クローチェ教会には、イタリアの偉人たちの墓がたくさん。ロッシーニ、マキアヴェッリなどなど。深閑とした静寂が聖堂内に広がっている。

中庭に出たときの清浄感たるや感動的。教会前広場の喧騒も聞こえず、ただ小鳥のさえずりが聞こえるだけ。中庭をゆっくりと散策する贅沢。申し訳ないぐらい。

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聖堂の左手奥にクープラへの上り口がある。簡単なチェックのあと、薄暗い階段を昇り始める。思ったより疲れないのは、毎日ウォーキングを欠かさなかったからかな、などと思っていると、クープラの内側の通路に出る。円錐の円周の内側に設けられた通路というべきか。ここから聖堂内が見渡せる。大きい。思った以上に大きい。頭上にはフレスコ画。これもすごい。ルネサンス的描写製を持つ絵で、ここまで書くのは本当に大変だと思う。

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クープラの天頂部分への通廊と階段はまだ続いていく。あまり疲れないのがとても嬉しい。昔に比べて大分と体調が戻ってきたのだなあ、と思う。

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天頂部に到着すると、一気に視界が広がる。360度フィレンツェの煉瓦色の屋根瓦と淡いカーキ色の壁を持つ建物がアルノ河の作った渓谷いっぱいに広がっているのが見える。ああ、あれがサンタクローチェ教会だ、あれがメディチ家礼拝堂だ、などと地図を見ながら風景を楽しむ幸せ。屋上に小さな庭をもつ家が見える。あんな家に住めたらどんなに幸せだろうか。

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フィレンツェ二日目。まずは街のシンボルである花の聖母寺へ向かう。フィレンツェとはラテン語で花を意味する言葉を語源に持つ。ボッティチェルリの「春」に花の女神フローラが描かれたのはフィレンツェの街の空気をよくあらわしているのではないか、と思うのである。

実は出発前に一番ショックを受けるだろうと思ったのが、このサンタ・マリア・デル・フィオーレを見ることだった。あの深緑色、桜色、象牙色の大理石が織り成す外壁の文様のすばらしさは写真で見ただけではわかるまい、と思ったからだ。知識として知っているのと体験して知っているのはまったくの別物なのである。

サンタ・マリア・ノヴェッラ広場からバンキ通り、チェレッターニ通りを進むと、いよいよドームとご対面。いやあ、これは本当に凄い。写真で見ていたのと全く印象が違う。そしてその装飾のきらびやかさ、繊細さはなんなんだ、と思う。このブログでも何度となく書いたかもしれないがやはり「神は細部に宿る」である。思った以上にバラ色の大理石が心を打つ。教会というある種厳粛な場の外面が甘美な装飾で覆われているとは。そしてこれが今から600年も前のものなのだ、と思うとさらに思いは深まるのである。

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