Classical,Concert

 ジメジメした一日ですが、今年導入したエアコンのお陰で自室で仕事ができて嬉しいかぎり。スタバに行かなくても済んでいます。

はじめに

今日も、朝からiTunesに入った《シンフォニック・ダンス》を聴いたり、全曲盤《ウェスト・サイド・ストーリー》を聴いたり。




右側のリンク、ホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワのバージョンは、オリジナル編成です。エレキギターがカッコイイ。サウンドもキレがあります。
今日も、昨日の読売日響の《アメリカン・プログラム》の記憶を、さらにたどってみます。

《シンフォニック・ダンス》

ヒュー・ウルフのテンポは、私には中庸から少し遅め、という感覚でした。テンポを大袈裟に動かすことなく、インテンポに徹した演奏だったかと。これは、おそらくはジャズの文脈で捉えるとするなら妥当なものかと思います。 《シンフォニック・ダンス》のMamboのところで、弦にスイングを要求するところ、身体全体を使って
Mamboのところは、オケメンバーが"Mambo!!"と叫ぶんですが、ビオラの最前列のお二人が、身を乗り出して録音用マイクに向かって顔を真赤にして楽しそうに叫んでいたのも印象的。音楽やって楽しい、という感覚が伝わってきて胸が熱くなりました。

《ニュー・イングランドの3つの場所》


アイヴスの《ニュー・イングランドの3つの場所》は実に興味深いです。一曲目"The St. Gaudens in Boston Common"は静謐な音楽。武満の《弦楽のためのレクイエム》を思い出しながら聴きました。
二曲目の Putnum’s Campは、マーチング・バンドの音楽が、少しずつ改鋳されて、無調とポリリズムへと変容していくのが鮮やかで面白いです。さすがに読響メンバーも演奏が終わると汗を拭っていました。難しい曲です。
三曲目は"The Housatonic at Stockbridge"、最初はララバイ。フォスターか黒人霊歌のような旋律なのですが、これも徐々に形が崩れていき、無調とポリリズムという不安の高揚へと至ります。なんだろう、このペシミズムは。。
この曲、"American Tapestry"というアルバムで聞くことができます。

東京芸術劇場のサウンド

音響の評判が良くなかった印象の東京芸術劇場ですが、確かに少し不満はあるものの、総じて音響を楽しめました。
私が座っていた前列正面の音響が今ひとつなのは知っていましたが、これがどうして、今回のプログラムだとすごくハマります。繊細な弦楽器のニュアンスを聞き取れますし、遠くの方から金管群がリバーヴを伴って押し寄せてきます。ホールのリバーヴ感は少し効きすぎに思えましたが、元来リヴァーヴ感が好きなので問題ないです。ただ、リヴァーヴが高音域に偏って聞こえるのが気になる方がいるかもしれません。
個人的には、病みつきになりそうなサウンドです。

おまけ

昨日の《シンフォニック・ダンス》聴いて、無性に楽器が吹きたくなったので、家でこっそりサックスを吹きました。久々すぎるのですが、指は覚えているものです。多分、ですが、指を動かすこと、くわえて旋律を考えて即座に繰り出すこと、譜面を読むこと、を続ければ、脳が活性化する、はず。。

終わりに

明日は、初台で《三文オペラ》です。どんな舞台なのか、楽しみです。

Classical,Concert


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私の上司はメリハリのある勤務を実践しておられるので、私も真似をしようとしましたが、どうも馴れないことはするものではないようです。無理やり仕事終えて後ろ髪を引かれる思いで会社を出て池袋に向かいました。
私は、さる方の影響で、オケを最前列で聴くという悦楽に目覚めましたが、今回もやっぱり最前列。音に包まれて日頃の芥を流れ落としました。

読売日響 第2回読響メトロポリタン・シリーズ

  • バーンスタイン:キャンディード序曲
  • アイヴズ:ニュー・イングランドの3つの場所
  • ガーシュイン:パリのアメリカ人
  • バーンスタイン:シンフォニック・ダンス

指揮:ヒュー・ウルフ/読売日本交響楽団
2013年7月12日 19時 東京芸術劇場
アイヴスの曲は未聴でしたが、そのほかはいずれも見に染みこむぐらい聞いている曲なので、本当に楽しかったですよ。
特に後半のシンフォニック・ダンス。
実演は、20年ぐらいまえに、佐渡裕指揮のシエナ・ウインド・オーケストラで聴いたことありましたが、オケ版は初めてかもしれません。
っつうか、プロローグの最後のところ、ドラムがホイッスルを吹いた瞬間、頭に血が上りました。頭がすーっと、後ろにひっぱられるような感じ。これ、失神する瞬間なんだな、と思いました。よく、コンサートで失神するという話を聞きますが、そんなわけないだろ、と思ってましたが、どうやらそういうこともあるみたい。
明日に続きます。

Miscellaneous

禁酒6日目。ますます疲れがひどくなります。やはり、アルコールがないと生きていけない体になってしまったのでしょうか。アルコールないのに、眠気がひどくて。。。単純に忙しいだけなのか。。
さて、私の愛用するBoseクワイエットコンフォート15ですが、イヤパッドが壊れました。大体2年から3年でダメになってしまいます。


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まったく。だらしのないフォルム。

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こちらが新品です。

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実は、こういう技を使ってこの新品を手に入れました。2006年ごろ、クワイエットコンフォート2を購入しました。ですが、ヘッドフォン内の部品が外れてしまい、BOSEショップに持って行ったところ、追加料金で最新型のクワイエットコンフォート15に機種交換できることがわかりました。
で、このときの機種交換のときに、イヤパッドを外して持って帰ったのです(お店の人了承済みです)。交換でやって来た新しいクワイエットコンフォート15には新品ですのでもちろんイヤパッドがついています。というわけで、ストックをゲットしたのです。このイヤパッド、購入するとたしか6千円ぐらいするとう代物なので、随分助かりました。
というわけで、明日からはこちらで予習に勤しみます。

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明日は赤坂に出張るか?? 仕事次第。

Art,Classical

酷暑です。電車で座っているだけでじっとりと熱くなります。アンチ夏。ビバ冬。

音楽家作曲家肖像画集

昨日の続きで、大貫松三さんの音楽室の肖像画についてです。
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ネットの情報では今ひとつでしたので、二次文献にも当たりました。2005年に平塚市美術館で「湘南の洋画家・大貫松三展」が開かれましたが、そちらの展示記録を入手し調べたところ、間違いなく大貫松三さんが書かれたもののようです。
この肖像画は文部省標準学校教材規定に則った「音楽家作曲家肖像画集」というもののようです。
パレストリーナ、ウェーバー、ブラームス、コレッリ、ロッシーニ、サン=サーンス、ヘンデル、シューベルト、チャイコフスキー、バッハ、ベルリオーズ、グリーグ、グルック、メンデルスゾーン、リムスキー・コルサコフ、モーツァルト、リスト、プッチーニ、ベートーヴェン、ヴェルディ、ラベルなどが大貫松三さんのものとされています。
(後述しますが、その後の調査で、ベートーヴェンについては、別人の作品である可能性が高いそうです)

ベートーヴェンは誰が書いた?

こちらのブログに、「トリビアの泉」でこの話が取り上げられた時の記録が残っています。また肖像画は以下のリンク先でも見られますが、そちらの記載は、手元にある展示記録と少し違います。
http://ameblo.jp/patricia-o/day-20120210.html
リンク先では、大貫松三が、作曲家肖像のカレンダーの原画を手がけたという記載になっていますが、大貫松三が手がける前にすでにカレンダーができていたのだそうです。
そのカレンダーのために描かれたベートーヴェンの肖像が、そのまま音楽家作曲家肖像画集に使われたようです。ですので、この肖像画を描いたのは大貫松三ではなく、ホッタさんという別の方なのだそうです。
その後、カレンダーの評判が良かったため、大貫松三さんによって改めて肖像画が描かれ、音楽家作曲家肖像画集が完成したということのようですね。
たしかに、言われてみれば、ベートーヴェンだけ画風が違うのが納得できます。

おまけ

参考までにグーグル画像検索もどうぞ

編集後記

禁酒5日目。まだ耐えられます。体重は1キロ減りました。ですが、まだまだオーバーウェイト。ですが、睡眠の質がどうにも悪いようです。絶対に眠くならないはずの帰りの電車でも眠気がひどいです。これは、もしかして、アルコールを飲んだほうが生産性が上がるということでしょうか? という悪魔の囁きにさいなまれる今日このごろです。 

Art,Classical

はじめに

禁酒4日目。いい感じで耐えています。 
ですが、以前になく、夕方睡魔に襲われます。これって、眠れていない、ということ? 通説では、アルコールは睡眠の質を悪化させるものです。禁酒によって、睡眠の質が改善し、翌日のパフォーマンスが向上するはずなんですが。。
もう一つの謎。体重が減らない。予定では、アルコールにより過剰に摂取されているカロリーがなくなるので、体重がどんどん減っていくはずなんですが。。
もう少し様子を見ます。

大貫松三氏の絵

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さて、今日の本題です。
二週間ほど前の日曜日、記念日ということで、都内某百貨店にあるレストランにまいりました。
そのレストラン、雰囲気もお味も素晴らしい。なにかあると決まってそこに行くことになってしまうのです。料金も良心的かと。
座った席は壁よりで、横にかけられていた絵が目に止まりました。
セザンヌのような果物の静物画でした。ただ、色合いは全く違います。
目を凝らして見てみると、全くキズがありません。本当のプロでないと、こんなに完璧な絵はかけないのです。これは、少ないながらもこれまで何枚も見た絵から得た暗黙知のようなものかもしれません。
しかもですね。構図がかっこいい。普通に考えると、果物のがあったとして、余白を3分の2ぐらい上にとります。というか、私の月並みな写真だとそういう構図をとってしまうのですが、それは違いました。余白が下にあるのです。
さらに、その余白を埋める色。茶色地なのですが、グラデーションの階調があまりにあまりに滑らかできめ細かいのです。
これはすごい絵だ、と直感しました。
ここまでならば、きっとお店の自慢の一つに違いない、と思い、スタッフの方に聞いてみました。
すると、シェフのお父様の作品だとのこと。
その後ネットで調べに調べたところ、作者のお名前がわかりました。
大貫松三さんです。
で、ネットで調べてみると、クラヲタ、音楽愛好家にとって馴染み深すぎるあの絵が、大貫松三さんの手によるものだと分かったのです!!
続きはコマーシャルのあとで。
明日に続きます。









明日の予告

と思いましたが、ググればわかるので書きます。
音楽室に飾られた作曲家の肖像画を覚えている方が多いと思います。
あの絵が大貫松三さんの手によるものなのだとか。
まさか日本の画家が描いておられたとは!
明日は、具体的な資料を入手しましたので、そちらを紹介します。明日に続きます。

CD紹介,Classical

禁酒三日目。アルコールの代わりに1リットル100円の炭酸水を飲んでいます。
今日はご令息のカルロスの《美しく青きドナウ》。1989年のニューイヤーコンサートです。


当時、私も元旦の教育テレビでみているはずなのですが、クライバーの偉大さを知らなかったので記憶には残っていません。全く残念なかぎり。
聞いていると、ところどころ、父親のエーリヒとそっくりなフレージングがあって驚きます。
たとえば、前奏からの入りにかけてのもたらせ方とか、絶妙な拍のもたらせ方は、そっくりで驚きます。
このもたらせ方が絶妙な美学なのです。
これは、あれですね。若い二人が初めて一緒に踊ろうかというシーン。

おずおずと手をあわせて、ステップを踏み出すのだけれど、最初はぎこちなく、呼吸も合わずゆっくりとしたステップなのだが、そのうちに互いの呼吸を理解し、音楽のノリにあわせて、スピードをあげてステップを踏む。女は紅潮し微笑み、男は真剣に前を見つめるが、女の背に当てられた手は動くことなく、女を支え続けている。

みたいな。
ただ、1923年から76年間で、世界も音楽もずいぶん変わっていますので、ボルタメントがないのは当然として、速度もずいぶん速いです。時代の必然でしょう。
昨日紹介したエーリヒの演奏のテンポは、チェリビダッケ並みに遅いもので、現代のコンサートなどではうけいれられるのか、と心配になります。
あー指揮してみたい、と四半世紀ぶりに思いました。
明日もトラブル対応。では。

Classical

今日の関東地方は熱暑でした。で、当然のように夕方には激しい雷雨がやって来ました。雨粒があまりに大きく、叩きつける様は、スネアドラム100台がロールしているような感じ(大袈裟)。
雨が上がる寸前に、太陽が差し込みましたので、これは! と思い窓の外を眺めると、やはり。虹が出ていました。それもしばらくするとダブルレインボーに。
Double Rainbow
先日から進めているエーリヒ・クライバーの「研究」ですが、ふと思い立って、親子対決のシリーズを始めます。《美しく青きドナウ》、《運命》などを予定。
まずは《美しく青きドナウ》をお父上のほうから。
エーリヒ・クライバーの《美しく青きドナウ》を。

このアルバム、1923年とありますから、エーリヒ・クライバーが32歳〜33歳の演奏。ベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏です。ベルリン国立歌劇場に着任したのが1923年の8月ですので、秋から冬にかけての録音でしょうか。
当時のベルリンは、大インフレ前夜あるいは、大インフレ開始のころでしょう。第一次世界大戦に敗れた直後です。そんな時代にあって、ワルツだなんて、というところなのでしょう。第一次大戦で古き欧州は崩れ去りました。ドイツは領土を削られ多額の賠償金を課せられました。そんな時代にあって、ウィーンの甘美な記憶は浮世離れしていたものだったはずです。
とにかく、録音の状態はよくありませんが、当時の状況を想像することはできます。
それにしても、ゆったりともたらせ、ポルタメントを使った演奏は、とにかく大きく優雅です。丁寧にゆっくり作りこまれた白磁器のようです。
このポルタメントは、最近の演奏では聴かれないものです。またテンポの落とし方もかなり拡大されています。また、パウゼもかなり長めに取られています。時代なんですね。
昨日取り上げた1954年録音の《ばらの騎士》第二幕最後のオックスのワルツと相通じるテンポ感ですこしつながりが見えた気がします。ただ、《ばらの騎士》のほうが時代が降っていますので、かなりさっぱりとした指揮になっています。
ちなみに以下の本「エーリヒ・クライバー 信念の指揮者、その生涯」、めちゃお勧めです。エーリヒ・クライバー研究には必携。というか日本語で読める唯一の書物かも。エーリヒ・クライバーの事績はもちろん、戦間期のベルリンがよくわかります。

明日からお仕事。
追記:禁酒2日目。まだ大丈夫。

Opera,Richard Strauss

我が家からの眺め。雲が美しい季節になりました。冬の透き通った空もいいですが、雲があったほうが光はよく楽しめますね。
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わけあって、エーリッヒ・クライバーを聴いています。
今日聞いているのは《ばらの騎士》です。

  • 元帥府人:マリア・ライニング
  • オックス男爵:ルートヴィヒ・ウェーバー
  • オクタヴィアン:セーナ・ユリナッチ
  • ファニナル:アルフレッド・ポエル
  • ゾフィー:ヒルデ・グエーデン
  • 指揮:エーリッヒ・クライバー
  • 管弦楽:ウィーンフィル

1954年7月 ウィーン楽友協会大ホール モノラル 
モノラルではありますが、音質は良質です。

エーリッヒ・クライバー

エーリッヒ・クライバーは1890年にウィーンで生まれた生粋のウィーンっ子です。それが故だと思いますが、ウィンナ・ワルツを好んだとか。
20代前半から、クライバーはヘッセン=ダルムシュタット大公国の首都であるダルムシュタットの宮廷劇場の第三指揮者に就任します。ここで下積み時代を送るのですが、初見で《ばらの騎士》の総稽古(ゲネプロと思われる!)やってしまったそうです。25歳の時のことです。
その後、リヒャルト・シュトラウスは、クライバーを「《ばらの騎士》を初見で振った男」と喜んで紹介したそうです。実際には、一晩でスコアを研究して、ゲネプロをやり遂げ賞賛された、という説もあるようですが、快挙であることには変わりないです。
御存知の通り、エーリッヒは、あのカルロス・クライバーのお父上です。

演奏

エーリヒ・クライバーの指揮はシャープで、陰影に富んだものです。テンポの微細なコントロールで旋律の意味を炙りだしてますね。
特に素晴らしいところ、第一幕の最後の元帥夫人のモノローグでの心情表現は絶妙です。心の動きを鮮やかに際立たせるダイナミズムが素晴らしいのです。
第二幕前半のオクタヴィアンとゾフィーのダイアローグも立派。若い二人が盛り上がっていく躍動感がいい感じ。変に重くならず、優雅に盛り上がりますね。
特筆すべきは第二幕最終部のウィナーワルツ。ここまでウィナーワルツらしいウィナーワルツは聴いたことがありません。とにかくゆったりとして、切れがあります。
エーリヒ・クライバーは、好んでヨハン・シュトラウスを演奏したようですし、オペレッタを重要視していた時代もあったようです。そういう文脈から察すると、これが本格的なウィナーワルツということになるのでしょう。

追伸

今日から仕事以外では禁酒します。つまり家のみやめます。この一年毎晩かかさずのんでましたので、それをやめるということ。理由はいろいろ。どうもアルコール処理能力が落ちたようで、翌日辛いので、というのが一番大きな理由です。
さて、どこまで続くか。

Book

さて、先日に続き立花隆さんの本。

アマゾンで観たときには想像できない分厚さでした。
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それで、まえがきにこんなことが書いてあります。

しかし、このように書棚の全容をパチパチ撮られるというのは、あまり気持ちがいいものではない。自分の貧弱な頭のなかを覗かれているような気がする。さして美しくもないからだのヌード写真を撮られているような気がしてきたりする。

とのことですが、まあ、そんなことあるわけないです。ここは、ちょっと卑下し過ぎですよ。まったく。
いずれにせよ、広範な分野にまたがった蔵書には感銘を受けること間違いありません。
印象的なのは、ウィトゲンシュタイン、マリア信仰、アーサー王伝説、井筒俊彦など。もちろん、農協、共産党、脳死といった、立花さんの著作に関する部分も面白いです。
短いエッセイ風の書棚解説で、立花さんの頭のなかを少し覗き見ることができます。一般教養へのよい道標ですね。是非一度目を通してみてください。
それにしても、これだけの蔵書を持つのは、ある意味夢です。ビル一棟すべて書棚だなんて、嬉しすぎます。
週末。ですが、まだ仕事をしている人がいるので、もう少し起きていましょう。何もなければ、今週も「仕事」の本を読み耽る予定。

Book,Classical


手に汗握るエピソードのかずかずでしたよ、本当に。
NHK交響楽団の首席オーボエ奏者の茂木大輔さんのエッセイ集。というより、これは音楽家の波瀾万丈、スリリングならドキュメンタリーです、
楽器をやらなければわからないことというものがあります。どんなにオケ好きでも、楽器をやっていれば、楽器から眺めたオケの批評ができますが、楽器をやらない者にとっては、そうした見方がわかることはありません。
ですが、この本を読めば、そうした楽器を通したオケの見え方がよくわかります。
例えば、ベルリンフィルのかつての首席オーボエ奏者だったシェレンベルガーが、マーラーの九番第一楽章の最後で見せた信じがたい演奏。茂木さんの解説を読めばその恐ろしさは想像できます。

オーボエが苦手な、「小さい音、低い音、非常に長い音」という条件を3つとも備えた「三重苦ソロ」である。下手をすれば音そのものがスタートしないか、してもエンストして途切れるか、もっと悪い時にはぶがっ! と爆発してすべてをぶち壊す可能性があるという、恐ろしい場所なのだ。

ああ、想像できます。
(全然比較にならんですが)、私もかつて2年ほどやっていたプログレ・バンドで、ハチャメチャにしごかれていた時、そういうことがありました。
それからこんな下り。

一時間半の休みの間に、おれは、「天才」リードにも、早くも寿命が来たのではないか、と思うようになった。おれは「天才」と同じ日に生まれた「兄弟」を取り出して、楽器につけてみた。
「いける!」

信頼していたリードが、いつの間にかヘタっていたという恐怖。リードを変える判断の恐ろしさ。

あとのリードは、すべて、音色、ピッチ、反応など、何らかの意味で完全不合格だったのだ。ということは、このメイン・リードにもし刃物を入れて、凶とでた場合、バックアップには入れるリード、リリーフは、今回については一本もない、という、まさに背水の陣なのだ。

ああ、もう想像するだけで恐ろしい状況です。ライブ前にリードが全部ダメになってしまっうのではないかという恐怖。
私もかつてはサックスを吹いていました。
サックスはシングルリードで、オーボエはダブルリードですので、難しさは全く違います。また、サックスの場合、リードは出来合いのものを買ってきて選ぶだけですが、茂木さんの場合はリードを自作されていますので、大変さは比べようもないです。
それでも、あのリードの手持ちがなくなる感覚や、へたったリードがいうことを聞かなくなる感覚がよくわかり、読みながら肝を冷やしました。
それ以外にも、シャルル・デュトワの完璧主義とか、「ビータ」と呼ばれる演奏旅行のことなど、茂木さんの独特のタッチで軽妙に料理されるオケ好きにはたまらないエピソードの数々。
1998年と言いますからいまから15年も前の本ではありますが、輝きは失われませんね。その他の茂木さんの本も読まないと。
明日で今週は終わりますが、わが部隊の精鋭は明晩夜間戦闘任務に。私も少しは援護しないと。