2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

7月も終わり、夏真っ盛り。少し遅いですが新国立劇場の2012年2013年シーズンを私的に振り返ってみたいと思います。
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※写真は冬です。

皆勤

今年は皆勤しました! 
昨年はボエームとドン・ジョヴァンニを病欠しましたが、今年は本公演全てを観ることが出来ました。
で、あまりに素晴らしかった《ピーター・グライムス》は、二回行きました。すいません。
あのとき、仕事がトラブっていて、二週間連続週末徹夜で、徹夜明けに初台に行くというかなりヤバイ状況でして、だからこその感動だったのかも。

座席

奮発して、最前列の座席をとってみました。これは、オケのコンサートの最前列の快楽に味をしめたからです。
しかしながら、オケコンとオペラは違います。
オケの音は、遮音壁で直接聴こえてきません。これは意図してそうなっているのです。そうでないと歌手の声は聞こえないでしょうから。それがすこし歯がゆかったです。圧倒的な音のシャワーという意味では、オペラはオーケストラコンサートに負けてしまいます。
ですが、やはり前列だと、視界全てがステージに成ります。舞台への没入感は最高です。2Fから舞台全体を見るという楽しさもありますけれど、《トスカ》でのノルマ・ファンティーニの迫真の演技とか、《セヴィリアの理髪師》のファンタジー、《愛の妙薬》のカラフルでポップな舞台が眼の前に広がるのは想像以上でした。
次は演目ごとにもう少し詳しく。

Miscellaneous

Public Garden.
今日は、お客さまとの対面会議、その後懇親会。市井のしあわせ。
そうか。有楽町にもオイスターバーがあるのをしりました。今度いかないと。
明後日から娑婆での短い夏休み3日を過ごす予定。たまった仕事と、未来への投資ですかね。
では。グーテナハト。

Opera

夏バテのようです。某所への締め切りがあり、少々週末無理をしました。
その後、あまりの暑さに冷房をかけて寝ていたのですが、どうも眠りが浅いようで、日中にこれまで経験したことのない激しく突き刺さるような睡魔に襲われるように。
これって、睡眠時無呼吸症候群ではないか、という恐れが。もしそうなら、仕事場で無意識で眠りに落ちているのではないか、という恐怖。これはまずいですよ。うちは戦場なんで、少しの気の緩みが命を落とす重大な失策になりかねません。油断している暇はないのです。
そういえば、自宅での禁酒を誓ってはや一ヶ月。毎日ワインボトル半分ぐらい開けていたので、体調は飛躍的に良くなるはずだったのですが。アルコールが足らんのかな? なーんちゃって。
隣の先輩
「今年、うなぎ、食べました?」
わたし
「いや、国産うなぎが高くて高くて、買えないんですよ」
明日は、うなぎを買ってきてもらう予定。
というわけで、今日は少し早めに寝ましょう。

寝る前にこんな音源を見つけました。カルロス・クライバーが1962年にデュッセルドルフ・ライン・ドイツ歌劇場で振ったオッフェンバッハのオペレッタ。私はNMLで聴いています。
モノラル録音です。当初はテレビ映像だったようですが、マスタは失われているそうです。エアチェックテープからの復刻のようです。ノイズもあります。
オッフェンバッハ《魔法の横笛》、《結婚提灯》、《チュリンパタン島》が含まれていますが、《魔法の横笛》をまずは聴いています。《ホフマン物語》を思わせるフレーズが幾つも出てきます。聞いているだけで面白いのですが、映像あればもっと楽しめそうです。こういうオペレッタをドイツ語に訳して演奏するということをやっていたのですね。
そういえば、エーリヒ・クライバー「指揮やるなら、まずはオペレッタだろ!」ということで、カルロス・クライバーの指揮者デビューがオペレッタだったことを思い出しました。たしか「カール・ケラー」という芸名で出たはず。テンポを落とすところは落として、歌わせてます。
帰り際、カルロスの1989年の「ニューイヤーコンサート」を聴いていたんですが、「美しく青きドナウ」のテンポの落とし方と通底するものがあります。きっと、ぎりぎり落としていいところまで落としているはず。これ以上落とすと失速して墜落です。
録音は決してよくありません。歌手もなかなか難しい状況。ですが、往年のカルロス・クライバーの鮮烈なドライブ感がよく分かる公演です。
明日はもう少し涼しくなることを希望します。ではグーテナハト。

Book,Opera


先々週の第3121号に図書新聞に《オペラハウスから世界をみる》の書評が出ましたね。
実は、縁があって話をいただいたので、この本の書評を書かせてもらうことにしたのです。
とにかく、この本は、オペラを深読みする楽しみを教えてくれる本です。
特に、リチャード・ジョーンズが演出したベルリオーズの《トロイ人》の読み替えについての紹介がすばらしすぎです。なんと《トロイ人》が、戦後のアメリカに置き換わり、アメリカの覇権主義への批評に衣替えしているのですから。
こういう読替え、賛否両論と思いますが、私は結構大好きです。
実際に見ていなくても、かなり詳しく書いてくれていますので、その面白さが手に取るようにわかります。
※ 映像が入手できるともっといいのですが、まだ見つけることができていません。
あとは、やはり女性ならではの視点が盛り込まれているのがいいですね。《ムツェンスク郡のマクベス夫人》や《ペレアスとメリザンド》の解説はある意味衝撃を覚えました。男には分からない視点というものが、オペラ批評を通じて語られていて、目を見開かされた思いです。この本のオペラ批評自体が、著者の現代批評にもなっているわけです。
森岡さんの解説があるからこそ。これは、たとえるなら、「江川の解説で野球を見る」、「北の富士の解説で相撲を見る」ぐらい面白いです。
オペラは、時代を映し、時代を批評するものです。私たちも、新国立劇場の《ヴォツェック》や《ピーター・グライムス》を観ると、オペラは決して夢の世界ではなく、現実を現実以上に映し出す鏡だということを実感しました。台本作家や作曲者が意図していない新しい価値を想像するのがオペラ上演なんですね。そうした物の見方を教えてくれる良い本でした。
《オペラハウスから世界を見る》も、図書新聞もおすすめです。

Book,Richard Wagner

すっかり今年のバイロイトからは乗り遅れています。でも本は着々と。

バリー・ミリントン、スチュアート・スペンサーによる《ワーグナーの上演空間》に興味深い記載が。クライヴ・ブラウンによる「ワーグナーの演奏活動」という論文です。ワーグナーは指揮の世界においても革新的だったようです。

ワーグナーより前の指揮はインテンポ、つまりテンポを動かさなかったのだそうです。メトロノームのように振るのがスタンダードだったとか。ワーグナーからテンポを動かすようになったのだそうです。

また、ワーグナーの後期作品では、テンポが楽譜上に書かれるようになりました。のちのマーラーの譜面に通じて行くものがありますね。

昨日、某原稿を脱稿。今日からは次へ進みます。
あ、しばらく前に少しだけ書いた「オペラハウスから世界を見る」について、書いてみようと思います。
ではグーテナハト。

Movie

はじめに

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宮崎駿監督《風立ちぬ》を見てきました。一言で言うと、素晴らしい映画です。是非見に行かれることをおすすめします。
ですが、一般的にヒットするか、というとそこは疑問に思いました。ただ、それにはしかるべき理由があります。
あらすじをかかず、あえて感想のみを書いてみることにします。

あまりにも充実した内容

思い返せば返すほど内容が濃すぎて、一言二言で語り尽くすことのできないものです。私は、この内容を二時間強にまとめること自体が無理難題なのだと考えました。この五倍は必要なのかもしれません。十時間以上かかる長編ドラマではないかと思うのです。
これは一つ一つの場面が短縮されすぎていて、シノプシスを観ているようにも思えるからです。あるいは映画というメディアの限界なのかもしれません。この内容は長編小説です。あまり長編なのです。含まれているエピソードの多様性もさることながら、そこに込められたメッセージの大きさ、重さを表現するには、背景説明や概念が必要です。ですが、それは映像で描くという行為の限界なのでしょう。

わかりにくさという宿命

ですので、映画としては、良い意味で「わかりにくい」とも言えます。
航空機や戦前の軍事情勢に関する予備知識がなければ十全に楽しめるとはいえませんし、頻繁に登場する文学を前提とした仕掛けは、分かる人には分かるのですが、おそらくは気がつかない観客もいるはずです。
たとえば、トーマス・マンの《魔の山》を敷衍したセリフや、「カストルプ氏」の由来とか、《魔の山》にも登場する横臥療法がでてくるなど、個人的には面白みがあります。また、私が分からない概念や仕掛けがまだいくつも埋めこまれているはずです。
気が付かない事自体は問題でもなんでもありません。ですが、それが「わかりにくさ」のひとつの要因になりうることも確かだと思います。
わかりにくさのもう一つの原因としては、なんども夢の場面が登場することかもしれません。文学作品において夢ほど語ることも解釈も難しいものはないからです。脈絡などが一切剥ぎ取られたイメージの連続の難しさは、たとえば《2001年宇宙の旅》の最後の場面などを想像するといいかもしれません。あるいは、夏目漱石の《夢十夜》や《草枕》などの夢語りの難しさなどです。ただ、夢でないと語れない部分があったのは事実です。カプリーニとの交流は夢でなければ不可能だからです。

男性原理に拠るヒロイン

菜穂子というヒロインの存在が、私の中で一番引っかかっています。
ともすれば、結核に侵され薄命である、という戦前戦中文学のステレオタイプを敷衍しているといえます。作られているエピソードは、既視感のあるもの。結核に侵されたヒロインが、無理をして夫に尽くすが、その後命を落とすという構造は、堀辰雄はもちろん、武者小路実篤の《愛と死》などにも見られます。サナトリウムという言葉は文学的には極めて魅力的です
もちろんそれは堀辰雄という引用元があるからこそなのです。
ですが、私はどうもそこに男原理の身勝手さのようなものを感じずにいられないのです。薄命でありながら、夫につくし愛する。だが、夫は仕事に心血を注ぐ。あまりに恣意的な女性像を押し付けているように思えるわけです。
ただ、そうとわかりながらも、宮崎駿の作戦が完璧なものである、ということを認めないわけにはいかないのです。
この既視感は、引用によって正当化されていますし、それを引用するという行為、キュレーションという芸術的行為自体は賞賛されるべきです。また、それをさらに芸術へと昇華させた、ということが最も素晴らしいことです。
私がこの映画を素晴らしいものであると評価する理由の一つはここにあります。
ただ、恋愛の場面は既視感とともに、青春の面映さというか、わざとらしさというか、甘さというか、なにか常日頃においてはお目にかからないものを見てしまい、かんべんしてほしいという気分を持ったのも確かです。
しかしながら、映画をみて一日たっても感じるこの名状しがたい感覚は、おそらくはそのヒロインの存在があるわけです。それは悪いものではありません。宮崎監督の作戦にはめられてしまった悔しさに近いものがあるのでしょう。

現代とのつながり

また、現代批評が幾重にもこまられているのは言うまでもありません。第二次世界大戦前の日本と現代日本の抱える問題の共通性もあるでしょう。また、震災の場面の現代的意味を捉えることも大切です。描かれる一部の日本人の姿にアイロニーを感じる部分が多々ありました。
それからもう一つ。現在、三菱航空機はMRJ(三菱リージョナルジェットの略)という国産ジェット旅客機を開発中です。本来昨年初飛行の予定でしたが、延期され、今年初飛行となるはずでした。ところが、つい先ごろ、再び延期となり、初飛行は来年に持ち越されます。この三菱航空機を舞台としているのがこの映画です。私はこれはひとつのMRJへの応援ではないか、とも受け取りました。三菱の名前は大々的に映画の中に登場しますので。

おわりに

とにかく、すごい映画であることは確かです。私はもう一度見に行くかもしれません。それほど意図が濃密な作品だったといえます。解釈多様性こそ芸術である理由の一つです。この映画も芸術の一つに数えられます。まだまだ考えれば出てくるものはたくさんあります。これで考えることをやめるつもりもありません。
あとは堀辰雄を読み直します。20年ほど前に読んだだけですので。
みなさんも是非劇場でご覧になってください。

東京オペラ・オケ事情

先週に引き続き、まとめました。8月はさすがにお休みが多いですね。

場所 演奏者 オケ 演目 開演時間
8月5日(月)
8月6日(火) タケミツ・メモリアル 下野竜也(Cond)、エカテリーナ・シマノヴィチ(Sop)、アレクセイ・ステブリアンコ(Ten)、パーヴェル・シムレーヴィチ(Bas キリシマ祝祭管弦楽団 ・ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調op.21
・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」第1夜「ワルキューレ」より第1幕(演奏会形式・日本語字幕付)
19:00
8月6日(火) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:ダン・エッティンガー
ソプラノ:吉原圭子
バリトン:与那城 敬
東京フィルハーモニー交響楽団 ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ヴェルディ:歌劇「リゴレット」から “慕わしい人の名は"
ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」から “終わりの日は来た~カルロよ聞け"
ヴェルディ:歌劇「椿姫」から 第1幕前奏曲、"ああ、そはかの人か~花から花へ"
ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から ワルキューレの騎行
ワーグナー:楽劇「タンホイザー」から 夕星の歌
ワーグナー:楽劇「タンホイザー」序曲
15:00
8月7日(水) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:宮本文昭
ヴィオラ:川本嘉子
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 モーツァルト:クラリネット協奏曲(ヴィオラ独奏版)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
19:00
8月8日(木) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:ピエタリ・インキネン
ピアノ:原田英代
日本フィルハーモニー交響楽団 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から 第1幕への前奏曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
ベルリオーズ:幻想交響曲
19:00
8月9日(金) すみだトリフォニーホール 小泉和裕[指揮]
郷古 廉[ヴァイオリン]
新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
ブラームス/交響曲第1番 ハ短調 作品68
14:00
8月10日(土) すみだトリフォニーホール 小泉和裕[指揮]
郷古 廉[ヴァイオリン]
新日本フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
ブラームス/交響曲第1番 ハ短調 作品68
14:00
8月11日(日) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:秋山和慶
ソプラノ:半田美和子 メゾソプラノ:小川明子
テノール:経種廉彦 バリトン:大山大輔
東京交響楽団 《オール・モーツァルト・プログラム》
交響曲第35番
オペラアリア名曲集
 歌劇「フィガロの結婚」から 序曲、"お先へどうぞ"、"恋とはどんなものかしら" 他
 歌劇「魔笛」から "恋を知る男には"、"愛の喜びは霧と消え" 他
 歌劇「ドン・ジョバンニ」から "窓辺においで"、"恋人をなぐさめて" 他
15:00
8月12日(月)
8月13日(火)
8月14日(水)
8月15日(木)
8月16日(金) 東京芸術劇場 広上淳一(Cond) 小林美樹(Vn) ドミトリー・フェイギン(Vc) 田村響(Pf) 読売日本交響楽団 メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ドヴォルザーク/チェロ協奏曲 チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 18:30
8月17日(土) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:大友直人 東京交響楽団 佐村河内 守:レクイエム・ヒロシマ(弦楽合奏版・世界初演)
佐村河内 守:交響曲第1番《HIROSHIMA》
14:00
8月18日(日) ミューザ川崎シンフォニーホール 指揮:大友直人 東京交響楽団 佐村河内 守:レクイエム・ヒロシマ(弦楽合奏版・世界初演)
佐村河内 守:交響曲第1番《HIROSHIMA》
14:00

※記載は正確なものを心がけますが、万一誤っていた場合、責任はとれませんので、自己責任でご参考にしてください。

Miscellaneous

PMFオケを聴いて、音楽も良かったんですが、それ以外でもちょっと感銘を受けました。音楽家たちがこうやって若者を育てるのは、音楽的な理由だけではないのかもね、と性善説ぶった解釈をしてしまいました。甘っちょろい考えですが、時にはそういうのも必要です。
世界は平和ではありませんが、少なくとも彼らが交流できるほどには平和であるということなのでしょう。一夏とはいえ、若い彼らにはとっては、極めて大きい経験になったはず。羨ましいですね。
異文化交流ほど平和に貢献するものはありません。自分と違う価値観、それも想像を絶する価値観の違いを体験し、それでもなお諦めず投げ出さないで対話を続けるという精神力をにわかにつけることもできないですし、見聞きするだけでもダメなんでしょう。ネットの画面の向こうにあるものでも、本の中にあるものでもないはずです。
もちろん、皆が皆そういうことをできるわけではありません。しかし、少なくてもそうした交流がどこかで常にできていなければなりません。そうした回りくどさ、面倒さを乗り越えなければ、自国の平和ですら維持できないのです。
若い音楽家が屈託なく振る舞うのをみて、目頭が熱くなったのは、どうやら私が齢を重ねたからだけではないようです。
私らにできることは少ないですが、それでもなお、なにかあるかもね、と思ったり。
今日は《風立ちぬ》を見てきました。みんな語りたいことたくさんあるのだろうなあ、と思います。あの横臥療法を映像で初めてみました。
ひとつだけ。
音楽が《行け、わが想いよ、金色の翼に乗って》に似ているのは、意図されているのかな?
ではまた明日。

Concert,Gustav Mahler

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いつぞや撮った夕暮れです。空はいつみても神々しいです。
先日の準・メルクル指揮PMFオーケストラによるマーラー交響曲第5番の件です。
この曲、トランペットとホルンがポイントなんですが、第一楽章のしょっぱなのトランペット、素晴らしかったですよ。エッジがありかつ太い音で、フレージングもすこしタメをつくりつつ歌い上げる感じでした。
第三楽章のホルンも良かったですね。フレージングとしては、少しだけミスはあったのかもしれませんが、こちらも随分と分厚い音で旋律から旋律へと自在に飛び回っている感じでした。
メルクルの指揮ですが、そんなに派手にテンポを動かしたり、やけにゆっくり振ったり、なんていうことはないのですが、ひとつひとつの仕掛けが適格で、オケがグイグイ引っ張られているのがよくわかります。
オケですが、やはり臨時オケということもあって、音がひとつに溶け込むといったプロのトップレベルのオケのようには行きませんし、ポリリズムになるところで、一瞬クリックが見えなくなるということはありましたが、とにかく巧いので、速い旋律、大音量の部分では若さのパワーが十分に炸裂していたと思います。
特に第二楽章からはかなりノリ始めたという印象でした。
まあ、さすがに第四楽章アダージェットでは、硬さが目立ちましたが、あそこは若者には相当難しいはずですので、特に大きな異論などはありません。
時間を感じず音楽が聞けた感じがしました。また来年行きたいですね。
明日は、「PMFオケが果たす役割はこういうこと?」という記事を書く予定。
では。グーテナハト。

Classical,Concert

昨日の続きです。

「若いオケなので、若さゆえの迫力とか勢いがあるよね」という評価は、音楽をを評価したとは言えないと思うのです。

しかし、そこを割り引いいたとしても、PMFオケはすごかったと思うのです。

たしかに、臨時のオケですので、弦の響きが混ざり合っていなくて、居心地の悪さはありました。

ですが、そうであったとしても、マーラー5番をここまで機能的に演奏すること自体素晴らしいと思ったのです。

特に、マーラー5番の第一楽章冒頭のトランペット、第三楽章ホルンのソロ、は筆舌に尽くし難いものでした。

もう少し言いたいことがあります。。