Opera

さて、一週間が始まりました。おそらく一年でもっとも忙しい一週間。でも、残業規制で早く帰らねばならない。

新国立劇場の正面玄関を秘密の廻廊から撮った写真。建築的にも大好き。
さて、「愛の妙薬」の記憶が薄れないうちに。書いてしまわないと。

軍曹ベルコーレとリクルーター

軍曹ベルコーレが、ネモリーノを金で釣って軍隊に入れてしまおうとするくだり、私はデジャヴを感じました。あれって、いつも企業がやっていることと同じじゃないですか? 甘い言葉をちらつかせ、待遇のよさやら、軍隊の栄光をアピールする。そうした待遇が相対的に他社に劣ったものであったとしても、そうとは気取られぬように、うまいこと篭絡して優秀な人材を借り集める。
軍隊も企業も組織ですのでやることは変わりません。待遇とはそれすなわち給金に他ならない。それは今も昔も同じ。一度組織に入り込むとなかなか外に出ることができない。仕事の誇りをことさらに強調してみせて、モラールを喚起し搾り取ろうとする。いやあ、15年前の就職活動のことを思い出してしまいましたし、いまでもそういう場面にたまに遭遇するなあ。
そういう意味ではアディーナはインテリです。本を読むことができるということが、彼女の洞察力を豊かにしている。「私のために軍隊に身を売って自由を放棄するなんて!」と感動して見せたりする(これは、アディーナの本気なのかどうかはわかりませんが)。この言葉は、もう本当にわれわれに跳ね返ってくる。真の自由なんてどこにもありませんから。

アディーナの心変わりの理由は?

ネモリーネが遺産相続したかどうかはよくわからない。街の女がうわさしているだけだから。それに、ネモリーノ自身それに気づいた風ではなく、「愛の妙薬」のおかげだと勝手に勘違いしている。そうした状態にあって、アディーナはどこまで認識していたんだろう? 
普通に思うと、遺産を手に入れたがゆえにネモリーノと結ばれることを願う、という風になるんでしょうか。アディーナは金に釣られてネモリーノを愛したのだ、という風に。
けれども、僕にはそうは思えませんでした。むしろ、アディーナは、自分のために軍隊に入営したという事実のほうに衝撃を受けているように思えたのです。それほど、軍隊への入営は深刻な事態であるということなのか。
もちろん一夜で街の女から好意を抱かれる存在へと変貌したネモリーノへの嫉妬心も少なからずあったようですが。

ドゥルカマーラの現代性

彼、今もたくさんいるなあ。商売の三分の二はイメージで成り立つ虚業のようなもの。たとえば、金融商品までいろいろなラインナップがあって、素人ではわからないようなものも多いです。そうした商品を言葉巧みに売っていることを思い出します。銀行のホームページに行くとやたらと仕組みの難しい金融商品が置いてあったりしますし、生命保険も難しすぎてよくわからない。ああいうのは、絶対に銀行やら生保会社が得するようにできていると思って間違いないんだそうです。人の知識のなさにつけ込んだそのやり口はドゥルカマーラと同じ。
でも、ダマされない人もいる。ドゥルカマーレは、「愛の妙薬」を不要だと言ったアディーナを、小悪魔とか、してやられた、とか言って悔しがっている。(小悪魔のところ「ブリッコ」と発音していたように聞こえたんですが、リブレットと辞書を確認すると、イタリア語でbricconcellaとは小悪魔な、という意味があるみたい。

結論

結局アディーナが一番賢く物事を見通している。そして、自らの力で人生を切り開こうとしている。愛の妙薬などに頼らずに自分の力だけでネモリーネを愛想としているのだから。我々はアディーナでなければならない。強くそうありたいと思うのでありました。

Opera


休憩時間は残り六分。オペラシティにおいてはデジタル数字が一種のモティーフになっていて、新国立劇場の東側の通廊にはデジタル数字がいくつも光り輝いています。この休憩時間残を表すデジタル数字もそうしたコンテキストの中のもの。
さて、昨日に引き続き「愛の妙薬」について。

演出

今回の演出、モダンで素敵でした。Elisirという題名にちなんだ、アルファベットのオブジェを利用したもので、視覚的にも楽しめました。で、不思議なんですが、elisirって、薬という意味ではない。elisirとは「芳香性のある植物をアルコールに溶かしたリキュール」と伊和辞典には書いてありました。これも、明日書くことになるであろう私の妄念のなかで大きな意味を持つはず。
それから、分厚い本も重要な役目を果たしています。パンフレットによると、ヒロインのアディーナだけが本を読むことができるという設定。彼女が読んでいるのが「トリスタンとイゾルデ」の本ということで、舞台上には巨大な本が両側に三冊ずつ、計六冊が据え付けられている形です。背表紙の文字は、奥からドイツ語、日本語、イタリア語で「トリスタンとイゾルデ」と書いてあるという寸法。この巨大な本が稼働して舞台を構成します。本の表紙にはTRISTANOとISOTTAの文字が。つまりイタリア語でいうところの「トリスタンとイゾルデ」の意味。それから、番号の書かれた書物が時に台になったり、椅子になったりする。プロンプターボックスも分厚い本の形をしていたりと、書物自体が重要な意味を占めています。
一応リブレット的にはバスク地方と指定されていますが、衣装的な時代性もあえて曖昧にしています。七〇年代から八〇年代のものでしょうか。舞台が欧州であることに疑いはありませんが、時代や場所はあえてぼかしている感じ。
演出自体はスタイリッシュで非常に好印象です。少し笑えたのは薬を売るのが、ドゥルカマーラに付き従う二人の赤いドレスのモデルのようにスタイルの良い売り子の女性二人なんですねえ。で、第二幕の冒頭、指揮のパオロ・オルミが登場すると、二人の売り子売り子の女性がオルミに薬を売ろうとする。オルミは、お札を出して薬を買って、コンマスにも勧めたりして、と、二幕冒頭で物語り世界と実世界が結節するという面白い演出がありました。こういうの、たまにあるんですけれど、私はこの類の舞台と現実のつながりが、夢と現実の橋渡しをしているようで大好きです。そういえば、昔「セヴィリアの理髪師」をシラクーザの出演で見たとき、シラクーザは舞台からオケピットに向かって指揮をしていましたねえ。こういう演出ラヴです。
演出のチェーザレ・リエヴィはイタリア人の演出家で、ウィーンやメット、チューリヒでも舞台を手がけているようです。チェーザレって、ラテン語読みだとカエサルですね。

解釈

解釈が一番面白い。でも、今日は時間がないのでここまで。明日書きます。予告だと、
* アディーナの心変わりの真の理由
* ドゥルカマーラの現代性
* ベルコーレはリクルーター
などを予定しています。

Opera

はじめに

「愛の妙薬」見て参りました。いやあ、ちょっと舐めてかかっていました、わたくし。大変に反省しております。「行くのやめようかな」なんて考えていた私は本当に愚者以下です(なぜって、最近のこのブログのコンテキスト下にあっては愚者といえば英雄ですから)。
今シーズンは、「オテロ」、「ヴォツェック」、「トスカ」、「魔笛」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」、「パルジファル」と立て続けに重いオペラばかり見ておりました。それで、「愛の妙薬」はプレミエだというのに、イタリアオペラは苦手なので、みたいな甘えた考えでいたわけですが、本日、その意見は180度方向が変わりました。「愛の妙薬」、このオペラも妄念横溢中。これも一日じゃかけません。というか、本日もあまりに充実した一日で、なんだか夢みたいです。明日からは、「組織」へ戻りますけれど。

オペラの前

今日もカミさんが友人達と新宿でランチをするとのことで、私も濡れ落ち葉のようにカミさんについていって、高層ビル群の一つのイタリアンでランチをご一緒にいただきました。とっても良い天気。今日のカミさんの友人達も良い方ばかり。女性五名(一名は小学生)の中に入りましたが、居心地の悪さもなく、楽しいひとときを過ごせました。というか気を遣ってくださったんです。本当にありがとうございました。



1時間ばかりで私は中座して、初台に向かいました。ちょっとぎりぎり。普通オペラやらコンサートには遅くとも45分前には到着するようにしていますが、今回はルール逸脱でした。

新国到着

いつものように新国の入り口の生け花は素敵です。


で、今日は本当にショックでした。この罪のないはずのあらすじの裏に、こんなに重大でアクチュアルな問題が隠されているだなんて。あー、オペラトーク行っておくんだった。

あらすじ

というわけで、まずは「愛の妙薬」のあらすじの把握から。予習の段階ではきわめて単純に思えました。ずばり三角関係です。
ある種ちょっと木訥で純粋なネモリーノは、女農場主アディーナに恋をするんですが、男前の軍曹ベルコーレが現れてアディーナに求婚する。アディーナもまんざらではない感じ。でもちょっとネモリーネの態度も気になる。私が結婚するんだから、もう少し焦ってもいいんじゃないの? みたいな。
実は、単純素朴なネモリーノは、怪しい薬売りのドゥルカマーラから、「愛の妙薬」を買っていたのです。これ、「トリスタンとイゾルデ」の話に出てくる媚薬と同じという触れ込みなんだが、実は単なる安ワインに過ぎない。効くわけないんだけれど、一日経ったら効果が現れると信じ込んでしまう。だから余裕かましているんだけれど、アディーナがベルコーレと今日結婚しちゃうおう、という話になってしまったので、あわてて、頼むから明日に延ばして、と泣き言を言う始末。
ネモリーノは居ても立ってもいられず、またまたドゥルカマーラから「愛の妙薬」を買わなければ、ということになるんだが、お金がなくて買えない。そこで、ネモリーノは、軍曹ベルコーレから軍隊へ入営することを条件になにがしかのお金を入手し、「愛の妙薬」(もちろん安ワインなんだけれど)を買ってのんでしまう。
そうこうするうちに、病気にかかっていたネモリーノの伯父が亡くなり、ネモリーノに遺産が転がり込んでくるという噂が広まる。町中の女性という女性がネモリーノに色目を使い始める。これぞ「愛の妙薬」の効果! 驚いたアディーナはベルコーレを捨ててネモリーノと結婚してめでたしめでたし。偽薬である「愛の妙薬」がなんだか本当に効き目が出ちゃったよ、あはは、みたいな。
でもですね、ことはそう簡単じゃないんですよ。ここに隠されたテーマは実に興味深く、私の明日とも関係があるのです。
続きはまた明日。

Miscellaneous


昨日は充実した一日でした。
昼食はカミさんの友人の方々と食事。女性グループに私が入り込んだ感じで、居心地わるくならんだろうか、とちょっと心配したんですが、みんな魅力的な方々で、会話を楽しんだ感じでした。
夕方は大学時代のサークルの後輩の結婚披露パーティーという名のライヴ。呼んでもらって本当に良かったです。生バンドの演奏を聴くのは本当に面白い。もちろんみんなアマチュアの方々なんだけれど、ライヴという空間共有は実に気持ちが良かった。ビールやらワインを飲みながらの悦楽。オペラも良いですが、ジャズライヴ(といってもフォービートは登場しませんでしたが)もいいなあ。
ヴォーカル入りのバンドが二つ登場したんですが、どっちも結構楽しめた。結構ホーンセクションが充実しているバンドで、一つ目のバンドなんて、ペット、トロンボーン、アルサク×2、テナーサックスという豪華さ。それでファンキーなナンバーをやってくれて嬉しい。二つ目のバンドは、たぶんインコグニートの曲と、EWFの曲をやっていた。ああ、あっしも、ファンクなバンドのホーンセクションをやってみたい!
アルトの方、ちょっと話をしたんですが、デュコフつけていたんで、伊東たけしですか? と伺ったら、サンボーンだった。サンボーンの音は出すのはかなり難しいよなあ。私も出せるもんなら出してみたいが相当なコストと時間が必要。
もちろん、出席していた昔のサークル仲間との思い出話も楽しかった。もう15年ぐらい前の話なんだけれど、つい昨日のようにエピソードが噴出して笑いの渦でした。
今日は「愛の妙薬」です。

Roma2008

ミュンヘンに到着した僕らは、とりあえずポストオフィスを探して絵葉書を投函しました。GAさんに聴いてみたらKeine Ahnung(そんなの知らないわ)といいながらも地図を出して探してくれる。やっぱり南ドイツ人は優しいです。

ランチはもちろんドイツ料理。これが最後の海外旅行かもしれないという、すこし感傷的な気分になっていたので、昼間からWeis Bierを注文しました。これは「白ビール」と訳されますが、日本の一般的なビールとはもちろん違います。ご存知のとおり白ビールには酵母が入っていて味がまろやかなのです。ドイツ人的几帳面さで、きっちり0.5リットル。すばらしい。

ソーセージに、パン。

このパン、塩がついていてめちゃ旨い。日本だと塩加減緩くしてるんですけれどね。

飛行機のウェルカムドリンクはカンパリにしました。スナックがしゃれてます。

ミュンヘンから成田への機材は、行きと同じくエアバス340でした。エコノミーだったのですが、すごく待遇よかったですよ。スパークリングワインを3つも出してきてくださって、私ら二人ともべろべろに酔っ払ってしまいました。

その後、待ちかねたように始まった免税品販売の時点では完全に理性を失い、財布やら何やらを二人して大人買い。財布なんて、「ちょっと中見せてよ」といったら、キャビンアテンダーの男性が包装をビリビリ破ってくれるもんだから、買わないわけにはいかないじゃないですか。。

で、あとはシベリア上空を意識を失い眠り続けました。少し残念な気分。

着陸直前に、機内サービスのアンケートを頼まれました。あそこまで待遇よくしてくれて、悪い評価なんてつけられるわけないじゃないですか。まんまと、CA達の手のひらで踊ったかんじ。でもとても楽しいフライトでした。ルフトハンザ、今はどうなっているかわかりませんが、2008年当時はよかったですよ。

というわけで、成田に帰着。これで2年間もかかったローマ紀行もおしまい。次に海外旅行に行けるのはいつになるやら。。

European Literature,Opera,Richard Wagner

この本、25年前に読むべき本でした。全く、若き私は怠惰な人間でございました。でも、この本はヴァーグナーの楽曲に触れていないと理解できないのも確か。若き貧乏な日々に、オペラのCDなんて買うことは能わず、ましてやオペラに行くなんてことは難しいことでしたので仕方がないというところでしょうか。まあ、今もお金持ちではありませんけれど。

はじめに

トーマス・マンは、この「リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」と題された講演ををミュンヘンで行ったのが1933年2月10日のこと。その後、マンはアムステルダム、ブリュッセル、パリを回ったのですが、その間、ドイツにおいてはナチスが全権を掌握してしまい、マンはドイツに帰ることができなくなるという時代背景があります。

ナチスがワーグナーの音楽を利用したという事実は消えることのないことですが、マンが必死にヴァーグナーとナチズムの相違点を整理しようという意図が見えた講演録でした。

心惹かれる文章。

このたぐいの本の書評を書くのはきわめて難しいのですが、私の方法論は引用をつなげていくという者になってしまいます。まだ書評能力が低いのです。まあ、それはそうとして、気になったところを。

劇場の聴衆の只中で味った深い孤独な幸福のあの幾時間、神経と知性とのおののきと喜びとに充ち満ちた幾時間、この芸術のみが与えうる感動的で偉大な意義を窺い知ったあの幾時間かを、私は決して忘れることができません。

29ページ

これは、激しく同意します。あの孤独とも一体感とも言えぬ劇場独特の儀式的パフォーマンスを秀逸に表した一文です。

ヴァーグナーが芸術を一つの聖なる秘薬と考え、社会の障害を癒す万能薬と見なした(中略)。ヴァーグナーにとっては、芸術が持つ浄化し聖化する働きは堕落した社会に対する浄化手段、聖化手段として見なされるものでした。美的聖別という手段によって社会を贅沢から、金力の支配から、愛の欠如した状態から解放しようと望みました。

13ページ

うまくいっているかどうかはともかく、リングの最終幕ヴァーグナーが意図していたことをマンが咀嚼してくれた感じです。でも、そこまで単純化できるかどうかはわからないです。というのも、こうした社会正義、革命的な思想を、若き日のヴァーグナーは持っていたのですが、一方で、借金を重ね奢侈な生活を楽しみ、バイロイトという「ヴァルハラ」を築くという、おおよそ庶民とはかけ離れた行動をしているのですから。

全体感

全体を読んで思ったところ。

ヴァーグナーというのは単なる音楽家であったわけではないということ。詩人でもあり音楽人でもあった故に、楽劇が誕生したのだという事実。両者に秀でていたということが重要。逆に言うと、両方から圧迫を受けていたわけでそれがヴァーグナーの苦しみでもあった、という論調でした。

ヴァーグナーは若き日に革命運動に身を投じますが、あれは、社会を改正するといった動機よりもむしろ、自分の音楽をきちんと発表できる場にしようとするという動機の方が強かったのではないか、という指摘がありました。もっとも、ワーグナーは芸術が人間を救済する手段であると考えていましたので、終着点は同じなのかもしれませんけれど。このあたりは、シュトラウスがナチスに協力した経緯とも少し似ている感じがしました。

ワーグナーをロマン主義者として定義付けするところがあるのですが、ここが実に面白い定義付けをしています。また引用しちゃいますと、

性的オペラの中で芸術と宗教とを結び会わせ、芸術家のこのような神聖なる非神聖さをルルドの洞窟の奇跡劇としてヨーロッパの真ん中で舞台に載せ、退廃した末世がみだらに信仰を熱望するその心をに向けて開示してみせるという能力

99ページ

これ、この前「パルジファル」を聴いたときに引き裂かれるように感じたことと一致するんです。聖化と性化の二律背反(と捉えるのも間違いかもしれませんが)があまりに不思議で不協和音に思える。それが最後に解決するのがブリュンヒルデの自己犠牲であり、パルジファルによるアムフォルタスへの癒しとクンドリの救済というところでしょうか。

ここでいう「性化」とは、一種のセクシャルなものを含むのは事実ですが、それ以上に、いわゆる「愛」と捉えるべきだとも思いました。そういった言説をヴァーグナーがしているということもこの講演の中で述べられていました。

この本は、二回ほど読みましたが、まあ、いろいろと前提知識が必要だったり歴史的背景の理解が必要だったりということで難儀なものでした。折に触れてちびりちびりと、ブランデーを飲むように読むと良い本でしょう。お勧めです。

Music

私の一年前の最後の演奏写真。後輩の結婚式の二次会で吹いたところ。また、そろりと吹きたくなってきた。

http://www.nhk.or.jp/schola/

この四月から始まったNHKの音楽番組「schola 坂本龍一 音楽の学校」。バッハ以降の西洋音楽の発展を語る番組です。

番組の概要

番組は、「鼎談」、「ワークショップ」、「演奏」の三つから成立している。「鼎談」の部分では、坂本龍一がホスト役で話をするんだが、ゲストの浅田彰が蘊蓄を披露するのがなんだか懐かしい。それからもう一人のゲスト岡田暁生氏の本は、最近読み始めているので、なんだか親近感がある感じ。

まあ、この三回の放送では、バッハの音楽を西洋音楽システムが確立されたという前提に立って、フレーズの使い回しの方法とか、通奏低音について語ったりしている。まあ、単声音楽から、一度(ド)と五度(ソ)のポリフォニーを経て、三度(ミ)が導入され、和声が成立する。これがオケゲムなんかの時代。以降バッハが平均律を確立し、あのクラヴィア集を作った、というあたり。ここで述べ立てるほどでもないですけれど。

ワークショップ

で、一番面白いのが「ワークショップ」。

中三から高三ぐらいの若者の音楽やっている方々が出てくる。楽器も様々で、ヴァイリン、フルート、エレクトーン、エレキギター、ピアノ、三線、などなど。

で、この若者が、バッハのフレーズを使ってアレンジしてみたり、通奏低音に合わせて曲を作ったりするんですよ。

たとえば、「主よ人の望みの喜びよ」のメインテーマが、バッハの音楽の至る所で使われているのだが、それを、若者なりにアレンジしてみたりする。エレキギターの男の子は、坂本龍一に「コード入れてごらん」とかアドバイスされて、ディストーションをかけてフレージングしてみせたりする。エレクトーンの男の子は、フュージョン的というかポップス的というか、かなりシンコペーションのかかった、まあありがちだけど格好いいアレンジにまとめ上げてしまう。あれを15歳で瞬間的に作ってしまうあたりが凄い。

で、もっとすごかったのが、お寺の名前のような名字を持った女の子。この子だけ、テーマをマイナーキーで演奏してみせて、坂本龍一と岡田暁生が、驚き喜ぶんですね。いやあ、良いセンスしてます。

自分との関係

それで、でも、このプロセスって、僕が高三から浪人を経て大学の頃にやってたことに似ているなあ、と。当時はジャズ理論なんか知らんわけで(いまもよくわかりませんが)、ともかく最初にキーを捕まえて、使える音と使えない音を覚えて、後ろでなっているコードを意識しながらフレーズを作っていくという作業を、毎日毎日やっておりました。だから、キーの感覚はかなり磨かれたんだと思う。この番組のワークショップでやっていることも、僕も今ならできるなあ、と思った。でも、斬新なことはできないだろうけれど。

坂本龍一のすごいところ

通奏低音に併せてフレーズを作るところで、坂本龍一も「じゃあ、僕も」みたいな感じで、やってみるんだけれど、これは私には理解できない難しさだった。24個のキーの世界+ある程度のテンション世界で生きてきた僕にしてみれば、全く何やっているのかわかりませんでした。悔しいのう。無調なんだけれど、方法論まで説明できない。悔しすぎる。

ちょっとだけ

とはいえ、やっぱり僕ぐらいだと少し物足りなさもあるなあ、という気もする。西洋音楽史をある程度押さえていたり、音楽理論を少しばかりかじっている方には、解説はすこし簡便かなという気もする。でも、一緒に見ていたカミさんは何言っているのかわからなかいらしい。ということは、聴取者の的を絞り切れていないということかしら。でも「ワークショップ」が最高に面白いからいいんです。

貴重な

この番組、凄く面白い番組であることには間違いないし、音楽理論を取り上げるという意味においては、少なくとも僕にとってはこれまで記憶にない番組ですので凄く貴重です。

私の大好きな「 名曲探偵アマデウス 」が楽曲の成立史を掘り下げていて、音楽理論についても、玉川大学の野本先生が解説してくださいますが、番組の性格上どうしても楽曲中心の説明になります。音楽理論を体系的に説明するという意味合いのものではありません。

音楽理論に触れる場としては、昔は「音楽芸術」という雑誌があったんですが10年ぐらい前に永遠休刊となってしまいましたし、その後長木誠司さんが作られた「 エクスムジカ 」も残念ながら終わってしまいましたし。

まだ三回しか放送していないから、これからどうなるか凄く楽しみ。

というわけで、この番組は、以下の時間帯に放送中です。是非ご覧になってみてください。

  • 教育:毎週土曜 午後11時45分~
  • BS2:毎週火曜 午後4時30分~

Opera,Richard Strauss

第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。

で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています

2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。

https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php

でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。

ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。

「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。

R.シュトラウス:4つの最後の歌
シュテンメ(ニーナ) シーゲル(ゲルハルト) ホワイト(ジェレミー) グロドニカイテ(リオラ)
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おすすめ度の平均: 5.0

5 新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね

ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ(全曲)(DVD付)
ドミンゴ(プラシド) シュテンメ(ニーナ) 藤村実穂子 パーベ(ルネ) ベーア(オラフ) コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
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そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。

シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。

公式ホームページはこちら

レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。

逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。

それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。

あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。

今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。

Richard Wagner

あの(私の中では)伝説の、シュナイダー&テオリンの黄金の「トリスタンとイゾルデ」のDVD、ブルーレイが発売となりました。うむむ、欲しいぞ。というか、ごらんになっていない方は是非是非。演出には賛否両論あるんだろうけれど、テオリン様の声や演技、表情を見れば、恍惚状態に陥ることは間違いありません。シュナイダーの指揮も絶妙だし。っつうか、私これ買います。はたらきますよ、テオリン様のためなら。

当時の記事を。

続 バイロイトの「トリスタンとイゾルデ」を

バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第一幕

バイロイト音楽祭/ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第二幕&第三幕

どんどんテオリン様にはまっていくのがわかって面白いです。また聴きたいなあ、テオリン様。

※ で、その後、くだんのDVDは注文いたしました。すまぬ、財務大臣。

Music

あー、iPod壊れました。理由不明。数ヶ月前に激しく床に落としたことがあって、それ以降普通だったんですが、昨日になってから急に再生ができなくなりました。それで復元を試みたのですが、赤い×印が表示され、何もおきない。要はアウト。

で、サポートに電話したんですが、これがまた本当に丁寧に指示してくださり、いろいろ試したのですがやはりだめで、修理となりました。2万円超。痛い。

いつも使っている携行品傷害の申請にいったら今年一月からiPodは免責になってしまったとのことで、保険金は降りないとのこと。極めて厳しい状況。

しかし音楽中毒の私はひと時もiPodを手元から離すことはできません。痛い出費。ショック。まあ、仕方がない。

対策を。

  1. iPodをクリアケースに入れる。外観の傷はこれで担保。
  2. ケースごとコンデジ用の厚手のケースに入れる。これで落下時の振動を軽減。
  3. ついでに、ケースが落ちないように、ズボンのベルト通しなどとカラビナでつなぐ。あるいは、ストラップで首から吊り下げる。
  4. 決してiPodをクリアケースの状態のままポケットに入れたり放置したりしない。
  5. 肌身離さず常に持ち歩く。

これぐらいでしょうか。気をつけましょう。私はもうショックで眠れませんので。

でも、カラヤンの「パルジファル」とロット様の「四つの最後の歌」を聴いたら少し元気出てきた。午後もがんばりましょう。

っつうことで、今日は短信モードで。