当ブログの公開エントリ数が1000本を超えました。
最初にブログを始めたのが2003年だったと思います。当時の最先端だったMovabletypeのバージョン2で始めたのでした。
その後、2006年にFC2に「Museum::Shushi bis」としてリニュアールし、再びMovabletypeに戻り、このたび1000本突破となった次第。
ひとえにごらんになってくださっている皆様、コメントをいただいた皆様のおかげでございます。ありがとうございます。
今後も引き続き続けて参りますので、皆様のお越しをお待ちしております。
エントリー数が1000本突破しました。
寂しき思い──新国立劇場「影のない女」に思うこと
はじめに
「影のない女」から一夜明けた今日、なんだか、虚しさ覚える、虚脱状態とでもいいましょうか。
オペラを総合芸術に仕立て上げたのはリヒャルト・ヴァーグナーですが、以降のオペラは、音楽面だけではなく、文学面や美術面においても評価されなければならなくなってしまいました。そのうちどれかが欠けても難しい。
昨日の「影の女」は、残念ながらひとつだけ欠けたところがあったと思うのです。それは私の理解の足りなさという面もあるかもしれませんが、やはり演出面だけは釈然としません。
シュトラウスとホフマンスタールが作り上げた天才的奇跡的な音楽だけに、それをさらに高みへとあげるのは困難なはずですが、それにしても、という歯軋りをする思い。三人のヒロイン達がすばらしかっただけに、残念な思い。
最初に舞台装置に「疵」というか「矛盾」を見つけてから、視覚的違和感が常につきまってしまうのです。
これ以降、書くこと自体躊躇するところがあります。私の理解不足や、体調の不備、天候の悪さなどが影響しているかもしれないからです。ですが、やはり、ここは一足飛び超えて書かないと行けない、という覚悟で書きます。それが、新国にとっても良いことだと思うので。ご批判は覚悟の上。なにかあればコメントを。
違和感
私が違和感を感じ始めたのは第一幕のバラクの家のシーンから。
舞台全部には白い平たい板、白い底面が引いてあるのですが、それは、家々が地面に投げかける白い影で、家の窓枠に対応する形で、床が切り取られているのですが、一つだけ対応していない場所があるのを見つけてしまったのです。
神は細部に宿りますので、そうした細かい疵に気づいてしまってからなんだか気が抜けたソーダ水を飲んでいるような気分になってしまいました。
で、この平たく白い底面は、全幕通して置かれっぱなし。皇帝の居室であろうと、バラクの家であろうと、霊界であろうと、いつでも。これはちょっと違和感がある。
それから、舞台装置の移動は、黒い服を着た男達が劇中にお構いなしにあらわれて移動してくる。日本風に言えば黒子なんですが、顔もあらわで、いわゆる日本的な黒子ではないのです。「影のない女」の難しい舞台転換を安易な方法で解決したとしか思えない。
確かに「ヴォツェック」でも、黒子的な男達が現れたけれど、ちゃんと衣装を着て、ちゃんと演技しながら舞台装置を動かしていたんです。ですが、今回は演技すらしない。本当にスタッフがやっていて、劇空間がめちゃくちゃに破壊されてしまう。
それから、鷹や馬、オオカミなどの動物たちは、動物の形をしたワイヤーアートを持った方々が出てくるのですが、このワイヤーアートが見えにくくて仕方がない。これ、あらすじを知らない方がごらんになったら、赤い鷹の重要性を全く理解できないと思います。
それから、舞台装置がチープに思えてしまう。家をかたどったオブジェはベニヤ板が張られているのが見えてしまったり、石垣のように石が積み上げられた壁は安くて弱々しい。
乳母が死ぬ場面も、なんだか予定されたように舞台下にせり下がっていくというありがちなパターン。
背景は何か?
でも、本当にこれは演出家だけの問題なのだろうか、とも考えたのです。ほかにも原因はあるのではないか、と。
よく考えますと2010年度になってから二回目の新制作ですよね。もしかしたら予算が相当削られていたのではないか、とも思えるのです。まだ新国立劇場自体の22年度予算はウェブ上で確認することができないのですが、そうした背景もあるのではないか、とも。
先日の「ジ・アトレ」6月号に書かれていたのですが、予算は年々縮減傾向にあることは間違いないようです。そうした影響が出ているのかもしれません。
それから、このシーズンでは指環の後半である「ジークフリート」と「神々の黄昏」をやっている。バックステージツアーで舞台監督の方がおっしゃっていたのですが、再演とはいえ、やはり経済的な負担は大きかったようです。ですので、「影のない女」の予算が削られてしまったのではないか、とも思える。
まとめ
いずれにせよ、すこし寂しい思いをした公演でした。私も少し気張りすぎていて、期待が大きすぎたので、その落差に戸惑っているという面も少なからずあるとは思いますし。
次のシーズンでは、「アラベラ」や「トリスタンとイゾルデ」の新制作もあります。演出家の方も大変だと思いますが、予算担当の方も相当大変なはず。
私にできるのは、チケットを買って、劇場に足を運んで、公演の模様をブログで取り上げて、頑張ってくださいと申し上げる、ということぐらいしかないので……。
ともかく、今後も、日本唯一の常設劇場を持ったオペラカンパニーとしての新国立劇場を応援していきたいと思います。
強力無比な女声三人──新国立劇場「影のない女」
行って参りました、「影のない女」@新国立劇場。
あいにくの雨模様で、少々気が滅入っていたのかもしれませんし、昨週は相当忙しかったので、体調が万全ではなかったということはだけは最初に申し上げておいた方が良いかもしれません。
驚きの再会──ジェーン・ヘンシェル
しかし、驚いたことが一つあります。
このオペラで最初に口を開いて歌を歌うのは乳母役のメゾソプラノ。始まったとたんに身震いしたんです。凄いパワーなのですよ。
声の大きさも十分で、倍音を豊かに含んだ声。技術的にも凄いと思ったのは、伝令とともに、「皇帝は石化する」と歌うところ。
“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/3-Stein.mid
ここ、相当低い音まで出さなければならなくて、CDで聴いていたとき、この部分をメゾが歌うのは、ピッチコントロール含めて、かなり大変そうだな、と思っていたのです。
ところが、この方は難なく最低音域に到達しピッチも狂うことなく、音楽的な価値を保っている。
このメゾソプラノのお名前はジェーン・ヘンシェル女史。
で、わたし、デジャ・ヴに襲われたのです。ヘンシェル女史の姿、お顔や体型など、どこかで見たことがあるな、と。
もしかして、あの悔い多きバスティーユ・オペラでの「影のない女」で乳母を歌っていたのがこのヘンシェル女史ではないか、と。
家に帰って、ごそごそと当時のプログラムを見つけて見てみると……。
やはり!
2002年の冬といいますから、もう9年半前になりますが、当時、ウルフ・シルマーが振ったパリ・バスティーユオペラでの「影のない女」の公演で乳母役を歌っていたのは、間違いないくジェーン・ヘンシェル女史! まじですか! 凄い偶然というか運命というか。
この方のパワーで、この公演の音楽的部分は下支えされていたはず。相当なものでしたから。もう8年半前経っていて、かなりお年を召した感じなのですが、バイタリティ溢れておられる。体力的にもきわめて大変なはずの乳母役であるというのに。平伏します。
強力なヒロイン──皇后のエミリー・マギー
まずは、皇后を歌ったエミリー・マギーさんについても書かなければ。
この方、の高音の伸びは凄かった。ピッチコントロールを保ちながら、かなり高い音域でパワー全開で歌っている。テオリン様よりも高めの倍音を含んでいる感じ。容姿も端麗でいらして、皇后の持つ霊界の玄妙さと人間的な苦悩をうまく演じておられました。しかし、ハイトーンが凄かったです。新国には何度かいらしているようですが、またいらして欲しい方です。
もう一人のヒロイン──バラクの妻のステファニー・フリーデ
そして、もう一つの感動が、バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデさん。この方を聴くのは「西部の娘」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に続いて三度目です。
しかし、ここまで凄い歌唱を聴かせてくれたのは今回が初めてだった気がします。バラクの妻は、エヴァ・マルトンのようなブリュンヒルデを歌えるドラマティック・ソプラノの役柄なので、相当なパワーを要求される役柄。
フリーデさんは、少し語弊があるかもしれませんが、咆吼とでもいえる凄まじいパワーを見せてくれました。ピッチで若干揺れたところもありましたが、バラクの妻の切実な苦悩がストレートに伝わってきました。特に第三幕の冒頭部分から、バラクとの二重唱にかけての部分の迫力は衝撃的。凄かったなあ。
しかし残念なことが。
しかし、今回のパフォーマンス、どうにもしっくりこない。なぜなのか。
雨が降っていたこと、私の体力が十分でなかった、という事実はありましょう。
しかし、それを吹き飛ばすだけのものがなかったのかもしれない。
それは、音楽的な面ではなく、演出面を私が理解できなかったからではないか、と書かざるを得ない苦悩。これ以上、書けるかはわかりません。一日頭を冷やして考えてみます。
つれづれなるままにひぐらし
週末土曜日の方がウィークデーより体力的には辛いかも。
* 午前中は都内某所にて打ち合わせ。体力回復のため各駅停車に乗って座って都心に向かう。
* その後地元にとって返す。昼食は移動中に。
* 地元でヨガ。まだ体が硬い。まあ、小さい頃から柔軟性はないので仕方がない。もっとも、ヨガにおいては、体が柔らかければいいと言うわけではない。体が硬いほうが、ポーズによる刺激が強いので、効果的なのだとか。
* ヨガの後はウェイトトレーニング。どんどん筋肉がついていて、特に足は凄いことになってきた。もちろん太ももには脂肪が巻き付いているんだが、その中の筋肉(ハムストリングというらしいが)がぐんぐんついていて、ズボンがきつくなるぐらい。
* ウェイトトレーニングの後は図書館に向かい本を借りたりCDを借りたり。
* 自宅近くの最寄り駅に移動してイギリス人と話す。今日は勤務時間と仕事量の話。彼はマンチェスターで銀行員をやっていたんだが、彼のマネージャは、月曜日から金曜日の午前中まで猛烈に集中して働き、金曜日の午後から日曜日は休むらしい。たらたら残業する習慣はないんだとか。で、彼の場合、残業のメリットは、電話もかからず、人もいないので仕事がはかどるのだ、ということらしい。日本では、皆が皆、残業するのでそれは当てはまらない。私のように誰よりも早く会社に行って邪魔されずに仕事するのが、日本における集中のセオリー。
* 「影のない女」を明日に控え、予習に余念がないが、各三幕とも魅了的なシーンや音楽が詰まっていて宝箱のようだ。
* とはいえ、なぜかマイケルブレッカーを聴いているのだが。Now you see it は、私が初めてブレッカーに出会った思い出深いアルバム。今聴いても新鮮さは失われない。ラヴ、マイケル。
振り返ってみると今日のブログはTwitter状態だなあ。Twitterのつぶやき的なこのスタイルに甘えては行けないのだが、そんな感じで少々早寝をするので、お許しを。明日の「影のない女」に向けて体をいたわります。4時間以上座席に座って集中するのはそれはそれで肉体的にも精神的にも大変ですし。
ではおやすみなさいませ。明日は「影のない女」の速報を書きます。たぶん一日じゃ終わらないと思うので。
新国立劇場情報誌「ジ・アトレ」におけるイオアン・ホレンダー氏の意見について
はじめに
新国立劇場の情報誌である「ジ・アトレ」の2010年6月号が届きました。そのなかで、ウィーン国立歌劇場総支配人のイオアン・ホレンダー氏のインタビュー記事が載っていました。
新国立劇場の置かれている非常に難しい状況はすでにこのブログでも何度も取り上げています。予算の圧倒的縮減を求められていたり、年々国からの委託費が減らされて行くであろうという問題です。
“https://museum.projectmnh.com/2010/03/16035945.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/16035945.php
"
https://museum.projectmnh.com/2010/03/16084508.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/16084508.php
"
https://museum.projectmnh.com/2010/03/17032228.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/17032228.php
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https://museum.projectmnh.com/2010/04/08084114.php “:https://museum.projectmnh.com/2010/04/08084114.php
まあ、ホレンダー氏へのインタビュー記事はこうした情勢を意識ししたもので、少々我田引水な側面もあるのですが、重要なことが多数書かれていましたので、少しご紹介します。
ホレンダー氏の発言を引用しながら考えていきましょう。
芸術作品を国が助成することの意義について
我々は国民の税金を託されて芸術作品を想像するのです。国のためにではなく、税金を払った人のためにです。(中略)国がオペラハウスを造り、人々にオペラを提供することは重要な義務なのです。
劇場が国民のためにオペラを企画し制作すると言うことを国民が希望しているのです。(中略)芸術という心の糧が必要だから自分たちで作り育てている、それが基本です。
日本とオーストリアの文化全般に対する考え方の違いや、日本とオーストリアにおける「オペラ」という西欧由来の芸術の位置づけがは、全く違いますので、ホレンダー氏の意見がそのまま日本にも当てはまるとは思えませんが、少なくとも「芸術が心の糧である」という考え方は万国共通でしょう。
オペラが人間にとって果たしている役割
(オペラというものは公的資金なしには運営が成り立たないものでしょうか? という問いに対して)
全く、明確にそうです。(中略)オペラは全然もうけのない商売です。(中略)心を豊かと言うにするという面でも、遙かに大きな利益、目に見えない利益が入ってきているのです。オペラが、バレエがなせ必要か。それはnotwendig、必要だからとしか言いようがありません。 *それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです.*
今の社会は、明日、どうやって食べていこうか、という生存の危機にさらされている社会とも言えましょう。ですが、それでは人間も動物も同じになってしまいます。人間が動物と違うことの一つ、それこそが芸術を生みだし、芸術を享受することになる、ということなのです。これはどの芸術分野でも一緒です。音楽であっても、文学であっても。
新国立劇場の助成金と自己収入について
(新国立劇場の国からの財源が59%であるという事実に関して)自己収入が41%というのは非常によい数字です。(中略)ドイツでの歌劇場でも自己収入が20%以下というのがほとんどです。(中略)要するに、人に与える精神の価値というものは数字ではないのです。
私は、新国はMETのように、もっと国の助成なしに成り立っていくようになっていて欲しいと思います。ドイツの歌劇場では確かに許される助成金が、日本でもそのまま通用するとは思えないからです。
今、岡田暁生さんの「オペラの運命」という本を読んでいるのですが、ドイツにおけるオペラの位置づけは、国民のアイデンティティを確立するための装置であるという側面があります。日本において、オペラにそこまでの機能が求められているのか、というと少し違うはずです。
だからといって、ホレンダー氏の意見を全否定するものではありません。
岡田暁生氏の「オペラの運命」については、読了次第ご報告しようと思っていますが、オペラの歴史をたどると、現代におけるオペラの位置づけというものについて非常に大きな示唆を得ることができますので。これは別の機会に。
まとめ
今回の記事は、このタイミングで掲載されると言うことには若干の意図はあるでしょう。事業仕分けの問題などを意識しているはずだからです。ホレンダー氏の意見を100%無批判に受け止めることはできないでしょう。
とはいえ、人類に普遍的な部分はあると思いますそれこそが、 *「それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです。」* という言葉に顕れています。これこそが、最も重要な言葉です。
オペラは日本においてはニッチな分野であることは間違いありませんが、オペラに限らず、歌舞伎、文楽、能楽、音楽、文学なども、ジャンルが細分化され、ジャンルのなかもさらに細分化していくという状態。
国民的な共感を得ているのはプロ野球やJリーグのような娯楽や、テレビドラマやバラエティ、映画などといえましょう。
だからといって、人数が少ないから、ニッチだから、といって切り捨てるのは本来の民主主義ではありません。民主主義は多数決主義ではないのですから。
私の書いていることは、きれい事かもしれません。食うや食わずで苦労しておられる方がいらっしゃることは十分に承知していますし、私だって明日はどうなるかわからないのですから。
ただ、音楽が生きる上での一つの支えになっていることは事実で、そうした思いを持っておられる方がほかにもいらっしゃると確信しています。
この「支えになっている」という考え方も、実はくせ者なのですが、これは岡田暁生氏の「オペラの運命」のご紹介の中で考えていきたいと思います。
乗り過ごしを防ぐLifehack & ブレッカー・ブラザーズの非正規盤
MT5.02
ブログをMT5.02にバージョンアップしました。少々不具合を起こしていたのですが、そちらも解消してまあ順当な感じ。でもやっぱり納得いかないところがいくつか残っています。
* ユーザー写真が表示されない。
* ブログステータスがダッシュボードの表示されない。
Movabletypeの研究もしたいところは山々ですが、ほかに重要なプロジェクトがありますし、外面に現れるところではないので目を瞑ろうと思っています。
乗り過ごしを防ぐ仕組み
私は、毎日6時27分の電車で出勤しています。会社の最寄り駅に到着するのが7時20分ぐらい。バスに乗って会社に到着するのが7時45分ぐらいでしょうか。
ですが、先日まで、大変な悩みを抱えていました。通勤電車には座ることができるのですが、本を読んでいるうちに眠ってしまい、乗り過ごしてしまうということが大変多かったのです。最寄り駅の次は、この鉄道の終着駅まで停車しませんので、大変な時間のロス。乗り過ごしたときには大変いやな思いをしておりました。
携帯のバイオレーション機能で目覚めないか、とかいろいろやってみたのですが、なかなかうまくいきません。
ところが、先日最大に効果的な方法を見つけました!
それは、iPodのアラーム機能を利用するということです。眠たくなったら、iPodの音量を最大にした後、音楽やら愛聴しているBBCのPodcastを消して、開き直って眠ってしまう。ちょうど最寄り駅に到着する寸前になると、アラームが作動して、大音量でサム・スカンク・ファンクが鳴り響き、確実に目を覚ます、という仕組み。
この仕組みを思いついてからは、終着駅まで行ってしまう、という事象は無くなりました。これもすばらしいLifehackのひとつかと思われます。
執拗に聞いているブレッカー・ブラザーズ
さて、そういうわけで聴いているのが、たぶん1992年ごろに発売された非正規盤と思われるブレッカー・ブラザーズのライヴ録音です。私も友人から借りたカセットテープから起こしていますのでジャケットの写真を持っていません。たしか黒っぽいイメージだった記憶があります。
AMAZONでそれっぽいのを探し出しました。上記のリンクはちょっと自信がないですが、メンバー的には同じなので、8割がたあっているとは思いますが。Live in New Yorkといっているのですが、ランディのMCにはフランス語が混ざりますので、パリかどこかフランス語圏でのライヴなのではないか、と疑っています。
曲目は、
# Some Skunk Funk
# Common Ground
# Sponge (Spunch)
# Song for Barry
# Spherical
# Inside out (N.Y. Special)
括弧書きの中身が、オリジナルのジャケットに印刷されていますが、これは誤りです。Inside OutもSpongeは、あの「ヘビー・メタル・ビ・バップ」に収録された超名曲なのですが、この非正規版を作った業者のリスニング力と前提知識不足が原因のはず。
メンバーも、すごいっすよ。当時の僕らのアイドル達ばかり。
* Randy Brecker (Tp)
* Michael Brecker (Tn)
* Mike Stern (G)
* George Whitty (Key)
* Jamese Genus (B)
* Dennis Chambers (Dr)
すばらしいのはやっぱり、Some Skunk Funkなのは、この曲をはじめて知った1992年からまったく変わりません。この年は、ブレッカー・ブラザーズ再結成の年でしたので、当時まだ開催していた「マウント・フジ・ジャズフェスティバル」に来た映像が深夜枠で放映されまして、私は雷撃を受けて突っ伏していた感じでした。
この曲、死ぬまでに一度はやってみたかったんですが、大学3年生のときにすばらしいメンバーにめぐり合えて、演奏することができました。私の専門はアルトサックスなんですが、テナーを先輩から借りて、デュコフのマウスピースをつけて、Some Skunk Funkを演奏しましたですよ。いい思い出。
で、非常に辛らつなバッパーのM先輩からは「まあ、この曲をやった、ということ自体が重要なんだよね(できの悪さはともかくとしてね)」というお言葉を頂戴した次第。あはは。まあ、いいんです。僕らは楽しかったんですから。
EWI
っつうことで、またEWI吹きたくなってきた。今日はT-Squareの曲をコラボ。ちょっと吹いただけでアンブシェア(口の周りの筋肉というか形の意地力というか)がボロボロで、ちょっと悲しかった。EWIでこの調子だとすると、アルサクはもっとだめなんだろうなあ。
でも吹いていて楽しかった。アンブシェアもフィンガリングも耳もかなり悪くなっているけれど、長い目でみて少しずつやっていきます。
いよいよ迫る新国「影のない女」
いよいよ迫る新国「影のない女」
さて、本題。
今週末に迫ったリヒャルト・シュトラウス畢竟の大作、歌劇「影のない女」新国立劇場公演に向けて準備を進めています。今朝から聞いているのはショルティのDVD盤をiPodにいれたもの。この曲は、この一ヶ月間に数えられないほど聞き込んでいますが、第三幕が素敵だな、と思うようになりました。
なんだか、マーラーの皮肉を交えた牧歌的な音楽が聞こえてきたり、ベルクやマーラーのトーンクラスター的な和音が聞こえてきたり、ヴォツェックのフレーズがでてきたり、と、このオペラが受けた影響、逆に及ぼした影響の大きさを体感しました。あと、明らかに「ツァラトゥストラはかく語りき」とおぼしきフレーズも出てきます。
こういうの、ちゃんと譜面に起こして説明したいところですが。。
それから、バラクの妻が三幕冒頭で歌うアリア的なところ、私の今聞いているDVD盤ですと、エヴァ・マルトンでして、もうこのブリュンヒルデ歌いの全力疾走状態で、鬼気迫るものがあります。
その後のバラクと妻の二重唱のところ、泣けますねえ。3月ごろ、感情が不安定で、西田敏行になっていたのですが、最近は現実の厳しさのほうが激しくなって、泣く余裕がないんです。なので、今はまだ泣けない。週末に泣けるといいんだけど。
ここではバラクの旋律が一度提示され、その後もう一度歌われるバラクの旋律に、バラクの妻の旋律が対位法的に絡み合ってくる。このあたりのフレージングのすばらしさは、シュトラウスならでは、の神業とでもいえましょうか。
あと、一番大好きなのが、乳母が「カイコバート!」と叫んだあとに、女声合唱がエコー(こだま)を歌うんですよ。エフェクター的にいうとディレイをかけた感じで、
乳母「 %{font-size:16px;}カイコバート!% 」
女声合唱「 %{font-size:11px;}カイコバート!% 、 %{font-size:9px;}バート!% 、 %{font-size:7px;}バート!% 、 %{font-size:5px;}バート!% 」
という感じを再現している。こんな思いつき、シュトラウスが初めてじゃないと思うけれど、初めて聞いたときはのけぞりました。その後、荘重な音楽とともにカイコバートの伝令が現れるというかっこよさ。たまらんです。
ショルティの指揮も、いろいろ言われていますが、この録音に関して申し上げればまったく違和感ありません。ショルティというと力技でスピード感があって、というイメージなのですが、意外と重々しいんです。第一幕の冒頭のカイコバートの動機もかなりゆっくりと、低音域を強調してますので。
ショルティのCD盤のドミンゴのドイツ語が残念なだけ。歌はうまいのですが、子音の鮮烈感がたらないのですよね。。。ドミンゴにそれを求めるのが恐れ多いことではありますが。
それから、DVD盤のほうは、ライヴ収録盤なので疵が相当あるのは否めない。ウィーンフィルとはいえ、かなりアンサンブルにばらつきが感じられたりします。そこがちと残念
日曜日には泣けるように頑張ります。
破壊的欲求を満たしてくれる音楽
いやあ、月曜日はつらいですねえ。がんばりますが。
さて、なんだか紐が切れた凧のようにふらりふらりと漂っている状態。破壊的な欲求がこみ上げてきてどうしようもない。こういうときはランディとマイケルのブレッカー兄弟の音楽を聞いて代謝しましょう。
私の音楽の聴き方はよこしまな道に違いない。
さて、このアルバム、ランディ・ブレッカー名義のアルバムですが、マイケルもゲスト的に参加しているアルバム。CD版もいいですが、DVD版だともっと楽しめる。ビックバンドをバックにして、ランディとマイケルが大暴れします。ウィル・リーのベースも凄いですし、ジム・ベアードのキーボードもいかしている。
サムスカ(サム・スカンク・ファンク)は、私の知っている音源の中でもかなり行けてるほう、だと思っています。Youtubeには、失敗しているセッションもあったりするので、ああ、あの二人も万能じゃないんだなあ、と妙に納得してしまうこともありますので。
3年前にも記事書いていますね。あのころの僕と今の僕は決定的に変わりましたが、これからどう変わっていくのかも楽しみですね。不惑とかそういうの、嫌いなんで。
“https://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php":https://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php
えーっと、CSS少しいじりまして、文字の大きさを小さくしてみました。この方が読みやすいという意見もあり、ちょっといろいろいじっています。あと、デザインでいくつかやりたいことがあるので、それも楽しみ。CSSのデザインの本を安く入手したのでインスパイアされました。
やることが たくさんあるうち それが華(はな)
つれづれなるままにひぐらし
本日日曜日(ちょっとずるだが)、いろいろありました。といっても、家の中でですけれど。久々の完全オフなので、ゆっくりいろいろさせてもらいました。
* Movablet Type を5.02へバージョンアップしました。いろいろ気になっていたバグがフィックスしたようでしたから。ですが、かえっておかしなことになってしまいました。Java Scriptで動かしているダイアログがうまく動かなくなりました。これは、ブログの投稿やコメントのやりとりには影響ありませんので、Sixapartにいったん事象報告して待ちとします。ちょっとこれ以上原因究明する時間はありませんので。
* キーボードを新調しました。英語版101キーボード。IBM製で、トラックポイントとウルトラナビがついているもの。たまにマウスに手を伸ばすのがおっくうになるときがあるので。ですが、ここでも問題発生。どうしてもWindowsが101キーボードとして認識してくれない。106キーボードとして認識するので、キーの配列と入力文字が一致しないのです。ドライバ入れかえたり、レジストリをいじったりしましたがダメ。結局DvorakJというソフトを入れてことを納めました。
* 昔、iTune Storeで、メシアン生誕100年記念音源を買ったんだが、Windowsを5回再インストールすると、DRMでロックがかかって聞けなくなりそうなので、オーディオCDを14枚焼くという、時代に逆行する作業をしました。DRMロックなんかやめちゃえばいいのに。
* 来週末21日に、アルミンクがNJPでドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を振るんですが、頑張れば何とか行けそうだけれど、仕事が詰まっているので断念。予習も足らないし、23日の「影のない女」もありますので。でもまだちょっと迷っている。行っちゃうかもね。
* 最近、J-WAVEをよく聞いている。 “radiko":http://radiko.jp/ だと、ウェブ上で聞けるので音質最高なんです。番組的にも、まあいうなれば女性ファッション雑誌のような内容で、ポジティブシンキングでロハスでハッピーで前向きな番組が多いので、聞いていて元気が出る感じ。
* で、疲れたら、やっぱりモーツァルトのシンフォニーを聞いてまったり過ごす。ジェフリー・テイトのボックスCDはいいですよ。ライトでフェザーな感じで、疲れ切った体には良く効きます。
というわけで、いろいろ疲れたり癒されたりと忙しい休日になってしまいました。
明日からはまた会社ですねえ。サラリーマンはリング的に言うと侏儒なのかもね。なーんてね。頑張ろう。
ドレスデンの記憶の奇想変奏──「カプリッチョ」によせて その2
ドレスデンには2001年の1月頃に行ったことがありました。まだ、世界が同時多発テロも金融危機も知らず、ITバブルがはじけたとはいえ、まだまだ冷戦後の安眠を貪っていた時代。一度目のドレスデンで、私はラファエロとカナレットに開眼したのですが、それはまたの機会に。
2001年当時のゼンパーオーパーがこちら。
そして、2006年当時のゼンパーオーパー
なんだか本当に雰囲気が変わってしまって、別の街のように思えるほどでした。
ドイツをご旅行された方はよくご存じだと思いますが、南と北とじゃ、ドイツ人の気性は全く違います。特に酷いのが、フランクフルトからケルンにやらルール地方にいたる一体とかベルリンじゃないかな(例外的にマインツでは何度も凄く親切にしてもらった。これもまたいずれ書きましょう)。ハンブルクやらリューベック、キールあたりには行ったことがないので分からないですが。
でもですね、ドレスデンではそういうイヤな思いを全くしなかったんです。それはミュンヘンでも感じたし、フライブルクでも感じました。
そのときはまだオペラを全然知らなかったのです。ブラームスの室内楽とブルックナーを狂い聴きしていて、オペラに行く欲求がなかった。けれど、ドレスデン絵画館の窓から、マチネに向かう人々がオーバーコートに身を包み、ゼンパーオーパーの入口へと消えていく姿を眺めていました。暗く寒いドイツの冬の出来事。
ドレスデンを去る前日、エルベ川の対岸からゼンパーオーパーの偉容を眺めていました。夕闇迫り、空は真っ赤に燃え上がっていました。実を切る冷たい風に震えながら、この街にはもう一度来なければならない、と強く思いました。「エルベの誓い」というのがありますよね。第二次大戦終戦時に米ソの兵士がエルベ川の橋で握手をして、恒久平和を誓ったというあの話。だが、あの時の私にとっての「エルベの誓い」は、必ずここに戻ってくるというものでした。
その後、ドレスデンはエルベ川の大氾濫で大きな被害に遭いました。ゼンパーオーパーも壊滅的な打撃を受けたし、絵画館の貴重な絵画は疎開しました。それはまるで、ソ連軍の侵攻に備えてナチスドイツが美術品を疎開させたのにも似ている。ピルニッツ宮殿に当時の洪水の水位が分かるようになっていました。
一番上のラインが2002年の洪水の時の水位。ちょっと変な写真ですがこの写真も見てみてください。
その後、ドレスデンは復興したけれど、復興しすぎたんですよ。一度目のドレスデンの頃は、まだ東ドイツ社会主義政権下の名残が至る所に見られたんです。フラウエン教会だって影の形もなかった。ただ看板があっただけだったんです。
ドレスデン城も下の写真のように工事中。つまりBaustelle.
でも、2006年の二度目のドレスデンは、すっかり変容していました。西側資本が大量に入り込み、ドレスデン城の復興がなり、「緑の丸天井」と呼ばれるザクセン王家の宝物館の公開直後と言うこともあって、整理券を取らないとドレスデン城に入れない有様。
銀行や商店の看板が乱立し、日本で言えば、ヨドバシカメラやヤマダ電機のような大型電気店「サターン」が街のど真ん中に店舗を構えていたり、消費者ローンのキャンペーンで、1000ユーロだかがあたるくじ引きに行列が出来ていて、あの薄暗い中央駅は、天井が張り替えられすっかり綺麗になっていました。
フラウエン教会は白亜の石造建築として再興していましたが、余りに新しすぎて違和感を覚えてしまうぐらい。なんだかドレスデンの暗く静かで内省的な雰囲気は露と消えていました。特にエルベ河畔の代わり方が凄くて、もう満員のカフェテラスやレストランが軒を連ねていて、どの店も満員御礼状態でした。
僕がお世話になったGaraxというお店は消えてなくなっていました。下の二枚は2001年当時のGaraxでの写真。若い女の子二人で切り盛りしていました。客は僕ひとり。ソーセージとジャガイモのペーストを食べてビールを飲んだんですが、あれも幸福な時間だったなあ。