Jazz

またまた今日もサーンボーンのCDについて。クラシックブログなのに申し訳ないです。それから、最新動向もチェックしていない。オペラばかり聴いていたからそういうことになったのですが。

サーンボーンは、記憶に間違いがなければデュコフという強力なメタル製のマウスピースを使っているはずです。その音の良さが昨日になって初めて迫ってくる感じを覚えたのです。大きな音量では音が割れて激しい音がするのですが、小さい音量ではサブトーン的な柔らかい音がする。その音量だけではなく音色自体もダイナミズムを持っていて、聞いている者の心をえぐります。これがもう感動的に思えてならない。つい4年ほど前に買ったCDなのですが、その時は全く価値が分らなかったのですが、今となっては、どうしてこのすばらしさが分らないのだろう? と不思議に思うばかりです。昨日も少し書きましたが、音楽を味わうことのできる瞬間というのが何時訪れるのかは分らない。あのヴェルディの音楽もやはり理解するのに時間がかかったけれど、サーンボーンもやはり同じだったと言うことでしょうか。音楽というのはこうだからおもしろいです。音楽には限りませんが。

オペラを聴いてからサーンボーンを聞いて想った大きな違いは、ビブラートのかけ具合。オペラ歌手のビブラートの波長より長いということ。これがなかなかおもしろく味わいをもって聞こえてくるのです。それも大きな発見でした。

Jazz

久々にジャズの話題を。

僕は学生時代サックスを吹いておりました。最初はアルトサックスを吹いていたのですが、しばらくしてからテナーサックスをお借りしてブレッカーごっこを愉しんでいました。というのも、私が好きなサクソフォニストと言えば、ほとんどがテナーの奏者で要らしたからです。マイケル・ブレッカー、ボブ・バーグなどなど。一方、アルトサックスでは、高校時代に聞いていたT-SQUAREの影響で、伊東たけし氏が好きだったのですが、その後はアルトサックスを吹かれる方の音楽は余り聴いてきませんでした。あの御大デビッド・サンボーン氏も学生当時は余り好きではありませんでした。

しかし、今日になって改めて聞いてみると、この人ただもんじゃない、とおもいました。盛上げ方を本当に心得ていらっしゃる。美しいフラジオ音域の高音はきちんと制御されていてそのテクニックに舌を巻く。割れるような激しい音ながらも、バラードもちゃんと吹ける。

改めて、すごい方だなあ、と思い知った次第。やはり年齢に応じて好きな音楽というものはどんどん変わっていくものなのでしょうね。

Miscellaneous

所用のため、記事はなんとかアップしますが、頂いたコメントの返答に時間がかかる見込みです。申し訳ありません。来週の終わりにはなんとか返答できるかと思います。

Tsuji Kunio

ここのところ、塩野七生さんや犬飼道子さんの本を読んでばかりで、辻先生の本をあまり読めていません。それでも、先日は「モンマルトル日記」を散漫に読んで、自分を鼓舞してみたりしていましたが。 そこで、何冊か辻先生の本を紹介してみようかな、と思い立ちました。初めて辻先生の本をお読みになろうか、という方々をターゲットにして、何冊か紹介してみようと思います。

まずは、「ランデルスにて」という短篇から。この短篇は、私が読んだ二つ目の辻作品です。一つ目は「樂興の時 桃」でしたが、学校の図書館にあった短編集の中からランデルスにて、を読んだのがはじまり。これを読んでから、すっかり辻文學の虜になってしまい、今に至るわけです。

美しい北欧の女性と知り合う主人公。女性の気の毒な身の上話を聞かされ、同じホテルの隣同士に止まるのだが、そこに現れたのは……。

まず始まりがすばらしい。列車が北欧の駅を通過していく様子が、駅名の羅列で表される。これがもうなんとも異国情緒を書き立てるだけではなく、重苦しい北欧の冬の空気が本から流れ出してくるのですね。そうして一気に物語世界に飛び込んでいくわけです。 そして最後に突きつけられる宿屋の主人の言葉。この言葉にぐさりと来たのは、主人公だけではない。読み手の我々も匕首を突きつけられたような気分になります。そして終幕部もやはり、北欧の駅名の羅列……。くぐもった声で発音される北欧語が陰鬱な空気を醸成します。

この話、読み終わってからもズシンと何かが来るのですよ。人間とは、人の間でしか生きられないというのに、とかく自分のことだけを考えるもの。それも都合の良い解釈で。

  • 初出 1975年「風景」
  • 辻邦生全集第二巻
  • 辻邦生全短篇(2)

Opera

整理するために、アイーダの人物相関図を作ってみました。

 

Aida
Aida posted by (C)shushi

アイーダがエチオピアの王女で奴隷だと言うのに、どうしてラダメスと知り合ったのか、という謎。アムネリスがラダメスに思いを寄せるのはよく分かります。きっとお嬢様で、何でも欲しいものは手に入れてきた手合いなのでしょう。ラダメスは立派ですが、少しお人好しでもあります。だからこそアモナズロの策にはまってしまう。アイーダの心は真っ二つでしょうね。敵国の将と恋に落ちるのですから。いわばウェストサイド物語というかロミオとジュリエットというか、古典的な悲恋物語の範型をとどめています。

Giuseppe Verdi,Opera

先日から隙間時間で少しずつ見ていた「アイーダ」のDVD。ようやく完了です。音楽を聴いてかなり覚え込むと、映像をみるととても愉しめます。

マゼールの指揮はキリッとしている。盛上げるところはテンポを上げてダイナミクスをつけています。まあ、オケや歌手が追随できていないところもありました。それから、第二幕の第一場で少々オケが乱れるところも。カラヤン盤でもやはり少々リズムが揺れるところなので難しいのだと思いますが。裏と表の拍節の取り方が難しいところなのです。ライヴですし仕方がないと思います。ですのでご愛敬です。全体的に割合に濃密な音作りだと思いました。

ラダメスのパヴァロッティは絶好調。張りがあって威力ある歌声はすさまじい。アイーダを歌うマリア・キアーラさんも健闘。アムネリスを歌うゲーナ・ディミトローヴァさんは、悪役なのか味方なのかよく分からないアムネリスの難しい役回りをうまくこなしていましたが、演出の都合もあるのでしょうけれど、もう少しナイーヴなアムネリスも見てみたいなあ、という感想も。

やはり第四幕の前半はアムネリスが悲劇のヒロイン的な状況で、アイーダの悲劇的状況も相俟って見ると、ラダメスよ、しっかりせよ、と言いたくなりました。二人の女性を死に追いやったり絶望の淵に立たせたり、とラダメスはなかなかに女泣かせな男なのです。自分への真偽を貫くのはいいのですが。

アイーダはプロットしてもとても面白いので、いろいろ翻案してみると面白そうです。

今回、アイーダをむさぼるように聞いたおかげで、ヴェルディのオペラが面白くなりました。やはり理解できない楽曲であっても、諦めずに聞き込むと面白くなってきます。この調子で、ヴェルディの他のオペラ群も楽しめるようになれるといいなあ、と思います。

 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ロリン・マゼール
  • 管弦楽==ミラノ・スカラ座管弦楽団
  • 合唱==ミラノ・スカラ座合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==マリア・キアーラ
  • ラダメス==テノール==フェルナンド・パヴァロッティ
  • アムネリス==ソプラノ==ゲーナ・ディミトローヴァ
  • アモナスロ==バリトン==フアン・ポンス
  • ランフィス==バス==ニコライ・ギャウロフ

Art

昨日の続きです。今更ですが、ちょっとバロックについてまとめてみようと思います。

バロックとは、大まかに言えばルネサンスのあと、ロココの前ということで、16世紀後半から18世紀半ばにかけての美術、建築、音楽、文学の様式概念で、スペイン語で「歪んだ真珠」を意味するbaroccoからきているとも、ルネサンス期哲学者が法外な論証をbaroccoと読んだことに由来するそうです。

美術においては「奇妙でグロテスクなもの」とされているようです。バロック美術で言うと、絵画では、カラバッジョ、ニコラ・プッサン、エル・グレコ、ベラスケス、ルーベンス、レンブラント達が立役者。年代的にはクロード・ロラン(クロード・ジュレ)(1602-1682)もバロックでしょうか。プッサンの影響を受けていると言うことですので、おそらくバロックに分類しても良いと思います。

バロック建築でいうと、ベルニーニとボロミーニのローマでの活躍で絶頂を迎えます。ヴェルサイユ宮殿もバロック建築なのですね。

ベルニーニは彫刻のほうが有名でしょうか。 先日、昔録画していた、NHKの「世界美術館紀行」でローマのボルゲーゼ美術館を取り上げていた回を見たのですが、ベルニーニの、彫刻とは思えない肉感的で透徹とした大理石彫刻を見たところでしたし、カラバッジョも近代絵画の祖として紹介されていましたので先日来バロック付いている感じです

。 特にベルニーニの彫刻は映像で見る限りすばらしすぎる。ダフネを我が者にしようと迫り来るアポロンから逃れようと、ダフネが月桂樹に変容していく瞬間を捉えた彫刻では、ダフネの指先が木の枝に変わり、足は根付き始めるのが実に細密精緻に彫られていました。このエピソードは、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ダフネ」で取り上げられている題材です。

ベルニーニは、「ダ・ヴィンチコード」の著者であるダン・ブラウンが書いた「天使と悪魔」でも登場しました。あれも面白い本でしたね。

Classical

この数ヶ月のことを思い出すと、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を9冊分を読了、加えて、「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷、「神の代理人」を読了、という感じで、個人的に限られた時間の中で塩野七生作品を結構読んだなあ、という感じ。しかし、今年の目標である、年間100冊には及ばないです。半年が経ちましたが、まだ40冊ぐらい。後半はペース上げないとだめかも。

仕事の方はといえば、今月稼働するはずだったプロジェクトが11月に稼働延期となったものの、6月になかなか手がつけられなかった10月稼働のプロジェクトの方が追い込まれてきていて、少々厳しい状況に追い込まれつつあります。そうはいっても、何とかするのですけれど。

音楽の方はといえば、この一ヶ月弱を「アイーダ」に捧げきりました。

というわけで、いろいろと根を詰めてやっていますので、ちょっと休みたいなあ、ということで、今日はコレッリを聞いてみることにしました。大分前に図書館で借りていたのですが、聞けていなかったものです。Concerti Grossi Op.6です。ディスク二枚組ですね。

イタリア語はあまりよく分っていないのですが、直訳すると大きな協奏曲集となります。しかしながら、辞書を引きますと、Concerto grossoで、「合奏協奏曲」とありますので、Concerti Grossiは合奏協奏曲集ということになりましょう。concertoは男性名詞ですので、語尾がiとなることで複数形となります。勉強になりました。間違いがあればご指摘を。

コレッリは1653年にフジニャーノに生まれ、1713年にローマで亡くなっています。ちなみに、ヴィヴァルディは1678年に生まれ、1741年に亡くなっていますから、コレッリはヴィヴァルディの一つ前の世代ですね。 17歳でボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員になった、とブリタニカ百科事典にありますが、神童ぶりを発揮していたんでしょうね。アカデミア・フィラルモニカは基本的には20歳以上じゃないと入れなかったのだそうです。コレッリの他にもやはり20歳に満たずにアカデミアに入会した音楽家がいるのですが、それはモーツァルトなのだそうです。コレッリ恐るべし。

合奏協奏曲、また本当に良いのですよ。心のオーバーホールということにいたしましょう。これはヴィヴァルディに影響を与えたであろう響きですよ。通奏低音がとても気持ちよいのです。これはちょっと癖になりそうな音楽です。録音もなかなか良いのです。ほどよいリヴァーヴ感が良く出ていて、とても気持が良い。コレッリの音楽は、同じバロックでもバッハとは違いますね。バッハの音楽にはある種の憂愁感、敬虔さ、生真面目さがあると思うのですが、コレッリの場合は、奔放に明るく素直に歌い上げている感じがします。もちろん、愁いに満ちた楽章もあるのですが、それですら、黄昏時の美しさを描写したのではないか、という気がするぐらい、美への透徹とした眼差しが失われていないように聞こえるのです。

バロック音楽ですので、テンポをこまめに変えたりはしないのですが、対旋律を巧く聞かせることでダイナミックな音作りになっていると思います。フーガも気持ちいいです。これは本当にお勧めです。

第8番のPastorale:Largoは、どこかで聴いたことがある曲。クリスマスという題名ですね。記憶間違いでなければ、イギリスのテレビ映画「小公子」だったかなあ、と。アレック・ギネスが伯爵役で出演していた心温まる映画で、最後のクリスマスパーティの場面で演奏されていたような。

Classical

昨日は所用で学習院大学のキャンパスにいってまいりました。学習院大学は、辻邦生師が教鞭を執っておられたゆかりの場所です。きっとこの道、この風景、この木々を眺めておられたのだろうな、と思うと感慨もひとしおでした。個人的には学習院大学には苦い思い出(受験したわけではないですよ)もありますので、なかなか複雑な気分を味わいました。

本当に暑い一日でしたが、今年の東京は、なんだか蝉の鳴き声が聞こえません。夕方に家の外に出てみると、か細く蝉が鳴いているのが聞こえたぐらい。毎年こんなものでしたでしょうか? なんとなく静かな夏という風情です。

この数週間は緑(Verdi)一色でしたので、たまにはベートーヴェンなども、と思いました。「葉っぱに埃がついたので水をかけて払ってやったでちブログ」さんのrudolf2006さんがベートーヴェンの弦楽四重奏を取り上げておられて、急に聞きたくなった次第。持っているのはアルバンベルク四重奏団の全曲盤で、10年近く前に大枚をはたいて買ったのです。どうやら最近は廉価版で出ているようですね。ショックでかいです……。

Beethoven: The Complete String Quartets
Alban Berg Quartett
EMI Classics (1999-11-16)
売り上げランキング: 11693
おすすめ度の平均: 4.5

5 永遠の金字塔
4 スタンダード

この曲の第三楽章、2分半ほどたったところのフレーズが好きで好きで仕方がないのですよ。長い音符が響き渡って、まるで川が静かに流れているのを眺めている気分だったのが、突然、典雅で優美で上品でたおやかな美しさを持つフレーズが現れる。ABQの演奏は思ったより遅いテンポでカンタービレ、みたいな感じ。7分半ほどのところでも再度登場しますが、微妙に旋律は変奏されていてふくよかな味わいを増している。四人の奏者だというのに雄弁です。これもやはりご馳走ですね。最終楽章も良いですねえ。少し愁いを帯びた旋律が徐々に上昇していって、情感がほとばしっていくのがよく見えてきます。

フランクフルトからケルンへ向かうインターシティに乗ったことがありますが、ライン川の滔々とした流れを眺めていると突然向こう岸の山の頂に古い城があるのが見えてきて、驚いたのですが、そんなことを思い出してしまいました。古き良きドイツの良心だなあ、と思います。

ABQは一度だけ聴きに行ったことがあります。やはりベートーヴェンの弦楽四重奏でした。サインもしてもらったはずなのですが、そのCDは何処に行ったのだろう……。

Opera

Salome in NNTT

昨週の水曜日の新聞に、新国立劇場の次期芸術監督人事についての記事が載っていました。今更ながらご紹介。すでにご存じのように、若杉弘さんは2010年秋に芸術監督を退き、尾高忠明さんが次期芸術監督に就任することが発表されています。2007-2008シーズンから若杉さんが就任したというのにもう次期監督ですか、と少々困惑したのですが、新聞によると芸術監督の任期は三年なのだそうです。そうすると、あと2シーズンで若杉さんが退任すると言うことになる。

うーん、個人的には「軍人たち」上演に代表される若杉さんのチャレンジに期待していただけに、残念だなあ、という感じ。あと2シーズンあるとはいえ、次期監督が発表されてしまうと、劇場の士気にも影響するのではないか、とも思いますね。

ところが、おもしろい(?)ことに、次期監督に「決まった」とされる尾高忠明さんも「そんなの聞いてないよ」という感じなのだそうです。劇場側が根回しが不十分なまま発表してしまったようなのです。尾高さん自身尾高さんは「納得できなければ辞退する」とおっしゃっているそうな。劇場側のネゴが足らなかったんですね。担当者は今頃大変だろうなあ。

理事長の遠山敦子さんは、小泉内閣で文部科学大臣になった方ですが、この方もやはり文部官僚。トルコ大使や文化庁長官も歴任しているそうです。今は官僚に対しては厳しい時代。いろいろ不祥事もあるということもありますが、それに乗じてマスコミも官僚を叩けばニュースになりますから、スケープゴートにしやすい。記事では直接遠山さんを批判してはいないけれど、記事の作りは時流に乗った(?)ものとも言えそうです。