「黄昏の古都物語」を読みました。前奏曲、間奏曲、終曲と題された掌編と五つの幻想的な短篇の世界です。この短篇は、「芸術新潮1984年9月号」でアール・ヌーボー特集が組まれた際に、田原柱一氏の写真と並べて掲載されたとのことです(あとがきより)。
幻想的な作風は、「天使の鼓笛隊」を想い出させます。それにしても、「幻想特急」が牧草地の真ん中に、レマン湖畔に、セーヌの河底に停車している姿が美しすぎて言葉になりません。正直言って、ヤラレた!と心のなかで叫んでしまったほどです。全編に通底するアール・ヌーボーの愁いを帯びた気怠い美しさの表現や、揺らいだ時間の表現が実に見事です。
美に魅入られるとは、その奴隷になることです。でも、それは、官能の甘い酩酊ゆえに、すべてを売り払った疚しさに似た気持を感じさせます
辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、214頁
「詩人というのは二重の存在さ、生れつきね。曖昧なところがあるから、健全な人たちには煙たがられる。ところが、詩人ときたら、大人のくせに子供。知っていて、何も知らない。泣いていて、笑っている」
辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、258頁
それにしても、セーヌの河底に列車を沈めるとは、なんという想像力なのでしょうか! 感歎してやみません。
それから、この短編集に収められた「サラマンカの手帖から」は、何十回と読み直している短篇ですが、今日もまた読んでしまいました。いつ読んでも、思うところがあります。僕にとって理想の短篇と言ってもいいと思います。「サラマンカの手帖から」については、また書いてみたいと思います。
辻邦生