Opera

ワーグナー:さまよえるオランダ人 ワーグナー:さまよえるオランダ人
バレンボイム(ダニエル)、シュトルックマン(ファルク) 他 (2002/11/20)
ワーナーミュージック・ジャパン

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今日は「さまよえるオランダ人」の予習をしました。再来週の日曜日(3月4日)の新国での公演に向けた予習です。私の部屋にはもうCDを収める場所がなくなっています。仕方がないので買うのは断念し、図書館で借りてきました。必死に聞いています。バレンボイムが振ったベルリン・シュターツカペレの演奏。迫力満点ですが、初期ワーグナーだけあって語法が古いなあ、とおもいました。ベルディ以前のイタリアオペラに親しんでいる向きには、入りやすいのではないでしょうか? ただ、日頃シュトラウスに耳が慣れてしまっていると、少しものたりなさを感じるかもしれません。

Japanese Literature

さぶ さぶ
山本 周五郎 (1965/12)
新潮社

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闇の掟―公事宿事件書留帳〈1〉 闇の掟―公事宿事件書留帳〈1〉
澤田 ふじ子 (2000/12)
幻冬舎

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「江戸切絵図貼交屏風」を読んでからと言うものの、時代物小説に少しく興味が湧いてきています。澤田ふじ子「公事宿事件書留帳」シリーズは、NHKの木曜時代劇で放映していることもあって読んでみることに。まずは第一巻「闇の掟」。京都弁が洒脱で、読んでいる最中は、会社で関西弁使っていました。プロットの作りも申し分なし。面白い。
それから古典である山本周五郎「さぶ」を再読。いやあ、こんな話だったかなあ、と言う新鮮な驚きと感歎。これはビルドゥングスロマンですね。今も昔も変わることのない人間社会を、透徹としたまなざしで見遣るあたりが凄い。歳をとってから読むと若いときと違う思いを抱くものですね。

Opera

R.シュトラウス:ばらの騎士 R.シュトラウス:ばらの騎士
トモワ=シントウ(アンナ)、ウィーン国立歌劇場合唱団 他 (1997/04/09)
ユニバーサルクラシック

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 今年、シュトラウスの「ばらの騎士」を二度見ることが出来そうです。俄に意識の上にあがってきた「ばらの騎士」。少しずつ予習をし始めました。これまで大好きだったのが、「ばらの献呈」の場面。オクタヴィアンとゾフィーの二重唱に感涙していたのでした。
 
 ところが、今回聴き直したところ、新たな発見を得たのです。終幕の三重唱を聴いたのですが、こんなに良い曲だったっけ? という新鮮な驚き。昔はここまで感動できなかったのです。オペラを本格的に聞き始めて四年目にして、ようやくシュトラウスの語法にも慣れてきたというところでしょうか? 
 三人のソプラノが歌うこれ以上ないほど研ぎ澄まされた美しさ。失うものへの静かな愛惜、新たに得たものを睦む静かな沈思。喜劇とも悲劇とも結論づけられないもの。これが人生という甘くて苦い杯。シュトラウスの遺志により、この三重唱はシュトラウス自信の葬儀において演奏されたという挿話が、この三重唱にさらに味わいを添えるのでした。
 音楽を理解するというのは、さまざまな局面や段階があると思いますが、僕のような一般リスナーにとっては、「良し」と思える瞬間が訪れたことこそが、理解へと進んだマイルストーンである、と言うことができるでしょう。そういう意味でいうと、「ばらの騎士」を少しずつ理解でき始めているのだ、と思えるのでした。

Classical

マーラー:交響曲全集 マーラー:交響曲全集
ウィーン国立歌劇場合唱団、オムニバス(クラシック) 他 (1995/07/07)
ユニバーサルクラシック

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今日は、バレンボイムの指揮する「さまよえるオランダ人」の予習をしました。夜はマーラーの交響曲第10番第一楽章をアバドの指揮で聴いています。夜に聴く10番第一楽章は薄気味悪さが感じられますね。ウィーンの爛熟した退廃的な美です。辻邦生先生の言葉を想い出しました。

美に魅入られるとは、その奴隷になることです。でも、それは、官能の甘い酩酊ゆえに、すべてを売り払った疚しさに似た気持を感じさせます

辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、214頁
そして、聞いた感想はこんな感じです。
「夜のウィーンを一人で歩くと、確かに国立歌劇場からシュテファン大聖堂むかって進むケルントナー通りは、商店のショーウィンドウから照らされる光に煌々と照らされていて、人通りも多く、それもウィーン人はもちろんのこと、ロシア人、稀に日本人の団体客、韓国人、中国人の団体客が歩いているわけで、ほとんど昼間と変わらない喧噪を感じるのだが、一歩横道にそれると、石造りの堅牢な建築に囲まれた石畳の細い路地が暗くどこまでも続いていているのだった。時々すれ違うのは、男と女がお互いにしなだれ合いながら歩いていく姿か、革のジャンパーを着た労働者風の口ひげを生やした男がポケットに手を入れて足早に歩いているぐらいだった。時折、光を路地へと投げかけているのは、女の姿態のカリカチュアを看板に仕立てあげた怪しげな映画館や。低音ベースが規則正しくリズムを紡ぐユーロビートが流れるバーの類だった。おそらくは、私のような異国人は居ないはずだった。この日の当たらない路地裏にこそウィーンの愛憎が満ちているに違いない。旅行者には決して理解することの出来ない悲喜劇が演じられているのだ」

Miscellaneous

From DRESDEN REISE…

http://www.japanarts.co.jp/html/dresden2007/index.htm
「音○の友」といった雑誌を買わない私は、クラシック界の旬な情報から常に遅れているわけですが、先だって新聞広告で「ドレスデン国立歌劇場来日公演」が11月に催行されるという情報をキャッチしました。
 ドレスデン国立歌劇場(ゼンパーオーパー)って、ザクセン州立歌劇場のことかしら? Saechsische Staatsoper Dresden
と同義? なんていう重箱の隅をつつくようなことは言いません。まあ、そういうことだと思うのですが、2006年10月のドレスデン旅行の感動をもう一度味わおうということで、なけなしのお小遣いからチケットを買うことにしました。
 演目は、「タンホイザー」、「ばらの騎士」、「サロメ」ですか! いずれもドレスデンで初演されたゆかりの作品を揃えてくるとは、かなり本気なのかな、とも思えてきました。
 しかし、やはりチケットフィーが高いですね。一番安い席で14000円ですから、普段新国立劇場の安いクラスで見ている私たちには三演目すべてに行くことは出来ない相談です。まあ、ドレスデンに行ったと思えば安いのですが……。
 
 ということで、家人が一番興味がありそうな「ばらの騎士」に行くことにしました。森麻季さんがゾフィー役で出演するというのも決め手の一つです。
 
 ところが、一番安い席は既に売り切れ。二番目に安いEランク17000円の席を取るのがやっとでした。
 ちなみに、ドレスデンでは、3月にシュトラウスのオペラ全曲公演をするようです。ウェブを見ると、「影のない女」やら「カプリッチョ」やら「平和の日」やら「ダナエの愛」といった垂涎ものの演目で埋め尽くされています。仕事がなくてお金があれば、飛んでいきたい気分ですが、そうも行かないのが悲しいところですね。
 さて、その三月の全曲公演では当然「ばらの騎士」も演奏されるのですが、キャストはほとんどかぶっていますね。指揮は準・メルクルさん、ゾフィーは森麻季さん、オックス男爵はクルト・リドルさんなどなど。ですから、ドレスデンで演奏したアンサンブルがそのまま東京に引っ越してくるようなイメージです。
 というわけで、今年の11月が楽しみです。
 
 っていうか、6月には新国立劇場の「ばらの騎士」もあるんでした。こちらはペーター・シュナイダーさんの指揮です。
 
 というわけで、今年はシュトラウスオペラを三回(「ダフネ」、「ばらの騎士」を二回、計三回です。)も見ることが出来そうです。頑張って仕事をする勇気が湧いてきた気がします。リヒャルト・シュトラウス先生、ありがとう!
(※ 写真は、2006年10月にドレスデンで撮ったゼンパー・オーパーです)

European Art

dore

 昨週の土曜日、「ダフネ」を上野の東京文化会館で見たわけですが、東京都区内で午前中の用事を済ませたあと、「ダフネ」の開演まで時間がたっぷりありました。半分は喫茶店で本を読んでいたのですが、残りの半分は、僕の大好きな国立西洋美術館に行ってきたのです。
 僕は、あまり該博な知識を持ち合わせてはいないにもかかわらず絵画を見るのが大好きです。二年に一度ぐらい行く欧州旅行での愉しみというものが、当地の美術館に行って、ルネサンス以降の西洋絵画をみることである、といっても過言ではありません。
 とはいっても、海外に行かなければ西洋絵画の一品を見られないというわけではありません。上野の国立西洋美術館には、驚くべきことに西洋絵画の名品がいくつか収められているのです。そのことを知ったのは五年ほど前でしょうか。それ以来、僕のお気に入りの東京スポットの一つとなっています。一年に一度ぐらい訪れて、馴染みの絵を見ながら心を癒しています。
 特に大好きなのが、クロード・ジュレや、リべーラ、ティエポロなど。エル・グレコやジョシュア・レイノルズもありますし、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、ピサロもあります。
 というわけで、土曜日に行った国立西洋美術館では刺激的な出来事がありました。二〇〇五年に新た収蔵された作品がいくつか展示されていたのですが、心に残ったの作品が二枚ありました。ヤコブ・ヨールダンス「聖家族」と、ギュスターヴ・ドレの「ラ・シェスタ、スペインの思い出」の二枚です。
 ヨールダンスの「聖家族」は、ヨセフとマリア、幼子イエスの三人が画かれた作品。暗い背景は、一瞥すると黒一色に思えるのですが、実はバラ色の払暁の光が見えています。マリアの物憂げな表情。マリアの表情は、確かに物憂げなのですが、どこか諦念を感じさせるような素っ気なさも持っています。まるでこれから起こることを予感しているようにも思えるのです。イエスは幸福そうに笑い、何かを指さしています。マリアとイエスの表情のコントラストと言ったら! そして、マリアの素朴な美しさと言ったら! 絵の前をしばらく動くことが出来なかったぐらいです。
 同じく、虜になったのが、ギュスターヴ・ドレの「ラ・シェスタ、スペインの思い出」です。スペインのある街の貧民街。夏の暑い盛り。シェスタの時間ばかりは、この高い建物に囲まれて日当たりの悪い界隈ににも天頂から太陽の光が降り注いでいます。太陽の光は万人に平等に降り注ぐのです。日なたでは世間の汚れを知らない子供達が光のなかに佇んでいます。その周りの佇む大人達も、確かに世間の不条理に苦しんでいるのでしょうが、このときばかりは太陽の神々しい輝きの喜びに預かっているのでした。立ってこちらを見つめる若い女は、黒髪で優しいまなざしのなかにも意志の強さが見てとれます。子供を抱く女は、抱くこと自体を幸福に感じている様子。奥にはターバンを巻いた異国風の男が彼方を向いて立っています。手前に座る女の子は、どうやら、少女から女へと踏み出しはじめた頃のようです。
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 ギュスターヴ・ドレは、アルザス人で、ストラスブールの生まれだそうです。挿絵画家として有名とのこと。なるほどなるほど、と思っていたのですが、このあと、運命の力に畏怖を覚えるのでした。
 僕が楽しみにしている、GoogleパーソラナイズドホームページのArt of the Dayというコンテンツがあります。毎日、日替わりで西洋絵画を見せてくれるコンテンツなのですが、なんと今日はギュスターヴ・ドレではありませんか! なんというシンクロニシティ。おそらくは神は存在するでしょう!、と思わずには居られません。また近々国立西洋美術館に行って、感動の追体験をしたいと思わずには居られないのでした。 

Classical



今日もお休みでした。ありがたいことです。
午前中は、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲を、ケンペ指揮で聴きました。このEMI廉価版全集シリーズ、本当に重宝しています。
ですが、悔しかったことも。この廉価版全集が出る前に、ABQのベートーヴェン弦楽四重奏全集を買ってしまったのですよ……。もう3年待っていれば安く手に入れられたのに、と言う感じです。
久々に聴いた「家庭交響曲」「英雄の生涯」「ドン・ファン」を楽しみました。家庭交響曲ってこんなに良い曲だったんだ、と感心しました。それから、家人に「「英雄の生涯」って、シュトラウス自身を英雄に見立てて居るんだよ」と教えてあげると「シュトラウスのイメージかなり損なわれたわ。そんなナルシーな人なんだ……」とあきれられたり……。いや、ナルシストだったからこそ、そして妻パウリーネに激しく叱咤され一生懸命努力をしたからこそ、リヒャルトは、後世に名を残す大作曲家になったのです! この世の中というものは、行動に移した者こそ勝利を収めるのです。もちろん、そこに才能が介在するのは言うまでもありませんが。

Opera

昨日は、ダフネを見に行きました。一幕形式で所要時間は1時間45分でしたが、あっという間に終わってしまった感じがします。本当に楽しめました。
くわしくはこちらも。二期会のページです。
http://www.nikikai-opera.or.jp/richard_s.html
ダフネ役の釜洞さんは、序盤では少々調子が悪かったようですが、終盤にかけてだんだんと声が熟してきた感じでした。本当に巧い方です。数年前の「インテルメッツォ」もすばらしかったのですが、今回も本当に力が入っていらしたと思います。
アポロ役の福井さんもすばらしかった。倍音が豊かな声は、欧米人のそれのようです。本当に安心して聴くことができました。
オケも良かったと思います。時に、弦と金管のバランスが崩れそうになる場面もありましたが、豊かにうねる弦や、金管の力強いファンファーレなど、うまくまとめていたと思います。
今回は、指揮者の若杉さんの指揮がよく見える席だったので、音楽を聴きながら振り方をじっと見ていました。ダフネは、四拍子と三拍子が混交し、時にテンポ取りが倍になるなど、とても複雑な拍子を取っているのだなあ、ということがわかりました。スコアをみるともっと興味深いのではないかと思いました。
今回の舞台ではダンサーが5人加わっていたのですが、すばらしかったと思います。一緒に行った家人に言わせれば「振り付けはありがちだと思うけれどね」ということでしたが、あまりバレエや舞踏を見ない僕にとっては斬新で興味深いものに思えました。
客席も9割方埋まっていて、盛況でした。おかげで終幕後のクロークの混乱には閉口しましたが……(というより、意見を言おうかな、とおもって、喉まで言葉が出かかったのですが、クレーマーになるのはいやだったのでやめておきました。一年前の僕ならきっとなにかしら言っていただろうな……)。そもそも東京文化会館のクロークの設置位置が悪いという問題もありますので、仕方がないとは思いますがね。それにしても、いい身なりの紳士淑女が列に割り込み、涼しい顔をしているのをみると、暗澹たる気持ちになりますね。そうした人間模様を観察できるのも「オペラならでは」なのですけれどね。


Classical

今日聴いた音楽。

マーラー:交響曲第8番 マーラー:交響曲第8番
ショルティ(サー・ゲオルグ)、ウィーン国立歌劇場合唱団 他 (1999/06/02)
ユニバーサルクラシック

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ショルティのマーラー交響曲第8番です。小さい頃からのお気に入りです。このCDすり切れるぐらい聴いて、ほとんど覚えてしまいました。ルネ・コロさんのテノールが美しいです。他の盤だと、テンシュテット盤が良いといいますが、数年前に聞き比べてみたところ、僕はショルティ盤のほうが好きでした。今聞き比べると違う答えになるかもしれません。

ブラームス : ピアノ三重奏曲 第1番ロ長調 ブラームス : ピアノ三重奏曲 第1番ロ長調
デュメイ(オーギュスタン),ワン(ジャン) ピリス(マリア・ジョアン) (1996/03/25)
ユニバーサルクラシック
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ブラームスの三重奏曲は、デュメイとピレシュを愛聴しています。はじめて聴いた若い頃のことを想い出して、懐かしい感じです。特に第一楽章、午後の木漏れ日を浴びながら青々とした草地に上向きになって寝ている感じです。そういうことを想像しながら聴くと、慰めて貰っているような気になってきます。

Tsuji Kunio

黄昏の古都物語 黄昏の古都物語
辻 邦生 (1992/07/31)
有学書林

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「黄昏の古都物語」を読みました。前奏曲、間奏曲、終曲と題された掌編と五つの幻想的な短篇の世界です。この短篇は、「芸術新潮1984年9月号」でアール・ヌーボー特集が組まれた際に、田原柱一氏の写真と並べて掲載されたとのことです(あとがきより)。
幻想的な作風は、「天使の鼓笛隊」を想い出させます。それにしても、「幻想特急」が牧草地の真ん中に、レマン湖畔に、セーヌの河底に停車している姿が美しすぎて言葉になりません。正直言って、ヤラレた!と心のなかで叫んでしまったほどです。全編に通底するアール・ヌーボーの愁いを帯びた気怠い美しさの表現や、揺らいだ時間の表現が実に見事です。

美に魅入られるとは、その奴隷になることです。でも、それは、官能の甘い酩酊ゆえに、すべてを売り払った疚しさに似た気持を感じさせます

辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、214頁

「詩人というのは二重の存在さ、生れつきね。曖昧なところがあるから、健全な人たちには煙たがられる。ところが、詩人ときたら、大人のくせに子供。知っていて、何も知らない。泣いていて、笑っている」

辻邦生「黄昏の古都物語」有学書林、1992年、258頁
それにしても、セーヌの河底に列車を沈めるとは、なんという想像力なのでしょうか! 感歎してやみません。
それから、この短編集に収められた「サラマンカの手帖から」は、何十回と読み直している短篇ですが、今日もまた読んでしまいました。いつ読んでも、思うところがあります。僕にとって理想の短篇と言ってもいいと思います。「サラマンカの手帖から」については、また書いてみたいと思います。