Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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モンマルトル日記 (1979年) モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生 (1979/04)
集英社

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詩と永遠 詩と永遠
辻 邦生 (1988/07)
岩波書店

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「モンマルトル日記」のなかから、「嵯峨野名月記」において述べられた「太虚」の境地を理解するための示唆を探し求めています。モンマルトル日記を読んでいると、作家が作品を生み出す舞台裏をのぞいているような感じを強く受け、それ自体大変興味深いのですが、その点についてはまた別の機会に書いてみたいと思います。
ともかく、今明らかにしたいと願っているのは、太虚と言う概念の指し示す意味なのです。
「モンマルトル日記」から引用してみます。

もう一度チャールズ・ラムの I am in love whith this green earth. (わたしは緑の大地が大好きなのです)に戻ってくる。この生命への執着、礼賛こそが、この生命の「よろこび」こそが芸術の本源に他ならない(中略)しかも
この「生のよろこび」はただ死を媒介としてのみ、永遠のものとなり、あらゆる面において輝きだす。(中略)死が永遠ではなく、この「生のよろこび」が死があるおかげで、永遠の輝く甘美さにつらぬかれるのだ。時のうつり、死、病気がなかったら、この「生のよろこび」は亡くなるだろうし、日々は砂を口口噛むような繰りかえしにすぎなくなる。

辻邦生『モンマルトル日記』集英社文庫、1979年、50頁
「詩と永遠」では、この死と充足の関係をモンマルトル日記において執拗に考えたとあり(179ページ)、以下のように述べられています。

<生きている>ことをそれだけで<喜ばしい>と感じるためには、何よりもまず<生きている>ことを重病人のように、銃殺直前の男のように、強く激しく乞い願わなければならないのです。(中略)私は、それを、不満な現状を慰める口実とするのではなく、あくまで不満そのものを通り越し、不満を無効にするような<生>のレヴェルに達すること、と理解しています。

辻邦生「語りと小説の間」『詩と永遠』岩波書店、1988年、179頁
さらには、この「喜ばしい感じ」と禅の境地との関連も示唆されています。文学創造のインスピレーションが<存在への驚き>であったり、<生きていることの恩寵感>であり、世界と私が一体となる透明な昂揚感である、とも述べられています。
整理してみると、
(1)死を意識する。<生>を剥奪された状態に身を置いたと仮定する。
(2)死を意識することが媒介となって、生きていることを恩寵として感じる
(3)喜びの感情にとらわれる。
(4)不満な現状を越え、不満を無効にするレヴェルに達する。
(5)このとき世界と私は同一となっている。
もう一度「太虚」の部分を引用してみます。
(A)

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
(B)

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
まず、(A)の引用で、死を意識し、死が解消して生を感じ、歓喜の念に達します。(1)、(2)、(3)のレベルまではここまでです。
次に、(B)の引用で、世の虚しさを悟りますが、この虚しさは豊穣な虚しさであるとされます。世の中は「背理」であり(宗達の独白)、汚辱にまみれた世界ですが、そうしたパースペクティブを越えて、太虚という境地に達します。ここで、(4)、(5)のレベルに達します。
補足が必要です。この引用の前の部分で、すでに前回までに引用していますが、以下の部分で私が世界と同一になっていることが指し示されています。
(C)

私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
(C)の引用で、(5)の世界との合一が直観されています。そして、光悦は「自らの仕事」──つまりは、芸術的創造へと自ら進んでいくのです。
この太虚の境地においては、何が起きるのでしょうか。作家である辻先生は、この昂揚感において文学的創造をなすとしています。昂揚感により美的価値が受胎し、芸術作品の創造へとつながっていくという訳なのです。
我々はどうでしょうか。喜ばしい感情を持つことでその先はどうなるのでしょうか? 辻先生の場合であれば、文学的創造へと進みますが、我々にとって見れば、こうした昂揚感を得ることで、この汚辱と悪弊満ちあふれた世界を生きていく原動力を得るのである、とでもまとめるべきなのでしょうか。
まだ、探求を続ける必要がありそうです。また次回以降も続けていきたいと思います。

Classical

ルスランとリュドミラ〜超絶の管弦楽名曲集 他 ルスランとリュドミラ〜超絶の管弦楽名曲集 他
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (1997/06/21)
BMG JAPAN

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ムラヴィンスキーが1965年にレニングラードフィルを振った「ルスランとリュドミラ序曲」を聴きました。一年365枚のgarjyuさんのおすすめだったのですが、幸運にも同じ録音と思われる盤を図書館で見つけることが出来たのです。
まずは一糸乱れぬ弦楽器の超速演奏に驚かさされました。一時代前のソヴィエト兵の軍事パレードを思わせるムラヴィンスキーの軍隊的統率力ですね。各音部のバランスも抜群。チェロも良く歌っています。これ以上の完成された録音が望まれるでしょうか?
「ルスランとリュドミラ序曲」以外では、特に「ローエングリン第三幕前奏曲」と「ヴァルキューレの騎行」が印象的。輝かしい金管とよく束ねられた弦楽部のバランス。「ヴァルキューレ」では、金管のパッセージが重厚かつスマートで、この曲が持つことを運命づけられている(楽劇中であり映画中の)戦闘的イメージをよく表出していました。
この盤には「フィガロの結婚」の演奏も収められていますが、この曲も高度に統制されています。序曲に続く歌劇本編のイメージを変えてしまうほど個性的・ソヴィエト的演奏で、社会主義リアリズム的フィガロの結婚と言った具合でした。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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今日は「太虚」について書こうと思いましたが、いろいろと資料を渉猟していたら時間がなくなってしまいました。
というのも、「嵯峨野名月記」第二部を執筆中の日記が「モンマルトル日記」に納められていて、ここに解釈のヒントがあるのではないか、という予測の下に読み始めてみたからです。
モンマルトル日記は1968年10月14日から1969年8月23日までの日記が収められています。この時期は、嵯峨野明月記の第二部が書かれていましたし、「背教者ユリアヌス」や「ボッティチェルリ偽伝(春の戴冠の原型)」を書かんとしていた時期に当たるようです。そのなかから「嵯峨野明月記」の内容に関わる部分を抽出しようとしているところです。
光悦が太虚について述べるのは以下のような文脈です。

不意に、何とも言い難い喜悦の念に捉えられ私はそれがどこから生まれたのか、思わず自分の中をのぞき込んだ。(中略)私は庭に降りて清水まで歩き、それを手にうけ、藤の花を仰ぎ、ふたたび濡縁にあがった。そのとき、また、強い光のような歓喜が、甘美に私を指しつらぬいていった。私は、はっとして、足を濡縁にかけたまま、身体をとめた。それは以前清涼院別院で、突然雲や花や木々が身近に迫ってくるように感じたときに似ていた。私はそこに座って朝日が杉木立を通して差し込んでくるのを眺めた。そのときふと私は、自分が、今の瞬間、太陽や、木立や、藤の花や、清水の流れと、全く同じものになっているのを強く感じた。(中略)私は、私を取りまいている太陽や空や花と同じものとなり、その中に突然解き放され、それと同じ資格で、そこに存在しているのだった。(中略)それまで私は、光悦という一人の人物として、雲を仰ぎ、花を凝視した。(中略)私は雲や花とは別個の存在だった。(中略)しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった。(中略)私は自分のなかでながいこと、しこっていた<死>が、その瞬間、ふと、なごみ、溶け、軽やかに揺らぐのを感じだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、428頁
一つめの引用部分は、辻文学の原点とも言える三つの至高体験のうち、ポン・デ・ザールからセーヌを眺めるという挿話によるものだと思います。この体験については、『詩と永遠』に書かれています。引用してみます。

ポン・デ・ザールのうえで私が感じたのは、(中略)全てのものが私という人間のうちに包まれている、ということでした。並木も家も走りすぎる自動車も、見も知らぬ群衆も、すべて、私と無関係ではなく、それは私の並木であり、私の家であり、私の群衆でした。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、249頁

このことは、私が世界を包んでいるとも言えますが、言葉を買えると、私が世界のなかにとけこんで、見えない人間になり、世界と一つになっているという風にも考えられます。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、250頁
光悦が「しかしその朝、私は雲や花や杉木立と別個の存在ではなかったのだ。私は光悦などではなく、まさに流れゆく雲に他ならなかった。散りゆく藤の花に他ならなかった。私は雲であり、花であり、杉木立であった」と述べる境地が、辻先生の体験に裏打ちされているものであることが分かります。
そして、続く<死>の克服と「太虚」の境地への発展の部分は以下の通りです。

<死>も実は藤の花が散り、雲が流されることに他ならぬ、と感じられた瞬間、それが一挙に溶け、流れ出ていたことに気がついたのだった。歓喜の念は、この<死>の突如とした解消から生まれていたのである。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁

私が太虚を感じたのはそのときである。だが、それは何という豊かさを浮べた虚しさであるのだろう──私は、その瞬間そう思った。まさしくこの生は太虚に始まり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。(中略)私は太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事が残されていようか。私が残したささやかな仕事も、この太虚を完成させることに他ならないのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、430頁
光悦が感じた、主観と事物の混合する状態において、死との関連が述べられます。死の解消によって光悦が歓喜の念を抱くことで、ある種の境地に達しています。
この死の解消による歓喜の念についても『詩と永遠』に述べられています。それは、<生>を願わしいと思う気持が昂じて、歓喜の念が生じるのであって、これが<詩的な状態>につながるのであるとされています。光悦の場合であれば、「ささやかな仕事」の原動力に当たるものです。
<死>の解消の境地について述べるためには、死についての考察を進めなければなりません。そこで冒頭に触れた『モンマルトル日記』に示唆が隠されているのではないか、と思ったのでした。まさにその通りで、辻先生が<死>を意識している場面に何度か出くわすのです。
次回は、モンマルトル日記の考察と、太虚についてさらに考えてみたいと思います。

詩と永遠
詩と永遠

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辻 邦生
岩波書店
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モンマルトル日記 (1979年)
辻 邦生
集英社

Jazz


Don't Try This at Home
Don’t Try This at Home

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Michael Brecker
Mca (1996/09/24)
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マイケル・ブレッカー二作目のソロアルバムであるDon’t try this at homeを聴きました。印象的なカバージャケットでは、マイケル・ブレッカーがテナーサックスを人差し指だけで支えています。それは、マイケルがテナーサックスのテクニックを完全に掌中に収めたことを雄弁に物語っています。
1曲目Itsbynne ReelがEWIのトリッキーな音色で始まったり、5曲目のDon’t Try This At Homeで、テナーとEWIのユニゾンが聴かれたりするなど、先進的なアプローチも見られますが、概して内省的な色合いを基調としているといえるでしょう。大好きなアルバムの一つです。
2曲目のChime Thisのインプロヴァイズはマイケルらしいフレーズに満ちています。4曲目のSusponeは循環形式の曲。マイケルのアウト気味の循環アプローチを聴くことが出来ます。6曲目のEverything Happens When You’re goneは静かに心に残る曲。内省的なテナーサックスの独奏イントロ部から叙情的なメインテーマへ。低音域から高音域にかけてのまるで星がちりばめられたようなテナーサックスの音。マイケル・ブレッカーが彼岸へ旅立ってから全てが始まるとでもいうのでしょうか。それはあまりに悲しくやるせないではないですか……。物語性をおびた7曲目のTalking to Myselfも必聴です。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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ともあれ、私が残した仕事は、朝日の差しこむ明るい部屋のように、幾世代の人々の心のなかに目覚めつづけてゆくであろう。私はいずれ<死>に委ねられ、藤の花のようにこぼれ落ち、消え去るであろう。私の墓のうえを落葉が覆うであろう。(中略)墓石の文字も見えぬほどに苔むしてゆくであろう。だが、そのときもなお私は生きている。あのささやかな美しい書物とともに、和歌巻とともに、(中略)生き続ける。おそらくそのようにしてすべてはいまなお生きているのだ。花々や空の青さが、なお人々に甘美な情感を与えつづけている以上は、それらのなかに、私たちの思いは生き続けるのだ……。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、431頁
光悦の最後の独白です。死してもなお生きると言う境地に達した光悦の言葉です。それは、みずからの残した仕事において生き続けることが出来るというのです。
光悦の場合も同じでしょう。光悦は死しても、光悦の残した筆は消えることはありません。死後数百年が経った今でもなお生き生きとしているのです。光悦の作品を通して光悦は今もなお生き続けているとでも言えるのではないでしょうか。
この「自らの残した仕事において生き続ける」ということを僕は一瞬だけ直覚したことがあります。自らの信ずる仕事を後世に残すことで死を越えることができる、あるいは死と折り合いをつけることが出来るという純粋な直観を、会社帰りの真っ暗な夜道で感じたのを覚えています。辻邦生先生が亡くなってからもう七年半になりますが、いまでもなおその作品群において世の中を見据えていらっしゃるのではないか、と思うのです。
次回は、同じく光悦の最後の独白で述べられる「太虚」について書いてみたいと思います。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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だが、おれは、ようやくこの世の背理に気づくようになった。(中略)この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)この世の背理に気づいたものは、その背理を受け容れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。(中略)それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、413頁

絵師とは、ただ絵を乾坤の真ん中に据えて、黙々と、激情をそのあかりとして、絵の鉱道を掘り進む人間だ

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、414頁
宗達の独白から二箇所引用してみました。
前者の「世の中は背理であるが、それを憎むのではなく、哄笑するのだ」というところ、ここに辻文学の秘密がかくされているのではないかと思うのでした。それは志波左近が「心意気」を拠所にして生きているのと似ています。人生を玻璃の手箱にたとえて、手箱の外に出て手箱を見遣る境地と同じなのです。不正、汚辱、矛盾、苦悩に満ちたこの世の中を憎悪したり、怨恨を抱いたり、性急な是正を求めるのではなく、あくまでその外に立って哄笑するのみという境地なのです。それは宗達の場合「黙々と絵の鉱道を掘り進む」ことによって求められるのであり、光悦の場合は書を書くことによって求められていたのでした。
これを読む我々はいかに生きるべきなのでしょうか?文学に人生訓を求めることは時に危険なことがあります。しかしながら、この文章を読んで自らの生き方に宗達の言葉を当てはめたいという誘惑を絶つわけには行かないと思います。
言葉で理念だけを述べるとすれば、世の中の背理、矛盾、悪弊を笑い飛ばし、自ら天命と思う仕事にただただ邁進するということだと思います。言葉で言うのはきわめて簡単ですが、これを実践に移すには果敢な決断力と勇気が必要とされそうです。
嵯峨野明月記も終わりに近づきました。次回は光悦の最後の独白を取り上げてみたいと思います。

Jazz


Smokin' in the Pit
Smokin’ in the Pit

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Steps Ahead
NYC (1999/08/10)
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ステップスのアルバムには、マイケル・ブレッカーを始め、スティーヴ・ガッドやエディ・ゴメス、マイク・マイニエリ、ドン・グロルニックなど著名なミュージシャンが参加しています。大学時代に耳にタコができるほど聴いたアルバムの一つです。
数年ぶりにCDをAACに落としてiPodで聴いて涙。そして、最大の泣き場所は、Young and Fine。数年ぶりに聴いたけれど、懐かしいというか何というか。この曲のマイケル・ブレッカーのインプロヴァイズは覚えたよなあ……。サークルの先輩と飲みながら一緒に歌ったこともあったなあ……。
今聴いてもやっぱり覚えています。ああ、このブレッカー・フレーズ、音階を漸的に上げていって、最後にガッドと共に最高の境地に達するあの瞬間。ゴメスの超速パッセージ。時よ止まれ!なにもかも懐かしい!
僕もこの曲をバンドでやったことがありましたが(個人的には完敗でしたが……)、そうした思い出とも重なって、甘みとも苦みとも言えない、複雑な思いの中に沈んでいくのでした。


久々にジャケットを開くと、若いマイケル・ブレッカーの写真が載っている。本当にYoungでFineなブレッカーを聴くと悲しみがつのっていくばかりです。

Classical

マーラー:交響曲第5番 マーラー:交響曲第5番
ラトル(サイモン) (2002/10/25)
東芝EMI

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一日遅れですが、カラヤン以外ベルリンフィルで最も印象的だと思う演奏です。ラトルの振ったマーラーの交響曲第5番です。ヴァントのブルックナーのシリーズにしようか、アバドのマーラーにしようかと迷ったのですが、最も衝撃的だったのが、ラトルのマーラーでした。
はじめて聴いたのはNHKBSで深夜に放送された映像を見たときでした。もう4年ほど前になると思います。たしかラトルの芸術監督就任記念コンサートという位置づけだったと思います。
印象に残ったのは第三楽章で、テレビ映像に驚かされたのでした。ホルンがラトルの横に立って、あたかもホルン協奏曲のように演奏されていたのでした(メンゲルベルクが考案したそうです)。ウィンナーワルツのような華麗さを醸成していたのでした。
それにしても、ラトルの演奏を聴いて眼から鱗が落ちました。マーラーの5番がこんなにも面白い曲だとは思いもよらないことだったのです。それまで持っていた盤では味わえないものでした。ラトルが自分の美意識を隅々にまで浸透させているのがよく分かるのでした。そのころまでラトルを聴くことはあまりなかったのですが、本当に巧い指揮者なのだな、と思い知らされたのでした。生き生きとした躍動感と、隅々にまで施された装飾的美しさを、こんなに楽しむことが出来るのものなのか、と思ったのでした。
ベルリンフィルではなくラトル中心になってしまいました…。

Tsuji Kunio


辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記
辻 邦生 (2004/08)
新潮社

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今日も光悦の言葉から引用してみたいと思います。

荒々しく、獣じみて激しく生きることは出来なかった。私にはどんな形であれ、平行のとれた、静かな端正な生活が必要なのだ。それは諦念でもなく、逃避でもなく、むしろ本来の自分であろうとする決意といってよかった。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、286頁

私も、自分も今日をのがれる人の群れにまじって洛外へ歩いているが、この人々とは全く別個の世界に生き、そこに立っているのを感じた。(中略)自分がおそれてもおらず、失われるものにも全く無関心であるのを感じた。言ってみれば、私はこうした人々が一喜一憂する浮世の興亡や、栄耀財貨などを、加賀の夏、立葵が咲きほこるのを見て以来、自分に無縁のものとして切りはなしていたのだ。少なくとも私が書や能に打ちこんで生きることを心がけて以来、それらは日々刻々に私の外へと剥落していたと言っていい。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、326頁
「立葵が咲きほこるのを見て」というのは、加賀で志波左近と出会った光悦が、この世を一つの玻璃の手箱にたとえて、手箱の外に出てそれを静謐に眺める境地に達した時のことです(1月6日ブログ記事参照)その境地にあっては、浮世のこと、人間の栄枯盛衰や、経済の成り行き云々について徐々に無関心になっていくと言うわけです。それは、「本来の自分」になろうとする強い意志によって獲得された境地なのです。
こうした境地があることが分かっていて、この境地にすぐにでも達っしたいと思うのが常なる欲求なのです。この境地に達するための方策は、光悦とは違う方法で(ひいては辻邦生先生とは違う方法で)見つける必要があるということだと思います。それが「バランス感覚を保つ」ということだと思うのです(1月5日ブログ記事参照)。あきらめてはいけないと思いますが、本当に難しいことだと思います。

Jazz

マイケル・ブレッカー マイケル・ブレッカー
マイケル・ブレッカー (1999/10/20)
ユニバーサルクラシック
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Don't Try This at Home
Don’t Try This at Home

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Michael Brecker
Mca (1996/09/24)
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僕が最も敬愛するジャズミュージシャンであるマイケル・ブレッカー氏(Michael Brecker)が亡くなられました。57歳でした。
http://www.usatoday.com/life/people/
2007-01-13-brecker-sax_x.htm?POE=LIFISVA
ひどくショックを受けています。
数年前から白血病にかかり、闘病生活を送られていたのですが、ドナーが見つからず、娘さんから移植を受けていた、ということは知っていたのですが、よもや亡くなってしまうとは…。57歳ですからね…。若すぎます。
マイケル・ブレッカー氏のことをはじめて知ったのは1991年頃だったと思います。高校生の時分でした。AKAI社のEWIという楽器の使い手である氏のことを、ジャズライフ誌の記事で知ったのが始まりでした。Now You See Itというアルバムが初めてのマイケル・ブレッカー体験でした。
大学時代は、マイケル・ブレッカー氏名義のアルバムはもちろん、参加アルバムを聴き漁りました。サックス吹きとしては、ついぞ真似することすら出来ませんでしたが……。
社会人になってからも、ジャズと言えばブレッカー氏参加アルバムしか聴いていませんでした。
次に来日したら、聴きに行こう、と家人と話をしていたのですが、それも叶わぬ夢となってしまいました。
得も言われぬ喪失感です。この喪失感は1999年にも味わいましたが、またもやという感じです。ブレッカー氏には80歳になってもサックス吹いていてほしかったし、またクールで熱いインプロヴァイズを聴かせてほしかった。最近のアルバムではストレート・アヘッドなジャズを聴かせてくれていたのですが、もう一度フュージョンなブレッカー氏を聴きたかった。
これはもうしばらく元気を出すことが出来ないですね……。