Dmitrii Dmitrievich Shostakovich

ロジェストヴェンスキーの《レニングラード》をApple Musicで聴いていましたが、ちょっとこれは。。。という録音でした。いや、確かに爆発的な演奏で、いいところはいいのですが

<div class="sticky-itslink" style="margin-bottom:1em;"><a href="https://itunes.apple.com/jp/album/shostakovich-symphony-no./id166160082?uo=4″ rel="nofollow" target="_blank"><img src="http://is5.mzstatic.com/image/thumb/Music/v4/72/91/d3/7291d318-ebbd-abc1-2b67-4b7d624ef9ed/source/100x100bb.jpg" style="border-style:none;float:left;margin-right:5px;" alt="Shostakovich: Symphony No. 7 in C Major, Op. 60 'Leningrad'" title="Shostakovich: Symphony No. 7 in C Major, Op. 60 'Leningrad'" /></a><div class="sticky-itslinktext" style="float:left;"><a href="https://itunes.apple.com/jp/album/shostakovich-symphony-no./id166160082?uo=4″ rel="nofollow" target="_blank">Shostakovich: Symphony No. 7 in C Major, Op. 60 'Leningrad'</a><br />Gennady Rozhdestvensky & Grand Symphony Orchestra of Radio and Television<br />ジャンル: クラシック<br />リリース日: 2006-06-08<br />価格: 600円<br /> <a href="https://itunes.apple.com/jp/album/shostakovich-symphony-no./id166160082?uo=4″ rel="nofollow" target="_blank"><img src="http://linkmaker.itunes.apple.com/htmlResources/assets//images/web/linkmaker/badge_itunes-sm.png" alt ="iTunesで見る" style="border-style:none;" class="sticky-itslinkbadge" /></a><br /><span style="font-size:xx-small;">posted with <a href="http://sticky.linclip.com/rank/" target="_blank">sticky</a> on 2016.1.27</span></div><br style="clear:left;" /></div>

別盤として、メロディアレーベルからでていた、ソヴィエト国立文化省交響楽団の盤。家にあるのですが、iTunesに登録しておらず、今日は聞けませんでした。週末取り込む時間があるか。。

写真 1 - 2016-01-27

 

冷静に、冷静に、という感じで頑張らないと。やることたくさん。

今日は短めです。それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Dmitrii Dmitrievich Shostakovich,Symphony

Shostakovich, D.: Symphony No. 7,
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今日は、ムラヴィンスキーのレニングラードを早速聞きました。

これは名演なんだろうなあ。第一楽章の緊張感と切迫感。フィナーレの暗い高揚。モノラル録音ではあるのですが、迫力はかなりのものです。

今日聞いて思ったことですが、わたし、この曲は、戦争への怒りが込められているとしか思えないのです。戦意高揚もあるにせよ、それはいわゆるダブルスピークでしょう。あの有名な第一楽章の繰り返しは、揶揄と皮肉としか思えない。徴兵され非人道的な戦いを強いた赤軍への大いなる悲しみと怒りにしか思えない。あの単純で大仰なフレーズは、赤軍兵士をもちろん尊敬してるのだけれど、まだ戦争になれないまま戦場に向かう兵士の不幸なんだろうなあ、と思うのです。おそらくは、ドイツ軍がどんなものかもしれずに進撃するのだけれど、いざドイツ軍との戦闘に入った時の混乱と苦悩とも言えるティンパニーの連打、そして残るのは悲しみだけ、というあまりに鮮烈な風景が見えてしまいました。

ショスタコーヴィチがそういう意図で作曲しているわけではないのかもしれませんが、そう感じさせるようなムラヴィンスキーの演奏だったのです。

独ソ戦をいろいろ調べると、それはそれはひどい話が出てきます。まあ、歴史というのは、恣意的なものですので、どこまでが本当なのかはわかりません。ロシア側もドイツ側も大変な状況。ロシアだけでなく、周辺諸国も大変な状況。ファティマの聖母ではないですが、地獄はある、ということなんでしょうか。

戦争をなくすために何をすればいいのかという議論は、多くあり、何が正しいのかは私にはわかりませんが、歴史と現実を見ることなんだろうなあ、と。先日どこかで読んだ話では、川をさかのぼり(歴史をさかのぼり)、海を渡る(海外を見る)、ということに尽きる、ということなんでしょうけれど。

ショスタコーヴィチの糸のようなものはあの有名な「証言」があるわけですが、こちらも偽書の疑いがあります。私はこの「証言」史観にさらされている感もあります。けれども、真実が必要というわけではなく、正しい解釈が必要ということになるのだとも思います。

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今日も早く寝ようと思いましたがなかなか。そろそろ寝ようと思います。みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Composer,Dmitrii Dmitrievich Shostakovich,Symphony

今日はこちら。

Symphony No 7 (Hybr)
Symphony No 7 (Hybr)

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昨日取り上げたヤンソンスがレニングラードフィルを振っているのに対し、こちらはアムステルダムのロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団。いやあ、本当に音がいいです。オケの音もホールの音もとてもいいですね。それから、テンポが少し落ち気味になっていて、より大きな演奏になっているようです。

アマゾンのコメントを見ると、どうもこのあたりは賛否両論あるようです。レニングラードフィルの演奏は、一層ムラヴィンスキーの影響が色濃いのだとか。ムラヴィンスキー盤聴いたことないなあ、と思いつつ探してみると、Apple Musicには入っているようです。明日はそちらを聞いてみよう。

ショスタコーヴィチも奥深い。そういえば、交響曲を全曲聴いたことがあるだろうか? と思ったり。3番とか聴いてないかもしれない、などと。4番とかは強烈。11番も強烈。あー、12番とか14番とかも聴いているんですが、印象が薄いなあ。。何気に9番も印象薄い。。一応、交響曲全集はハイティンク、バルシャイ、ヤンソンス、ロジェストヴェンスキーと充実のラインナップを持っているんだ、ということに気づいたり。まだまだ修行が足らないです。

昨年が没後40年で、今年は生誕110年。うーむ。弦楽四重奏という巨大な塔もあるし、オペラの大作もあるし、「証言」というテクストもあるし、too hugeとも言える巨大な人格と才能だなあ、と。

立ちはだかるものの大きさを感じつつ今日は休もうと思います。おやすみなさい。

Symphony

もちろん私はレニングラードに行ったことはありません。ましてやサンクトペテルブルクにも。ですが、つい最近写真を出したように、それらしき町の上を飛行機で通りかかったことはあります。そうではない可能性もあります。凍った海に砕氷船が作った航路がくっくり見えたりしていますね。

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今日のNHK-FMのブラヴォー・オーケストラは、井上道義指揮大阪フィルハーモニーオーケストラでショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》でした。

この曲、中学三年の時に結構はまってました。当時、目覚まし代わりにカセットテープを鳴らしていたのですが、この曲もずいぶんと使いました。今から思うと、早朝、暗いうちにこの曲が響き渡るというのも、ずいぶんとシュールなもので、今ならげんなりとして起きることになるでしょう。ああ、今日も労働か、みたいな。

当時聴いていたのは、こちらの盤でした。マリスヤンソンス指揮。当時のマリス・ヤンソンスは若手注目の指揮者ということで売り出し中でした。音源はこちらだと思います。クレジットがまだ「レニングラードフィルハーモニー管弦楽団」となっているのも時代を感じさせます。

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」
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《レニングラード》のあの偏執的な繰り返しは、きっと何かへの当てつけだったりするのではないか、と思うのは私だけでしょうか。ショスタコヴィチは権力へと笑みを浮かべながら振り返ってしっかり舌を出すような男だったと思うのです。二重の意味が隠されているに違いない、と思うってしまうのです。あるいは、そうれがそうでなかったとしても、そう思うのは作品が世に出ている以上聞き手のイニシアティブのもと行われざるをえないことです。意味があろうとなかろうと。

また明日からウィークデーが始まります。頑張らないと。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今日は、この一週間の疲れでぐったり。それでも、なおなんとか夕方に近所のプールへ行ってきました。個人的には、旅行に行けないのでプールを「ビーチ」と呼んでいるのは内緒です。今日もクロールをいくらか泳いで心身ともリフレッシュしました。

そうそう。今週月曜日のNHKで放映された「プロフェッショナル仕事の流儀」で登場した女性誌VERYの編集長の話が、今週の食卓の話題で随分取り上げられて、ついにカミさんがVERYを買ってきました。読んでみると、キラキラ輝いていて、これが全てではないにせよ、なんだか、女性は以前に増してどんどんたくましく自由になるなあ、と思いました。確かにこういう女性はずっといらっしゃるはずではあるのですが、多分、既存の価値が壊れている部分で女性がより一層徐々に新しいことに気づき始めているんだろうなあ、と思ったわけです。先日書いたように、明治維新や戦後といった価値観崩壊の中で、新しい価値が生まれているのだが、ということを書きましたが、もしかするとそれはすでに起きていることなのかもしれない、などと思ったり。

昨今は、労働人口の低下などの理由があるのだと思いますが、女性が社会で活躍できるような制度が拡充されていきつつあります。それはまだ不十分であるにせよ、私にしてみると10年前と比べると雲泥の差だと思います。戦後の高度成長期における価値観が変わり始め、女性たちが一層社会に進出できるようになってきたということなんだと思います。彼女たちは、既存の価値にとらわれることなく自由なワークスタイルを作り上げているようにも見えるのです。働く時間は自分で決める、ということで起業をしたりして仕事を創り出すしたたかさ。確かに、そうした事例は、かつて読んだ以下の本でも取り上げられていました。もちろんそれは特殊で幸運な事例なのかもしれないですけれど。

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一般的な仕事場においても、組織体制とは違う裏の組織体制を作り上げていて、その中で独自の評価体系をもっているようにも見えます。先日書いた「二重構造」にも当てはまります。以前読んだハインラインの「銀河市民」でもそうした事例が描かれていました。

銀河市民 (ハヤカワ名作セレクション ハヤカワ文庫SF)
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Miscellaneous

Tokyo Blue
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ナジーというサックス奏者がいらして、この方のTokyo Blue というアルバムを聞きました。このアルバムは、たぶん1991年頃にレンタルCD屋で借りて初めて知ったのだと思います。

20年経って聞いてますが、まあなかなか楽しいです。

当時、バブルの残滓が残っている時代で、まだ日本がいけてると思えていて、そういう文脈で捉えると、東京という地名が入ったアルバムタイトルに郷愁を覚えます。

と書くと、いまいちかもしれません。

そうではなく、今日、夜の東京を歩いてなにかこのアルバムの空気がまだ息づいているような気がしたり。高層ビルが無限に立ちのぼり、合間を遊弋する人々の姿が、空虚に感じたり、逆にたくましく見えたり、という感じでした。郷愁よりも、今の東京にフィットしているのかも、と思ったり。

ともあれ、ウィ−クデーは終わりました。この週末は寒波の影響が心配です。みなさま、どうかお気をつけください。

今日はこの辺りで。みなさまどうもありがとうございます。

Miscellaneous

仕事場でどうしても少人数で短時間にやらなければならない仕事があり、今年からAccessを使っていろいろやっているのですが、これがまたなかなか大変で、今日も2時間みっちりクエリをつくり続けました。

確かに、これまで二人がかりだったのが一人の方でできるようになったので良かったのかも、などと。引き換えに属人化したシステムが出来上がってしまい、頭を抱えるというのはどこにでもある話です。何とかその場をしのぐためにがんばるのですが、その先の運用なソフトパワーまで考えられないという。自戒を込めて、ですが。まあ、そこに資源を避けないという背景があるのですが、きっとグサグサ刺されるんだろうなあ、と思ったり。その場がしのげているから良い、でいいのかもしれませんけれど。

こういう話は、なにか、戦艦をたくさん作ったけれど、うまく戦えなかった事案などを思い出してしまい、やはり、モノを買ったり作ったりすることより、コア・コンピテンシーのような、真似のできない永続的なコンセプトを作ることの方が重要なんだろうなあ、と思います。

これは、個人個人に取ってもやはり同じで、買い物するより、何かを体験したり学んだりする方が大切です。ユダヤ人が勉強したのもやはりそういうことなんだ、と聞いたことがあります。財産より、財産を作る能力があれば、敵に奪われてもまた何度でもやり直しがきく、ということなんでしょう。

ただ、モノからヒトへというような単純な話でもなく、得てして気合いや精神力だけになりがちなこともあるのですが、やはりインフラや兵站は大切です。衣食住が人を動かすわけですし、人が世界を動かすのですから。

今日はこちら。なんだか、クエリ地獄から生還した後に聞いて大変癒されました。

フォーレ:レクイエム
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それではみなさまおやすみなさい。

Miscellaneous

Taisehokan.jpg
Taisehokan" by 邨田丹陵, Tanryō Murata – 明治神宮聖徳記念絵画館. Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

戦後70年と言われた昨年ですが、そのまた約70年前は大政奉還なんですね。

戦後も維新も既存の価値観を混乱とともにある程度は壊して、若い人たちが新しい価値を創り出したきっかけになったのでしょうね。

で、今は時代は安定しているので、そうした新しい価値はなかなかうまくいかないようです。いろいろなものが、出てこようとして、つぶされ、また出てこようとして、つぶされ、という具合に。

例えば、ネット放送が勃興し、収益が危うい民放は、4K放送に際して、録画禁止、あるいは録画しても早送り禁止、という施策を検討しているんだとか。

「4K番組は録画禁止」という驚愕のシナリオ

権力の慣性と、論理並びに倫理は相容れないですね。

私も、相対的に年寄りな場合と、相対的に若い場合があるので、いろいろなことがよくわかったような気がします。で、本当に難しいです。

こういう時は、眠るに限ります。今日は休もうと思います。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今日も徒然。

最近、歴史には、表と裏があるように思えます。とある本に、江戸時代の落語では、武士をからかう場面がよく出てきて、それが武士に対するアンチテーゼが落語いうお笑いの中に息づいていて、例えばガス抜きのような意味を持っているのではないか、という議論だったと理解しています。

そうした裏の歴史は文化史の中にかいま見えるぐらいなのかもしれませんが、そうした表と裏のようなものは、歴史だけではなく、「権力」においてもあるのだろうなあ、と思います。イメージとしては、将軍と大奥のようなメージでしょうか。男系と女系の二重権力構造のようなもの、だと思われます。

そうした、様々な力のレイヤーが重なるのが、権力構造なのかもなあ、と思ったり。それは動的なもので、確固たる規範に基づくものではありません。

しかしまあ、なんというか、「権力」というものを感じる今日この頃です。少なくとも、そうした状況にあっては、笑いとばすしかありません。それぐらいしかできることがないというのは、人類の歴史におけるひとつの回答です。

なんてことを、最近のニュースを見ながら思いました。

今日の一枚はこちら。ベームのブラームス。実にオーソドックスなブラームスでした。立派です。

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Book

はじめに

ブルドーザーのガンバ、を読みました。35年ぐらい忘れていましたが、思い出しました。ストーリーもやはり覚えていたのですご、読み直して不覚にも涙ぐんでしまうという…。

ブルドーザーのガンバ (のりものストーリー(2))
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ネタバレ

古参のブルドーザーガンバは、役立たずとして倉庫に眠っていたが、団地の造成のために、駆り出される。頑張るのだが、報われない。造成が終わるが、若いブルドーザーは帰るのだが、ガンバは後始末を命じられる。若いもんが帰れて、なんで俺が、とつぶやくガンバ。運転手のかわださんに裏切られ、そのまま団地の脇に打ち捨てられるガンバ。挙げ句の果て、山が造成でなくなったのを知らずに訪れたハイカーに自然を壊したと糾弾される。錆びて朽ち果てたガンバだったが、とある土砂降りの夜、土砂崩れに行く手を阻まれた救急車の運転手にガンバは見つけられる。救急車には少年が載っていた。まだ油が残っている。ガンバは、救急車の行く手を遮る土砂を最後の力を振り絞って取り除き道を作った。だが、ガンバは路肩からころがりおちる。すまん、時間がないと救急車は走り去った。後日、快復した少年がガンバに礼を言うのだが、ガンバの耳には届かなかった。ガンバの周りにはヒナ菊が咲き乱れていた。

プロットをかきだしましたが、絵本なので、これでは語ったことにはなりません。あくまで私のパースペクティブです。

感想など

まあ、これ読んで、なにかこう、組織人の悲哀を感じるのですね。あるいは、「わたしは貝になりたい」という映画を思い出したり。組織のなかですり潰される個人みたいな。結局のところは、組織から放り出され、自然破壊を糾弾されても助けなど微塵もない。一人背負わなければならないという悲哀。

最後の救急車を助ける場面が泣かせるわけですが、あれがある故に、まだ救いがあるわけです。あのまま朽ち果てれば、なにも還元できていないのですから。それでも最後、少年の命を救ったということで、ガンバは報われた、と捉えることができるのです。ただ、それも、読者の身勝手なのかも、とも思わされます。ガンバがそう思ったかは誰にもわからないからです。

また、さすがに、運転手さんのかわださんに見捨てられたのは痛いです。ものとしておきざりにふるわけですが、それと似たことをわれわれが人に対してやっていることもあるのでは、と思わされます。裏切られたのはガンバですが、かわださんもやはり組織人であり、生きなければなりませんから、ガンバを裏切るしかなかったのです。さすがに、かわださんがガンバを一生養うことはできませんから。

まあ、これを読んで心を傷めるのは、組織人ではないのかも。こんなこと気にしていたら、組織は動かせず、負けていくだけ。まあ、今の世の中では、そうなるわけですが。それは、競争や戦いの論理、ということ。競争や戦いに倫理はありませんから。西欧ではそうした倫理の欠如を埋めるために、慈善事業があるわけですし、日本ではおそらく敵をも悼み祀るということにつながるのかも、なんてことも思いました。昨日の話ではないですが、どうであろうと人間は善と悪の両面があるということなんでしょう。

ネットを読んでいると、この本の素晴らしい考察を書いておられるブログ記事がありました。その中で、努力が報われることがない、ということに対する指摘がありました。頑張ってもこうなってしまうのか、みたいな。

http://ehonkuruma.blog59.fc2.com/blog-entry-405.html

どこでもやはり努力すればどうこうなる、というわけではないのが世界というものですが、若いうちからこういうことを思うと確かに閉塞感がありますね。世界には悲惨が満ちていて、どうしようもないこともあります。ですが、おそらくは世界の憎悪と暴力を作り出しているのでしょうから、なおさらなんとかしないといけない、ともおみます。希望を失った人間は、恐ろしいのです。

まあ、このガンバという名前は、頑張るという意味にであるわけで、これも大いなるシニックであるかのような思います。頑張っても最後はこれか、見たいな。でも、逆に頑張ったから最後少年を助けられたとも。ただ、これもなんだかなあと。恐ろしい。

今日は、東京の雪の中なんとか仕事場にたどり着こうと、いつもよりだいぶ早く家を出ました。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。