Miscellaneous

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一週間ほど前に撮った江戸彼岸。ほのかな色合いが実に美しいですね。

こういう美しさも世界。あるいはあまりある芥も世界。世界は多様で混沌としているわけですが、そういう混沌から、何の脈絡もなく、何かが決まったり、人の生き方が変わっていったりするもんなんでしょうね。ニュースを読んだり人の話を聞いたりして、そんなことを思った1日でした。

こういう世界にあって、パルテノン神殿に象徴される「美しさ」のようなものを希求した辻邦生はやはりすごいです。きっと随分と苦悩されたのだと思います。奥様の手記を読んだり、自筆日記を少しだけ拝見してそう思ったりしました。

「「たえず書く人」辻邦生と暮らして」の162ページ。

亡くなる一週間前から、午後のマーラーなどを聴く時間帯のあと、西向きの大きな窓に面した椅子に、日が暮れるまでじっと座っているようになった。

勝手な想像なんですけれど、夕暮れの山並みを眺めておられたのではないでしょうか。なんだかそういう気分です。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして (中公文庫)
辻 佐保子
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やっと週末。なんだか長い一週間でした。やるべきことは何も終わらず。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

あいかわらず聴き続けているマゼールのブルックナー。本当に驚かされる瞬間が何箇所もあって、個性というものの素晴らしさを感じます。

Bruckner: 10 Symphonien
Bruckner: 10 Symphonien

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昔、まだまだクラシックを聴き始めて間もない頃、演奏んも違いというものをりかいすることの難しさに途方にくれていた頃がありました。中学生ころですかね。あのころ、小澤征爾の弟の小澤幹雄さんが「やわらかクラシック」という番組をFM東京でやっていました。クラシック音楽の曲名をあてるという番組で、いまでもNHKFMの「きらクラ」の「きらクラドン」のようなものですかね。

番組終了までしばらく聴いていたのですが、印象的だったのがマーラー特集でした。マーラー三昧の曲当てクイズだったのですが、わたしの記憶ではそのときに始めて演奏者を当てるクイズが出たのでした。この演奏は誰の指揮か?という問題。当然わかるべくもなく。。そりゃ、中学生で、何枚も何枚も同曲異演を聴いていて、当てられるだけの資力はありません。親がたくさんもっているとか、そういう環境なら別ですが、わたしはそういう環境にはいませんでしたので。そのとき、小澤幹雄さんは「演奏をきいて、その演奏が誰の演奏家わかるというのも、クラシックファンにとっては重要なことなのです」みたいなことをおっしゃっいまして、あー、これは無理だわ、と中学生ながらに感じたのでした。

このとき「演奏を聴いて、演奏者をを判別する」というのは二つの意味で捉えられるのだと思います。一つは、きいたことのある演奏を、同定するということ。もう一つは、聴いたことのない演奏をであっても、演奏者を同定するということ。

前者と後者、どちらのことを小澤幹雄さんがおっしゃっていたのかわかりません。ま、両方なんでしょうか。

これを初めてできたのが、多分その後10年経ったころだとおもいます。ジャズを演奏するようになって、音楽の機微が少しずつ分かってきたようなころでした。
で、これがなかなか微妙な思い出ですが、初めて演奏を聴いたことがないのに演奏者を当てたという思い出のこと。たしかベートーヴェンのピアノ協奏曲でした。ほんとうに苦手な演奏で、ふと「これはバレンボイムとラン・ランに違いない」とおもってしまったのです。当たりでした。これ以上は言えません。

そういうわけで、最近は、先輩の皆さんにはかなわないにせよ、少しずつ演奏者の同定ができるようになってきたような感じで、いろいろとの楽しみが増えてきた感覚はあります。

そんな中で、やはりこの数年好きになったマゼールは、特徴的で個性的なスタイルなのできっとわかりやすい部類なんだろうなあ、と思います。

長くなりました。電車の中でざっと書いてしまいました。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner

新年度は本当に気を使います。年度の初めなので、行事もたくさん。気を遣います。でも使いきれていないという事もあるのですが。

で、ブルックナー。

先日からヨッフムを聴いて、その後バレンボイムに駒を進めました。バレンボイムは7番まで聴いて限界を感じました。苦手なんだなあ、と。バレンボイム。苦手です。わたしにはちと難しい。遊びがなく、ガチガチに固められた演奏には、疲れてしまいます。

で、アバドの7番を聴いて、しばし時を忘れる感じ。それはまた次の話として、次に思い立って聴いたのがマゼール。いや、これは本当に豪放で大きな演奏です。実はこれまで聞く機会に恵まれていなかったのですが、本当に心に染み入るマゼールのブルックナーです。

Bruckner: 10 Symphonien
Bruckner: 10 Symphonien

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テンポをきちんと動かすんですが、それが本当に絶妙に感じるわけです。ここぞ、というところにテンポを落としてメリハリをつけるのは見事。昔、マゼールのボレロを、「まるで歌舞伎役者が大見得をきるような演奏」と評しておられるのを聴いたことがあります。確かに。ここぞというときの爆発力、あるいは、なにかここぞというときに翼を広げる孔雀のような大見得なんだと思います。本当に期待を裏切らないですよね。。
最近隔日更新になってますが、途切れていないだけいいのかも。いや、もうなんだか身動きが取れません。

ではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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ソメイヨシノ満開です。

ですが、東京地方は曇り空でした。さらに寒い。だいたい現在12度ぐらいのようですが、まるで冬のような感じです。曇っていることもあり、なんともかんとも。ただ、寒いと桜が散るのが少し遅れることにもなりそうです。

昨日から新年度。いろいろギアチェンジしないと。

きょうはこちら。

ブルックナー:交響曲第7番
バレンボイム(ダニエル)
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バレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンを振った交響曲全集から7番を。バレンボイムらしい質実剛健な演奏。これがドイツ的なのかなあ。バレンボイムはドイツ人ではないですけれど。。

それでは。

Miscellaneous

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今日は振替休日でした。2年ぶりぐらいに川越の喜多院へ。

まったく意識していなかったのですが、行ってみるとなんとしだれ桜が絶好の状況で驚きました。徳川家光お手植えのしだれ桜の二代目という説明です。流れ落ちる滝のように桜が咲いている様子は実に見事です。ヒヨドリが何匹もこのしだれ桜に集まっていて、桜の花びらを食べているようでした。ヒヨドリが枝にとまったり、あるいは飛び立つとき、枝が打ち震え、桜の花びらが幾重にも散る様は、なにか詩的な感興を呼び起こすものでした。

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それにしても、なんだかんだ言って、日本人だなあ、と思いました。こうした風景はもちろんですが、本堂で護摩壇で火を焚きながら読経しているのを見て、本当に心に沁みるものがありました。日本人は本当に不思議です。

音楽的にも面白くて、太鼓のリズムに合わせてお経が読まれているわけですが、護摩壇で仏具を叩く金属音がポリリズムというか変拍子のリズムを叩いているというか、なにか太鼓のリズムに合わないようでいて、実は同期しているというリズム感に興味を覚えたりしました。

ちなみに、一眼レフも持っていたのですが重すぎてあまり使わず、結局きちんと撮れてスピード感をもって使えるのはiPhoneで撮った写真という状況です。コンデジの時代はもちろん終わっているのですが、一眼レフも危ないですね。。もちろん一眼レフの表現力がとてつもないのは言うまでもありませんが、そうだとしてもiPhoneのようなスマホでも、その場で様々な加工をしてスピード感をもってクラウドにアップできるというのは、10年前からするとほとんど信じられない状況です。

さしあたり、すこし癒された感あります。さすがに最近色々ありすぎました。また明日からがんばらないと。

ではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

 

Tsuji Kunio

Photo

写真は、やはり西行花伝っぽい桜の木。先週の土曜日に撮った写真です。

西行花伝。ずっと読めずにいたのですが、また再開しました。

それにしても、素晴らしい場面に出くわしてしまいました。もちろん、初めて読んだ20年近く前の記憶はかなり曖昧になっています。その後の人生経験のようなものにおいても随分と良い方は変わっていると思います。そういう背景があって、読むのが二度目でありながら、本当に感嘆していまいました。つまり言葉の芸術の極致なのかなあ、と。

それは、女院と義清が出会う瞬間です。この感動は、映像では絶対に表現できません。本当に言語芸術の極致を見た気がします。

語らないことの重要性です。

女院は、それまで鳥羽上皇や白河法皇との関係で登場するのですが、顔についての描写はないわけです。ですので、読み手は義清と一緒に、女院が義清の母であるみゆきの前と似ているという事実に驚くことになるのです。

映像作品であれば、女院と義清の母が似ているということは先んじてわかっているはずです。ですが、言語芸術の場合、語らなければいいわけですね。女院の顔を初めてみた義清の驚きと、我々読者の驚きは、義清に移入していれば、まさに義清と一緒に驚くことになるのですね。

確かに、映像や漫画のような芸術に小説は負けるのではないか、と思うこともしばしばなのですが、何か映像芸術ではない言語芸術のプライオリティを実感した、と思いました。

まだまだ希望はあるのかも、などと。

でも、さすがに最近は色々あるなあ。早く落ち着きたいものです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Miscellaneous

昼になって晴れました。三春のしだれ桜だそうです。

今日の東京地方、寒い1日でしたが、お昼頃からは日差しが照り、少し暖かくなりました。

近所の公園に行ってみましたが、ソメイヨシノはまだまだ。ですが、しだれ桜は随分と咲いていました。

明日も仕事関連の講習へ。ま、仕事は仕事ですが、仕事をもっと高速化しないと。

音楽の方は相変わらずブルックナーばかり。

Bruckner: 9 Symphonies
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今日は短く。おやすみなさい。

 

Miscellaneous

SAKURA2016

東京では月曜日に開花となった桜ですが、本日、振替休日だったこともあり、近所の桜を見に行きました。曇り空だったので、青空にバッチリ映える桜は撮れませんでしたが、日の丸構図ですが、なんか水墨画みたいでいいかも、と勝手に思ったり。iPhoneで急いで撮ったのでピンが少し甘いです。

今日からまたヨッフムのブルックナーの聴き直しを始めました。第1番から順番に。やっぱり、激しい演奏だ。。

Bruckner: 9 Symphonies

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あたためていたものがなんとなく言語化できてきたのですが、それがあまりに壮大すぎて、空恐ろしい。だが、やらないといけないことなので困っています。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner

Bruckner: 9 Symphonies

Bruckner: 9 Symphonies

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昨日から、ヨッフム&ベルリンフィルorバイエルン放送管弦楽団のブルックナー全集を聴き続けています。ただ、さすがに全て身を入れて聞いているかといえば、なかなかそうもいかない感じではありますが。

結構、スタイリッシュというか、テンポが早く激しい演奏だなあ、というのが印象でした。確かに、昔聞いたミサ曲第三番なんかもずいぶんスリリングな演奏で、老齢のヨッフムの写真が印象に残っている身にとっては、なんだかお歳を召しているのになんて元気な演奏なんだ、と思った記憶がよみがえりました。

3 Masses

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ブルックナー:交響曲第5番
ヨッフム(オイゲン)
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先ほど、九番まで聞き終わりましたが、もう一回聞いてみないと、と思ってます。

なんというか、きっとワーカホリックなんやろうなあ、と思いながら、予定時間より3時間も多く働いてしまうという。まったく。。そろそろ考えないと。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

すべての写真-4012

私の記憶では、1998年ごろからだったと思いますが、週刊朝日百科が「世界の文学」と題して、全120巻の世界文学案内のようなものを刊行していました。文学に関する話題を、映画の場面などを使いながら、一望できる画期的なものだったと思います。

その、第100号に辻邦生が取り上げられています。歴史小説に関する評論で、書かれたのは辻邦生の親友だった菅野昭正さんでした。

前半は、ひたすら森鴎外の歴史小説論を書きながら、後半にかけて、歴史が本に記されているものである以上、歴史小説は本の小説であるといいつつ、いわゆる、森鴎外の「歴史其儘」と「歴史離れ」の融合が歴史小説であり、その顕著な実例が「背教者ユリアヌス」である、とします。そうした小説を書くための方法論が、「小説への序章」であり、それがいわば、小説についての本であるがゆえに、「小説の本」というわけです。「本の小説」を書くために「小説の本を書いた」というまとめ方は、辻邦生が創作ノートと哲学ノートの二つを駆使しながら小説を書いたという話が敷衍されているものと思われます。

ただ、菅野昭正さんの文章は、前半の歴史小説に関する論説が少し長いのです。多分、もっと書くべきことはあったのでしょうが、無理やり文字制限に押し込めたのではないか、と思うようにも思えるものでした。きっと、「西行花伝」や「春の戴冠」にも触れたかったに違いないのですが。そのせいか、「西行花伝」について言及されていないにもかかわらず、西行が文章中に突然登場し、「西行と遊女図」という絵が紹介されているという唐突感に気づきました。わかっている人が読めば、「西行花伝」を敷衍したものであることはわかるのですが。確かに欄外に注記などはあるのですけれど。

この第100号は「日本文学の現在」というテーマです。独立して取り上げられている作家は、中上健次、辻邦生、村上春樹、筒井康隆、宮本輝、宮尾登美子、河野多惠子です。その他に、村上龍、高橋源一郎、浅田彰、田中康夫、小林恭二、島田雅彦、吉本ばなな、など。ポストモダンやグローバリズム、といった観点で2000年頃当時の「日本文学の現在」を取り上げられている中で、辻邦生の「背教者ユリアヌス」が取り上げられているというのも、また何か不思議な感覚を覚えます。辻邦生だけが異色に思えるのです。

この号では、辻文学の特性は「高い理想的な何者かを目指す意志を支えとして、日々の現実を生きることに意味を発見する」、「辻邦生の小説は、現在の日本文学にはめずらしい理想主義と崇高な色調にいろどられる」と書かれています。別段、何十年も辻邦生を読んでいる私にとっては何ら不思議ではないことですが、この「めずらしさ」こそが辻文学の変わらぬ価値なんだろうなあ、と思います。

東京では桜咲く。私の近所でも一輪ほど咲いているのを見つけました。昼下がり私の街を1時間半ほどかけて自転車で縦断したときのことです。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。