短すぎる2時間──宮崎駿《風立ちぬ》

はじめに


2013-08-04 17.43 のイメージ
宮崎駿監督《風立ちぬ》を見てきました。一言で言うと、素晴らしい映画です。是非見に行かれることをおすすめします。
ですが、一般的にヒットするか、というとそこは疑問に思いました。ただ、それにはしかるべき理由があります。
あらすじをかかず、あえて感想のみを書いてみることにします。

あまりにも充実した内容


思い返せば返すほど内容が濃すぎて、一言二言で語り尽くすことのできないものです。私は、この内容を二時間強にまとめること自体が無理難題なのだと考えました。この五倍は必要なのかもしれません。十時間以上かかる長編ドラマではないかと思うのです。
これは一つ一つの場面が短縮されすぎていて、シノプシスを観ているようにも思えるからです。あるいは映画というメディアの限界なのかもしれません。この内容は長編小説です。あまり長編なのです。含まれているエピソードの多様性もさることながら、そこに込められたメッセージの大きさ、重さを表現するには、背景説明や概念が必要です。ですが、それは映像で描くという行為の限界なのでしょう。

わかりにくさという宿命


ですので、映画としては、良い意味で「わかりにくい」とも言えます。
航空機や戦前の軍事情勢に関する予備知識がなければ十全に楽しめるとはいえませんし、頻繁に登場する文学を前提とした仕掛けは、分かる人には分かるのですが、おそらくは気がつかない観客もいるはずです。
たとえば、トーマス・マンの《魔の山》を敷衍したセリフや、「カストルプ氏」の由来とか、《魔の山》にも登場する横臥療法がでてくるなど、個人的には面白みがあります。また、私が分からない概念や仕掛けがまだいくつも埋めこまれているはずです。
気が付かない事自体は問題でもなんでもありません。ですが、それが「わかりにくさ」のひとつの要因になりうることも確かだと思います。
わかりにくさのもう一つの原因としては、なんども夢の場面が登場することかもしれません。文学作品において夢ほど語ることも解釈も難しいものはないからです。脈絡などが一切剥ぎ取られたイメージの連続の難しさは、たとえば《2001年宇宙の旅》の最後の場面などを想像するといいかもしれません。あるいは、夏目漱石の《夢十夜》や《草枕》などの夢語りの難しさなどです。ただ、夢でないと語れない部分があったのは事実です。カプリーニとの交流は夢でなければ不可能だからです。

男性原理に拠るヒロイン


菜穂子というヒロインの存在が、私の中で一番引っかかっています。
ともすれば、結核に侵され薄命である、という戦前戦中文学のステレオタイプを敷衍しているといえます。作られているエピソードは、既視感のあるもの。結核に侵されたヒロインが、無理をして夫に尽くすが、その後命を落とすという構造は、堀辰雄はもちろん、武者小路実篤の《愛と死》などにも見られます。サナトリウムという言葉は文学的には極めて魅力的です
もちろんそれは堀辰雄という引用元があるからこそなのです。
ですが、私はどうもそこに男原理の身勝手さのようなものを感じずにいられないのです。薄命でありながら、夫につくし愛する。だが、夫は仕事に心血を注ぐ。あまりに恣意的な女性像を押し付けているように思えるわけです。
ただ、そうとわかりながらも、宮崎駿の作戦が完璧なものである、ということを認めないわけにはいかないのです。
この既視感は、引用によって正当化されていますし、それを引用するという行為、キュレーションという芸術的行為自体は賞賛されるべきです。また、それをさらに芸術へと昇華させた、ということが最も素晴らしいことです。
私がこの映画を素晴らしいものであると評価する理由の一つはここにあります。
ただ、恋愛の場面は既視感とともに、青春の面映さというか、わざとらしさというか、甘さというか、なにか常日頃においてはお目にかからないものを見てしまい、かんべんしてほしいという気分を持ったのも確かです。
しかしながら、映画をみて一日たっても感じるこの名状しがたい感覚は、おそらくはそのヒロインの存在があるわけです。それは悪いものではありません。宮崎監督の作戦にはめられてしまった悔しさに近いものがあるのでしょう。

現代とのつながり


また、現代批評が幾重にもこまられているのは言うまでもありません。第二次世界大戦前の日本と現代日本の抱える問題の共通性もあるでしょう。また、震災の場面の現代的意味を捉えることも大切です。描かれる一部の日本人の姿にアイロニーを感じる部分が多々ありました。
それからもう一つ。現在、三菱航空機はMRJ(三菱リージョナルジェットの略)という国産ジェット旅客機を開発中です。本来昨年初飛行の予定でしたが、延期され、今年初飛行となるはずでした。ところが、つい先ごろ、再び延期となり、初飛行は来年に持ち越されます。この三菱航空機を舞台としているのがこの映画です。私はこれはひとつのMRJへの応援ではないか、とも受け取りました。三菱の名前は大々的に映画の中に登場しますので。

おわりに


とにかく、すごい映画であることは確かです。私はもう一度見に行くかもしれません。それほど意図が濃密な作品だったといえます。解釈多様性こそ芸術である理由の一つです。この映画も芸術の一つに数えられます。まだまだ考えれば出てくるものはたくさんあります。これで考えることをやめるつもりもありません。
あとは堀辰雄を読み直します。20年ほど前に読んだだけですので。
みなさんも是非劇場でご覧になってください。

コメントを残す