<夏の海の色:■赤い場所からの挿話 IX>「夏の海の色」
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夏の海の色 辻 邦生 (1992/04) 中央公論社 |
<夏の海の色:■赤い場所からの挿話 IX>「夏の海の色」
夏の海の色から「夏の海の色」を読む。
あらすじ
主人公の「私」は中学受験に失敗している。浪人しようか、第三志望の中学にいこうかと悩んでいるのだが、叔母の妹である咲耶は第三志望の中学校に入った方が良いと言うのだった。
「私も学校のことにこだわる人、嫌いよ」咲耶は私を慰めるつもりだったのか、極端な言い方をした。「いい大学を出たって、駄目な人は本当に駄目なのよ。学校のことにこだわる人ほどろくな人はいないわ。」
辻邦生「夏の海の色」『夏の海の色』中公文庫、1992年、105頁
こうして「私」は第三志望の中学に進むことになった。中学校では剣道にいそしむ毎日。入学試験に失敗したことを得意な剣道に打ち込むことで癒されていくのだった。
咲耶から家に遊びにおいでと誘われるのだが、二年生になってやっと行くことが出来る。咲耶の住む街は古い城下町なのだった。
都市の中央に石垣と、青く水を湛えた堀割の残る城址があり、石垣に囲まれた三の丸、二の丸から本丸にかけて、樟の繁る影の濃い公園になっていて、夏の昼下がりには、行商人が荷を置いて、その木陰で昼寝をしている姿をよく見かけた。
辻邦生「夏の海の色」『夏の海の色』中公文庫、1992年、108頁
私は、城下町を歩きまわって、歴史を楽しむのだった。剣道も朝と夕方に素振りをしていたのだが、咲耶が気を利かせて地元の中学校の剣道部に練習にいけるように手配をしてくれたのだった。武井という男と親しくなる私。ただ、武井が咲耶と親しいことに少しいらだちを感じている。
剣道部の練習に行くと言うことで、土蔵の中から剣道具を運び出そうとする咲耶と私。私は土蔵の中で、咲耶とその子供と思われる写真を見つけるのだった。だが、なにか触れてはならないことのように思えてならないのだった。
地元の中学の剣道部の練習に参加する私。やはりここでも剣道の旨さで一目を置かれるのだった。そのうちに合宿を海辺の街で行うことになったのだという。参加しようとする私だが、咲耶は行っても良いが絶対に海で泳いではならないという。
「私ね、あなたに海で泳いでほしくない──それだけなの。わけは訊かないで頂戴。でも、これだけは約束して」
私は咲耶の切迫した表情を見ると、いやと言うことは出来なかった。
「絶対に泳ぎません。誓います」
私がそういうと──私は今もそれを眼の前に見るような気がするが──咲耶の眉の間から、何か凍りついていたどす黒いものが、見る見る溶けて流れ落ちていった。それはいかにも安堵の思いが顔に拡がってゆく、という感じだった。
辻邦生「夏の海の色」『夏の海の色』中公文庫、1992年、127頁
海辺の街で剣道の練習に勤しむ私。だが、武井の唆しにも関わらず、咲耶との約束は決して破らず、海で泳ぐことはなかった。合宿も終わろうとする頃、咲耶から電報が届く。合宿が終わってもそのまま宿舎の寺に残るように、とのことだった。
数日後、咲耶が現れる。寺の住職と話をしている。私に一緒に浜まで出てくれないかという咲耶。浜辺には船頭が船を準備して待っていた。船に乗り込むと、沖合の赤いブイのあたりまで船をすすめるのだった
「典ちゃん、お母さまが来たわよ」咲耶はそういって、船縁から身を乗り出すようにして波の底を見つめていた。
「いいのよ。そんなに無理に笑わないでも。お母さまは、あなたがそうして許してくれるって言うだけで、もう十分なのよ」
彼女は長いこと両手をあわせて船縁に蹲っていた。
辻邦生「夏の海の色」『夏の海の色』中公文庫、1992年、132頁
咲耶は城下町の出身で東京の良い大学をでた男と結婚していた。だがその結婚は望んだ結婚ではなかったのである。10年目に子供をおいて離縁したのだが、その子供はこの海で、ちょうどブイのあたりで溺れ死んだというのだった。
この城下町のモデルは、辻先生が高等学校時代に過ごした松本市であると言われています。それでは、合宿をした海辺の街はどこなのでしょうか?想像ですが、僕は湯河原ではないかと思うのです。こんなシーンがあります。
そうした夜、寝床から這い出して窓から外を覗くと、月が暗い海上に上がっていて、波が銀色に輝き、本堂の裏手の松林の影が、黒く月光の中に浮び上るのが見えた。
辻邦生「夏の海の色」『夏の海の色』中公文庫、1992年、129頁
この文章から、月は海上にあがりはじめたと読むことができます。「上がっていて」という文章は、寝る前には月は上がっておらず、夜中になってみると月が上がっていた、ということになります。月は太陽と同じく東からのぼり西へ沈みます。したがって、この月はおそらく東から南にかけて上っていたことになります。もしこの海辺の町が日本海側にあるとすると、東から南にかけては山になりますので、この描写は不可能です。ということは海辺の町は太平洋側にあるのではないか、と考えられます。さて、なぜ湯河原なのかというと、ここからは少し僕の個人的な感情や経験が入ってきます。辻先生は終戦界隈に湯河原に疎開しています。
湯河原での日々は、時間を失ったような不思議なノスタルジーに満ちたものでした。徒歩で十国峠へ登り、芦ノ湖に出てみたり、熱海で映画を見たり、吉浜に疎開していた獅子文六に会ってフランス演劇の話を聞いたりしました。
辻邦生「松本 わが青春」『言葉が輝くとき』文芸春秋、1994年、306頁
小田原から湯河原にかけて、夜半前の時間に海沿いの道路を走ったことがあります。湯河原に向かう道路の左手には滔滔とした相模湾のうねりがあって、その上に銀色の満月がギラギラと輝いていて、うねりのある柔らかい海面に月の光が反射していてまぶしいほどの美しさだったのを覚えています。辻先生の文章を読むと、この夜の湯河原への記憶が甦ってきたのでした。辻先生もきっと湯河原で海面に映る満月の光を見たに違いない、と思うのです。
ディスカッション
初めまして。
本日久しぶりに覗いたある書店で初版本を偶然見つけ購入し、早速読んでみました。
青春の酸味が匂い香り立つ美しくも切ない文体に魅せられました。
ただ一点気になることが有りました。確か咲耶さんは27歳で4年前の23歳で当時小学4年生ですから10歳の男の子を亡くしましたとのこと。さすれば、逆算すると咲耶さんは13歳で出産したのでしょうか?戦前ならありえるかも?
本筋の外側の些末な事柄で誠に恐縮ではございますが、アドバイスお願いします。
私の読み違え、勘違いがあるかもしれませんが、御手数おかけいたします。
山本
山本さん、コメントありがとうございます。
夏の海の色、本当に素晴らしい作品だと思います。
咲耶の年齢ですが、27歳というのは、武井が「見たところ彼女は二十七になるかならないかだ」と言う場面に依るものと思います(文庫版だと117ページ)。私の読みだと、武井は咲耶を思慕してますので、実際よりも自分に手の届く年齢に(あえて)見誤っているのではないか、と考えました。実際は、35歳とか、それぐらいではないかなあ、などと思っていました。27歳に見えるほど咲耶が若々しい女性だ、と言うことを表す効果ではないか、と思います。
一方で、以前ウェブで読んだ記憶があるのですが、「ある生涯の七つの場所」は、長期間にわたって連載されたので、年齢や時間軸が歪んでいる、とも言います。もし、咲耶が27歳であり、子供の年齢と合わない、と言うことがあったとしても、それはそれで、27歳と言う咲耶の年齢や、以前子供を亡くした、と言う「感じ」を味わうにとどめておき、論理整合性のようなものは脇にどけておく、と言う考え方もあるなあ、などと思いました。
今後もまた色々書いていきますので、お越しくださればと思います。ありがとうございました。
Shushiさん、早速のご丁寧なアドバイス有難うございました。
これから辻作品をたくさん味わっていきたいと思いました。
私事ですが、欧州各地を2ヶ月ぶらり一人旅したことがあるので、
様々なロケーションが移行するシーンが多い作品には特に惹かれます。まるで旅している様な気分を味わえます。
これからも宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございます。欧州を二ヶ月とは素敵ですね。まさに、辻邦生の初期短編や「ある生涯の七つの場所」の世界ですね。ぜひ読まれてご感想などお聞かせください。楽しみにしております。