辻邦生師が著した「小説への序章」は、哲学書とは違う意味で歯ごたえがあり、初めて手に取ってから十年経ってもまだまだ楽しむ(苦しむ?)ことができます。小説を書くことを基礎づけるための粘り強い論理と、芸術家的、小説家的な直感による議論が交錯していて、容易に落ちることのない城のような堅牢さです。
ここでは、小説が普遍的な価値を持つためにはどうあるべきか、個人的所産である文学作品がどうしたら人間一般に受け入れられるのか、人々に対する力をもつことができるのかというという議論が展開されています。
個人的体験と、普遍的妥当性、客観的必然性の結節点を探る試みは、例えばルソーの内的展開などを例にとって、「苦悩」によって主観性を突き詰めたところにある意識一般、間主観性のようなものにあるものとしているのです。自省的になるのは決して客観からの逃避などではなく、むしろ主観を深化させたところで、はじめて普遍性や客観性をもちうるのだ、というアクロバティックな議論。ですが、それしか方法がない、という議論でもあり、超越論的とも言えるわけです。
辻邦生師は、若い頃から哲学に親しんでいて、この本においても哲学的な知識を総動員して展開していく議論も、決して容易に読み解けるものなのではないのですが、この本に向き合う度に新たな発見を得て、少しずつ理解が深まっていくのが楽しいわけです。
小説がどうしたら人々に対する力を持ちうるのか、という問いは、ひっくり返せば、どうすれば文学を享受する事ができるのか、という問いにもつながります。書き手の方法論だけではなく、読み手の方法論としての重要性も、この本の議論において見いだせると言えましょう。